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「賑やかな街だなぁ」


「本当だねぇ」


 ルシエルとクラヴェルの二人は明日の船便まですることも無く、のんびりと市場らしい通りを歩いていた。


 そこは市場の様な場所だった。


 イーストレーンの様に洗練されてはいないが、通りを挟んで商店が建ち並び、通りを歩く客を惹きつけては、さらなる客を呼び込もうと何店舗もの店員が、声を張り上げて呼び込みを行って、実に港町らしく活気づいていた。


 それに何より、出歩く人々の多種多様な事。


 東部ではあまり見かけない鮮やかな色に身を包んでいる人もいれば、夜会にでも出るのだろうかという風体の貴婦人が、従者を連れて歩いている。


 肌の色が明らかに違う人とは、この短い時間でもう五回もすれ違った。


「なんか、歩いてるだけで面白いね」


 平和を満喫するように、何歩か先を行くルシエルが妹を振り返って両手を大きく広げて見せた。


 確かに、この二日間危険にさらされっぱなしの姉妹には、久方ぶりの休息の時であった。


 その安息を切り裂く様な悲鳴が、少し先から上がる。


「誰かあいつを止めておくれ……あんた……あんたぁぁ……!」


 中年女性の悲鳴は嘆きの嗚咽に変わっていく。


 誰を止めろと言うのか……その答えは、雑踏をかき分けてこちらに駆けてきた。


 ナイフの様な物を携え、それで周囲を威嚇して道を開かせている。


 一瞬見えた刃には、時間の経過していない血が付着している様に見えた。


 クラヴェルが数珠を取りだそうとするが、間に合わない。


 男はもうすぐそこまで迫ってきている。ならば、とルシエルが木刀を抜いた。


 上段に構えて面で迎えれば、気づいて避けられる。足を払うか。

 

 男が姉妹を割るように突っ込んで来る。


 ルシエルとクラヴェルは素早く横に避け、それと同時にルシエルは駆け抜けようとする男の腿を、何とか木刀で打った。


 瞬時にその空間が小さな結界で包まれる。足が縫い止められた男は、突然推進力を失って呻いた。


「ぐあっ、何だ……!?」


 その場から何とか自由になる為にもがいた男だったが、封印されている足を動かそうとするとどうやら痛むらしい。苦悶の表情を浮かべている。


 そしてその内、両腕はまだ自由になっている事に気づいて、至近距離にいるルシエルとクラヴェル姉妹相手にナイフを振り回し始めた。


 クラヴェルは冷静に刃を避けて、ルシエルが反対側から凶器をたたき落とす。男は地面に落ちたそれを拾い上げようとしてしばらくもがいていたが、やがて諦めてぐったりと項垂れた。


 すると、男の逃げてきた方から軍人が二人駆けてきた。その二人は抵抗する気力を失った男を見て、それからすぐ傍にいた姉妹に目を向けた。


「……大丈夫ですか? 怪我は?」


 軍人に問われて、ルシエルは「いいえ、何も」と答えながら、拾い上げた男の凶器を軍人に慎重に渡した。


 もう一人が男の様子を見、脚に施されている封印を見て驚いている。


「これは……封印術か? 一体誰が……」


 まさか目の前にいる年若い娘が大の男をその場に縫い付けたとは、後から来た二人組には信じられないらしい。

 

 それどころか、体の一部を封印された男本人ですら、何が起こったか理解できていない様だった。


 彼は情けない声で、軍人に助けを請うていた。


「よくわかんねぇけど、これ外してくれよ……。足がすっぽ抜けちまいそうで、敵わねぇ……」


「外せって言ってもこれは……。基地まで走って封印術士を呼んでくるか……?」


 一人が困り顔で相棒に訊いた。


 そこに声を掛けてきたのは、神官服を纏った老人だった。


「よければ、この老いぼれに任せてくれんかね」


「ボーノ神官! これは助かります。……待って下さい、先にロープを……」


 神官に敬礼して、二人の軍人は手早くロープを取り出して、男の両手を拘束する。


 一方は男の胴に回されて、そのもう一方の端は、それを結わえた軍人が自らの胴に同じように括り付けていた。


 ボーノと呼ばれた神官は、口元が隠れるほど蓄えられた髭を扱きながら、その様子を穏やかな目で見ている。


 磨き上げられた禿頭に日光が反射していた。


「……準備、整いました。お願いいたします」


 男を逃がさない様に準備を整えた二人が言うと、ボーノ神官が「うむ」と頷いた。


 ルシエルは逃げてきた男をその場に縫い付けてしまった張本人として、何も言わなかったが、無責任にその場を去る事も出来なかった。


 神官は少し呼吸を整えると、右手を男の封印された脚に置く。


 神官が呼吸を深くし、右手が仄かに輝き始めると、彼はその手を更に押しつけて右に左にゆっくりと回し始めた。


 さながら、差し込んだ鍵の手応えを確かめながら、解錠している様だった。


 カチャン、と錠が外れた様な音がして、ルシエルの施した封印が砂の城の様に崩れた。


 不自然な格好で縫い止められていた男は、ロープで繋がれた軍人を巻き添えにして、顔から地面へと倒れる。


「おお……さすがはボーノ神官……!」


 男と繋がれていない方の軍人が礼を言い、二言三言言葉を交わすと、二人の軍人は男を連行していった。


 老人は、傍らで呆然と見守っていたルシエルを向く。


「この様な特異な封印は見たことがない。肉体の動きごと空間を封印してしまうとは、なるほど、なるほど。封印術の新しい時代を見せられているようじゃ」


 どこか嬉しそうに微笑む神官だったが、再びルシエルを見たその目は厳しかった。


「何故、封印を解こうとしなかった? 人体の封印がどんな影響を与えるか、知らないわけではなかろう」


「……いえ、あの……」


 老人の鋭い言葉に、ルシエルは開きかけた口を閉じる。


 すると老人は元の朗らかな顔に戻り、


「ま、こんな若い嬢ちゃんが術をかけたと言った所で、あの二人は信じなかっただろうがな。カカカカカ……軍人さまは頭が固いからの」と、笑った。


 態度の軟化した老人にほっとして、ルシエルはおずおずと先ほどの答えを口にする。


「ごめんなさい……。私、術の解き方を知らなくて……」


「ほう?」


 それを聞いて、老人の目が面白そうに光った。クラヴェルが間に入る。


「ルシエルは、昨日封印術を使い始めたばかりの、ひよっこだ。しかも一切学んでない、天然の天才型ときてる」


「ほほう」


 クラヴェルの言を聞いて、老人は顎髭を扱いて、また目を輝かせた。


 小柄な老人とクラヴェルの身長は、同じくらいだ。


 彼はクラヴェルを上から下まで見回して、腰に下がっているポシェットに数瞬の間目を置いた。


 まるで、そこから何かを感じ取っている様だが、やがて目を上げ、姉妹に問いかけた。


「お二人さん、この後、時間はあるかね?」

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