4

 イーストレーンの大教会。静まりかえった聖堂で、ルシエルは両手を握り合わせて祈りを捧げていた。


「おーい、ルシエル。いつまでやってる気だ? もうすぐ汽車の時間だぞ」


「今行く」


 妹に声を掛けられたルシエルは、両手を解いて立ち上がる。


 振り向いて、教会の戸口に立つ妹の方に行きかけて立ち止まり、祈りを捧げていた神像をもう一度振り仰ぐ。


 神の上げている右手が、自分たちの行く道を照らしてくれた様に思えた。


 祈りを捧げる前の不安は嘘のように消え、ルシエルは決意と共に微笑んで呟いた。


「……父さん、母さん、今行くからね……!」



 *



「……やべ」


「え、何?」


 前を行く妹が足を止めたので、ルシエルは立ち止まり、顔色を悪くした妹の視線の先を見る。


「……ブレドルフ中佐」


 混み合うホームには、すでに乗るべき汽車が待機していた。


 そしてその乗降口を見張る様に立っていたのは、ブレドルフだ。


 痛々しい包帯頭のまま、そこから覗く片眼が姉妹を眼光鋭く見つけ出す。


 どうしよう、見つかった。何故ここにいるかと、問い詰められるだろうか?


 どうにか躱して汽車に乗る――無理だ。姉妹が躊躇している間に、彼は目の前に歩み寄ってきた。


「……何故ここにいる。いつもは馬車で帰るだろう。……もしやこのまま、アレックスとジョルディーヌを探しに行く気か?」


 厳しい顔のブレドルフに問われ、ルシエルとクラヴェルは答えに窮した。


 汽車で帰りたい気分だったとでも、誤魔化してみるか?……そうした考えがクラヴェルの頭の片隅に浮かび、同時に消えた。


 駄目だろう。この問いかけは、私達の思惑を捉えている。ちくしょう、何故バレた。


「……だったら?」


 言い逃れできなかったクラヴェルが、叱られた子供の様に、口を尖らせて言い返す。


 ブレドルフはため息を吐いた。全く、誰のせいだ。こんな聞き分けの無い子供に育ったのは。


「何度言えば分かるんだ。捜索は私達に任せろとあれほど――」


「何度言っても聞かない! 父さんと母さんは、私達が探し出す!」


「……ああ、もう。――ルシエル、何とかしてくれ」


 ブレドルフは、今度は姉の方に言う。


 ――確かに今までは、五つ離れている妹によく言って聞かせるのは自分の仕事だった。


 けど、今はもう違う。


 私はクラヴェルの姉だけど、クラヴェルと同じ、両親の身を案じる一人の子だ。


「中佐、私もクラヴェルと同じ意見です。私達は、ウェスタングへ行きます」


「……まったく、意固地な所まで誰に似たんだか……」


 ブレドルフの両目が、姉妹を見つめる。そして姉妹もまた、そうしていた。


 妹分二人の真剣な眼差しに、本当に成長したな、とブレドルフの胸に感慨めいたものが生まれる。


 初めて会った時は、ルシエルは父の後ろに隠れて、もじもじと恥ずかしそうに挨拶をしてきた。


 その内にクラヴェルが生まれて、一回だけ、おしめを替えておしっこをひっかけられた事だってある。


 二人を背中に乗せて、よくお馬さんごっこをしたものだ。いつか本物の馬に乗せてやる――そう約束した日を覚えている。


 その約束を叶える前に、ここから旅立っていくと言うんだな……。


「一軍人として、そして君たちの親の友人として、子供達だけを危険な旅に出す事はしたく無いが……」


 ブレドルフがゆっくりと発する言葉に、姉妹は固唾をのんで聞き入っている。


 兄貴分が自分たちをどうする気であろうと、絶対目的を成し遂げる、と決意した、覚悟ある目がブレドルフを見つめた。


「優秀な召喚術士と封印術士を、遊学に行かせる事は、できる」


 思いもしなかった言葉に、二人の姉妹の顔が緩んだ。クラヴェルは耳を疑っている。


 そしてブレドルフは、懐から布袋を出した。ルシエルが訳も分からず受け取ると、確かな重さを感じた。


 開けて中を見ると、子供の自分たちには見たことの無い金額が入っている。


「こんな大金……っ!」


「遊学ともなれば、それくらいは入り用だろう。いいか、余所で遊びほうけたりせず、『目的』のためにきっちりと学んでこい」


 本当に嘘が下手な人だ。姉妹にはその言葉が、「絶対に両親を探し出せ」と言っている様に聞こえた。


 汽笛が鳴った。もう汽車が出るのだろう。乗り合わせる客が、遅れない様にと乗降口に駆け込んでいる。


 ホームにほとんど人がいなくなり、ルシエルとクラヴェルはブレドルフに肩を押されて、今か今かと出発を待つ汽車に乗車した。


 車掌が扉を閉める前に、ブレドルフはホームから、一番大事な言葉で姉妹を送り出す。


「無茶だけはするんじゃないぞ」


「はい、ブレドルフ中佐」


「分かってる」


 車掌が「危ないのでお下がり下さい」と言ってブレドルフを下がらせる。


 彼が言葉通りにすると、車掌は乗降口とホームを繋いでいた扉を閉めた。三人はそこから動かない。


 程なくして汽笛が再び高く鳴り、汽車はゆっくりと動き出した。段々と離れていくブレドルフの姿を目に焼き付けようとする様に、姉妹は窓にへばりつく。


 ブレドルフは別れを惜しんで追いかける事もせず、列車が過ぎゆくまでただそこに佇んでいた。

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