至白の海
高光晶
至白の海
「敵、発砲しました」
「減速、逆進。
小さなコンサートホールを思わせるその空間へ、オペレーターの報告に続いて若い男の声が響いた。
「出力はまだ安定していませんが?」
「とりあえず正面だけでいい」
別のオペレーターが判断を問うと、再び男は即答する。
機能的でありながら座り心地も良さそうな椅子に腰掛けたまま、男は
幅二十五メートルの大型スクリーンには敵味方の艦隊がブロック状の立体モデルとなって表示されている。
名もない
戦闘の直前に鼻腔を突く独特の匂いが男の意識をより鋭敏にさせる。
秒単位でスクリーンに映し出された情報が更新され、敵艦隊から発せられた線が自分たちに向けて真っ直ぐと伸びてくる。
敵の第一射を表す線だ。
「続いて質量弾による攻撃を確認」
敵味方の立体モデル間に横たわる何もないスペースへ、唐突にもう一本線が増えた。
最初の線とは違う色で示されたその線は、古代から人類を戦場で数多く刈り取ってきた実弾兵器の現代版である。
遠方からの観測が難しい質量弾は、後から発射されたエネルギー弾よりも発見が遅くなってしまう。
「着弾偏差は?」
「五・一六秒です」
男の問いに必要最低限の答えが返ってきた。
通常、エネルギー兵器と実弾兵器を同時に使って一斉射撃を行う場合は弾速の遅い質量弾を先に放ち、目標への着弾時間を逆算してエネルギー弾の発射タイミングを見計らう。
無論その計算はコンピューターによって行われるため、停止した目標相手であれば着弾偏差が発生することはない。
だが宇宙艦隊同士の戦闘において、相手が動かずに留まっていることなどまずあり得なかった。
目標が動けばそれだけ着弾偏差は大きくなる。
その不確定要素を踏まえた上で射撃のタイミングを見抜くという点において、人間はコンピューターをしばしば出し抜くことがある。
「それだけあれば切り替えても十分間に合う。エネルギー弾の攻撃終了とあわせて回避行動開始。質量弾の攻撃をしのいだ後は前進し、距離が縮まり次第、こちらからも反撃を行う。準備はしておけ」
どうやら今回敵はずいぶんと読みを外したようだ。
候補生養成所の基準で言えば、着弾偏差四・九九秒以内というのが最低限の合格ラインである。
敵指揮官がエリューセラの士官候補生なら間違いなく赤点を食らっていたことだろう。
指示を出し終えた男の斜め前から、失笑する声に続いてコントラバスの音を思わせる低い声が響く。
「相手が間抜けなのは助かりますね」
声の主は琥珀髪の男に肩をすくめてみせる。
左目の上下にひと続きとなる傷跡を持ったその男は、自らに周囲の視線が集まった事を確認した上でニヤリと笑う。
その体は淡く発光し、時折わずかに揺らいでいる。
この場で見えているのが本人の肉体ではなく、ホログラムによって再現された影に過ぎないことを示していた。
椅子に座った格好のホログラムは、二等辺三角形の形をしたテーブルの等辺に座っている。
その両側には彼と同じようにホログラムによって投影された複数の男女が座り、もう一方の等辺にも同じように数名の士官と思われる人間が並んでいた。
幾人かは実体を持った人間であるが、比率で言うと七割方がホログラムである。
「軽口叩いている暇はあるのか? そっちはそろそろ着弾するだろう?」
テーブルの底辺にあたる位置へ座っていた琥珀髪の男が呆れたように問いかけた。
前衛部隊の指揮をとる傷の男は最初に敵の攻撃にさらされることになる。
いくら着弾まで少々の時間的余裕があるとはいえ、敵の発砲が確認できた以上、即座に中座して部隊の指揮へ戻ってもおかしくはない。
「はっはっは。ご心配なく。ちゃんと回避行動は取っていますよ。それに多少苦戦する様子を敵に見せた方が都合もいいでしょう?」
「心配はしていない」
相手に対する信頼か、そっけなく琥珀髪の男が答える。
こうして会話しながらも、麾下の部隊を造作もなく操るだけの技量がある男だと知っているからだ。
「そいつはどうも」
ホログラムの男が笑いながら軽薄な返事をすると、幾人かの士官が眉を寄せた。
麻くず色の髪を持つ女性士官が不快な表情と共に口を開こうとした時、オペレーターからの報告がそれを遮る。
