第3話

 家に帰ると既に準備が終わっていた。長い付き合いであるゲカイに部屋側の準備を全て終わらせるように言っておいた。場所は本来であるならば僕の事務所兼自宅でいいのだが、今回はそこまでの事ではないので、直接彼女の家で儀式をする事にしたのだ。


 儀式と言っても簡単なモノだ。下準備はそこまで必要としない。普通の考えだと、儀式となると、それなりの祭壇だとかを思い浮かべるが、もっとちんけなものとなる。ちんけと書いてしまえば、もっと雑になってしまうが、質素とでも考えてもらって問題ない。


 なんせ、今回は憑き物を落とすという作業ではない、今回の場合は悪霊に近いのだ。因果に取り憑いているのではないく、人間そのものに、悪意を持って、取り憑く類の怪異だ。だとしたら、本人が、よく知っている場所で、行事を行うべきであると僕は考えた。これが正解とは考えられないが、この妖怪退治ににも似た職業に正解は存在していない。限りなく正解に近い行動に賭けているのだ。一歩間違えれば、大変な事になると思われるが、そこまで妖怪側も問題にしていない。


 実のところ妖怪と呼ばれている怪異たちはもっと簡単な思考で動いているのだ。機械と似ているようにも思う。あれがどうで此れがそう、結構システムににた行動をするように感じる。僕の勝手な考えではあるけれど、そんなに場所は重要ではない。場所が鍵になる場合もあるが、そのときは然るべき手段で、然るべき行動を取ればいい。


 それでは少しばかり、腹ごしらえをして、こちらも準備に取り掛かろう。コンビニで買ってきた御飯をゲカイにも渡す。


「サンキュー」


 簡単な言葉はいただいたのでとにかく続きだ。この晩御飯も、朝倉さんが買ったので僕の懐は痛まない。痛むほどの中身はないのが残念ではあるがそれは別にいい。


 部屋の中はそれなりに綺麗になっている。必要なのは蛇が動ける広さである。それとちょっとした細工が置ければいい。それが用意できるのであれば場所は関係ないのだ。こちらも準備に取り掛かる。


 こちらがホームセンターで買ったのは大きさの揃った木箱が5つと小さな鐘、それと藁。これだけあれば十分にお払いの真似事はできる。インスタントであるのが申し訳なくなってくる。妖怪退治だとか、怪異殺しなんかに必要なのは清められた水だとか、妖怪殺し専用の武器だとかは必要ない。それらが必要だと考えられたのは、それを用いるしかなかった場合のみだ。そんなに妖怪バトルが見たいのであれば、違う流派に頼ればいい。僕が習った流派では、このような簡単なもので、できるだけ簡潔に妖怪を払おうとする流派なのである。他の流派も似たようなものが多いが、中には過激派チックに意気揚々とバトルをしたがる者たちも存在している。


「こんな準備で本当に妖怪が退治できるのかよ」


「私もそう思います」


 口を揃えて、僕を批判したい気持ちはわかるけれど、実際これで十分なのだ。フィクションの世界では、大胆不敵な主人公がえっちらほっちら、妖怪を退治するけれど、僕からしたら、あの労力を使うのであれば、もっとお金を積んで欲しい。勿論、主人公のようにできないことはないけれど、そこまでして自分の命を天秤に預ける命知らずではない。もっと泥臭く、ちまちまとした仕事が我々妖怪の専門家だ。


「春だというのには少しばかり気が淀んでいる。それが今回の怪異の特徴。君の熱はその妖怪の特徴を現すには十分すぎる。因果を見ても明らかだ。結果も証拠として十分すぎる」


「先生は私に取り憑く妖怪の正体がわかっているのでしょう。だとしたら、それを教えてほしいんです。いけませんか?」


「物事には順序がある。これまた複雑だけれどね。これは呪いの類だとは教える事ができるけれど、その呪いの正体、さらに言えば、呪いの持ち主の事を朝倉さんに教える事は出来ないんだよ。ごめんね」


