飛鳥祐実の旅
鷹山トシキ
第1話
2021年の日本フィギュアスケート選手権。
2月7日、祐実は幼少時、言葉の暴力を振るってきた母親、
『アンタには才能なんてないのよ』
飛鳥祐実は、自宅で彩をナイフで殺した。血塗れになって彩は死んだ。彩は60歳だ。
60年前にタイムスリップした。1962年2月7日にやって来た。60年前はコロナで、マスクをつけるのが当たり前の時代だった。この時代の人たちはほとんどマスクをしていなかった。どーせだったらバブル時代に行きたかった。
東京オリンピックまであと2年らしい。
中国のせいで頓挫してしまった。
イートインスペースが使えなくなったり、面倒くさかった。
2月7日
西ドイツ・ルイゼンタール炭鉱でメタンガスによる爆発事故発生、299人死亡。
2月8日
米軍事援助軍司令部発足。
2月10日
ベルリンで、U-2撃墜事件でソ連に拘留されていたアメリカの軍人フランシス・ゲーリー・パワーズと、アメリカで収監されていたソ連のスパイルドルフ・アベルが交換によりそれぞれ釈放される。
2月20日
アメリカ合衆国がマーキュリー計画の一環で打ち上げた宇宙船フレンドシップ7に乗船したジョン・グレンが、同国初の宇宙船による地球周回を記録。
2月23日
西ヨーロッパ12か国共同で欧州宇宙機関創設。
東洋工業、「キャロル360」を発売。
あ〜クソ寒い。この時代、スマホは使えないし不便だ。テレカさえない。テレホンカードなんて祐実は使ったことがない。10円を入れないと使えないが、2022年から持ってきた10円玉は使えなかった。無一文になってしまった。母親を殺した自分を呪った。
10日の夜、新宿中央公園のゴミ箱を漁ったら新聞紙に包まった札束を見つけた。それまでは雑草食べたりしていた。謎の金でアパートを借りたが、金はあっという間に生活費に消えた。
3月31日 - 16時30分 - 17時40分、東京・台東区入谷町に住む建築業者の長男・
4月1日 - 警察の聞き込みの結果、公園で被害者が『20代の女性』と会話していた目撃情報を得たことから、警視庁捜査一課は誘拐の可能性ありとして捜査本部を設置。
4月2日 - 17時48分、身代金50万円を要求する電話が入る。警察は3年前に発生した和樹《かずき》ちゃん誘拐殺人事件の悲劇を繰り返さないため、報道機関に対し報道の自粛を要請し、「報道協定」が結ばれる。
4月3日 - 19時15分、犯人から「子供は返す、現金を用意しておくように」との電話が入る。
4月4日 - 22時18分、また身代金を要求する電話が入り、家族が被害者の安否を確認させるよう求め電話を4分以上に引き延ばした結果、犯人からの通話の録音に成功。後に公開された音声は、この通話のものである。 この後、4月7日まで犯人から合計9回の電話があった。
4月6日 - 1時40分、犯人より「子供は寝ている、これから金を持ってくる所を指定する」との電話が入る。
5時30分、犯人から「上野駅前の住友銀行脇の電話ボックスに現金を持って来い、警察へは連絡するな」との電話が入る。母親がすぐに指定された電話ボックスへ向かったが、犯人は現れなかった。そして母親は電話ボックスに「現金は持って帰ります、また連絡ください」とのメモを残して自宅へ戻った。この電話ボックスにはその後も犯人は現れなかった。
23時12分、 犯人から「今朝の上野駅の電話ボックスは(警察官がいるので)危なくて近寄れなかった、今度は証拠として子供の靴を置くからそこへ現金を置け、場所はまた後で連絡する」との電話が入る。
4月7日- 1時25分、犯人から「今すぐ(母親が)一人で金を持って来い」との身代金の受け渡し方法を指示する電話が入る。この電話で犯人の指定した現金受け渡し場所は被害者宅からわずか300mしか離れていない自動車販売店にある軽三輪自動車だった。自宅をすぐに出た母親は犯人に指定された場所に行くと、そこには被害者の靴が置いてあったので身代金の入った封筒(50万円・犯人を刺激しないため封筒の中身に本物の紙幣が用意された)をその場所に置いた。警察がその車を見張りだすまでのわずかな時間差を突いて、犯人は被害者の靴と引き換えに身代金を奪取し逃亡してしまった。張り込み捜査員の1人は母親が50万円を置いた側にまわる途中、現場から歩いてくる背広姿の男に会ったが、気が急いていたため職務質問もしなかった。