「前衛部隊、交戦を開始しました」
座っている全員の目がテーブルの頂角方向にある大型スクリーンへと向けられる。
敵艦隊から放たれた二本の線はすでに一方が味方の前衛部隊に達していた。
間もなくもう一本の線も到達するだろう。
「タクマ。そっちはどうだ?」
琥珀髪の男がホログラムのひとりに向けて問いかける。
「順調です。今のところ敵観測機には接触していません。ただ、そろそろ通信が乱れはじめるかもしれませんが」
「ずいぶんお転婆みたいだからな、
スクリーン上で赤色矮星を示す立体モデルに目をやりながら口を挟む傷の男だったが、すぐさま居住まいを正して琥珀髪の男へ告げる。
「――っと、そろそろ余裕がなくなってきたんで失礼しますよ」
さすがに戦いながら無駄口を叩ける状況ではなくなったのだろう。
敬礼と共に傷の男のホログラムが消え去った。
軽く頷いてそれを見送った琥珀髪の男は、タクマという名で呼ばれたホログラムの士官へ目を向ける。
「タクマは作戦通りに。万が一通信を遮断された場合は作戦の中断と撤退も許可する」
その士官は温厚そうな顔を微笑寸前の形でとどめ、上官からの指示にハツラツとした口調で応じる。
「はっ。ですがその心配は全くしておりません。
電子防壁の強靱さに全幅の信頼を寄せていると語るタクマから視線を外し、琥珀髪の男は自分の横に座る女性へと話を振った。
「だ、そうだ」
「高い評価をありがとう、ミンスター少佐」
話を振られた黒髪の女はタクマのホログラムに微笑みを送り、その評価を素直に受け取る。
タクマは女性士官たちの間で『眼福』との定評がある笑顔を返事代わりに浮かべると、瞬時に職業軍人の顔に戻り琥珀髪の男へ敬礼と共に申告した。
「それでは小官もこれで失礼します」
「提督、我々も迎撃に専念しますのでこれで」
タクマが消えるのにあわせて他のホログラムたちも次々にこの場を去っていく。
すでに戦闘は開始されていると言ってもいい。
琥珀髪の男たちがいる
艦外および艦内からの情報は全て計器上の数値やスクリーン上の立体モデルとして表され、これらが途絶するとただ何もない壁面が四方を遮るだけの大きな部屋でしかない。
どれだけ艦外で激しくエネルギー弾が飛び交い、味方の艦が傷つこうとも、それを直接見聞きすることはできないのだ。
「敵初弾、九十九・九八パーセントを防御。損害は軽微です」
艦外の状況を伝えるのは観測パネルを通して伝わってくる数値と、それを報告するオペレーターの声だけである。
琥珀髪の男がオペレーターへ問いかける。
「距離は?」
「前衛部隊があと二十秒で最適射程距離に入ります」
本来そうであるべき戦闘開始時刻を直前にしながらも、琥珀髪の男は余裕を崩さない。
「大して被害がないとはいえ、一方的に撃たれるのは気分の悪いもんだな」
ホログラムの消えたあと、なおもこの場に残っていた数名の士官が上官の軽口に苦笑で答える。
「我々がただ黙って打ち据えられるだけの子猫ではないということを、そろそろ教えてやるとしよう。全艦砲撃準備――」
砲撃がその威力を発揮する最適射程距離への突入にあわせて、琥珀髪の男が麾下の全艦に令を下す。
「――撃て!」
彼らが鋭い牙を持つ獰猛な獅子であることを、敵に思い知らせるため。
命令を待ち焦がれていたかのように麾下の艦が一斉砲撃を開始する。
敵が第一射を放った時と比べ、すでに敵と味方の距離は二十分の一にまで縮まっていた。
これだけ距離が近付けばエネルギー兵器と実弾兵器の着弾偏差を気にする必要はない。
横倒しにした円錐形、あるいは円筒形を基本に設計された艦船が互いに一定の距離を保ちつつ隊列を組んでいる。
敵艦隊へと向けられた艦の先頭部から複数の弾頭が解き放たれて一直線に目標へ飛んでいった。
漆黒の宇宙空間をまばゆい光の一条が貫く。
光速の十二パーセントにまで加速されたエネルギーの束が、遮るもののいない真空を突き破る。
同時に他の艦からも放たれたエネルギー弾が連なり、ほんの一瞬だけ真空を彩る光のカーテンを出現させた。
