二
場所、先と同じく、天体観望会の会場。先の場から一時間ほどが経過し、もうすぐ観望会が始まるところだが会場は無人。設置済の望遠鏡や電気ポットなどはそのまま。そこに佳奈、綾、由美子が足下に気を配りながら横並びで下手からゆっくりと入ってくる。由美子も他二人と同じく着込んだ服装。
佳奈 綾さんが地元出たときって、彼氏いました?
綾 いたけど置いてったね。もう全部。彼氏も家電も、全部捨てて東京出た。気持ちよかったなー。なに、佳奈ちゃんはどうするの。
三人の横を、外套を着ずに制服だけの服装の江藤が自転車を押しながら追い抜く。
江藤 (三人を追い抜いてから振り向いて立ち止まる)はいそこ、あんまり道路では横に広がらないでね。
三人も立ち止まって。
綾 で、でたー!
佳奈 ああ、すいません。
由美子 あら純さん、今日もすごい風だねえ。
江藤 いやすごいね、鈴木さんちの車庫、風吹くたびトタンの屋根が端っこひっくり返っちゃって、べっこんべっこんってなってたよ。もうわやだね。
綾 いや、あの、この人、幽霊なんですよね?
佳奈 あ、聞きました? そうなんですよ、この島の交通安全をずっと昔から見てくれてる人です。
江藤、敬礼する。
江藤 小官、既に殉職のため職位はありませんが、風尻の安全のため、声をかけさせてもらっています。
由美子 純さんはねえ、幽霊だから足がちょっと地面から浮いてるんだけど、冬は雪でそれが見えなくなっちゃうんだよね。さっきも言ったけど、今度は夏にまた来なさいね。
江藤 それがいい。
佳奈 私の置いていく自転車使っていいから、それで島のどこでも行けるよ。
江藤 ただし、自転車は車道の端を通行してください。
綾 あの、え、成仏、とかは、されないんですか?
江藤 はっはっは。小官もまだまだ元気ですからね、当分予定はないですよ。
由美子 元気だべなあ。
綾 混乱が混乱を招く……。
江藤 いやはや実際、こんなふうに風の強い日は、力を抜くとどこかに飛んで行ってしまいそうな感じがするんです。
佳奈 それが成仏なんじゃないの。
江藤 そこをぐっとこらえて、フェリーを降り立ったばかりの観光客が車道を歩いているのを注意し、無灯火で走る自転車の中学生を注意し、風尻の交通安全を守っているという充実感と誇りで、今日も小官はここ、風尻島に立っているのです!
佳奈 立っているというか、ちょっと浮いているのです!
由美子 元気だべなあ。
綾 はあ……。
江藤 さて、それでは小官はこれで。今日は星空観察会でしたかな。あまり遅くならんように。
佳奈 あ、そうだ、父や陽くんは見ませんでした? ニシン様も一緒だと思うんですけど。
江藤 (上手側を向きながら)土屋商店の前で見ましたね。でも、ちょっと前だったべか。
佳奈 なんか買ってるのかな。ありがとうございます。
江藤 ではこれで。
江藤、上手へ自転車を引いて退場。
綾 (さきほどから手に持ったままの『風尻の歴史』をまじまじと見ながら)いや、かなり厚い本なのでしっかり勉強してきたつもりだったんですけど、いざ来てみたら本に書いてないことも多いものですね……。
由美子 そりゃあそうだよ。
綾 まさか当然のように幽霊がいるとは……。
佳奈 内地には幽霊っていないんですね。
上手から、陽とニシン様、鉄蔵戻ってくる。
綾 (ニシン様の体に付着している「大漁祈願」の額縁を二度見して)うわー、また一人、なんか私の及びもつかないタイプの人いるー。
佳奈 あ、父さん。
綾 (手に持った『風尻の歴史』、鉄蔵、ニシン様を順に見て)どっちかなー。やべー方ワンチャンあるなー。
由美子 みんなしてどこさ行ってたの。
鉄蔵 レーザーポインタの電池切れちゃって。買いに行ってた。で、そっちの人が内地から来たって方。
綾 はい、草野と申します。趣味で星の和名の蒐集をしていて。あ、名刺。
鉄蔵 (カバンから名刺を探そうとする綾を遮って)いや、そういうのは。で、なんで俺の本さ持ってんの。
綾 よかった、こっちが鉄蔵さんでしたか。『風尻の歴史』、大変興味深くお読みしました。
ニシン様 (自分を指さして)じゃあ、こっちはなんだと思う?
