4

 今までクラヴェルは、母・ジョルディーヌと御仕みつかえ達との契約を、自分との物に書き換える事で契約を結んできた。


 召喚術においての契約は本来、召喚陣を使って異界の御仕えを呼び出す事から成される。


 ゼロからの契約は、これがクラヴェルにとって初めてだ。


 ボーノ神官に連れられて神像の足下にある召喚陣の前に立ったクラヴェルは、陣の前で印を結び、手をかざした。


 陣からの召喚と契約については母の蔵書の中から一応の知識は得ているが、やはり初めての事にやや緊張している。


 クラヴェルは震える指先を、深く呼吸をすることで制した。


「『〈召喚士・クラヴェル〉の名において求める。其れなるは強靱なる守りの力。攻めを退け、力を流し、砲弾の如き力をまとう者――』」


 御仕えを陣から呼び出すには、術者の求める姿、能力を正確に呪文で描く必要がある。


 書物で伝わる偉大な英霊を呼び出す様な時でない限り、陣からの召喚時に名を呼ぶことは無い。


 クラヴェルが一言一言を紡ぐごとに、足下の召喚陣が赤く輝く。


 その輝きが陣の中央に収束し、そこから細い光が立ち上った。


「『我が命に応えよ』」


 細く立ち上った光は上るに連れて範囲を広げる。


 そして寄り集まって扉の形になった。鉄の様に重厚でいて、不思議な意匠の観音開きの大扉。


 御仕え達がくぐる召喚扉であった。


 光が収まり、扉がゆっくりと開く。


 屈強な歴戦の猛者を期待していたクラヴェルは、そこから現れた一人の年若い青年を見て肩すかしを食った。


 その姿は、見たことがない奇妙なものだった。


 風貌から察する彼の年齢は、ルシエルくらいに見える。


 もっとも、御仕えにとって『年齢』の概念は無いが、少なくともクラヴェルから見た彼は年若い青年に見えた。


 そして奇妙なのは、その服装。


 真っ黒いその出で立ちは、一見修道服を着ている様にも見えた。


 しかしきっちりと詰めた襟元に、彼の体型にピタリと合った袖丈。


 襟には奇妙な形をした金のバッジが光る。よくよく見れば上着のボタンも全部が金の様だ。


 そして、首からぶら下げられて胸元で時を刻んでいるのも、金色をした懐中時計だった。


 金の装飾を身につけるのは、総じて身分が高い者と決まっている。元の世界では高貴な身分なのだろうか?


「俺を呼び出したのって、じいちゃん?」


 青年が神官に問いかけたその口ぶりで、彼の身分が高くもなんともない事がクラヴェルには分かった。


 彼からはシノや、もしかしたら十太ほどの品性さえも感じない。


 神官が首を振って、御仕えの問いかけに答えてクラヴェルを示した。


「お前さんを呼び出したのは、こちらのお嬢ちゃんじゃよ」


 すると御仕みつかえは目を丸くして、開いた口に指先を入れて反対の人差し指でクラヴェルを指した。


「ひょえ~、まだ小学生くらいじゃねぇか。こんなガキンチョが召喚術を使えるなんて、初めて聞いたぜ」


 小学生、という言葉の意味は分からないが、ガキンチョ、という言葉にあっさり地雷を踏み抜かれたクラヴェルが声を荒げた。


「だっ、誰がガキンチョだ、誰が!」


「お前以外に誰がいるってんだよ。お前、本気で俺のあるじになるつもりなのかぁ?」


 青年は腰を折って前のめりになり、意地悪そうな笑みを浮かべた。


 自分より身長が低い術士をからかう様な笑みだ。クラヴェルも負けじと握り拳で言い返す。


「お、お前こそ、そんなにひょろひょろしたなりで、私を守ることができるんだろうな!?」


 青年の背丈はクラヴェルよりは高いが、ルシエルを少し越す位だろう。


 クラヴェルの御仕えの中では一番低く、黒衣の下に隠れている体も、特段屈強そうな感じではない。


 クラヴェルの問いかけを、彼は鼻で笑い飛ばした。


「守るぅ……!? お前、勘違いしてないか? 俺が出来る事は、ただ走る事。それに跳ぶことだ。……飛翔じゃなくて、跳躍だぞ? 俺の背面跳びを見たら、きっとその素晴らしさに涙するぜ、あるじサマ」