もちろん広大な宇宙のスケールから見れば、それも黒い有機ガラス板についたほんの小さなかすり傷にすぎない。
艦隊の側で輝く赤色矮星の暴力的な熱に比べれば、惨めになるほどちっぽけな力である。
だがそれでも人の作り出した宇宙艦艇を破壊するには十分な力だ。
無数の光が敵の艦隊に吸い込まれていき、一瞬遅れていくつもの丸い光が浮かび上がった。
被弾した敵艦の中で、運悪く機関部へ直撃を受けたものたちだろう。
炉の緊急停止が間に合わず、膨大な熱と光を暴走させて宇宙の塵と消えていったであろうことがうかがえる。
当然相手も黙ってやられているわけではない。
返礼とばかりに敵艦隊からもエネルギー弾と質量弾が浴びせられる。
現在の距離ではほとんど回避不可能といえるエネルギー弾が味方艦の
そのほとんどは
敵味方双方の艦隊で時折輝く光の球体。
資源とエネルギーを無駄に消費し続ける生産性の全くない行為が続く。
唯一の救いは、その輝く光の中で人の命が消費されていないであろうことだけだった。
艦隊の中心に位置するひときわ大きな宇宙艦艇の指揮所では、椅子から立ち上がった琥珀髪の男が指示を出していた。
「このまま指示があるまで各個に撃破。前衛部隊の様子は?」
続く状況確認の言葉に、オペレーターのひとりが答える。
「時折局所的な攻勢に出つつも、全体としては後退中です」
「よし、そのまま敵を恒星との間に引き込め」
刻一刻と変わるスクリーン上の立体モデルを睨みながら、琥珀髪の男が追加の指示を出そうとしたその時、スクリーンの一部が警告色に変化して問題を知らせる。
同時にオペレーターが口頭で報告を行った。
「敵艦隊の一部に急激な動きあり!
「
すぐさま琥珀髪の男が対応方針を声に乗せて飛ばす。
そこへ重なるように新たな警告色がスクリーンへ表示された。
「旗艦の電子防壁、侵食を受けています! 負荷増大! あと三分で許容値を突破します!」
それは目に見えない戦場でも戦端が開かれたことを知らせる報告だった。
予想よりも早い敵の動きに、琥珀髪の男は誰にともなくつぶやきを口にする。
「敵の電子戦技官が意外にやるのか、それとも
味方の防壁は並の攻撃で突破できるほど脆くない。
先ほどの会議でタクマが口にしたように、琥珀髪の男が最も信頼する
「迎撃にあたります」
先ほどの会議で横に座っていた女性
対する答えはさらに短い。
「任せた」
これ以上無く端的な返答は、なによりも相手に対する信頼の証である。
黒髪の女は教本通り一分の隙もない敬礼を向けると、その場にいる三人の女性士官へ指示を出す。
「タリア大尉は私に代わって提督の補佐を。マーガレット少尉とラン准尉は私と一緒に潜りなさい」
三人からそれぞれ返事を受けると、黒髪の女性士官は麻くず色の髪をした士官だけをその場に残し、ふたりの部下を引き連れて歩き出そうとする。
「三人で足りるか?」
その後ろ姿に向けて、首だけで振り向いた琥珀髪の男が気安い声色で訊ねた。
黒髪の女が立ち止まり上半身だけで振り向く。
肩口までの長さで切りそろえられた漆黒の髪がふわりと空気をはらんで流れ、左耳の少し上に飾られている翼を模したヘアピンが照明を反射して光った。
「あら、心配してくださるのですか?」
緊張を全く感じさせない口調で楽しそうに問いかけてくる女へ、琥珀髪の男は苦笑を浮かべながら答える。
「まさか」
首の向きを前に戻して片手を挙げると、男はその手をひらひらと漂わせて会話を終わらせた。
淡く光る壁に包まれた、殺風景な部屋の中。
時折ノイズが走ったように壁が歪み、音のない状況もあわさって妙に浮き世離れした印象を与える光景の中、三人の女が立っていた。
ひとりは先ほど琥珀髪の男と言葉を交わしていた黒髪の女性補督。
その前に並んで直立しているのは長い赤髪の女と、栗色の髪をしたショートヘアの女である。
「ふたりとも準備はいい?」
「はい」
「はい」
黒髪の女がふたりの部下へ方針を告げる。
「まずはこちらへの侵入を試みている敵の攻勢を排除します。並行して敵艦隊の機関部へ枷をつけて足を止めましょう」
「敵前衛を止めるのですか?」
マーガレット少尉と呼ばれていた赤髪の女性士官が確認をする。