綾 あの……あなたは……。その体にくっついてる「大漁祈願」の額縁って、須原さんの資料館に飾ってあったものでは……?
ニシン様 いろいろ調べとるんだね。そう、あれと同じものだよ。やっぱりあれが一番、ニシン漁の魂を表しとるからね。
陽 あ、この人がニシン様。人、というか概念って自分では言ってるけど。
ニシン様 この島はね、あちこちにニシン漁の名残がなんも片付けられねえで残ってっからよ。俺みたいのもいんだよね。
綾 由美子さんからニシン様という方のお話だけは聞いていましたけど、なんか神社のご神体とか民話とかの話だと思ってました……。実在? されているんですね……。
佳奈 ニシン様も星の和名とか知ってるから。ムヅラボシとか。
綾 ああ、ムヅラボシ。さっき由美子さんからも教えてもらいました。
由美子 それもニシン様に教わったんだぁ。
ニシン様 夜に漁行くイカとかのやつらは、星で時間や季節測るのが大事だったからなあ。
綾、手に持っていた『風尻の歴史』をバッグにしまい、代わりに大学ノートとペンを取り出す。
綾 (手にした大学ノートを見ながら)たしか、積丹、ですか? そこでもムヅラボシと言っていたという記録が。
ニシン様 あそこもニシンもイカもよく捕れたもんだ。季節ごとに夜釣りのための星があってなぁ、
綾たちの話を尻目に、陽、設置している天体望遠鏡をのぞき込む。
鉄蔵 ニシン様、時間だべ、先に星空観察会やってもいいかい。
綾 ああ、すみません。あの、見学させていただいても。
鉄蔵 いや、あなたの方が星に詳しそうだから、見ても退屈でないかな。
綾 そんなことは。
鉄蔵 早見盤も今日は予備の分を持ってきていないので、十分な説明ができるかどうか。
佳奈 なんでそうやってすぐ、よその人に意地悪するの。綾さん、私の星座早見盤、一緒に見ましょう。
綾 (鉄蔵と佳奈を交互に見て)いや、あの……。うん、ありがとう。さっきからだけど、もう星空すっごいね。さすが離島だな。
鉄蔵 ……それでは、風尻天文サークルの今月の星空観望会を始めます。
綾、時計を確認してから、佳奈から手渡された星座早見盤を手早く回す。
鉄蔵 (先ほど読み上げた紙片を再度読み上げる)本日観察するのは、オリオン座という冬の星座です。横に並んだ三つの星と、それを囲むような四つの星が肉眼でも見られるはずです。まずはこれを、いつもの星座早見盤を使って見つけてみてください。はい。
綾 (星座早見盤と上空を比べて見ながら佳奈に)このあたりって東経何度? 何日ずらして使ってる?
佳奈 え、それって関係あるんですか?
綾 うーん、なんか合ってないような……。
陽 (近づいてきて)あれ、使い方分かんないですか? 俺の合わせたので、見ていいですよ。
綾 うん、ありがとう。……あれ? カノープスあるな、これ。
鉄蔵 (戸惑っている綾を無視して続ける)オリオンの右肩に輝く赤い星がベテルギウス、この星の明るさが最近減っていることがニュースなどでも取り上げられていますね。
綾 ああ、そもそもこれ、明石の緯度の早見盤なんだね。
佳奈 どういうことですか?
綾 えっと、特に南の星空って、緯度によってちょっと見え方が違うんだよ。で、二人が使ってる早見盤って、日本の標準の緯度経度になってる、兵庫県の明石に合わせて作られてるから。ほら、早見盤では地平線のあたりにカノープスが見えることになってるんだけど、ここまで北だと見えないんだよ。東京でも難しいくらい。……えっと、知らなかった? 経度も六日分くらいずらすのかな。
鉄蔵 あの、草野さん、すみません。あんまりお話しされるようだと。
綾 あ、ごめんなさい。えっと、オリオン座ですよね。わざわざ星座早見盤を使うこともないか。はい。
綾、鉄蔵がレーザーポインタで指すのと違う方向を指さす。
綾 あの、鉄蔵さん。……それ、アンドロメダ座です。え、あれ?