 ふんぞり返った御仕みつかえに、クラヴェルが――ボーノ神官すらも言葉を無くす。


 彼女が再び声を荒げるまでに、しばしの時間が流れた。


「は、走る……跳躍ぅ……!? そんな事くらいは私にだってできらぁ!」


 クラヴェルの言葉を面白そうに笑って受けた青年は、おもむろに深くかがみ込んだ。


 次の瞬間、クラヴェルと神官の前で下から上に突風が吹いたかと思うと、彼らの目の前から青年の姿が消えていた。


「これもできるかい? 主サマ」


 青年の声が反響する。


 二人が見上げると、聖堂の高い高い天井の、太いはりに手を引っかけて、悠然とその場から手を振る彼の姿があった。


 更に、両手で梁を掴んでぐいっと自身の体を引き上げると、彼は軽い身のこなしで両足を梁に引っかけて宙ぶらりんになった。


「どうだっ」とでも言いたげな顔で、宙からクラヴェル達を見下ろす。


「もっと上にだって一瞬で行けるぜ。それか、今から一瞬で町を一周して帰ってこようか? いや、今からあるじサマを背負って世界一周旅行、なんてのも悪くねぇな」


 彼は宙ぶらりんになったまま、両手を頭の後ろに組んで「なはは」と笑った。


 クラヴェルは、言いたいことを全開に顔に出してボーノ神官を見、青年を指さす。


 あんなの、全然『守りの力』じゃないじゃないっすか。


 神官も面白そうに髭をしごいて笑った。


「ほっほっほ……言霊ことだま心根こころねが乗ってしまう、という事は、往々にしてよくあるもんじゃ。恐らくお前さんの、『早く両親の元に行きたい』という願いが呪文に込められてしまったのじゃろう。……それか、単純にお前さんは『開門』が下手かのどちらかじゃな」


