1-3 神々の自己紹介2

「新参者。我と手を結び、友誼の証を立てると誓わん」


 アッシュブロンドのロン毛にくねくねとパーマをかけた芸術家っぽい男神が、唐突に神司の前に出てきて悠揚と右手を向けた。

 男神の真面目な顔と右手を見比べて、神司は何を求められているのかと戸惑う。


「え、一体何をすれば?」

「アポローンは、友達になるから握手をしよう、って言ってるの」


 男神と神司の横から、男神と同じ色の髪を緩いソバージュにした女神が、微笑と共に口添えした。


「握手ですか」

「そう。アポローンが変な言葉づかいでごめんね」

「いえ、それはいいんですけど」

「ちなみにあたしは狩猟の神アルテミス。アポローンは私の弟で芸術と医療の神なの」


 神司に懇々と説明しているアルテミスの肩に、不意にアポローンが手を乗せ不服気な目を投げかける。


「我、新参者とのみ時を共にせん。故、係累の嘴挟みしことは寸毫不快なり」


 弟にそう言われて粗略に扱われたアルテミスはぷくりと頬を膨らませ、形のいい胸の前で腕を組みそっぽを向く。


「これからアポローンに鹿肉を一枚も分けてあげないから」

「んーーーーー!」


 アポローンの口から言葉にならない呻きが漏れる。


「それは嫌?」

 アルテミスが流し目に問うと、アポローンの瞳に切々とした哀願が宿った。


「わかった。ちゃんと鹿肉分けてあげるから、神司さんとの握手に私も交ぜて」

「言なし」

「ということで神司さん」


 弟に聞き入れさせると、神司に視線を戻して微笑む。

 アポローンとアルテミスは同時に手を差し出し、神司の手を左右から包み込んだ。


「以後の友誼を願望するなり」「これからよろしくお願いします」

「はい、こちらこそ。よろしくお願いします」


 神司が頭を下げると、アポローンとアルテミスは雰囲気違う微笑を見せ、手を離し神々の並ぶ列に戻っていった。


「えっと。他に自己紹介してない神は?」


 もう自ら話しかけに行こうと神司が神々に目を向けようとした時、彼の前に競い合うようにして二つの影が駆け寄ってくる。


「な、なんだ」


 突如として接近してきた二つの影に、神司は驚き竦む。

 二つの影のうち筋肉の隆線が際立つ方が、逞しく太い腕を握手を求めるように突き出してきた。


「俺の名はディオニュ……」

「あたしの名はデーメーテール。豊穣の神よ!」


 名乗ろうとした男神の声を上回る声量で、二つの影のもう一方である女神が先んじて告げた。


「は、はあ」


 たじろぐ神司に、女神はミディアムのウルフカットにした髪の間から爛々と目を輝かせる。


「あたしの方が先に自己紹介したわよね?」

「え、あ、どうなんですかね?」

「んなわけねーだろぉ。この小麦ババア!」


 天頂尖らせツーブロの男神がウルフカットの女神にがなり立てる。それも神司に手をつき出したままで。


「今。なんていった?」


 ウルフカット女神はツーブロ男神の言葉に激しく反応して、敵を睨みつける剣呑な視線を送った。


「なんどでも言ってやるよ。毒入り小麦ババア!」

「人糞が混じった下水みたいなワインしか作れないくせによく言えるわ」

「んだとコラ!」


 悪罵に悪罵で返した女神に、男神は激昂した。

 火の粉が飛んできそうで、むやみに仲裁にも入れないな。

 今にもどちらかが掴みかかりそうな剣呑な空気に、神司はすぐ傍にいながら口出しを躊躇っている。


「新しい神の前で喧嘩なんかしないでください!」


 突然に響いた仲裁する女神の叫び声に、いがみ合っていたウルフカットとツーブロとさらには神司も声のした方を振り向いた。

 三人の目線の先で、少女のような体躯で赤橙の三つ編みお下げを顔の左右から垂らした女神が腰に手を当てて眉間に怒りの皺を深く刻んでいた。


「デーメーテールもディオニュソスもこんな時にまで言い争って。神司君が困ってるじゃないですか」


 三つ編みの女神の叱責に、デーメーテールとディオニュソスは返す言葉がない。

 子供に説教される大人二人のような構図に、神司はこっそり苦笑いする。


「オリュンポスの神としての威厳を持ってください。とくにデーメーテール」

「え、あたし?」

「年上のあなたがムキになってどうするんですか」

「で、でも姉さん……」

「言い訳は聞きたくありません」


 ぴしゃりとデーメーテールの言葉を遮った。

 デーメーテールは悔し気に唇を噛む。


「言い訳するぐらいなら自分でパンを焼くくらいしてほしいです」

「ごめんなさい、姉さん」

「よろしい」


 デーメーテールが謝るのを見て、三つ編みの女神は鷹揚に頷いた。

 見た目は子供だけど、一体この神は何者なんだ?