一同、沈黙。
由美子 草野さん、鉄蔵の言ってることが間違ってるって言ってんのかい。
鉄蔵、馬鹿にしたように鼻で笑う。再度一同沈黙。
ニシン様 ……そのオリオン座ってのに、和名はあんのかい。
綾 (やや早口で)星座自体は西洋のものなんですけど、ベテルギウスとリゲルの赤白の色から源氏星と平家星と呼んだり、北海道で蒐集例があったのはなんだったかな、あまり特徴はないですけど、星座の真ん中の三つの星を、三つの光と書いてサンコウですね。
ニシン様 ……サンコウだったら、お客さんが指してる方だべな。
陽 いや、でも、星座早見盤を見たら、オリオン座っておじさんの指してる方の空にあるんじゃ……。
綾 えっと、陽くんの持ち方、逆なんだよ、早見盤のいま自分の向いてる方角を下に持って、それで目の前の早見盤をぐーっとそのまま上に持ってきてみて。
綾、言いながら、目の前に構えた星座早見盤の向きを変えずに頭上へ持ち上げ、頭上を見上げるようにして星座早見盤を見る。陽も綾と同じ動きを真似て星座早見盤を見上げる。
陽 あ。いつもと逆さになってる。
綾 うん、だからオリオン座はあっちなの(再度先と同じ方を指す)。
佳奈 だから前に言ったじゃん、なんかおかしくない? って。この天文サークルの最初にみんなに早見盤配ったとき。あのときも私の言うことなんも聞いてくんなかったよね。どうすんの、あのとき島の人も何人も来てたじゃん。嘘教えたの。
陽 そんな、おじさんだって間違うことくらいあるでしょや。
鉄蔵、大きく舌打ちして下手側へ退場。
由美子 (鉄蔵の背中に向け)鉄蔵っ……。
ニシン様 あいつは昔から、ちょっとあれするとああだもんな……。陽、ちょっと、鉄蔵についとってくれんか。
陽 え、
綾 あの、すいません、私……。
佳奈 綾さんはほんとのこと教えてくれてるだけだもん。
陽 佳奈、だからさ……。あの、俺、一応、行ってみます。片付けに戻ってくるので、望遠鏡はそのままにしといてください。
由美子 すまんね。
佳奈、再度コートのポケットからゴムボールを取り出して陽に手渡す。受け取った陽、下手に退場しながら、雪だるまの前を通り過ぎる際に頭上のバケツにゴムボールを落とす。バケツの中でゴムボールが跳ねるSE。陽、そのまま下手へ退場。
由美子 草野さんも、嫌なこと言わせちゃったね。
綾 いえ、私は。
由美子 でも、あれで島の人さのまとめ役みたいなことだから。簡単に謝るとか、間違ってたとか言えないとこもあんだよね。
佳奈 関係ないでしょう。なんでいつもああなの? 自分のせいなのに怒るし、怒ると黙るし。
綾 ……私の父も似たようなところがありました。寒いところの人だからですかね。怒って大きく口開けるの、冷たいし。なんて。
ニシン様 鉄蔵は一年中あんなだよ。
佳奈 でも確かに冬はひどいかも。毎年冬になるとむすっとするの。
ニシン様 ははは、漁の時期の言い伝えみたいだべな。鉄蔵がむずかるとニシンがかかる。
綾 でも、そういう季節の言い伝え、たくさんありますよね。私が知ってるのは星のばっかりですけど。
佳奈 そうだ、綾さん、星の名前、続き。ニシン様。
ニシン様 ん、……ああ。さっきの話の続きな。冬はムヅラボシってのはさっき話したもんな。あとはなんだべな。それより先に出るってんでサキボシってのもあったんだけど、それはもっと小樽だかから来た人が言ってた言葉でな、ここではサキボシは沈まないのさ。
綾 そうか、カペラはこの辺りだと周極星になるんですね。それでもサキボシという言葉は残っている。とても興味深いです。
由美子 あそこの、七曜の星、今の学問で言う北斗七星というのも沈まないべさ。だから昔は、いつまでもお嫁に行けない人のことを七曜さんってからかったんだ。
綾 なるほど。
一瞬の間。
佳奈 おばあちゃん、(次のニシン様の台詞とかぶったのに気づき止める)
ニシン様 (佳奈の前の台詞と同時に)冬の星は、
佳奈 あ、ニシン様、どうぞ。
ニシン様 ああ、悪いな。えっと、冬の星はこんなもんだな。でも夏の星はもう、天の川くらいしか言わなかったな。
由美子 織姫と彦星。
ニシン様 そう。他だと。昔の昔、ニシン漁が始まったばっかの明治の頃に、ニシン漁の人もアイヌの人をこき使っててな、そのときにアイヌの星の言い方を聞いたような気もするんだけど、それもどれがなんて名前だったかまでは。
綾 北海道ですと、そういうのもあるでしょうね。
ニシン様 そんなとこかな。で、佳奈っぺは? さっき、なんか言いかけた?