 召喚陣を使って初めて御仕えを召喚する事を、召喚扉を初めて開かせる事から『開門』という。


 後者を否定しようとしたクラヴェルだったが、神官に「最初から何もかも達者な者はいまいて。ほっほっほ……」と笑われて何も言えなくなってしまった。


 ベータ・ボーノも、孫弟子の高くなった鼻っ柱を存分にへし折れて小気味が良いに違いない。


「……あの脚だったら、確かに速くたどり着けそうじゃしのう」


 神官が青年を見つつ呟いて、彼は元いた召喚陣の上に下りてきた。


 喚びだした御仕えを使役するために、もう二つやる事が残っている。『媒介』を作る事と、御仕えに『隠し名』を教えて貰うことだ。


 ボーノ神官が言った。


「では、媒介を」


 そう言われて、クラヴェルは持っている数珠を差し出しかけて、はたと気づいた。


「……しまった」


 今までは、もともと母が使っていた数珠をそのまま媒介に使っていたが、そこに繋がれているアドナイト石は十二個だ。


 十太、リュウ、シノの三人以外の御仕みつかえが、両親と同様にどこに行ったか分からない以上、その十二個全ては新たな御仕えの媒介として使えない。


 何か他に媒介となるいいものはないか、とクラヴェルはズボンのポケットを上からパタパタと叩いたが、そもそもこの教会に訪れたのだって偶発的な出来事に過ぎない。


 そんな都合の良い物がポケットから出てくる訳も無かった。


 神官はその様子を見て、全てを察した様だった。「待っておれ」と一言残して聖堂を出て行く。


 程なくして帰ってきた神官はクラヴェルの手に四粒の『アドナイト石』を落とした。


「使うといい。ジョルディーヌの数珠のあまりじゃ」


 その言葉に、母の力をまた受け継いだ気がして、クラヴェルは受け取った石を右手に力強く握りしめて、礼を言った。


「ありがとう」


 数珠をポシェットにしまい込み、陣の中にいる青年に向き直る。


 右手に新たな媒介となる石を、左手には印を結んで、契約の呪文を唱えた。


「召喚士・クラヴェルの名において契約する。我が道を助け、時に守る力となれ。――名を」


 主となる召喚士に、青年は腰に手を当てて答える。


「《砲弾の如きはやての魔術士》、サギヌマ・シロウ」


「締結」


 クラヴェルの手の中で石が赤い輝きを放つ。光が収束すると、目には見えない主従の絆が生まれていた。


「お前の主、クラヴェルだ。よろしくな、シロウ」


 小さな主の言葉に、シロウは嬉しそうに笑い、握手を交わした。


 その光景に、ベータ・ボーノも満足げな笑みを見せた。



 *



 姉妹は揃って教会を出る。見送りは二人のボーノだ。


 背丈までそっくり同じの双子は、それぞれの新しい弟子に最後の言葉を掛ける。


「きっと旅路に、神のご加護があろうぞ、ルシエルよ」


「クラヴェルもあまり鼻ばかり高くしないで頑張るんじゃぞ」


「ありがとうございます。教えを忘れず、日々精進して、父と母を絶対に見つけて、四人揃って挨拶に来ます!」


 意気揚々と返す姉とは対照的に、クラヴェルは「なんだよ、それ! 見送りなら、もっとそれらしい事言えよ!」と反抗を見せている。


「クラヴェル、生意気言わないの」


 短い時間であったが、ルシエルは修行を通して自信を付けた様だった。


 クラヴェルの後頭部をつかみ、無理矢理おじぎをさせる。


 町の方に去って行く姉妹を見送って、双子神官は眼に滲んだ滴を、沈みゆく太陽に光らせた。



 *



 町まで帰る道の途中、クラヴェルは新しい仲間のサギヌマ・シロウを御仕え達に紹介する為、全員を呼び出した。三人が口々に召喚の理由を尋ねる。


「主君、何かありましたか?」


「また『父』が必要かい? ふふふ……」


「よっしゃ、敵はどこだ!」


 クラヴェルは威勢の良いリュウに「リュウ、すまないな、敵じゃない」と言いつつ、シノのつま先を思い切り踏んづけてやろうと足を上げる。


 シノは華麗な動きで、クラヴェルの足蹴を躱した。躱された方は憎々しげに舌打ちを打つ。


 クラヴェルは気を取り直して皆に言った。


「……みんな、紹介する。新しく契約した……」


「サギヌマ・シロウだ。得意な事は走ることと走り高跳び。苦手な物はバズーカを振り回す女と、男の娘だ。よろしくな。……はははは、自己紹介なんて新学期にクラスメイトの前で、した以来だから、何だか照れるぜ」


 主の言葉を引き継いで、シロウが自信満々に名乗ってから、照れくさそうに鼻を掻く。


 新学期とかクラスメイトだとかの言葉をよく理解出来なかった一同の中で、シノが面白そうな物を見る目をして呟いた。


「ふふふ……随分不思議な言葉を使う御仁ごじんだ。それに、苦手な物が随分偏っているねぇ」


 十太は生真面目に自己紹介を返しーー「下国十太だ」、シノも貴族のような大げさな礼をしてーー「シノ・ラフェクラス。よろしくね、シロウ」挨拶をした。


 しかし、リュウだけは嘲る様な顔で、ヘン! と鼻を鳴らす。


「へっ、こんななよなよしたのに何が出来るんだよ」


「そんな事無い。使いようによっては、すごいやつだ」


 多分……と付け足した言葉は心の中に留めておく。


 走る事と跳ぶ事に関しては引けを取らないと豪語するシロウの能力は、クラヴェルにも未知数だ。


「どーだか! クラヴェルのちびの言う事じゃあなぁ!」


 リュウは疑り深い目をして、腕を組んでふんぞり返っている。


 十太が「リュウ、主君への無礼を取り消せ!」といきり立ち、二人が角突き合わせている間に、シノが身をかがめてクラヴェルに囁いた。


「すまないねぇ、突然新人が来たから、何だか拗ねているみたいだ」


「初めて会った時も、リュウは拗ねてたな……子供みたいな奴だ。いいな、相方とバランスがよく取れている」


 シノとの『父娘おやこごっこ』を揶揄やゆしたクラヴェルに、彼は口元を押さえて上品にくつくつと笑う。


 シロウが「なんの話だー?」と割り込んできて、ルシエルは困り顔で、未だいがみ合っている二人の仲裁に入る。


 なんだか変な構図だが、二人きりの日々に比べてまあ、賑やかになったものだ。


 道に夕日が落とす影が、確かに六人分伸びている。


 その影を見て、クラヴェルの脳裏につい先日までの、母の部屋で書籍を一人漁る日々が蘇った。


 ――慣れない賑やかさだが、嫌いじゃ無い。


「なあ、クラヴェル、俺の媒介もその数珠の中に入れてくれよ。そうした方がかっこいい」


 肩を組んできたシロウに、クラヴェルは答える。


「ああ、もとよりそのつもりだ。石一個持ち歩いたまま、落として無くしたら洒落にならないからな。どこかの商店で繋ぎ直して貰わないとな」


 母もこんな気持ちだったのかな、と思いながら、クラヴェルは数珠と一つの石を大事にしまい込んだ。

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十六夜 おべん・チャラー @kouya823

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