「いいえ、足を止めるのは
「通信の撹乱は?」
「現時点では不要です。ミンスター少佐が到着して攻撃を開始するタイミングで撹乱を行います。その後は戦況に応じて判断します」
「承知しました」
疑問を解消したマーガレットへ黒髪の女が具体的な指示を下す。
「敵への攻勢準備はマーガレット少尉に任せます。
「はい」
命令受領を言葉と態度で表したマーガレットの姿が薄れ、すぐに消え去る。
姿が見えなくなっても存在が消えてしまったわけではない。
仮想的な空間において、視覚へ映し出す姿形はあくまでも便宜上のものであり、たとえ形を成していなくてもそこへ存在していることには変わりがなかった。
マーガレットは受領した命令を速やかに実行すべく、作業へ取りかかったにすぎないのだ。
「ラン准尉は私と一緒に敵攻勢の排除を。多少の欺瞞は見られますが、おそらく敵の狙いはアイリスでしょう」
残った栗色髪の女性に向けて黒髪の女がそう告げる。
ラン准尉と呼ばれた女は驚きを顕わにして個人的な感想を口にした。
「いきなり本丸を狙ってくるとか、ちょっと大胆ですね」
「それだけ自信があるということでしょう。事実、あらかじめ張っておいた防壁にひびが入っています」
時折部屋の壁がノイズで歪んでいるように見えるのは、黒髪の女が戦闘開始前に構築した防壁に攻撃が加えられているからである。
「とか言いながら、片手間にその防壁を修復する上官の恐ろしさがハンパねー」
候補生気分の抜けていないラン准尉が、まだ軍艦の空気に染まりきっていない初々しさを悪い意味で発揮する。
独り言とはいえ、上官を前にして不用意な発言をするなど、普通は良くて叱責、悪ければ再教育プログラム行きである。
トップのおかげで他に比べると開放的な雰囲気のあるこの艦隊だからこそ、許される発言であった。
黒髪の女はラン准尉の失言に触れず、苦笑を浮かべただけで話を続ける。
「まずは
「
上官の意図をすぐに悟るあたり、能力的には決して無能ではないらしい。
「ええ、マーガレット少尉の準備が整うまで敵の意識を逸らしておきましょう。八番艦のシグナルパターンをアイリスに同調させて偽装し、敵の攻勢を誘引します」
「はい!」
ふたりの周りを囲むように色とりどりのパネルが出現して宙に浮き上がる。
敵からの攻勢圧力、その侵入経路、現在の防壁強度と破損箇所、様々な情報が視覚化され、表示された数値がめまぐるしく変わり続けていた。
黒髪の女は手をかざし、そのひとつへ干渉しはじめる。
敵の主攻勢プロセスだ。
思った以上に敵からの攻勢圧力が押し寄せてきているが、逆に言えば予想よりも強いというだけで対応できなくなるほどではない。
圧力は強いが技術的にはそれほど見るべき点はなかった。
おそらく相手の力量が高いのではなく、単に
防壁につけられる傷をひとつひとつ丁寧に修復しながら、同時に相手を欺くための罠を構築していく。
「一時間以内に勝負をつけます」
ふたりの部下と自分自身に向けて黒髪の女が宣言した。
宇宙空間での戦場は琥珀髪の上司に任せておけばいい。
黒髪の女が彼に全幅の信頼を寄せるのと同じように、彼も部下である自分を頼み、もうひとつの戦場において勝利を疑わずにいてくれる。
自分を信じてくれる上司のために、全力でこの戦場を支配下に収めてみせよう。
固い意思と共に、黒髪の女性補督は自らの戦場へと身を投じた。
何もエイリアンや異星人を相手に戦っているわけではない。
琥珀髪の男が敵とする艦隊にも人間が乗り込み、艦隊の指揮をする将官とそれらを補佐する士官たちが大勢乗り込んでいた。
銀河連邦共和国として知られる国の艦隊と軍人たちである。
「エリューセラの成り上がりどもめ……!」
指揮所の中央に設けられた指揮座から腰を浮かせて敵をののしるのは、口ひげをたくわえた恰幅の良い中年男性。
身につけている軍服の装飾からも、彼がこの場で最も大きな権限を持っている人物だということがわかる。
「いつまでもたもたしておるのだ! さっさと食い破らんか!」
苛立たしげに叫ぶその言葉は艦隊指揮というよりももはや怒鳴り声でしかない。
「
「そんな事は言われんでもわかっとる!
