1-3 神々の自己紹介1

「よいしょ」


 神司を連れ添ったゼウスが、縦にひだの刻んだ列柱が並ぶギリシャ様式の屋外宮殿の中央に突如として現れ、軽くジャンプした後のように着地した。

 ゼウスに手を掴まれたまま、神司が周囲を見回す。


「今度はどこだよ」

「パルテノン神殿みたいな内観の宴会場じゃ」

「みたいな内観かよ。確かにそれっぽいけども」


 とは言いつつも、よく似せてるなと神司は少し感心して、柱の一つをしげしげと眺める。


「ゆっくり柱を見ている場合ではないぞ。今から君の歓迎会を催すんのじゃから」

「え、歓迎会? そんなの聞いてませんけど」

「おっ、来たのじゃ」


 神司のやんわりとした抗議には耳も貸さずに、ゼウスは声を弾ませて宮殿内で唯一の昇降階段の方を窺った。

 ゼウスの目を追って、神司も階段の方を見遣る。

 十二の人間の形をした影が階段を昇り、ゼウスと神司のいるところまでゆっくりと歩み寄ってきている。


「あの方たちは?」

「わしの家族じゃよ。職場を一緒に切り盛りしておる」

「家族経営ってやつですか」


 神世界にそんな言葉があるのかは知らないけど、と心の中でただし付きにした。

 ゼウスと神司が会話している間に、十二の影は姿形がはっきり識別できるほどにまで接近していた。十二の影はそれぞれ体格に性差はあるが、皆全員古代ギリシャ風の白い貫頭衣を纏っていた。

