第4夜

1

「汽車って思ったより速いんだねぇ……。あっ、見てみて、あそこ、放牧場みたい! ……あの数は世話が大変そうだね」


 ルシエルは嬉しそうに窓の外を指さすが、クラヴェルはちらりと彼女の指さす先を一瞥しただけで、また座席にだらしなく埋もれてしまった。


 どうやら生まれて初めての汽車が体に合わなかった様だ。


 ブレドルフと別れて列車に乗った彼女達は、東部から湖を渡って西に入るべく、東部の湖水こすい玄関口であるアスティポートに向かっていた。


 色々な人と多様な品が集まる、イーストレーンとはまた違った意味で賑わっている街らしい。


 ただ、そこにたどり着くまでの汽車での旅路が、クラヴェルにとってはちょっとした試練だった。


 普段が本の虫だったせいで平均的な十歳児よりも体力的に劣るクラヴェルは、乗り物酔いで脱力した青い顔で、遠くを見ている。


 そんな妹を不安に思いつつ、ルシエルはまた窓の外に夢中になるのだった。


「わぁ……! あの雲、不思議な形……! ねぇ、クラヴェル、見て、見て!」


 アスティポート行きの車内は二人の姉妹が驚くほどに賑やかであった。


 作業服を着て疲れ切っている者、小綺麗なスーツをかっちりと着こなしている大手の商売人風の男性、くたびれた重そうなスーツケースを荷物棚に上げる、旅慣れた感じの女性と、様々な客がいる。

 