 別に教えてもいいのだけれど、このご時勢、気になったことはすぐさまスマモシで検索ができてしまう。知ってしまって困る事は順序が変わってしまう事だ。順序、順番は妖怪を相手にするには重要になるの。これで準備が台無しになるような事は、できれば避けたい。順番が変わってしまえば、それこそ妖怪との異能バトルアクションになってしまう。それだけはごめんだ。絶対に嫌だ。もしもの最悪の状況として、妖怪バトルというこの世で最も生産性のない作業をしたとして、僕一人が助かればいいのなら、重い腰を上げて戦をするが、ここにはゲカイと朝倉さんがいる。巻き込む事はできれば避けたい。本心だ。これは流派の掟ではあるが、この生業をしているものは流派に関わらず、できるだけ無関係の人達を巻き込まないと教えられている。


「わかりました。でも全てが終わったときには教えていただきたいです。何も知らないで終わるのは少しばかり、気味が悪いです。私の体に何が起きているのか、全て教えて頂きたいのです」


 好奇心でここまで、首を突っ込める根性は認めようと思う。普通の人間であれば、厄介な事に自分から首を突っ込んだりはしたくないはずだ。それでも彼女がここまでしていうのであれば何か信条があるのであろう。信条がないのであれば、ただの馬鹿なのかもしれない。どちらでもいい。僕の知らないところで、やって欲しい気もするが、サービスとして、これも込み込みと考えよう。


「わかったよ。解説くらいならする」


 ここまでに登場人物は3人しかいないのだ。だとしたら、語り部として語るのは僕の責任になってしまう。仕方が無いが、これも仕事だ。


「一応解熱の作用があるらしい、この薬を飲んでおいて欲しい。市販薬だからどこまで効果があるのかわからないけど、ないよりはマシかと思うんだ」


「恐らく効果はないと思います。それでもいいんですか?」


「その辺りは気にしなくてもいい。病は気からって言われてるでしょ。プラシーボってヤツだよ。それに、科学の力を少しは信じてみるのもいいと思うんだ」


 このような妖怪の専門家を他称される僕が科学を信じろとは冒涜にも近いけれど、案外悪くはない。それに僕は妖怪なんて見えないんだ。妖怪が見えない僕がこの場所で科学を進めているのは他称妖怪専門科として冒涜的かもしれない。しかしながら見えるものを信じたほうが、献身的だと考える。


「ところで、俺は何をすればいいんだ?」


「ゲカイは買ってきた箱の中に灰を入れて欲しい、4箱だけでいい。藁を焼いてその灰をできるだけ沢山、ただし量は均等に頼む。灰には少しだけ塩を混ぜて、塩は食塩でいいから、この家の塩を借用しよう」


 準備もそれほど難しい事ではない。僕としては働き損になってしまうので、できるだけ、ゲカイに準備を頼みたい。


 僕は少し疲れたので、ベランダで煙草で休憩がしたい。これからが大変なのだからこれくらいの息抜きは大事だと考えている。煙草を部屋で吸おうとしたら、朝倉さんが嫌そうな顔をしたので、その辺りの配慮は完璧だ。なにせ、仕事をなのだからきっちりとやり遂げようと思う。


 ######


 朝倉さんが発熱し始めた。体温計で温度を測ると、38.4度だった。これは結構な高熱だ。熱に魘されながら、意識が朦朧としているはずだが、「お願いします」と言われた。


 お願いされましょうとも。


 僕は予め準備をしていた場所にゲカイ頼んで、朝倉さんを寝かした。最後の仕事をしてくれてありがとう。ゲカイの仕事はここで終わりだ。


 部屋の中を少しだけ模様替えのように家具等の場所を移動した。

 

 まずできるだけ家具を置きたくなかったので、机や壁のラックなどは全て廊下に出した。一番苦労したのは大きなベッドである。これは朝倉さんの許可を得てベランダに置いた。これで部屋の中にはモノが存在しない状態だ。朝倉さんがそもそも多くの家具等を部屋に置きたがらない人間なのかはわからないが、家具を移動する事辞退は案外楽な労働だった。


 ここまで来ると殺風景な部屋なのだが、準備としてはこれでいい。部屋の中央に朝倉さんを寝かして、配置は完璧。他の配置といえば、藁灰と塩が入っている木箱が部屋の四隅においてある。そして、枕元に鐘を置く。これだけでで妖怪退治の基礎的な準備は終わった。


「本当にこんなので大丈夫なのか?」


 ゲカイが心配そうに聞いてくるが、これで十分なのだ。何度も言うようだが、妖怪を相手するのに、特別な能力、類まれなる才能なんていらない。そのよう優秀な能力があるのなら、妖怪なんて相手にせずに他の事に注力したほうがいいと思っている。


