フローレンスは、一度だけ時間を巻き戻す

じごくのおさかな

一度だけ時間を巻き戻す力



「そういう訳だ。すまない、フローレンス」


 王子主催の定例パーティーの場で、ディミタール第三王子は私にそう告げた。



「……いえ、仕方の無い事です」


 精一杯の笑顔で頭を上げ、ディミタール様のお顔を拝見した。だがディミタール様は既に身を翻しており、別のテーブルへと移動していた。


 周囲の静かな笑い声が耳に届く。

 今宵の笑い話となる事だろう。



 私はフローレンス・エトル。

 辺境を守護する父、エトル男爵の長女。



 人目を引く容姿でも無く、武芸が優れているわけでも無い。頭脳も人並み程度でしかなく、貴族を名乗っていても所詮は男爵の娘の一人。自分で言うのもおかしいが、これといって特徴の無い女だと思う。


 だが――力を測る選定士に言われた一言で、私の人生は大きく変化した。



 『一度だけ時間を巻き戻せる力』。



 この力は秘匿されている王家の力にも匹敵する、と。


 類稀な能力だとお父様は喜んだ。そして、あろうことかその能力を社交パーティーで触れ回り、私のお相手となる人物を探し始めた。爵位を上げる絶好の機会だと捉えたのだ。


 噂が噂を呼び、なんと私の力は王家の耳にまで届いた。更に驚いたことに、第三王子であるディミタール様は私を認めてくれたのだ。



 それから4年が経ち、今の私がある。


「あまりにも無様ね」


「男爵様に聞こえるわよ、放っておきましょう。ふふ……」


「運に恵まれただけの田舎者よ、相応しい最後だわ。ディミタール様がお可哀想。ほら、突っ立ってないで早く会場から出て行きなさい」


「ふふ、そうね。あなた邪魔よ」



 彼女は侯爵の……誰だったか。

 頭が真っ白で考え付かない。


「失礼……しました」


 そうして、私は静かに会場から立ち去った。



◇ ◆ ◆ ◆



 『一度だけ時間を巻き戻せる力』を持つ女が婚約を破棄された。


 王家に見放されてからそんな噂が流れはじめ、上級貴族達はその力を自分の物にしようと、しきりにお父様に迫ってきた。


 爵位は男爵。相手方の爵位が上であるならば、縁談を断る事など出来ない。ディミタール様との破談に落ち込んでいたお父様はたいそう喜び、積極的に上位貴族に私を売り込んだ。伯爵の御子息様からも妾のお声掛けを頂いていたらしい。



 でも、私には予想がついていた。

 この力には大きな欠点が存在する。



「お父様。この力は必ず不幸を招きます」


 私を娶った貴族様に何かしらの不幸が訪れた時、必ずこの力を使えと言われるだろう。そして不幸を未然に防ごうとする。それによって誰かの命を救ったり、家の危機を救ったりする事が出来るかもしれない。



 問題は、この力を使ったかどうかが私にしか分からないという事だ。



 一度使った後にもう一度別の不幸が訪れた時、私はその力を使えない。そうなった時、貴族様はきっとこう言うだろう。


『何のために、お前を娶ったのだ』


 その矛先は恐らくエトル家にも向けられる。このちっぽけな男爵家は簡単にひねり潰されるはずだ。お父様に何度そう説明をしても、理解を示してはくれなかった。



「何を言うか! 我が男爵家に断る事など許されん!」


「では、こういう断り方は如何でしょう?」



 『フローレンスは、殿下の暗殺を防ぐため、既に力を使ってしまいました』



 何の能力もない男爵令嬢に魅力は無い。


「そんな真似が出来るか! そもそも能力がないまま過ごしていたなど、殿下をも裏切る事になるのだぞ!!」


「いいえ、殿下にはもうお伝えしました」


「な、何……!?」


「お伝えしました。『私は殿下のお命を一度救いました。ですから、もう能力は使えません』と。それが理由で、此度の婚約が破棄されたのです」



「お前、本当に力を……馬鹿者が!!」


 その罵声と共に、私の体はドアに叩きつけられた。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。だが徐々に右頬が痛みと共に熱くなるのを感じた。私は人生で初めて、お父様に殴られた。


