第2話 呪いとデジャヴ

 優花に教えられたタイトルの小説は一件だけ存在した。

 評価やレビューもあるので、優花のほかにもこの小説を読んだ人間がいることがわかる。もしこの小説を読んで死にたくなるのであれば、世界のどこかに優花と同じ状態の人がいて、もう最悪の事態を迎えている可能性もあることになる。


「これ、呪いの小説だったりしないよな」

「飲み物飲んでくる」


 優花は逃げるように立ち上がって部屋から出て行った。

 ……とても読みたくなくなった。しかしそうもいかない。俺はこの小説を読まなければいけない。読んで内容を確認すれば多少は優花の助けになるアイデアがひらめくかもしれないからだ。


 それにこの小説の評価は悪いものではない。つまり死にたくなったからと低評価ばかりされているわけでもないので、読めば必ず呪われるのではないらしい――死にたくなって高評価をする人間はいないだろう。もしこの小説を読んで死にたくならなかった人間が高評価をしているのであれば、俺がこの小説を読んで面白いと感じればまだ救いようがあるのかもしれない。……でもさっきの優花の話を聞いた感じだと興味がわかなかったんだよなあ。


 そして読んだ。

 純文的な短編だった。

 あまり、面白くなかった。


「読んじまった……」


 俺は目を閉じて呼吸を整え、自分の気持ちに集中する。

 ――俺は今、どんな気持ちだ。

 コーヒー飲みたい。

 ――どうしてそう思った。

 部屋にはコーヒーの匂いが漂っていた。優花が好きで執筆中も部屋で飲んでいるのだろう。


 ……そうじゃなくて、どうやら俺には効果がなかったらしい。

 理由はわからないが、考えられることが一つある。俺は作者の気持ちがわからないタイプの人間だ。学力的な意味では読解力がない――皆無だ。何か死にたくなるようなエッセンスを感じ取れなかったのかもしれない。余談だが、俺がこの前の部誌のために短編を書いたときは、夕日に向かって走るヘビのチョロノスケの気持ちなど欠片も考えておらず、手足が生えるシーンを書き忘れて辻褄が合わないのをどうするかしか考えていなかった――ちなみに夕日の力で生えたことにした。


 ふとスマホの時計を見ると、さっき優花が何か飲みに行くと言ってから五分もたっている。まさか最悪の事態が起きているとは思わなかったが、読むものも読んだので優花に結果を伝えにいくついでに様子を確認することにした。

 一階のキッチンへ向かうと、そこでは優花の母さんがキュウリを切っている。冷蔵庫の周辺に優花の姿はない。


「あれ、優花降りてきてませんでしたか」

「さっきそこでハサミの場所きかれたけど、部屋に戻ってないの?」

「はい。ちょっと伝えたいことがあったので探してたんですが」

「ありゃ。階段のほうには行ってたからそのへんの部屋だと思うわ」


 さすがに嫌な予感がした。俺は階段のあるほうへ引き返し、廊下の両脇にある部屋を順に確認していった。しかし優花の姿はない。ついに残す部屋は一つとなり、ドアノブに手を伸ばして少しだけ躊躇する。俺は扉の向こうに最悪の光景が広がっていないことを祈りながら力強くドアを開けた。

 そこで俺の意識は飛んだ。


 *


 電気のついた優花の部屋で俺はうずくまっていた。さっき優花に殴られたのだ。俺がドアを開けた瞬間、まず膝を砕くかかとの一撃が入り、体勢が崩れて下がった頭に右フックが決まって壁に側頭部を打ち付けた。

 頭上で優花の声がする。


「トイレ入って来るとかバカなんじゃないの!」

「それはすいませんでしただけど――」


 つまり俺のこの体勢は痛みを堪えるだけでなく土下座も兼ねている。


「だけど何!」

「だから鍵をかけろよバカ野郎!」

 顔を上げて吠えるように言った。

「野郎は女に使わないんだよバカ野郎!」

「うるせえ! 女ならちゃんと戸締りしやがれ!」

「はいアウトー! 今時『女なら』とかアウト発言ですー!」

「はいはいフィクションですよー」

「わたしの気持ちはノンフィクションだよ!」


 言い合っているうちに痛みが治まってきた。

 ため息をついて座り直し、状況の確認をする。


「で、なんでハサミなんか持って便所行ってたんだ」

「キリトリ付きの提出物があるから。ホントは今日切って持ってこうと思ってたんだけど休むことにしたから」

「紛らわしいことを……。俺はてっきりあの小説のせいで変な気を起こしたんじゃないかとヒヤヒヤしたわ」

「そっか。そういえばカズは読んだんだよね。どうだった」

「別に死にたくはならなかった」

「そうじゃなくて感想は」

「うーん、あんまり面白くなかった」

「えっ、ひど」

「ひどいって、正直な感想だよ。純文的なのは苦手だけど面白いものは面白い。あれならたぶん優花が書いたほうが面白くなるんじゃないか」

「ひどいこと言うなあ……カズは」

「いいだろ。それよりあれのどの辺で死にたくなるんだよ。俺にはわからん」

「……いやあ、それなんだけどね」


 優花の話はこうだった。

 昨日の夜、自分が書き進めていた小説と舞台設定・登場人物と名前・展開が同じ小説を見つけてしまった。それが俺がさっき読んだ小説であると。


「なるほどな。それでか」

「うん。なんかさ、自分が生み出すものなんか所詮誰でも思いつくもので、誰でも書けるものなのかなって思ったら、書く気が失せて、消えちゃいたくなった」

「それで、もうそういう思いをしたくなくて、新しい情報に触れないために閉じこもって携帯の電源も切っていたってところかな」

「子供っぽくて恥ずかしいんだけど、そうだね。よくわかったね」

「いや、俺もあるからさ。そういうの」

「ホントに!?」

「うん。それも頻繁に。ほら、俺って短いやつたくさん書くからさ、百も二百も書いてるとそういうのはよくあるんだ」

「あのクソ小説として定評のあるやつね」

「コイツ……。まあ優花は中編以上が多くて数は少ないから、そういうことはあんまりなかったのかもな」

「カズはなんで平気なの。なんか空しくならない?」

「だって俺のほうが面白く書けるし」

「とんでもない自信家だな」

「なのに部のやつらは全くわかってないんだよなあ。なんで俺の小説の素晴らしさがわかんないんだか」

「そうだよね。あんなに読んでて自信がつく小説もそうないよね」

「どういう意味だよ!」

「んー、ちょっと待ってね」

「……了解」


 唐突な優花のまとめタイムだったが、こういうのは慣れている。

 優花は少しだけ考えるように視線を上へ向けてから俺に戻した。


「嫌いじゃないよ。ホントの話」


 俺は優花が微笑むのを見て、「嫌いじゃない」をいつか別の直接的な表現にしてみせると心に誓った。

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呪いの小説 向日葵椎 @hima_see

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