佳奈 あの、おばあちゃん。
由美子 なに?
佳奈 さっき言ってた話、その、お嫁に行けない人をからかうっていうの、おばあちゃんも言ってたの?
由美子 そうだね。
佳奈 その、言われてた人は、どうしたの?
由美子 結局、旭川さにお嫁に行ったよ。……島には全然帰らんね。あれはなんかな。島を出て行く人って感じがずっとしてたからな。それでみんなして変にからかったのかもしれん。
佳奈 なんか、帰らない気持ち、分かる気がするな。
ニシン様 でも、今とはものの考え方が違ったからな。
佳奈 言うほど変わってないよ。ニシン様もよく言ってるよね。この島は昔のことがなんにも片付いていないって。
綾さんも昼間この島を回ったから見たと思うけど、この島に住んでる人が出て行くときには、住んでた家をそのままにして出て行くの。木造の古い家が、この島の強い風で少しずつ壊れていくのを、残された人も誰も見ないふりしてるの。
ねえ、海の向こう、地方(じかた)の山が壁みたいに続いているよね。なんにも片付けずに、あの壁の向こうに行けばいいの。そうして、変わらない人だけが片付けられずに残されていくの。黙って、見ないふりして。
由美子 ……佳奈は、この島が嫌いなのかい。
佳奈 ……き、きらいっ。
綾 なんだか、長野を出たときの私みたいなこと言ってるな。私の住んでた所はね、海じゃなくて山に囲まれてたけど。山で東京の明かりが隠されてたから、星が綺麗に見えるところだったんだ。
由美子 草野さんは、長野を出るときに全部捨てたって言ってらしたけど、後悔はなかったんですか?
綾 なにも。なにひとつ。
ニシン様 それはきっとな、捨てられる方の場所もな、きっとそういう、才能? 地面に才能ってのも変な話だべな、でもな、そういうことが上手くできる場所とできない場所があるよ。
綾 だと、思います。全部を捨てて後悔はないけれど、ただ、嫌いになる必要はなかったかもしれないな。
ニシン様 俺は風尻ニシン漁の概念だなんて、捨て残されて片付けられてないものの象徴みたいなもんだけど。この島の片付けられてない色んなもので息ができなくなっちゃう人は、やっぱり出て行くしかないんだよ。そして、俺や由美子ばあみたいのが、ちゃんと見送って、ちゃんと残されていくわけ。
由美子 そのまんまにしてあったうちの番屋がね、五十年もしているうちに雪で潰れて風で倒れてもうなんにもなくなったんだけど、なんにもなくなった家の庭だったところに、毎年チューリップだけがぽつんと咲いてんだ。
ニシン様 それを綺麗だと思う人と、塩梅悪いっていう人がいるんだよ。
佳奈 (遠くを虚ろに見据えながら、まるで由美子たちの話を聞いていないかのように)私は、ちゃんと壁の向こうに行けるのかな。まだ中学卒業するばっかりで、札幌に行けたとしても、陽くんもついてくるし。綾さんみたいに全部捨てられるわけではないのに。あの山の向こうもこの島だったらどうしよう。
綾 佳奈ちゃん?
佳奈 綾さん、私を東京に連れて行ってくれませんか?
綾 だめだよ。それはきっと。大丈夫、佳奈ちゃんなら。
佳奈 ……あはは、ふられちゃった。
佳奈、言われたことを気にしていないような素振りでふらふらと舞台上を歩く。やがて下手側へ進み、再度コートのポケットからゴムボールを取り出して、雪だるまの頭上のバケツにゴムボールを落とす。バケツの中でゴムボールが跳ねるSE。
下手から陽が戻ってくる。
陽 片付け終わっちゃった? って全然だね。
佳奈 (急に現実に引き戻されたように)なんにも片付かないよ。
ニシン様 そっちはどうだった?