「出て行け、能無し!!」



 この力のせいで、兄弟の中でも愛されていたと思う。


 だが逆に、兄弟達からは疎まれていた。能力が分かるまで愛してくれていた兄達は私を蔑み始め、いつしか口も利いてくれなくなった。私の求めていた平穏な家庭など、生まれた時から存在しなかったのだ。


 いつの間にか、一人ぼっちになっていた。


「大変、お世話になりました」


 普通の人生が送りたかった。

 きっと、前世で悪い事をしたんだと思う。

 その業を、この手で返してやりたい。



 私はまだ、旅の途中だ。



◆ ◇ ◆ ◆



 人は60歳まで生きるという。


 単純計算で、私はあと38年。

 そう考えると長く感じる。


 『一度だけ時間を巻き戻せる力』。


 この能力に翻弄され、家を追い出されてから2年の月日が経っていた。


 何の技能も無く野に放り出された私は、なけなしの資金で仮宿を押さえ、王都の飲食店で働きだした。


 最初は手際が悪かった配膳も、今や従業員の誰よりも慣れていた。声を掛けてくる男性のいなし方も一流になった自信がある。


「よく働いてくれて助かるよ」


 そんな店長の軽い一言が、私は泣くほどに嬉しかった。能力以外で私を見てくれたのがこんなに感動するものだとは、思いも寄らなかった。



 でも、そんな幸福を潰したのも、やはりこの能力だった。


『あの店には、あろうことかディミタール様を裏切った女が働いている。何でも、一度だけ時間を巻き戻せるそうだ』


 どこで足が付いたのかは分からない。

 そんな噂が流れ出してから、店には奇妙な客が訪れるようになった。


 聖職者を名乗る男、粗暴な格好の美丈夫、他国の傭兵や、大商人の息子。どれも普通の配膳娘では手の届かない存在だ。


 当然ながら彼等が見ていたのは私ではなく、私の能力だった。その魅力に取りつかれて言い寄ってくる人々に、私は決まってこう告げた。


「私は既に、何の力もございません」


 それで噂が静まると思った。

 だが、甘かった。


『あの女は嘘を吐いている。私は選定士で、あの女に力があることを見抜いた』


 くだらない噂だ。だが、なぜか本人の口から出る言葉よりも、どこからか流れてきた都合の良い噂の方が人々に信用された。



 そうして飲食店は、何かをやり直したい人々でいっぱいになった。店は繁盛しているように見えて、不気味に私を見ながら話す客ばかり。以前の穏やかなお店ではなくなった。



 これ以上このお店に迷惑を掛けるわけにはいかない。


「大変、お世話になりました」


 私の人生は、あと38年もある。

 だけど、この呪われた力と共に生きて行くには、少し長すぎる。



 私は、この人生の目的地へと向かう事にした。



◆ ◆ ◇ ◆



 フローレンス・エトル。


 その名を名乗る場面はもう無く、この孤児院では私はただのお手伝い係フロー姉ちゃんだ。


 孤児院長はシスターと兼任で忙しい。給与もごく僅かで自分の時間も無く、子供たちに食べさせる事だけを考えて生きていた。


 ここで働くようになって3年と少し。

 孤児院がこんなに大変だと思わなかった。


 引き取り手は滅多に訪れず、来たとしても怪しい商人や貴族様ばかり。ここで普通に成長しても、子供達は12歳で孤児院を追い出されて独り立ちしなければならない。この子達は私よりもよっぽど過酷な人生を歩んでいる。



 『一度だけ時間を巻き戻せる力』。

 そんな事を考える余裕など、今は無い。



 だが、私はここでじっと待っていた。

 私の運命を変えた人物が、子供達を買いに来るその時を。



 ――そして、ついにその日がやって来た。




「お掛け下さい、フェインズ様」


 フェインズ様の爵位は男爵だが、特別な力を持っている。

 彼は私の能力を測った、選定士だ。


「お久しぶりですな、フローレンス嬢。まさかこのような場所でお勤めしていたとは」


「私は好きで働いています」


「そう邪険になさるな。私は何も、子供達を雑に扱う為に来たわけでは無い。独り身も長くてね、後継者が必要だと執拗に言われるのに疲れてきたのです」


 そう言って、フェインズ様は特別養子縁組の要望書を取り出した。シスターはそれを一読し、私に手渡した。記載されている要綱はごく一般的で問題は無い。



 だが、私は知っている。


「承知いたしました。では――」


「お待ちくださいシスター」


 フェインズ様は制止した私を見た。


「何かね、フローレンス嬢」


「目的が分かりません」


「おや。そろそろ後継者が必要だと申し上げたはずだが」


「では、こちらの書類にもサインをお願いいたします」



 私が取り出したのは、事前に用意していた契約書に記された特約事項の別添。貴重な羊皮紙を1枚使用した物だ。


 特約事項に記された要綱はたった2つ。

 


