3

「はぁ……全く、あの子達には困ったものだ」


 執務机のインク壷の隣に立ててあるペンに、覚えの無い使用感を見てブレドルフはため息を吐いた。


 今日はまだここでの書類仕事には手を付けていない。誰かがここで何かを書いたか。


 彼は抽斗ひきだしを開けて、中を見た。


 そこには書面用の白紙の便せんの予備を、整えてしまってある。


 綺麗に重ねてあるはずのそこに僅かな乱れを見つけて、ブレドルフの目が光った。


 その時扉が叩かれた。


 扉の向こうで名前を告げた副官に、大きく息を吐いてから入室を許可する。


 入室してきた副官は、開口一番にこう言った。


「ブレドルフ中佐、やはりあの〈破壊者サバー〉、『閃光団』と関係がありました」


「やはりか。他は」抽斗を静かに閉めつつ、ブレドルフは鋭く問う。


「他は各地から寄せ集めた農民や商人がほとんどです。『団』の思想に影響を受けてはいますが、本拠地はおろか『団長』とは接触した事も無いと」


「ポッと出のテロリスト気取りかとも思ったが、なかなかに周到な奴らじゃ無いか。ただ、使っている武器はまるで中世の様だったが」


「ええ、使っている銃もおもちゃみたいなもんで」


「……」


 副官の報告にブレドルフは押し黙る。副官が打って変わって軽い口調で話し出した。


「それにしても、今回はアレックスさんとジョルディーヌさんのお子さん達、大手柄でしたね。さすが、あの二人の娘さんですねえ。頼りがいがある」


 副官の言葉に、ブレドルフはぐるぐる巻きの包帯のせいで人相の悪くなった顔で、彼を睨みあげる。


 どうやら言葉選びを間違った様だ、と副官は瞬時に悟った。


 ブレドルフは、はあ、と大きく息を吐く。顔の傷がまた痛み出した。


「そうは言ってもまだまだ子供だ。危険すぎる」


「中佐はそう言いますけどね。あれはどう見ても立派な召喚術士と封印術士ですよ。ちょっとばかし、若すぎますがね」


 苦い顔をしているブレドルフを見て、副官が眉尻を下げた。


「いいんじゃないですか、あの力は信頼しても」



 *



「さて、どうしようか?」


 鉄道の駅にほど近いカフェテラスで、シノは上品な意匠のティーカップ片手に優雅に訊いた。


 くどいほどしっくりとくるその姿を前にすると、砂糖もミルクも不要な程だ。


「……お前、何でそんなにカフェテラスが似合うんだ?」


「さて? 我が君の言っている事の意味が不明だね。カフェテラスというものは人を選ぶ物ではないよ」


 シノがそう言うと、雲間から差す陽光が彼の姿を照らし、そよ風が吹いて彼の銀色の髪をもてあそんだ。


 彼が髪を撫でつけると、その一部始終を見ていた後ろの席のマダム達が桃色の吐息を吐く。


 東方司令部を後にしたクラヴェル達は、シノが手に入れた両親の足取りを持って、これまでの事、そしてこれからの事を話し合う為に鉄道にほど近いカフェテラスに来ていた。


 何故そのカフェに行く事になったかというと、フルーツとホイップがたっぷり乗ったトーストをリュウが食べたがったからだ。


 御仕みつかえは本来、睡眠やエネルギー補給のための食事を必要としないが、人間と同じ食事を『嗜好品』として嗜む事がある。


 シノが優雅にティーカップを傾けるその向かいで、リュウは口の周りをフルーツの汁で汚し、鼻の頭にホイップをつけて、トーストを貪っている。


 ブレドルフが二人の妹分にくれた多めの馬車賃が、リュウの胃の中に消えた。


 トーストに夢中のリュウと、飄々とお茶を飲むシノを放って置いて、クラヴェルとルシエルは十太と一緒に、シノの持ってきた軍事書類を読んでいた。


「なんにせよ、母さんと父さんの足取りがやっと分かったんだ。ウェスタングに行けば、何か分かるに違いない」


