3


 ルシエルとクラヴェルの二人は、誘われるがままに教会へと足を運んだ。


 聖堂は少し古びているものの、イーストレーンのそれとは少しも変わらない荘厳さがあった。


「ようこそ。ご挨拶が遅れたの。わしは神官のアルフレッド・ボーノじゃ」


 老神官に今更ながらの挨拶をされて、ルシエルとクラヴェルの二人も名乗る。


 神官は慈愛の笑みを向けた。


「さて、そちらのお坊ちゃんは、召喚術士とお見受けするが?」


「こう見えても、そいつの『妹』をやっていてね。……ついでに言うと、この国じゃ指折りの召喚術士様だ」


 ふんぞりかえって答えるクラヴェルをルシエルがたしなめる。「なぁに格好付けてるのよ」


「これは、なんと。こちらも老眼が始まって久しくての。爺の言うことじゃ、許しておくれ」


 ほっほっほ……と笑い声を上げる老人に、クラヴェルはジト目を向ける。


「さて、お前さん方はお二人でどこへ行きなさるのじゃ?」


 祭壇の前で立ち止まり、姉妹に向かい合った神官が訊いた。姉妹が声を揃える。


「両親を探しに、ウェスタングへ」


 姉妹の瞳の中に決意の光を見て、神官は目を細めた。


「ふむ……。どうやら、仔細しさいある様じゃな。理由は無理に話さなくてもいいが……お嬢ちゃん二人だけで行くには、危険が伴う」


「まさか。私は三人の御仕えと契約しているんだ。危険なんて、あるもんか」


 クラヴェルが胸を張って答えた。


「ほう、その歳で三人か。大したもんじゃの。その中に、守りの力に特化した者はおるかね?」


 問われて、クラヴェルは逡巡する。


 十太もリュウもシノも、明らかに攻撃特化型だ。


 防御ができているとなるとそれは、『攻撃は最大の防御』として成り立っているからに過ぎない。


 クラヴェルは首を振って答えた。それを見て、神官が頷いて続けた。


「これからの旅路は、君たちが思っているより過酷なものになるかもしれん。その時活きてくるのは『守り』の力だ」


「守りの力……封印術……?」


 ルシエルが呟いた言葉に、神官はふっと微笑んだ。


「そうじゃ。――おいで。できうる限りのことを教えてやろう」


 神官は聖堂の左奥にある小さい扉の前に立ち、手招きをした。数瞬迷ったルシエルだったが、しっかりと封印術を学び、家族をこの手で守ることが出来るようになるのであれば、と、足を踏み出した。


 ルシエルが扉の前に来ると、ボーノ神官は勝手にベンチでくつろいでいるクラヴェルを振り返った。


「召喚術に詳しい者を寄越そう。その者の助けを借り、『守る力』と新しい契約を結ぶといい」


 言い終えた神官が、ルシエルと一緒に扉をくぐり閉める。



 すると、ほぼ同時に右手の観音扉が勢いよく開かれた。


 ベンチにもたれかかり足を組んでリラックスモードに入っていたクラヴェルが、あまりの速さにビクンと大きく肩を揺らす。


 右の扉から現れたのは、聖堂から出て行ったはずのボーノ神官であった。


「あれ? だって、今あっちから出て行って……あれ?」と別の扉から出てきたボーノ神官にクラヴェルが目を白黒させる。


 彼は先ほどと同じ笑い方で笑った。


「ほっほっほ……。何を隠そう、アルフレッドは双子の兄での。話は聞かせて貰ったぞい」


「え、ど、どこで……?」


「廊下の方でな。目と耳は兄より良いのが自慢じゃ」


 一人目のボーノ神官が消えた聖堂左奥の扉と違い、二人目が出てきた、右の壁に設えられた観音開きの木彫りの扉は、分厚くて頑丈そうな造りだ。


 防音面でもそこそこに良い仕事をしそうではあるが、その扉越しに、聖堂内での会話が聞こえていたというのだろうか?


「改めて、ベーテロニア・ボーノじゃ」そう言って、彼は手を差し出した。


「この町では『双子神官のアルファ・ボーノとベータ・ボーノ』の名で通っておる」


「はあ、どうも……」


 呆気にとられるというよりは、そこは心底どうでもいいという顔をして、クラヴェルは握手に応じる。


「――さて……旅に備え、『守りの力』を持つ御仕えを新たに呼び出す、という話じゃったな」


 聖堂の外で話を聞いていたというのは、本当らしい。


 老人の戯言程度に思っていたクラヴェルは思わず呟いた。「本当に聞こえてたのか……」


「ほっほっほ、老いぼれとはいえ、冗談ならもっとましな事を言うわい」


 兄と同じく真っ白な髭を扱いて笑った神官は続ける。


「見たところ、お主は姉御あねごと違い、ある程度召喚術を学んでいる様じゃの。話が早い。誰かに師事しじしたのか?」


「独学だ。必要な事は、全部家にあった本から学んだ。……母親が召喚術士で」


「ほほう。……名は?」


「〈十二月じゅうにつき〉」


「……ジョルディーヌか……!」


 ベータ・ボーノが、細めていた瞳を驚きに見開く。


 神官の口から出た母の名に、クラヴェルは敏感に反応した。


「母さんを知っているのか?」


 神官は再び細めた目で、クラヴェルを見つめる。一言一言、噛みしめるような喋り方だった。


「そうか、そうか……。ジョルディーヌの……。何という巡り合わせじゃ。……あやつはわしの教え子の中でも特に才があった」


「母さんが、ここで……?」


「いや、ここではない。南での話じゃ。……懐かしいのぉ。アルフレッドの弟子の、アレックスとの結婚式は、南の、当時の教会でそりゃあ盛大に挙げたもんじゃ。弟子達みんなに祝福されて、そりゃあ幸せそうじゃった……」