 ①ディミタール第三王子が巡回される際、雇い主は決して行動を起こさない事。

 ②子供に殺人を犯させない事。



「ふざけるな! 何を馬鹿げた事を!」


「あるわけないですよね。ですから、サインして頂けるかと」


「儂を侮辱しておる!!」


 フェインズ様はそう投げ捨てて、どんどんと足音を鳴らして部屋を出て行った。



 ……やってしまったかもしれない。

 シスターの顔を見る事が出来ない。


 シスターは黙って部屋を出て行った。



 天井を仰ぎ見て、溜息を吐いた。


「何が正解だったのかしら」



 ディミタール様の派閥はメキメキと力を付け、今や第一王子をも上回っていた。


 それに憤りを感じた第一王子と第二王子は結託し、ディミタール様を派閥ごと潰そうと働きかける。


 国民からも人気の高いディミタール様は、月に一度はこの城下町へと足を運ぶ。巡回中は国民との触れ合いを大切にしたいという王子たっての願いで、護衛は最小人数に抑えられていた。


 そこに狙いを付けた第一王子達は、とある計画を企てた。


「子供が毒を塗ったナイフでざくり、か」



 私はこれらの計画についての事、フェインズが孤児を買おうとした事、シスターが同席していた事を手紙にしたためた。


 宛先はディミタール第三王子。

 届くかどうかも分からない。


 計画の遂行は来月の巡回の時だ。今回の件で怪しまれた私は、それまでに消される可能性がある。


 ――でも、子供達だけは守りたい。


 その願いも、手紙に書き加えた。



 『一度だけ時間を巻き戻せる力』。



 私は、既に能力を使っていた。



 一度目の人生でディミタール様を殺されてしまった私は、二度目の人生でやり直そうとしていた。


 一度目でディミタール様が殺されたのは25歳の時。黒幕の特定を終えたのは35歳。フェインズ様が亡くなられてからだ。そこから5年間を無駄に過ごし、40歳の時に15歳まで人生を巻き戻した。



 そして今は25歳。

 精神年齢では50歳。心はあと10年で寿命を迎える。



 だが、死ぬ気は無かった。


「私が死んだら、子供達が大変だ」


 今や、彼らが私の生き甲斐となっている。


 シスターに土下座して、何とかここに居させてもらうしかない。おかしなことに、フェインズ様にお会いした時よりもシスターに会う方が緊張する。


「ふふっ」


「……何がおかしいのでしょう?」


「し、シスター!!」


 その声に対し、反射的に土下座した。


 私の精神年齢は多分10代だと思う。こうしてシスターに怒られる事が、何故か幸せだったのだから。



◆ ◆ ◆ ◇



 あれからディミタール様宛に、何通もの手紙を出した。



 手紙は届いていないのかもしれない。返事が無いという焦燥感から、手紙を書く手を止める事が出来なかった。


 計画についての内容はもちろんの事、一度目の人生でディミタール様が亡くなられてから起きた未来の出来事や、最近の城下町の出来事について。他にも子供達の日常や、他愛も無い私の身の周りについて。


 一方的に送り続けた手紙は30通を超えた。

 我ながら、いい迷惑だと思う。


 だけど、彼だけは死んでほしくない。

 どうか無事でいて欲しい。



 いよいよ手紙の資金も無くなってきた頃、巡回の日がやって来た。


「フロー姉ちゃん、凄い汗だよ?」


「運動不足なのよ、ほら戻って戻って!」


 私は孤児院を閉め切り、万全の体制を取った。もし未来が変わらないのであれば、孤児院の子供達がディミタール様を殺しに行くかもしれない。そんな馬鹿げた妄想すらも無碍に出来なかった。私は頭が良くないのだ。



 そんな時、呼び鈴が鳴った。


 思わず体が強張る。



「お届け物です」


 郵便のようだ。

 受け窓を開き、手紙を受け取る。


 差出人は……ディミタール様!