 クラヴェルがポテトをつまんで言う。


 ブレドルフの執務室から拝借した軍事資料の写しは、国内に潜伏するテロリストのアジトを突き止める事を命令していた。


 両親は命令によって、西部中心都市、ウェスタングに行った事が分かったのだ。


 この国は東西南北の地方、そしてそれらが取り囲んでいる、丸い湖の真ん中に浮かぶ中央の島を、東と西から延びた海峡鉄道が結んで成り立つ。


 各地方間を移動するには、陸路を行く鉄道に乗るか、各地方の港から船に乗るしかない。


 ルシエルはごくりと唾を飲んだ。


 東部から出るなんて大冒険、したこともない。


 幼い頃、クラヴェルが生まれる前は家族で南部に住んでいたらしいが、その頃の記憶などほとんどない。


 姉妹二人からすれば、生まれ育った東部を出るだけで大冒険だ。


「ねぇ、クラヴェル……私達だけで西部に行くなんて、やっぱり危険じゃ……」


「私は〈十二月じゅうにつき〉以来の天才的召喚術士だぞ? 何も心配する事は無い」


 ごく軽く言う妹にルシエルはむくれて、ポテトを口に放り込む。


 クラヴェルは駅で貰ってきた鉄道の時刻表をテーブルに広げる。十太じゅうたが熱心に覗き込んだ。


「ウエスタング行きの列車も、港行きの列車も乗るには十分間に合う時間だ。どっちにしようか」


「今から行くの!? 家に帰って十分な準備とか……」


「そうです、主君。どれだけの期間になるともわかりません。準備は入念に行わないと……」


 心配顔で言うルシエルと十太を、シノが横目でチラリと見る。


「正気かい、十太? あの家に戻った所で、また我が君が危険にさらされるだけだ。どうやら、何者かに狙われているみたいだからね」


「何?」


 仲間の発した不穏な言葉に、十太は眉を顰めた。


「考えてもごらんよ。まず二日連続で我が君の屋敷を賊が襲撃し、そして軍部で昨日の騒ぎだ。どうやら君たちは軍部に到着する前、馬車から引きずり下ろされる所だったそうじゃないか。何者かが我が君の命を狙っていると考えるのが、妥当だろうね」


 シノの話に相づちを打ち、ようやくリュウがトーストから顔を上げる。


 どれだけやんちゃに食事をしたらそうなるのか、髪にまでクリームが着いていた。


「軍部から出たときから、歩いていたらやたらと視線を感じやがる。昨日の連中の別動偵察隊って所か。誰かがクラヴェルを狙ってるのは、間違いねぇ」


 大事な妹が狙われていると聞いたルシエルが青ざめ、音を立てて席を立つ。


 そしてキョロキョロと辺りを覗った。リュウが口元をもぐもぐさせてフォークの刃先で彼女を差す。


「ばか、余計な動きするんじゃねえ。こっちが気づかいたとあちらさんに気づかれる方がやっかいだ」


「姉君、落ち着いて。僕達が、我が君にも姉君にも手出しはさせないよ」


 シノの言葉に促されて、ルシエルは周りを疑わしく見回しながらゆっくりと席に着いた。


「でも、クラヴェルの命が狙われてるなんて……」


「心当たりはないのかい、我が君?」


 尋ねられたクラヴェルは、考える間もなく答えた。


「在るわけ無い。今まで誰かに恨みを買った事も無いし、現実的に考えて私はまだ十歳だぞ? 大の大人が大挙して命を狙う理由なんて……」


『ちび』とか『ガキ』とかいう言葉には過剰に反応する癖に、こういう所だけ現実的に考えるクラヴェルに、ルシエルは内心ツッコミを入れる。


 シノはある可能性を口にした。


「あるとしたら、〈烈日れつじつ〉と〈十二月じゅうにつき〉の娘であるって事だけだね。アレックス様とジョルディーヌ様に何らかの恨みを持っている誰かさんが、二人を苦しめる為に娘を拐かそうとしている。または優秀な召喚術士と封印術士の、その血を根絶やしにしようとしている」