 その他多くが、小さな子供を連れた、家族連れだ。


 幼い子らが車内を駆け回り、隣合う家庭の子と友達になり、それをきっかけとして両家の親同士が挨拶を交わす、そんな光景を、二人の姉妹は何回か見かけた。


 ルシエルとクラヴェルの二人は『大人』という年齢にはさしかかっていない故、通りかかった子と目が合えばたまに挨拶を交わす。


 しかし大抵の幼い子は、生ける屍の様相を呈しているクラヴェルを見て、半泣きになって逃げていった。


「こらぁ、クラヴェル。小さい子を泣かしたら駄目でしょう」


 三人目の子供がクラヴェルの顔を見て逃げていったので、ルシエルはたしなめる様に言った。


 よほど酔いが酷いのか、クラヴェルの反論は消え入る様だ。


「知らねぇよ……。勝手にさせとけ……」



 *



「わあ、人がいっぱいいるね……!」


 プラットホームに降り立ったルシエルが興奮して言った。


 遅れて汽車から降りてきたクラヴェルは、顔色悪くヨロヨロしている。


 ホームのベンチで少し休み、ルシエルが事務所の人に事情を話して恵んで貰った水を飲むと、妹の顔色は大分良くなった。


 そうして二人は早速、あるいはようやく、今日の船便の情報を仕入れるために、船着き場に足を向けた。


 この国の東西南北を繋ぐのは、船便の他に陸路を行く汽車がある。東部から南を跨いで西に渡るには、汽車より船の方が格段に速い。


 また、鉄道は一昨年民営化されて料金が上がったため、旅費節約のために姉妹は西部への足に船を使う事を選んだ。 


「西部へ行きたいんですけど、船はありますか?」


 船着き場の受付にいた、いかにも船乗りという風情の逞しい男に、ルシエルは声を掛ける。彼は即答した。


「西部行きの船はさっき出ちまったよ。明日まで待ってな」


 ベンチで休んでいた時間が無駄だった様だ。


 クラヴェルが悔しがっていたが、過ぎたことを悔やんでいても仕方が無い。


 今日が明日になるだけ。たった一日の遅れだ。


「じゃあ、明日の便の切符を下さい。二枚」


「お嬢ちゃん達、二人だけかい?」


 きっぱりと言い切るルシエルに、受付の男は明らかに訝しがる顔を見せた。


 雲行きが怪しくなってきたのを嗅ぎ取って、ルシエルはおずおずと、船が必要な理由を口にする。


「あー……ウエスタングにいる親戚に会いに行く途中なんです」


 受付の男はまだ渋面を見せる。


「……嬢ちゃん達、誰か大人は一緒じゃないのかい? 父さんや母さんはどこだ?」


 姉と男のやりとりをじれったく見ていたクラヴェルが、姉を押しのけてずいっと前に出た。


「いないよ。その、父さんと母さんに会いに行くんだ」


 今度はクラヴェルの方がきっぱりと言い放つ。


 受付の男はこの姉妹が訳ありなのか、それとも悪戯を言っているのか計りかねている。


「そうかい……あー、でもなぁ……参ったなぁ……誰かいねぇのか? おじさんとか、おばさんとか。ここへはどうやって来た?」


「イーストレーンから汽車に乗って、二人で。ここまで来るのも問題なかったぞ」


「どうにかなりませんか? お金なら、ちゃんと持っています」


 どうあっても大人を必要とする口調の男にクラヴェルがむっとして、ルシエルは祈るように懇願する。


 男は綺麗にそり上げている頭を撫でて申し訳なさそうに答えるが、その意味する所は先ほどと変わらなかった。


「……そうは言ってもねぇ。申し訳ないけれど、こちらも子供達だけで船に乗せる訳にはいかないのよ。決まりでね。監督してくれる親御さんか、保護者がいないわけには……」


 一向に進まない話に、クラヴェルが子供らしい地団駄を踏んだ。


 姉妹の後ろには、いつの間にか切符を買おうという人次の順番を待っている。


「だからその父と母に会いに行くんだって!」


「ふぅむ……訳ありって訳かい……。かと言ってもねぇ……」


 乗船受付の男はそう言って腕を組んだ。しかし、特例は許されない。


 姉妹の願いは受け入れられず、「何があろうとも子供だけでの乗船は、特別な許可が無い限り受け入れる訳にはいかない」の一点張りだった。


 では、東方司令部のアーフ・ブレドルフ中佐に連絡してくれ、彼が身元を引き受ける、とクラヴェルが言った所で、受付の男は呵々大笑かかたいしょうした。


「寝言は寝て言いな、坊主。東方司令部の軍人様が身元引受人だって?」


 真実を笑われた事より、『坊主』という一言にクラヴェルはカチンと来たらしい。


 文字通り噛みつく勢いだった妹をルシエルは引き剥がして、後ろに並んでいた人に順番を譲って乗船受付を離れた。


「落ち着いて、クラヴェル。……どうするの? これじゃあ、ウェスタングに行く事ができない」


「電話で中佐に確認してくれりゃあ、一発なのに……」と頭をガジガジ掻いたクラヴェルを、ルシエルが諭す。


「あの人が信じられないのも、無理は無いわ、クラヴェル。大体、中佐も軍のお仕事で忙しいんだから、軍事関係者でもない私達がこういう事でいちいち頼るのだって、よくないよ。別の方法を考えよう」


「って言ったって、あいつ、大人がいなきゃ何も信じないぜ」


 クラヴェルは不満顔で腕を組んだ。


 どこかで手っ取り早く『信頼できる大人』を調達するしかあるまい。大人……大人……。はて、どこに……。



 *



「はい、乗船券三枚ね。それにしても、子供だけで乗船させろなんてむちゃくちゃを言ってきた坊主の親御さんが、まさかこんなに立派な人だとはなぁ」


「子供達が困らせて、申し訳ない」


 姉妹と一緒に乗船受付に立ったシノが切符を受け取って、にこやかに受付の男に言った。


 男の方は、先ほど無理を言ってきた子供達の保護者が無事現れてくれて、ほっと胸をなで下ろしている次第だ。


 シノの風貌は一見、十五歳の娘がいる様には見えないのだが、彼が纏っている年齢不詳な貴公子然とした空気が、ルシエルとクラヴェルの二人を娘だと、受付の男に信じさせていた。


「本当にやんちゃな娘達で……。受付のおじさんを困らせてはだめだよ、君たち」


 シノに言われて、ルシエルはぎこちなく「ハイ、オトウサン……」と答える。


 クラヴェルは御仕えに父親役をされている事にむくれている。もしくは、受付の男にまたもや『坊主』呼ばわりされた事に。あるいはその両方に。


 何も言わずに、微笑む『父親』を睨みあげていた。唇をつんと尖らせたその姿は、機嫌を悪くする十歳児の姿そのものだ。


「船は明日の早朝です。すぐ近くに宿があるから、そこに泊まると良い。ぼろっちくって旦那には不釣り合いかもしれんが、事前に言っておけば、乗船時間に間に合うように起こしてくれますよ」


「ありがとう」


 シノが礼を言った。もうここでの用は無い。クラヴェルが主としての威厳を見せようとしたのか、さっさと踵を返す。


 しかしそうした所で、受付の男や行き交う人々の目には『勝手に行動している末っ子を、穏やかな父と姉が早足に追いかけている』ようにしか見えなかった。


「……子供だけでの乗船はいかなる理由でもできない、だぁ? 汽車は大丈夫だったじゃんか、おかしいぞ!」


 クラヴェルが脚を進めながら肩を怒らせて言うと、シノは次の展開を面白がる様にくすくすと笑った。


「さてさて、宿の方はどうだろうね……?」



 *



 宿の方でも同じ様な有様だった。


 姉妹とシノの三人で宿に入り、クラヴェルは出迎えた人の良さそうな女将に言う。


「一泊したいんだけど」


 女将はきょとんとして、偉そうな口をきく十歳児を見返した。そして気を取り直して挨拶をした後に、シノの顔を見て話し出す。


「部屋は一つでいいかい?」


 シノはその反応を承知していたかの様に答える。


「ええ、一部屋で。それと、明日早朝の船便に乗る予定なので、声をかけていただきたい」


「あい、あい。分かったよ。お子さん二人連れて船旅とは、アンタも苦労してるねえ」


 三人はすぐに部屋へと通された。二階の、海がすぐそこに見える、悪くない部屋だった。


 退出前に、女将がまたシノの方へ話しかける。


「ご飯はどうするかね? うちは追加料金でやらせてもらってるんだけども」


 聞けば、町の食堂へ食べに行く人が多いらしい。


 シノにどうすると目で問われて、クラヴェルが答えた。


「……そうだな。ここで暇を持て余していても仕方が無いし、私達も町へ食べに行こう。いいよな、ルシエル、『父さん』」


 末の娘が今日の食事を決定する光景に女将は首を傾げ、シノは主ににっこりと笑顔を向けた。


 女将が完全に退出してから、彼は嬉しそうな声を出す。


「我が君、嬉しいよ。『父』を受け入れてくれて。このままそう呼んでいていくれても構わないよ。まだ幼い我が君には必要でしょう……父性というものが?」


「あんまり調子に乗るな! それに私は、そんなに幼くない!」


 振り向いたクラヴェルはさっと赤くなり、素早く数珠と印を構えて呪文を唱えるとシノを帰還させた。


 雷光と共に現れた扉に吸い込まれながらも、シノは面白そうにくすくす笑っていた。


 バチン! と音を立てて召喚扉が姿を消すと、クラヴェルは呟いた。


「……やっぱり、十太じゅうたを選んでおくんだった……」


 父親役を選ぶ際に、十太は忠実が過ぎる故に役にはなりきれないだろう事を見越してシノを選んだのだったが、ここまでコケにされたとなればやはり十太が適任だった様な気もする。


 クラヴェルの呟いた言葉に、姉は静かに苦笑いをした。

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