 *



 時を同じくして、ルシエルはほとんど同じ話をアルファ・ボーノから聞いていた。


 生きているか死んでいるかも分からない両親の思い出話を聞いて、涙が浮かぶ。


 それは目の前の神官も同じ事だった。


「……おっと、失礼したのう。年を取るとどうも、涙もろくなっていかん」


 そう言ってアルファ・ボーノは浮かんだしずくを節くれ立った指で拭った。


「……両親を探しに行く、と言ったか……。多くは聞くまい。ルシエルや、不安じゃろうが、希望を持って進むのじゃ」


「……はい」


 ボーノ神官に連れられたルシエルが入ったのは、半地下の、石で出来た部屋だった。


 姉妹の屋敷の地下に隠されていたのとは違い、ざらついた断面がむき出しの、自然に出来た洞窟を部屋として利用している……そんな印象の部屋だった。


 窓の役割をする穴が天井近くにぽっかりと開いている為、室内は暗くはない。


 しかし日が傾くより前には、一足先に暗くなるだろう。二人が通ってきた扉の脇に、燭台とマッチが置かれている。


 今ルシエルがボーノ神官と向かい合って立つすぐ傍の壁の一部は、四角く切り取られている。そこには、やはり石で出来た神像が奉られていた。


 その小さな祭壇の手前に置かれた小机の上には、五冊の本が整然と背表紙を向けて並べられている。


 いずれも封印術に関連する書籍であるという。


 ボーノ神官が言った。


「封印術の修得には早くても五年を要する。とても一昼夜で出来るようになる代物ではない」


「しかし」と神官は本の一冊を取り上げてルシエルを見た。


妹御いもうとごの話では、そなたには父親以上の才覚が備わっているらしい。確かに、昼間の封印はわしも初めて目にしたものじゃった。あれはどこで修得を――いや、愚問じゃったな、忘れてくれ」


 ルシエルが封印術を誰かに師事した事も、また訓練をした事も無いとは、すでに本人からも聞いている。


 ボーノ神官は、手にしている本をパラパラとめくり、目的のページを探し当てると小机に開いて置き、そこに書いてある文言を読み上げる。


「封印術と召喚術は、本来二つで一つ。表裏一体」



 *



「封印術がそうである様に、召喚術もまた神がその御業の一端を人間が扱う事をお許し下さったに過ぎん。……お前さんは、『御仕みつかえ』を何故そう呼ぶと学んだかね?」


 ベータ・ボーノの質問に、クラヴェルは首を捻る。


「え……どうだろ、私が呼んだ本の中には、書いてなかった」


「そうじゃろ。今時は神を信じる者もめっぽう減ったからの。その真実を知る者は少ない。その言葉こそ、神の存在を如実に現しているというのに、嘆かわしい事よ」


「……まさか、『天からの御使みつかい』って事か? 御仕えの元は天使サマだと?」


「ほっほっほ……なるほど、その歳で術をモノにするだけあって、利発じゃのう」


 クラヴェルの言葉にベータ・ボーノは嬉しそうに笑って髭を扱いた。


 弟子の子供と話すという事は、彼にとっては孫と話している様なものだろう。


 しかもその内容は彼のライフワークという事に加え、孫弟子自身もまた並々ならぬ資質を持っている。面白くないはずがない。


「私の御仕みつかえは、天使って柄じゃない奴ばかりだが……」


 頭を捻るクラヴェルに、神官は事も無く言い放つ。


「では聞くが、『天使って柄』とはどんなものじゃ?」


「え……そりゃあ、純白の羽根が背中に生えてて、白いふわふわした服を着て、頭に何かよく分からない輪っかを付けて……」


「そうじゃな。それはお前さんを含め、多くの人が抱く天使像じゃ。では、実際に会ったことは?」


「天使にか? いや、あるわけない」


「それは実際の『天使』に? それとも、お前さんの抱く天使像に?」


「…………」


 老爺の言いたいことが、何となくクラヴェルにも分かってきた。


 つまり、『実際の天使に会ったことが無いのだから、実際の天使が、自分の思い描く姿をしているとは限らない』という訳だ。


 しかしリュウや十太の正体が天使であるなどとは、到底信じがたい。


 見てれだけで言えば、シノの姿は思い描く天使像に近いのかもしれないが、彼の性格から考えると悪戯好きの悪魔の方が近い。


「では、召喚の儀と参ろうかの。ほれ、あの召喚陣を使うが良い」


 御仕え達の実際の事はさて置いておくとして、御仕えが天からの御使いという意味であれば、召喚術とはすなわち天界と交信する術――よって教会にそのアンテナとなるモノがあって然るべき、という訳か。


 ボーノ神官は、聖堂奥の黄金の神像の足下を示す。そこには、淡く光を放つ魔法陣の様なものがあった。

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