「大丈夫。後はゲカイに頼む事はないよ」


「だといいんだけど」


「ゲカイに迷惑をかけるかもしれないから、一応扉の外に出ていて欲しい。リビングの外だ。ワンルームの部屋だからこれ以上離れられないのは仕方が無いが、お払い中はできるだけ、密室にしたい。効果が薄れてしまっては、元に戻せるかもわからない」


「了解。何かあれば呼んでくれ。できるだけ寝ずに見張っておくよ」


 それがいいと思う。寝ずにがんばってくれ。そもそも寝る選択肢がある時点で図太い神経をお持ちだ。


 これからは皆さんが知っているような逢魔時まで忍耐勝負だ。この場合は逢魔時が正解だ。黄昏時でもいいのだが、今回はあくまで逢魔だ。ややこしいけれど、微妙な違いを気にするのはいかにも怪異らしい。妖怪や怪異にとっては昼と夜が変わる時間としての特異点なら存在が明確になるでろう。そこに現れた蛇を説き伏せるのが今回の役目だ。


 僕は法華経を唱え始める。このような呪いであるならば特別な祝詞が必要と考えられいるみたいだけれど、祝詞は必要なときに使えばいい。妖怪の成り立ちを考えれば、中国が伝承であり、古典をひけらかすような祝詞は異常な怪異意外には必要だと考えてはいない。日本固有の妖怪もいるが、本流に合わせていれば初歩的な部分は合格だ。今回は畜生道を相手にするのだ、法華経をとなるのがいいと考えている。僕の流派は教えとしては28品までは普通に存在しているし、さらに言えば29品、30品も存在しているモノとして扱っている。此れが現代との法華経との違いであると考えている。


 そろそろだと思う。朝倉さんが熱に魘されて苦しそうにしている。汗が凄い。これから蛇に出会うのだから、気を引き締めなくてはいけない。しかし、力を入れすぎては駄目だ。自然体で、隙を見せないようにできるだけ、呼吸は整えて挑みたい。隙を見せるとこちらが取り込まれてしまう。


 ベランダへと続く窓が大きく軋み始めた。ガタリ、ガタリと一定のリズムで音を立てている。まるで、蛇が獲物を締め上げるようなリズムだ。僕はお経を読むしか出来ない。途中で止めることは、ある意味で妖怪相手には好都合となってしまう。これでどうにかなれば幸いなのであるが、ここまでして、無理であるならいよいよ奥の手を使わなければならない。


「-------」


 声にならないような声が聞こえる。朝倉さんの意識は眠っているので、当然ない。むしろ眠っているのかもわからない。呼吸をしていないのは嘘になるが、当然人間であるならば、寝ている間であろうと、生命の音を完全に消す事などはできるはずがない。それなのに彼女からは人間らしい音と呼ばれるものが一切聞こえないのだ。


 その代わりと言ってはなんだが、声が聞こえるのだ。言葉のようにも聞こえるが、動物の鳴き声のようにも聞こえる。霊感が強い人であるならば、そのままこの世のものとは思えない、おどろおどろしい何かを見ることができるかもしれない。このような場面では僕に怪異を見る能力が備わってない事がありがたいと感じる。見えてしまうと取り乱してしまう可能性がでてくる。


「--------、--------」


 段々と大きくなる異音は、朝倉さんのほうから発せられる。ここまで来たら、後はこの怪異を引っ張りだせばいい。手順は簡単である。しかし、ここが一番難しい。一歩間違えれば、朝倉さんの精神ごと引き抜いてしまう。


 今は朝倉さんの体を憑代として維持されているのだ。それならば本来のあるべき姿に帰ってもらえば一件落着となる。そのために用意したのが、鐘だ。本当ならば梵鐘を使う事が正式な手順だが、そのような大きな鐘を用意する手間と、お金はない。そもそも、妖怪たちにとっては大きさなどは関係ない。本質を突くであれば、小さな鐘で十分だ。怪異には物質の大小は関係ない。考えてみてくれ。神棚だって小さな神社のようなものだろう。極論とはこういうものだ。この点では妖怪たちは酷く合理的な考えを持っていると思っている。


「------。------、--。」


 言葉を発しているようにも感じるが、わからない事には突っ込まないのだ。だから僕はこれを聞かなかった事にする。それにしても、奇怪な音は何度聞いても、嫌なものだと思う。