以降、犯人からの連絡は途絶え、被害者も帰ってこなかった。
4月13日 -
4月19日 - 警察は公開捜査に切り替える。また、犯人からの電話を公開し、情報提供を求めたところ、1万件に及ぶ情報が寄せられる。寄せられた情報には犯人に直接つながる有力情報もあったが、直後の逮捕にはつながらなかった。
4月25日 - 下谷北署捜査本部は、脅迫電話の録音を異例の「犯人の声」手配としてラジオ、テレビを通じて全国に放送、協力を求め、正午までに220件を越す情報が寄せられる。
この日、祐実は公則がギャアギャア騒ぐから奥多摩にある廃ビルの中でロープで絞め殺し、1958年にやって来た。
祐実は記憶喪失者を装い、街角であった老人に最近の出来事を教えてもらった。
4月5日 - 巨人・長嶋茂雄選手、4打席4三振デビュー。
4月17日 - ブリュッセル万国博覧会開幕。(ー10月19日)
4月19日 - 日本コカ・コーラ、炭酸飲料「ファンタ」を日本で発売。2008年には発売50周年を迎えた。
祐実がやって来たその日は、衆議院解散(話し合い解散)が行われた。
第28回通常国会は1957年12月20日に召集された。政界では1955年2月の総選挙以来、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介と首相が就任したが、長らく総選挙が無かったことから、社会党が強く解散を要求し、自民党内にも解散を目指す動きがあった。自民党内では主流派の岸・佐藤派は岸体制の早期確立を目指して1月の解散を考え、池田派・三木派らもこれに同調していたが、大野・河野派は1月解散に強く反対し、解散は予算案を成立させてから、野党も納得する時期に行うべきとして秋の解散を主張した。岸首相も大野・河野派の主張に折れる形で1月解散を断念した。2月3日に社会党は早期解散を目指して衆議院解散要求決議案を提出して、採決の結果否決された。それでも衆議院解散モードが進行する中で、3月31日に1958年度予算案は可決・成立した。4月に入り、世間の関心は解散総選挙に集中した。
1958年4月18日に益谷秀次衆議院議長の立会の下で衆議院議長応接室で岸首相と鈴木茂三郎日本社会党委員長による党首会談で法案審議促進に野党が協力し、野党が内閣不信任決議案を上程した時点で衆議院を解散することで合意する。朝日新聞は1958年4月19日の記事で「解散の大体の日取りや、その運び方が与野党の話し合いによって、あらかじめ決められたことは前例がなく、18日の話し合い通りに解散が行われれば、国会史上に新例をつくることになろう」と論評した。
4月25日に衆議院に内閣不信任決議が上程される。社会党議員の河上丈太郎が内閣不信任の趣旨説明を行い、自民党議員の三木武夫の反対討論が終わった直後に採決を経ずに衆議院解散となった。
1955年の社会党再統一と保守合同による55年体制後の初の総選挙となった。
ポットン便所にはビックリした。ウンコやオシッコを水で流さないなんてどーかしてる!昭和時代になんて来るんじゃなかった。
東京タワーが建設中だ。🏗
この年の10月9日、審査会において愛称が「東京タワー」に決定した為に、国民はどんな名前になるのか楽しみにしていた。
祐実は老人の家に居候させてもらっていた。老人は
祐実は迂闊だった。「東京タワーって、スカイツリーに抜かれるんですよ」と言ってしまった。
茶の間で夕飯を食べていた。きんぴらごぼうがヤケにしょっぱい。
「スカイツリーって何だい?」
「そっか、知りませんよね?」
「仕事探しなよ」
タイムスリップして来たなんて言ったら、笑われる。下手したら精神病院に連れて行かれる。
「それにしても太平洋戦争は大変だった」
祐実は、この時代の25歳の人が1933年に生まれてることに気づいた。
「記憶がないんで」
「社会人がそれじゃ通用せんぞ?」
飛鳥祐実の旅 鷹山トシキ @1982
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