報告してきたオペレーターを叱りつけると、口ひげの男は別のオペレーターに報告を催促する。
「間もなく支援につきます」
「遅い!」
何もかもが気に入らないとばかりに怒鳴り散らす口ひげ男を、横から落ち着きのある声がなだめた。
「少将閣下。あくまでも本命は電子戦による敵旗艦の制圧です。攻勢はそれまでの時間稼ぎですから、敵にこちらの意図を悟られなければ問題はありません」
「むぅ……」
となりに立っていた副官からそう進言され、少将と呼ばれた口ひげ男はようやく当初の作戦を思い出して怒りを静める。
睨むように大型スクリーンを見ていた少将は刻一刻と変化する戦況に不満げな表情を見せると、近くに座るオペレーターのひとりに状況を確認する。
「電子戦の状況は?」
「戦闘開始直後に敵の防壁を突破しかけましたが、あと一歩というところで再展開されてしまいました。現在は膠着状態です」
それで返ってきたのが作戦の失敗を予期させるような報告であれば、再び少将の苛立ちがあらわになるのも仕方ないことだろう。
「なんだと! 電子戦技官どもは何をやっている! 五艦隊分に相当する
八つ当たりのように少将の矢面に立たされた不運なオペレーターへ副官が助け船を出す。
「敵の電子戦技官はかなり優秀なようです。少々手間取っているのは確かですが、現在再攻勢に向けて敵防壁の解析を進めておりますので、三十分後には突破できるかと」
副官の言葉を聞いて落ち着きを取りもどした少将は、それでも言葉をとがらせて念を押す。
「失敗するなよ。これだけの
スクリーンに映し出される敵味方の立体モデルが次第に距離を詰めていく。
口は噤みながらも、指揮座の足場を踵で踏み鳴らし、肘掛けの上へ人さし指を途絶えることなく打ちつけるその様子は、少将の苛立ちを言葉以上に表していた。
「
戦果と損害の報告が矢継ぎ早に飛ぶ中、ようやく状況が味方へと傾いてくる。
それからまたしばらくして、ようやく少将が待ち望む報告がもたらされた。
「電子戦の攻勢準備が整いました」
「よし、全面攻勢だ! 一気に決めろ!」
その報告を耳にするなり、少将は立ち上がって麾下の艦隊へ命を下す。
電子戦専任オペレーターが不可視の領域で繰り広げられる戦いの推移を伝える。
「敵防壁突破。旗艦の
数分後、同じオペレーターが声を弾ませて電子戦技官たちの戦果を報告してきた。
「敵旗艦の
この戦いが始まってから最も喜ばしいその報告に、少将が満面の笑みを浮かべる。
「勝ったな」
「……ずいぶんとあっけない気もしますが」
手応えのなさに少将の横へ立つ人間が疑問を呈す。
最初の攻勢を撥ね返した強靱さからは考えにくい結果であった。
だがそんな副官の言葉を少将は笑い飛ばす。
「
「そう……、でしょうか」
副官の懸念も勝利を確信した少将には届かない。
「敵の指揮権を乗っ取れ! 快勝だ、快勝! はっはっは!」
「承知しました。敵無人艦の指揮権を書き換え――――え?」
ご機嫌な少将からの指示を受け、電子戦専任オペレーターが敵艦の制御を奪い取ろうと試みて、そこで初めて異変に気付く。
「どうした?」
副官が説明を求めると、途端に慌てた様子でオペレーターが目の前にあるパネルを操作しはじめた。
「し、指揮権の書き換えができません! あ……、ネットワークから遮断されました!」
オペレーターの顔が血の気を失う。
このタイミングでミスをすることなど、許されないと理解しているからだろう。
オペレーターは見るからに狼狽した様子で必死に状況を把握しようと手を動かし続ける。
それが余計に少将の心象を害したようだった。
「どういうことだ!? 制圧したのではなかったのか!」
「制圧には成功しています! ただ敵無人艦への接続が拒否されています! これは…………まさか
上官へ返答しながら対処に追われていたオペレーターの口調が、途端にくだけたものになる。
もはや言葉遣いに気を配る余裕もないのだろう。
それにあわせたかのようなタイミングで他のオペレーターからも悪い報告が次々と上がりはじめる。
「通信障害発生! 各
「無人艦の制御率、低下しています! 半数近くの艦に命令が届きません!」
何が起こっているのか理解できないまま、少将は最悪に近い凶報を受けることとなった。
「左後背上、敵の攻撃です!」
「方位二二七の三六、距離二十五!
