自分裁判

@ichiryu

プロローグ

 最後の審判―――死後、閻魔大王によって生前の行いを判定され、天国に行くか、地獄に行くかの審判が下される。

 最後の審判という伝承がいつから、何の目的で作られたのかは知らない。悪いことばかりしていたら死んだ後に地獄に行きますよと言い聞かせることによって生前の行いに対して抑止を狙っただけなのかもしれない。

 でもね、僕はこう思うんだ。最後の審判とは自分が自分に下すものだとね。人生の最期の最期、死ぬんだと自覚した時に自分の人生を振り返って何を想うのか?それこそが最後の審判だと。

 多くの人は今を生きていない。○○のために○○するという鎖を必死に紡いでいる。明日のために今日を生き、明後日のために明日を生きる。その果ての果てに”死”がある。”未来”のために”現在”を生きてきたものが、その先がなくなった時に何を想うのか?

 ○○のために○○するという思考形式を繰り返してきた者は物事を純粋に楽しむという発想は存在しないだろう。現在行っている行為が未来にどう繋がっていくのかが最大にして唯一の関心事なのだから。

 そんな人間に訪れる”死”という最期の瞬間に最後の審判が下される。そこでどう想おうが何も変わらない。死という絶体の終わりが待っており、想いを行動に移す機会が与えられることはない。

 だからこそ純粋に自分の人生について評価を下すことができる。

 もし君が次の瞬間に死ぬんだとしたら、自分の人生にどんな評価を下す?

 僕は―――。

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