 慌てて蝋を解き、文面に目を通す。



『これは、本日の出来事だ』


 冒頭には、走るような字でそう書かれていた。


『第一王子、第二王子派を暗殺未遂で捕らえる事が出来た。君からの手紙を頼りに、フェインズの足取りを辿っていたのだ』


 私の手紙は届いていたようだ。それにしても、第一王子と第二王子を暗殺未遂で捕らえるか……。やることが大胆なのも、昔から変わっていない。



 それよりも、彼が今も無事という事。

 その事実が、何よりも嬉しかった。



 自然と顔が綻んでしまう。


『よって王位継承権の一位は私となった。その報告も兼ねて、此度は巡回に回る。私の派閥の力を誇示するためだ。なお、護衛は山ほど連れて行くから安心して待っていてくれ』


 綻んだ顔が急に元に戻る。未来が変わらないかもしれない、という不安がまた襲ってきた。自暴自棄になった第一王子達が、剣を握らないとも限らないのだ。


『また会おう、フローレンス』


 そんな言葉で締めくくられた手紙を、スっと折り畳んだ。



 ……落ち着かない。


 子供達の顔を見て、紅茶でも淹れようかと思った、その時だった。



「――すまない、誰かいないか?」



 聞き覚えのある、優しい声。

 私は、返事をするのを躊躇った。



「ディミタール様」


「その声……フローレンスか」


 私は扉を開く前に、後ろを振り返った。

 子供達は全員、遊戯室にいる。



 鍵は……開いていた。



「ディミタール様、こんな場所に何か御用でしょうか?」


「突然の訪問すまない。お礼と、フローレンス。君に渡したいものがあってな」


 ディミタール様がそう言うと、郵便受けに何かが投函された。

 豪華な装飾が施された箱だ。


 箱を手に取った時、ディミタール様が再び話し出した。


「顔が見たい。開けてくれないか」


「申し訳ありません、子供達が何かを……するかもしれないので」


「ふ、しないさ。私の能力で分かる。大丈夫だから開けてくれ、フローレンス」


 甘い声色で名前を呼ばれて、思わず心臓が跳ねた。


 私はフロー姉ちゃん。

 精神年齢は50歳。


 だが、現れたディミタール様を見てそんな思い込みはどこかへと吹き飛んだ。



 逆光のせいか懐かしさのせいか、その姿を見ただけで涙が出そうになる。跪くのも忘れて、その穏やかな表情に見惚れていた。


「こ、このような場所にお越しいただけるだなんて、大変恐縮です」


 ドレスを着ているかのように膝を突く。

 昔の作法は体が覚えていた。


「その箱を開けてくれ」


「はい? は、はい!」


 すっかり雑に扱いつつあった高級そうな箱を開く。


 中には、金の装飾が施された指輪。

 王族の紋章が彫られている。


「これは――」



「フローレンス。私と結婚してくれ」


 ディミタール様が片膝を地面に突き、私の手を取った。孤児院手伝いの、みすぼらしい姿の私の手を。



「私の能力は『真実を見抜く力』。君がずっと私の身を案じてくれたことも、あのパーティーでの本当の願いも、実は見抜いていた」


 ディミタール様は真っ直ぐ私を見ていた。


「今回の巡回にて、君を妻に迎えるという事も触れ回った。君の手紙に込められた君の願いも、私の君に対する想いも、全て国民に伝えてきた。逃げ道は無い」


 何と言う大胆な事を。

 私が振る可能性は、まったく考えなかったのだろうか。


「私には君しかいない。君の事がずっと好きで、他の女性はまるで目に入らない。君の身分など、私がどうにでもする」


 顔が熱い。恥ずかしいと嬉しい気持ちで、物陰に隠れてしまいたい気分だ。私は今、真っ赤に染まっているだろう。



「君の口から、返事を聞かせてくれ」


「……ディミタール様」



 『一度だけ時間を巻き戻せる力』。


 私の人生の誇りはこの能力。死ぬ運命だった大好きな人を、生きる運命に変えてやった。


 そして、二度目の人生でも同じだった。

 私には、この方しかいない。



「――心から、愛しております」



 ディミタール様は立ち上がり、ぎゅっと私を抱きしめた。


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