 僕は懐に忍ばせていた蝋燭に日を灯す。その蝋燭台を中心として、藁で作った簡易的な注連縄で円を作る。円は二重が好ましい。

 

 蝋燭が僕の命としての時間だ。これに藁を用いて、結界を作る。二重である理由としては、外の円が妖怪たちが普段生活している境界、中の円が僕たちの生活している境界を指している。普段触れ合う事がない僕と妖怪たちの境界線を曖昧にして、僕らの言葉を聴いてもらいましょうという寸法だ。ここで注意すべきなのは決して立場は平等ではない。境界線を曖昧にしただけだ。間違えると取り返しがつかない。


 準備はできている、依然として異音は続いてるが続行だ。鐘を憑代として、この怪異を降ろすのであれば何らかのきっかけが必要になってくる。鐘といったら本来は鳴らすものだ。除夜の鐘とまでは言わないが、音が出る代物なのは皆が知っているはずである。


 鐘を鳴らして、異音が止めば成功だ。後は鐘を桐でできた箱に仕舞えば、8割の仕事はできたも同然である。


三車火宅さんしゃかたく


 一説を唱える。


 ######


 私が目覚めたのは先生に起こされたからです。いつものような体の熱さ、気だるさは全くありません。


 なぜか私は部屋の中央で、寝かされていました。近くに桐箱があり、そこの正面に先生が正座で座っています。生臭くてまるで血のような匂いが充満しているこの部屋で何が起こったのか皆目見当が付きません。


「いったい何がおきてるんですか?」


 寝起きで頭の回らない私でも今の空気が異常だとはわかります。一体何がこの部屋で起きたのか。知りたいようで知りたくありません。知ってしまえば、底知れぬモノにおびえてしまうかもと思ったからです。


「朝倉さんに憑いていた妖怪はとりあえずこの箱の中にいる。簡易的な封印のようなものかな。ただし限度がある。ここに蝋燭が立ててあるだろう。これが消えるまでが制限時間だ。火が消えてしまうとまた元通り。酷いと今よりも悲惨な事になるかもしれない」

 

 怖い事を言わないで欲しい。


「ここからは朝倉さん、君が終わらせるんだよ。僕にできるのはここまで。此れが精一杯」


 中年の大泥棒がいいそうな台詞を言っていますが、格好がいいとは思いません。状況を考えてください。


「私は何をすればいいのでしょうか」


 これから起きる事は、理解の及ばない場所で、私の意志とは別で行われる行為になるでしょう。勘が告げています。嫌な勘です。


「ここに入っている妖怪さんに許してもらうか、原因を調べて、妖怪を元の場所に戻すかを考えるんだよ」


「許してもらう?」


「最初に言ったじゃないか。解決策は許してもらう事。元の場所に戻してもいいけれど、それは妖怪と交信ができた場合。つまり会話だ。会話なんてできると思えないから、今回は許してもらうだ」


 いきなり言われてもわからない。方法がわからない。謝って済む問題であるならば、何度でも謝るし、頭だって下げてやる。それでも許してもらうって何勝でしょうか?どうすればいいのかわからないのです。


「簡単な話さ。古今東西、許してもらうためには懺悔をする。懺悔だとちょっと違うな。でも告白をするんだよ。私のここがいけませんでしたって。簡単でしょ」


 簡単だと勝手に決め付けているが。懺悔をする事なんて殆どない。これならば、最初から手順を教えてもらったほうがわかりやすいとまで感じてしまった。


「勘はいいのに、肝心なところが駄目だね」


 駄目出しは必要ないです。


「ならもう少しだけ手伝ってあげよう。今回の怪異のヒントは女の激情だ。心辺りがあると思うんだけれど、これでもわからないかな?」


 わかってはいるが、わかった事を理解したくない自分がいた。結果として、それは間違えではなく成果なのだから性質が悪い。恐らくこの先生は大分性質が悪い。最初から全てを知った上で、私に語りかけてくる。知っているのであれば、それを教えて欲しいのだけれどあくまで自発的に語らせようとしてきます。妖怪ではなく、人間にまで追い詰められるのは嫌な気分です。


 結果として私は罪を認めることにしました。




 


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春夏秋冬、四季折々 敷島 朝日 @midorinoikimono

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