「な……! 後ろだと!?」
思いもよらぬ敵の出現に一瞬呆然とした少将だったが、すぐさま意識を切り替えると索敵担当のオペレーターを叱責する。
「そんなに近付かれるまで何故気付かなかった!」
「敵が恒星の陰から出てくるのとほぼ同時に通信障害が発生したため、補助観測システムに切り替えたタイミングを突かれました!」
おそらく通信障害が発生していなければ観測機からの情報によりもっと早く敵の接近を察知できただろう。
しかし観測機からのデータが届かないのでは、いくら不十分な情報の分析をしたところで敵に気付くはずもない。
観測機のデータに頼らない補助観測システムへの切り替えには多少の時間がかかってしまう。
それも普段であれば致命的な問題を発生させるほどの隙にはならない。
だが現実にはそのわずかな隙にあわせて敵は恒星の陰から出て攻撃を仕掛けてきたのだ。
偶然だと言い切るにはあまりにも敵に都合の良すぎる結果だった。
「まさか狙ってやったとでもいうのか……!」
少将がおぞましい怪物でも見たかのように顔を青くする。
「恒星をわざわざ回り込んできた?
副官が苦虫をかみつぶしたような表情を見せた。
電子戦での優位性を確保するために
結果、観測機の制御数にしわ寄せが行き、索敵能力が通常よりも落ちることは避けられなかったのだ。
もともとそれを承知の上で今回は艦隊を編制している。
全ては電子戦での圧倒的な優勢を活かし、一撃必殺で敵の中枢を仕留めるはずだった。
その狙いが脆くも崩れ去ってしまった今、味方は後背から敵の別働隊に襲われ窮地に陥っていた。
「閣下、ご指示を!」
「ぐ……、
「間に合いません! すでにこちらは射程に捉えられています!」
副官に促されて少将が指示を出すも、士官のひとりが状況的に不可能であることを告げる。
「
「閣下!
その無謀な試みを副官が止めようとするが、それは少将の怒りを買うだけの結果に終わった。
「ならば他に手があるのか!」
「うっ、それは……」
すぐさま有効な策が思い浮かばず、副官は言葉を詰まらせる。
その後ろではオペレーターが自軍の苦境を次々と報告する声が響いていた。
その頃、もう一方の艦隊では琥珀髪の男がタリア大尉と呼ばれていた女性士官から報告を受けていた。
「ミンスター少佐の別働隊が攻撃を開始しました」
「各部隊へ攻勢に出るよう伝えろ。降伏の申し出は受け入れるようにとも」
指揮座に腰掛ける琥珀髪の男が言ったそばから、タリアは遠慮もなく意見を具申する。
「電子戦で指揮権を奪った方が早いのではありませんか?」
別働隊が敵艦隊の背後を突き、戦況は自軍に優位な形で推移している。
おそらくこのままでも勝ちは揺るがないだろうが、一方で電子戦の方は圧勝ともいえる状況であることをふたりとも承知している。
そのまま相手方旗艦の
人命はもちろんのこと、膨大な資源とエネルギーを無駄に浪費するだけの行為はあまり褒められた話ではない。
それは琥珀髪の男も十分理解している。
だがいくら圧倒的優位にあるとはいえ、敵旗艦の
悪質なトラップが仕掛けられている可能性も考慮すれば、電子戦に参加している士官たちの安全は必ずしも担保されているわけではないのだ。
一方で宇宙空間の戦いはその大部分が無人の艦船によって行われている。
それらを指揮する
「万一ということもある。勝ち戦で不要な危険を冒したくない。各部隊の指揮官にも可能な限り後方へ下がるよう伝えろ。あとは無人艦にやらせればいい」
「はっ」
今度は上官の判断に異を唱える事もなく、タリアは小気味よい返事と共に敬礼を返すと命令を各所へ伝えるべくパネルを操作しはじめた。
反撃の機を今か今かと待ち受けていた傷の男は、自らが座乗する
「司令部より入電。『全部隊攻勢に移れ。ただし
「まあ今さら危険を背負ってまで前に出る必要は確かにないな。命令受領のシグナルを返しておいてくれ」
傷の男は
部隊指揮を行う
正面のスクリーンも幅は十メートルに満たず、指揮座の彼から見える人員も二十名ほどしかいない。
指揮座の周囲を小さな物体が三百六十度回り続けていた。
彼の思考を読み取って、丙種ネットワークに接続する為のMA受信体だ。
五つのMA受信体は惑星の衛星軌道上を回る人工衛星のように縦横構わず指揮座へまとわりつく。
「さてと、じゃあ遠慮なく暴れるとするか。
傷の男は指揮座の背もたれへと体をあずけ、目を閉じて集中する。
視界が閉ざされる代わりに脳裏へと様々な情報が直接差し込まれてきた。