陽 いや、おじさんはずっと黙ってたんだけど、急に相撲の稽古ばつけてやるって言うから、慌てて。片付けあるからって逃げてきた。
佳奈 何それ。
ニシン様 なしてさ。つけてもらえばよかったしょ。
陽 いや、やっぱ怒ってるときのおじさん、怖いんだよ。迫力あるっていうか。
佳奈 そんなの迫力なんかじゃないんだよ。ばか。
綾 あの、陽くんはお相撲やってるんですか? たしか学校のところに、屋外土俵みたいのがありましたけど。
陽 ああ、卒業相撲っていうこの島の行事があって。この島って高校がないから、中学を出たら親元っていうかこの島を基本離れるんですけど、そのときに親と相撲を取って、勝ったら成長を認められて島を離れられるっていうのが、なんか島の風習になってるんです。まあ、勝つまでやるっていうか、いいとこまでやったら親の方が負けてくれるもんらしいんですけど。
綾 へえ。佳奈ちゃんも鉄蔵さんととるの? お母さん?
佳奈 いえ。私は……。今年は陽くんだけです。男の子だけですね、毎年。
綾 え、あれ、そうなの。ふうん。卒業相撲か。『風尻の歴史』には載ってなかったな。
由美子 わりに最近始まったやつだよ。
陽 最初は沖縄の風習だったらしいんです。沖縄の、俺たちが沖縄って思ってる島以外のどっかの小さな島にも高校がないらしくて。そこで十五歳の進学で親元を離れるときにやってた卒業相撲っていうのを、今のうちらの佐々木先生っていう先生の、前にいた先生が新聞で読んで、んで風尻でも真似するようにしたんだって。
綾 なるほどねえ。結構立派な土俵だったけど、それって風習として根付いたってことですよね。
ニシン様 今年島出て行く中で相撲さとるのは陽だけだけど、たぶん島の人みんな見に来るべ。
綾 ちなみに、相撲の概念を司る相撲様とかはいないですよね、この島?
ニシン様 いねえよ。
綾 力士の幽霊とかも。
佳奈 実は陽くんが、十年前に卒業相撲で勝てなくて島を出られなかった青年の怨霊なんですよ。
綾 ええっ!?
由美子 やめれ。
陽 でも、綾と一緒に札幌行けなかったら、そうなっちゃうかもしれないな。
綾 ん、私?
陽 あ、佳奈だ。すいません、名前間違えました。
佳奈 最低……。
綾 まあまあ、なんか格好いいこと言おうとしてたみたいだし。いや、ひどいな。今のはひどい。
陽 いや、なんか、名前の響きが二人似てるから、口が勝手に……。
佳奈 もう怨霊にでもなればいいんだよ。さっさと片付けて帰ろう。あんまりうち、帰りたくないけど。
望遠鏡に近づく佳奈を陽が呼び止める。
陽 あ、ちょっと待って。あの、帰りたくないんだったら、もうちょっとだけ、草野さんに望遠鏡の使い方とか聞いてかない? あの、草野さん、お願いします。
ニシン様 ああ、それがいいな。
綾 そうだね。札幌でも見えるような星、教えておくよ。
佳奈 あ、ありがとうございます。……えっと、陽くんも。
陽 うん、まあ。望遠鏡の使い方知りたいって、さっき佳奈が自分で言ってたもんだから。
佳奈 そだね。
陽 ちゃんと言ってくれたら、俺でもできること、あるよ。
佳奈、陽の方を見ずに頷く。
陽 なんか、札幌行って、今朝この島に戻ってきて佳奈の顔見たら、そういうこと考えてかないとって思ったんだ。まだ、よく分かんないけども。
佳奈、再度頷く。
由美子 したっけ私らは先帰るベな。しばれてよいじゃない。
ニシン様 俺もここまでだな、この場のニシン漁の機運の落ち込みを感じる。
綾 え、もしかしていなくなるんですか?
陽 まあでも、島中のどこかしこにニシン様はいて、佳奈がニシン場の唄を唄うとまたすぐ出てくるから。
ニシン様 したっけね。
ニシン様、下手へひょこひょことした軽い足取りで退場。その後ろを由美子もゆっくり歩いて退場する。
佳奈 (ニシン様が完全に退場してから、どこに向けてとなく呼びかけるように)ニシン様、今日はありがとー。
ニシン様 (声だけで)なんもさー。
綾 え、そういう感じなんですか? えっと、星のお話、ありがとうございました。
ニシン様 (声だけで)はいはいー。
綾 ……じゃ、やろうか。
三人、そのままにされていた二台の天体望遠鏡へ近づく。綾、片方の望遠鏡の経緯台を操作し、一度覗き込む。
綾 この望遠鏡は、ちょっと古めのやつだけど、でもお手入れもされてていいやつだね。えっと、このメーカーの望遠鏡は初心者向けにかなり使いやすくて、天文部がある高校だと、だいたいここのを使ってるよ。これに慣れておくのはいいね。
佳奈 もっと、写真撮れるやつにしようとすると、高いんですか?