 ゼウスは神司から離れて、十二の影の側に回る。


「こちらの十二神はこれから神司君と同じ職場働く先輩の神々じゃ。不明なことがあれば、先輩に遠慮なく訊くようにするんじゃぞ」

「先輩の神々ですか。よろしくお願いします」


 とりあえず、という思いで神司は頭を下げた。

 十二神のうち最も左にいた短髪で眼鏡をかけてインテリっぽい男神が前に出て、神司に見向いて温和な笑みを浮かべた。


「ポセイドンです。海の神を担当しております。海洋に関する事柄は自分に問い合わせてもらえれば、答えられる限り対応しますのでお願いします」

「……いえ、こちらこそ」


 ポセイドンって、こんな知的な雰囲気ビンビンの神様だったのか。

 低頭する傍ら、アニメや漫画などから得たイメージとのギャップにショックを受けた。

 ポセイドンが退がると、隣でぼんやりと空を見上げているマイペースそうな男神が、自己紹介のお鉢が回ってきたことに気付いてのんびりと神司と視線を合わせた。


「僕の名前は…………ヘルメス…………これから…………よろしく」

「あっ、はい」


 ヘルメスのじれったい口調に神司は戸惑いを覚えながらも返事をした。

 ヘルメスは空に目を戻す。


「ヘルメスは旅人や商人などの守護が担当しとる」


 あまりにも口数が少ないヘルメスの代わりに、ゼウスが補足した。


「俺はヘーパイストスだ。よろしくな」


 ゼウスが口を閉じたと同時に、無精ひげを生やして筋肉質な腕を組んでいる男神が、急いでいるような早口で名乗った。


「そう急くでないヘッパー。自己紹介はゆっくりでいい」

「ヘッパーと呼ぶなと言ってるだろ!」


 おかしな略称を使ったゼウスに怒鳴り声を浴びせる。

 ゼウスは困った顔をして、神司に振り向く。


「ヘーパイストスという名前は言いにくいと神司君も思わんか?」

「こっちに同意を求めないでくださいよ。俺は初対面何ですから」

「神司君が言うなら、ヘッパーと呼ぶのはやめようかの」

「そうだ、わかればいいんだ」


 うんうんと頷くヘーパイストスに、ゼウスは真っすぐ向き直る。


「では改めて。自己紹介はゆっくりでいい、ヘーパイっすすす」


 上歯と下歯の間から空気が抜けるような『す』の音が、ゼウスの口から連続して漏れた。

 ゼウスはこれで文句ないかという顔をする。


「ちゃんと言えたみたいに誤魔かすな!」


 やはり、ヘーパイストスは怒声を上げた。


「あなた。自分の子をあんまり虐めるものじゃありませんよ」


 女神の静かな折檻の声が、ゼウスとヘーパイストスの口論を遮った。

 神司含めて、場にいる皆がたしなめた女神を振り向く。


「ヘーラー。すまないが、わしは虐めているわけではないぞ」


 ゼウスからヘーラーと呼ばれた高貴な雰囲気を纏った亜麻色の髪をひっつめにした女神は、射るような鋭い目でゼウスを睨んだ。


「あなた。言い訳はよしてください。新神の前でみっともない」

「はいはい。みっともなくて悪かったの」

「返事は一回!」

「はい……」


 ヘーラーの折檻が利いたゼウスはシュンとする。


「ごめんなさい神司さん。ボクの父と母がうるさくて」


 場が白けかかった時、真ん中にいた最も少年みたいに小柄で見るからに気の弱そうな男神が、苦笑しながら前に出てきて神司に詫びた。


「それはいいんですけど。えーと、あなたは?」

「僕はアレースです。一応、戦の神をしてます」


 いいいい、戦の神! この猫にも負けそうな神様が!

 外見と担当する役務のギャップに、神司は声には出さないが驚愕した。


「あんまり頼りにならないかもしれませんけど、これからよろしくお願いします」


 驚いて挨拶も忘れた神司に、アレースは礼儀正しくお辞儀する。


「いえいえいえ、こちらこそ」


 神司もつられて頭の低さを競うように頭を下げた。


「ほんと、アレースはいい子ね」


 アレースの頭上からうっとりしたような女神の声が降り注いだ。

 神司が目線を上げると、黒く真っ直ぐな長髪を垂らした女神が、アレースを優しい目で見下ろしている。

 綺麗な女神だなぁ。

 黒髪の女神の豊艶な美しさに、神司の胸はドキンと跳ねた。

 彼の視線に気づいたのか、黒髪の女神はアレースから神司に目を移す。


「あら、どうしたの。私の顔を眺めて」

「いえ、その……」


 黒髪の女神の不意な問いかけに、神司は初恋した男子みたいに目線を逸らしてしまう。


「新入りなんですから、緊張するのも無理はありません」

「は、はい」


 なんだろう。この女神と話していると、やけに心がムズムズする。


「それとも……」


 神司が直視できないでいると、黒髪の女神は神司の顔を覗き込むように小腰を屈めて、妖艶に微笑する。


「私の美しさに、魅了されたかしら?」


 神司の心臓が破裂するかと思うほどに鼓動を打った。

 ヤバい。理由は分からんが、無性にムラムラする!

 胸をかきむしられるような情欲と戦う神司に、黒髪の女神はふふっと微笑む。


「自己紹介がまだだったわ。愛と美の女神アフロディテよ。よろしくね新入り君」

「…………よろしく、お願いします」


 アフロディテの美しさに当てられ、反応遅れて神司は返事をした。

 神司との挨拶を済ませたアフロディテは、蚊帳の外にされていたアレースに目を戻し、頭に手を置き撫で始める。


「アレース。また新しいお兄さんが出来そうよ」

「どういうこと? アフロディテお姉ちゃん」


 アレースが理解の及んでいない顔つきで尋ねた。

 お、おねえちゃん? 

 神司は二人の関係性に疑問を覚えた。


「もう、私の事をお姉ちゃんって呼ばないの。血が繋がってないんだから」


 幼い子供に言って聞かせる口調で注意を与えた。

 わかった、とアレースが頷く。


「なんだ。血は繋がってないのか」


 あまりにも外見の違う二人が血の分けた姉弟だったら、神様全員が血縁に見えてくるところだった。

 神司はほっとした気分になる。

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