艦の内外を問わず、
傷の男は意識の範囲を拡大して部隊全体を見渡す。
麾下の無人艦は百二十艦。
左右からは同僚士官の指揮する部隊が前進しつつある。
前衛部隊として敵の攻撃を受け止めていた男の部隊は、攻勢に転じた時点で中央部隊としての役割を求められていた。
「勢いが弱いな」
敵艦隊から受ける圧力が弱まっているのは、彼らの後方をミンスター少佐の別働隊が脅かしているからだろう。
敵
「正面から押すだけで崩れるか」
傷の男は脳裏に浮かんだ麾下の
男の思考をMA受信体が読み取って
MA受信体が思考を読み取るのに〇・〇二秒、
およそ男の思考から〇・〇六一五秒後には無人艦が動きはじめる。
この技術こそが現代の戦争を支える最も基本的で最も重要なものであった。
「脆いもんだな」
男の脳に浮かび上がるイメージ映像は、櫛の歯が抜け落ちるように崩れていく敵艦隊の姿を映し出していた。
人間の意思を直接反映して艦隊行動を取る無人艦同士の射撃戦が繰り広げられる。
敵艦隊の中でも抵抗の激しい箇所を見つけ、男は指揮下にある艦のうち四割をそちらへと差し向ける。
抵抗の激しさはつまり、そこに人の乗っている艦――
敵艦がこちらの艦を寄せ付けまいと弾幕を張った。
傷の男がそれに気付いた瞬間、考えるよりも早く回避の指令が無人艦に伝わる。
姿勢制御スラスターを全開にして味方の
機関全開の状態から行われるベクトルの変更はもはや人間が乗艦して耐えられるものではない。
艦隊戦が無人艦の遠隔操作によって行われるようになった最大の要因である。
「三隻くらいなら!」
男の脳裏に味方の被弾状況が浮かぶ。
回避に失敗した無人艦が三隻、戦線から脱落していく。
男は感覚的に損害状況を理解しながら、敵の中心にいる動きの遅い
「悪いな、戦場なんだ」
次の瞬間、敵
旗艦の
琥珀髪の男は悠然と構えて各部隊からの報告に耳を傾けていた。
「敵右翼部隊壊滅」
「第七部隊、態勢を立て直すため一旦後退します」
「第五部隊、第七部隊の戦闘区域を引き継ぎました」
「敵上翼部隊後退を始めました」
敵に比べて味方の損害は少なく、また通信も確保されている。
敵は混乱し、無人艦の半数近くが機能不全に陥っている上、通信障害により連携も取れていない。
戦いは徐々に収束しつつあった。
このまま何事もなければ勝利は間違いないだろう。
もちろん何が起こるかわからない戦場でのことだ。
そういった油断が命取りになることは、琥珀髪の男も理解している。
オペレーターからもたらされる報告とスクリーンに映し出される情報の分析に注力していた琥珀髪の男は、後ろから近付いてくる足音に気付く。
独特の軽い足音から人物を特定し、琥珀髪の男は首だけで振り返ると労いの言葉を投げかけた。
「ご苦労さま。あっちはもういいのか?」
「はい。もはや攻勢に出る必要はありませんし、敵の逆撃に対する備えだけであればあのふたりに任せても大丈夫です」
やってきたのは先ほど電子戦の指揮を任せた黒髪の女性
「そうか。じゃあタリア大尉は持ち場に戻っていいぞ」
「はっ、失礼いたします」
琥珀髪の男がそう告げると、代理として補佐の任についていたタリアは教本通りの敬礼を残して持ち場へ戻っていった。
代わりに男のとなりへ黒髪の女が立つ。
すでに戦いは終わりつつあり、現在は残敵の掃討に移っている状態だ。
ふたりして大型スクリーンに映し出された状況を見ていると、補督が何気なく疑問を口にした。
「降伏はしてこなかったの?」
「……こっちも鬼じゃないんだから、降伏してくれば受け入れるのにな」
上官に向けるものとは思えない女性補督の言葉に、琥珀髪の男は音波キャンセラーが起動していることを確認すると、軽い口調で答えを返す。
「一度くらい降伏勧告してみるべきだと思うけど」
「勧告されたくらいで降伏してくるなら、もうとっくに白旗を上げているだろ」
女性補督のくだけた口調も気にせず琥珀髪の男は他人事のように答える。
とても艦隊を率いる指揮官とその補佐役とは思えない会話だが、ふたりの間に流れる空気は穏やかで互いに気負いも感じられない。
「そうやって決めつけるのがあなたの悪いところね。世の中には他人から促されないと決断できない人間だっているのよ」
「そういうくだらないプライドにこだわって死ぬなら、そいつはそこまでの人間だって事だろう?」
ふたりがただの上官と部下ではなく、個人的にも遠慮のいらない仲であることが雰囲気からはうかがえた。