綾 んーん、だって、これにスマホ取り付けて写真撮れるようにする部品もあるよ。
綾、二台の望遠鏡をそれぞれ、上空と望遠鏡のレンズを交互に見ながら経緯台を調整する。
綾 じゃあ。いま合わせてるのが、さっき言ったオリオン座の中からベテルギウス。赤い一等星。ちょっと見てみて。ズレてたら、えっと、追尾はできる?
佳奈と陽、それぞれ望遠鏡を覗き込む。
陽 (望遠鏡から目を離さずに)できます。星の場所とか名前とか間違えてただけで、一応星を見ることはやってきたので。本当に赤、っていうかオレンジ色なんですね。
綾 そう、望遠鏡とかで見ないと、星の色なんか分かんないよね。じゃ、一回こっち見て。
佳奈と陽、望遠鏡から顔を上げて綾を見る。綾、上空を指さす。
綾 今見たのがあそこの、三つ横に並んでる星の左上のベテルギウス。札幌に行く頃にはまたもうちょっと明るくなってるかも。そっから左下、真南の方にいって一番明るい星がシリウスで、そっからまっすぐ上、ベテルギウスより更に上にある明るい星がプロキオン。ベテルギウスとシリウスとプロキオンで冬の大三角。(地上に視線を戻して)佳奈ちゃん、望遠鏡で見たいのある?
佳奈、無言のままゆっくり首を振る。
陽 ベテルギウス、シリウス、プロキオン。覚えれるかな。
綾 探し方だけ分かれば、名前は後からでもいいよ。星座も今はいいや。(再度上空を見上げて指をさしながら、ゆっくりと)今度はベテルギウスからオリオン座の三つ星を挟んで真反対側にある白い星がリゲル。
それで、プロキオンから辿ってシリウス、リゲルの次が、高さを変えずにそのまま西の方にいったところにあるV字に並んでる星のところの一番明るいのがアルデバラン。
それから上にいったところにある明るいのがカペラ。最後がまたちょっと南側の、今ほぼ真上にある二つの明るい星が双子座で、その南側のがポルックス。それでさっきのプロキオンに戻ってくる。
この、プロキオン、シリウス、リゲル、アルデバラン、カペラ、ポルックスっていうのを繋いで、冬のダイアモンド。これはね、どこに行っても見えるよ。東京でもちょっと暗いとこなら綺麗に見える。冬のだけど、秋になってから春になってもくらいまでずっと見える。
綾、地上に視線を戻す。
陽 でも、時間とか季節で見え方違うんですよね。探せるかな。
綾 オリオン座の形だけ覚えておいて、あと空で一番明るい星がシリウスだって覚えておけば、あとは六つ、見覚えのある形が見つかるまで、ゆっくり空を見てればいいの。
佳奈 (呆けたような口調で)綾さんが指さして、星に名前がついていくの、魔法みたい。
綾 でしょう?
佳奈 ずっと知ってたはずの星空なのに、ようやく綾さんに名前をつけてもらえて。たった六つだけど、この六つを自分で見つけて、星を辿って大きく一周したら、もう私のものだね。
綾 どこで見る星空も、佳奈ちゃんにあげるよ。
佳奈 (以下、二人空を見上げながら)プロキオン、シリウス、リゲル。
綾 プロキオン、シリウス、リゲル。
佳奈 アルデバラン、カペラ、ポルックス。
綾 アルデバラン、カペラ、ポルックス。
佳奈 プロキオン、シリウス、リゲル。
綾 プロキオン、シリウス、リゲル。
佳奈 アルデバラン、カペラ、ポルックス。
綾 アルデバラン、カペラ、ポルックス。
佳奈 プロキオン、シリウス、リゲル。
綾 プロキオン、シリウス、リゲル。
佳奈 アルデバラン、カペラ、ポルックス。
綾 アルデバラン、カペラ、ポルックス。
以下、佳奈と綾、何度かこの星の名前を繰り返す。徐々に佳奈の声が涙声になりながら、ゆっくりと暗転。
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