 神司が推測しようとした時、三つ編みの女神の方から彼へ身体の向きを変え、慇懃にお辞儀した。


「神司さん。自己紹介が遅れましたヘスティアーです。かまどの神をしております。以後お見知りおきを」


 急に堅苦しくなったな。

 神司は返事に迷う。


「気楽にしてくれていいですよ。私の挨拶が余所余所しいのは癖みたいなものですから」


 そう声を掛け、ほぐれるように微笑する。

 神司の肩から無駄な力が抜けた。


「こちらこそ、よろしくお願いします。こんなのでもいいですかね?」


 笑いながら伺いを立てる。


「はい。これから同じ職場で働くんですから過度な礼儀を必要ありません」

「なあ、俺から改めて自己紹介させてくれ」


 ヘスティアと神司の会話に間が空いたと思うなり、ディオニュソスが申し出た。

 神司が顔を向けると、自己紹介を始める。


「俺の名はディオニュソス。葡萄酒と酩酊の神だぜ。よろしくな」

「あたしも改めて」


 デーメーテールがディオニュソスの横に並ぶ。


「あたしの名はデーメーテール。豊穣と農耕の神よ。よろしく」


 神司の方も念を入れて挨拶を返す。

 神司と挨拶を交わしたディオニュソス、デーメーテール、ヘスティアはまた後でね、と言いながら列に戻っていった。


 さて、残るはあと……。

 神司は神々の並んだ列の右端に視線を送る。

 そこには他の神々が神司に自己紹介している間ずっと俯いていた、榛色の長い髪を頭の後ろで結わえたポニーテールの女神が立っている。

 度重なる神々との顔合わせに緊張が薄れた神司は、自らポニーテールの女神のもとへ歩み寄る。


「本日をもって神になりました。神司です」

「……」


 ポニーテールの女神は黙したまま何も発しない。


「これからよろしくお願いします」


 神司が定型文と言っていい挨拶を告げると、ポニーテールの女神はようやく目線を上げた。

 刹那、死を前にしたような怯懦が神司の背を走り過ぎた。

 相対した女神の彼を見る瞳が、殺意に昏く光っている。


「ひっ」


 神司は脚が凍ったように動かなくなり、女神の眼を見たいともなく見つめてしまう。

 女神はやおら右手を上げ、宙で掌を開いた。

 その掌を中心にして、目を眩ます強い光芒が放たれる。

 神司は思わず目を細めた。


 次の瞬間、女神の掌に手品の如く槍のような鋭利な武具が出現する。

 女神は槍のような武具を掴むと、左手で柄を握り左わき腹の方へ引いた。


「殺す」


 押し殺した声で一言そう呟き、神司の胴体に目掛けて槍を突き出した。

「え?」


 突然出現した武器を手にしたと思ったら、殺戮を宣言されて刺し殺される。とは神司が予想つくはずもなく、状況整理が追いつかない彼に槍の尖端が迫る。


 ヤバい。、マジで殺される!

 思いも寄らない展開に、神司は迫りくる槍を唖然と見つめた。

 尖端が彼の身体に達し――ようとした寸前で、神司と女神の間に筋骨隆々の躯体が立ちはだかった。


「神司君。大丈夫か」


 筋骨隆々の躯体の持ち主であるゼウスが、女神の槍を宙で掴み止めたまま背中越しに神司を案じた。


「え、あ、はい。なんとか」


 未だ状況を十分には理解できていない神司は、かろうじて返事をする。


「わしの娘がすまない」

「娘?」

「そうじゃ。今しがた神司君を殺そうとした女神じゃ。名をアテナという」

「どいて。殺せない」


 アテナは睨み殺さんばかりの目つきでゼウスを睨み据え、槍を握る両手に力を加える。

 だが、槍はゼウスの掴んだ一からピクリとも動かない。


「槍から手を離して。殺せない」

「アテナよ。無為な怒りを鎮めよ」


 淡々と告げるゼウスに、アテナの唇が苛立たしげに歪む。

 ゼウスが槍を掴み止めたまま、すまなげに眉を下げた。


「娘であるお前を本来の役職から外したのは申し訳なく思っている。だが、神司君を殺したとて復職できるわけではないぞ」

「なら、元に戻して」

「ならん。人間界に平和を齎すにはお前を外さざるを得ないんじゃ」

「……」


 諭されたアテナは無言になると、静かに槍を持つ手から力を抜いた。

 槍が光の粒子と弾け、アテナの手から霧消する。


「帰る」


 ごく短く呟いて、アテナも光の粒子となって姿を消した。

 ゼウスが槍を掴み止めていた腕を降ろして、神司を振り向く。


「危険な目に遭わせてしまって申し訳ない」

「あ、いえ。助けていただいてありがとうとござます」

「アテナは理由なく強襲しようとはせん。あまり恨まないでやってほしい」

「わかりました。でも突然のことで何が何だか」


 神司の当惑げな疑問に、ゼウスは告げるか迷うなような間を置いて返す。


「無理はないの。神司君はアテナに恨まれる理由を知らないからの」

「恨まれる理由が俺にあるんですか。その理由っていうのは?」

「詳しい事情は後程に話す。今は君の歓迎会を楽しんでくれたまえ」

「わかりました」


 はぐらかされたかな、と思いつつも神司は追及の心を抑えて頷いた。

 その後、アテナを除いた神々と神司が気楽な質問を交わし合っているうちに、歓迎会はあっという間にお開きとなった。

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死んだラノベ作家、ラブコメの神としてオリュンポスに列席する。 青キング(Aoking) @112428

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