「指揮官は自業自得かもしれないけど、その部下たちは可哀想でしょ」
「わかったわかった。そう怒るなよ」
やや剣呑な光を浮かべはじめた女に押し切られる形で琥珀髪の男は自ら折れた。
周囲に他の人間がいないからこそのやりとりである。
琥珀髪の男は軽く息を吐くと、指揮座前方の何もない空間へと話しかけた。
「アイリス、聞いていたな?」
男の問いかけに反応して若い女の姿をしたホログラムが現れる。
「肯定します」
「残っている敵の
「命令受領。残存の敵
アイリスと呼ばれたホログラムの女がそう答えた瞬間に、敵の
もちろんそれを受け入れるかどうかは敵次第だが、やるべきことはやったとばかりに背もたれへ体をあずける。
それから十分も経たずに敵の残存艦艇が壊走しはじめた。
味方は無人艦を差し向けて追撃をしながらも、深追いはせず味方の損害を減らすことを重視しているようだ。
琥珀髪の男は満足そうに頷くと、擬人化された
「アイリス、損害状況を」
「報告。味方の損害は無人艦の消失三十二隻、大破十四隻、中破十七隻、小破四十三隻、
瞬時に
「敵の方は?」
「推測値ですが、敵艦隊の二十・六パーセントにあたる約百八十隻を撃沈、三十四・五パーセントにあたる約三百隻へ損傷を与えることに成功しています。戦場から離脱した艦船は約四百九十隻と推測します。人的損失は
敵は壊滅と言っていいほどの状況に陥ったようだ。
これだけのダメージを被ればもはや戦域から撤退するほか選択肢はないだろう。
「わかった。生存者の救命活動に移れ。並行して部隊を再編する。二十分後に各部隊の指揮官と幕僚を集めるよう手配してくれるか?」
「二十分後ではミンスター少佐の出席が困難と結論付けます。三十分後の開始を提言します」
タクマ・ミンスター少佐の麾下は最も激しい戦いを行った別働隊である。
乱れた艦列を整え、麾下の部隊を落ち着けるまでには少々時間がかかるというアイリスの判断だった。
「じゃあ三十分後で」
「命令受領。各部隊の指揮官と幕僚を三十分後に召集します」
琥珀髪の男があっさりと提言を受け入れると、
ようやく肩の荷が下りたとばかりに表情を緩めた男へ、黒髪の女が気遣わしげな視線を送る。
「少し時間があるし、休憩したら? その間は私が見ているから」
「お前だって疲れているだろう?」
逆に男の口からも部下を思いやる言葉が出てくる。
「ふふ、あなたもそういう気遣いができるようになったのね」
「……お前は俺のことをなんだと思っているんだ?」
楽しそうに笑う黒髪の女へ、琥珀髪の男は不快そうな表情で訊ねた。
「心から敬愛するかけがえのない上官」
「嘘くせえ」
芝居がかった口調で答える女へ、彼女の上官は顔をゆがめて粗野な言葉を返す。
「あら、この真摯な想いが伝わらないなんてとても残念ね」
そう言って女性士官はまた笑う。
じゃれあうような言葉のキャッチボールに妙な満足感を感じながらも、実際思考の鈍化を自覚しつつあった男はさっさと白旗を上げることにした。
「まあ、そういうことなら甘えさせてもらおうか。十分経ったら起こしてくれ」
「十分と言わず、二十分は寝ていてもいいわよ?」
指揮官を集めて行う会議に先立って、部隊の編成案を作り、進軍ルートも再検討しなくてはならない。
それには
会議十分前まで休んでいてはその準備が整わないにもかかわらず、その時間まで寝ていろと女は言う。
それはつまり、自分が代わりに準備を進めておくという意思表示なのだろう。
「そこまで負担はかけられん」
「私が好きでやるんだから気にしないで」
こうしている間にも時間は過ぎていく。
目の前の部下がこういう状況では頑として譲らなくなると知っている男は、再び降参して彼女の厚意をありがたく受け取ることにした。
「まったく……、俺には過ぎた相棒だ。会議が終わったらシーナも少しは休めよ。これは上官命令だからな」
「了解。じゃああとは任せて」
にこりと笑って崩れた敬礼をみせる女が、まぶたの向こうに消えていく。
目を閉じた琥珀髪の男は、思った以上に重くのしかかってくる睡魔へ抗うことなく意識を手放す。
感覚が薄れゆく中、耳元でささやくシーナの声が記憶の尻尾をそよ風のようにかすめていった。
「お休みなさい、ロイ」
至白の海 高光晶 @takamitu_akira
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