 クラヴェルは腕を組んで顔を顰める。


「しかし、私怨にしては襲撃に使われる人数が多い。昨日の騒ぎではまるでテロだ」


「そこだ。たかだか娘二人を捕まえようとしているとは思えない人数が割かれている。そこに加えてあの〈破壊者サバー〉だ。娘二人相手にしては、やりすぎってもんだよ」


 主人を『たかだか娘二人』呼ばわりするシノに十太は再び眉を顰めたが、話の腰を折る事はしなかった。


「それは……あいつらが、私が御仕みつかえと契約したって知ったからじゃ……いや、屋敷に入ってきた奴らは、二人とも村の駐屯基地に預けてきたから、村を出てきた時点で私を召喚士だと知っているのは、ルシエルと十太の二人だけ……」


 自分の言葉に待ったをかけて、クラヴェルは往年の探偵の様に、難しい顔で顎を扱く。


 シノはティーカップを傾けて唇を濡らし、口紅を拭う様な仕草でティーカップの縁に着いた水滴を拭った。


「第一の襲撃者には仲間がいると考えた方が、筋が通る。尤も、第一の襲撃者と第二の襲撃者の間には、何の関連性も無いかもしれないけれどね。だからって、連日に三回も襲われるなんてラッキーを信じるよりは、あいつらの繋がりを信じた方が真実味はあると、僕は思うね」


 相変わらず目的は見えないけどね、と、シノは優雅にティーカップを置いて、その手を美しい角度で組まれた足に重ねる。


 そう言われて、姉妹の中で何かが引っかかる。あいつらの狙いは分からない……本当に?


 クラヴェルはシノに大分劣る長さの脚を組んで――組むと言うより引っかける様にして――探偵顔で顎を扱く。


 何か無かっただろうか。あいつらの言動の中に何かが。


 第一の襲撃者。白昼堂々挨拶代わりのピストルを突きつけては来たが、ルシエルとクラヴェルに弾を当てようとはしなかった。


 泥だらけのバンダナ。ブレドルフ中佐が来てくれなければ、姉妹は今頃どうなっていたかは分からない。


 殺す気が無かったとはいえ、無事に済ます気が無いであっただろう事は想像に難くない。


 姉妹から情報を得るまでは。


 そう、彼には知りたいことがあったのだ。


『てめぇらにゃあ、訊きてぇ事がある』


 そうだ、確かにそう言っていた。


 そしてその次の二人だ。バンダナにサバイバルパンツにライフル銃の二人組。


 姉妹が見つけた地下室に降りてきて、十太を見つけて嬉しそうにこう言った。


『見つけたぜぇ! こいつだ、最後の一人!』


 その一言にピンと来る。どうやらルシエルも気づいた様で、ハッとした面持ちでクラヴェルを、そして十太を向く。


「狙いは……十太じゅうたさん?」


「十太? 何故だい?」きょとんとした顔をしてそう問うたシノに、姉妹は今し方思い出した事を説明する。


 暴漢の『訊きたい事』。そして最後の一人という言葉。


「なるほど……。狙いは君たちだけではなく、十太を壊す事だったかもしれないね…」


 考え深くシノが言った『壊す』の一言に、ぞくりとする。


 倒すでも殺すでもなく、『壊す』。それは十太の媒介を破壊して、彼をこの世に存在させなくする事を意味していた。


 この世に存在が無くなった御仕えが、元の世界に戻ったのか、存在自体が『消えて』しまうのか……こちら側の人間には知る術が無い。


 それは人間の価値観では、命の灯火を消す事と同異議だった。 

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