エピローグ
平日の昼下がり。足をふらっと近所の公園に向ける。小さい子供を優しい眼差しで見守る母親、ボール遊びに夢中な少年たち。たくさんの笑顔で満たされた空間。その中に異質な空間、生気のない顔でベンチに腰かけている少年がいた。人々は彼の存在に気付くことなくそれぞれの時間を楽しんでいた。
少年の方へ歩いていき、隣のベンチに腰を下ろす。少年はちらっとこちらを見ただけですぐに視線を戻した。
「いい天気だね」
「……」
少年からの返事はない。構わずに話し続ける。
「こんな天気のいい日は学校で勉強なんかするの馬鹿らしくなっちゃうよねー」
「……」
「キミのようにさぼっちゃう気持ちよく分かるなー」
「……」
「あー、ホントにいい天気だ」
ちらと少年を見やる。少年はじっと正面を見つめている。
「ぼ、僕は―――」
少年がためらいがちに口を開く。急かすことなく次の言葉を待つ。
「さぼりたくてさぼってるわけじゃない、です」
「そうなんだ」
「さぼるしかないんです」
「なるほど、行けるのに行かないのではない。つまり選択の問題ではなく、そうすることでしか自分を保てないのだと。分かるなー、その気持ち」
少年が驚いた顔でこちらを向く。初めて正面から見た正面の顔には疲れが深く、しっかりと染み付いていた。おそらくあの時の僕のように―――。
「理由は分かってるの?そうせざるえない」
「わ、分からないです。ただ、異様に疲れるようになって」
「ふーん、何かきっかけとはなかったの?」
少年が少し俯く。
「あっ、いや言いにくいことならいいんだよ。無理に言わなくても」
「い、いえ実は急に父さんが家を出ていってしまったんです。それから暫くして異常な疲れと眠気を覚えるようになって、学校に行くのも難しくなってしまって」
「お父さん、厳しくなかった?それこそ一切の娯楽を禁止して、キミのすること一から十まで指示したりとか?」
何で分かるんだ、と再度驚きの表情を見せる。やっぱり僕だけじゃなかったのか。その事実は少しの嬉しさと多くの悲しさを抱かせた。
「キミは僕と同じだね。父が厳しかったのと、その厳しい父がいなくなると異常な眠気と疲労に襲われるようになったのも。キミは僕と一緒だ」
「アナタも、そうだったんですか?」
「うん。僕の場合は死別だったんだけどね。物心ついた時からずっと父の指示に従って生きてきた。まるで自分の意志など持たないかのようにね。高校生になったある日、父は病気で急に僕の前からいなくなってしまった。父という指揮官を失った僕は走ることはおろか立つことさえままならなくなってしまった」
少年が唇をなめる。
「それでアナタはその状態から回復することができたんですか?」
「まあ、なんとかね」苦笑を浮かべる。「たまたま、ホント運がよかった」
道を踏み外し、自ら命を絶つ選択をするまで堕ちていった。本当は極限の苦しみを味わい続けるはずだった。が、幸運にもやり直す機会が与えられた。
「どうしたら……僕はどうしたら、いいですか?」
そして、こうして過去の僕と同じ苦しみのまっただ中にいる少年に言葉をかけることができる。僕がかけて欲しかった言葉を―――。
「キミ、名前は何ていうの?」
「あっ、僕は織田アキトシって言います」
名前まで一緒とはね。前の僕なら『アキトシ』と名付けられた人間は苦しむ運命なんだと嘆くところだったけど、今の僕は二人の『アキトシ』を巡り合わせてくれた偶然に感謝しよう。
「アキトシ君」
名前を呼び、両肩を掴む。正面から真っ直ぐに見つめて言葉をかける。立ち直れますようにという願いと僕のようにならないで欲しいという祈りを込めて。
「恐らく、キミは厳しい父親の影響で普通の人が持っている『ここにいてもいいんだ』という無条件の安心を持つことが出来なかったんだと思う。そのことはキミの人生をとても困難なものにしていると思う。何も知らない人は今のキミを見て『ただ怠けているだけだろ』と言うかもしれない。でも、僕は胸を張って反論することができる。『そんなことはない。この少年は好きで怠けているわけじゃないんだ。努力したくてもできない状態であり、そのような状態になってしまったことにこの少年には何の罪もないんだ』と」
少年の頬を涙が伝う。苦しかっただろう、辛かっただろう、孤独だっただろう。努めて優しい声で言葉を続ける。
「アキトシ君。キミは人の何倍もの力を使って頑張って生きてきた。キミは決して怠け者なんかじゃない。この事実をもとにしてもう一度人生を築き直してほしい」
「ぼ、僕にできますか?」
「もう一度あえて言うよ。織田アキトシは怠け者なんかじゃなく、今まで人の何倍もの力を使って頑張って生きてきたんだ。普通の人に比べて困難な人生になるかもしれない。でもキミならきっとできる。僕はそう信じてる」
そう。きっとできる。だって、自分の状況を正しく認識できたんだから。僕のように無駄な努力をせずに自分の人生を積み上げていくことがきっとできる。
少年が学生服の袖で涙を拭う。
「ハイ!」
真っ直ぐな意志のこもった声が公園に響き渡った。
自分裁判 @ichiryu
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