龍焔の機械神20短編 移動する迷宮
ヤマギシミキヤ
移動する迷宮
「――今日も、いい天気ですね」
一階奥にある大窓から外を見る。
白い雲の海と紺碧色の空との美しい二重奏。ずーっとここに座っていつまでも見ていたい光景。
それがのんびり左から右に流れて行っている。それはわたしが今いるこの場所がゆっくり動いているからです。移動している物体の側面に空けられた窓から外を見ています。地上6500フィートくらいの中空を人の歩行速度の二倍程度の低速で移動中。
次の目的地までまだ時間もあるので急ぐ必要も無いのです。このぐらいの高さだと下層雲の中を進むことになるので、雲の海を進んでいく時もあってお気に入りの高さです。ちょっと寒いですけどね。
「……ん? 何か、いる?」
そんな風にしていつものように遠くを見ていると空の向こうに、キラリと光る物体を発見しました。空中に何かが浮かんでいると言うのはあまりない光景なので結構目立ちます。
はじめはそれこそゴマ粒くらいに小さかったのですが、今では小石くらいの大きさ。どうやらこちらを目指して飛んでいるようです。
「……あれは、飛行艇?」
少しずつ大きくなってくる姿を見て、なんとなくその正体が分かりました。
平たい作りの胴体の上に何本もの支柱に支えられて翼が載っています。その中翼構造の作り、着水時に翼や内燃機関に水をかぶらないようにする飛行艇の特徴的な構造です。
しかしこちらに向かって一直線に飛んでくるということは、この「黒き
わたしはもっとよく確認しようと、部屋の奥に行くと引き出しの中から伸び縮み式の望遠鏡を出してきて、伸ばして目に当てました。
「んー? あれは……かなり古い規格の機体、ですね」
浮体型の艇体の上に中空大型翼。三基の内燃。斜め上から見ると、分厚い胸鰭で空を泳ぐ飛び魚のように優美な機体です。
それにしてもずいぶんと古めかしいもので来ましたね。
でも飛行機械って遥かな昔から大事に格納されていたものだったりするので、新しいとか古いとかあまり関係ないのかもしれません、使う人にとっては。その場にある物を使うしか選択肢が無いのですし。それでもああいった冒険者が使うことを考えて内燃機関を蒸気機関に載せ変えたり、半自動航法にしたりとか、そういう更新はされてるとは思うのですけども。
「でも……あれで着艦できますかね、ちゃんと」
飛行艇なのでこの黒き龍焔に用意されている甲板には普通には留まれないのです。みんなカタリナ艇みたいに陸の上も走れるよう着陸脚も付ければいいのに――とは思いますけど、みんながみんなそうはいかないは仕方ないですよね。
お腹の浮体は潰れちゃうのは覚悟の上でしょうけど、それで機体が壊れて飛べなくなったら、どうやって帰るつもりなのでしょう?
もしかしてこの場所に新たな移動機械が隠されているとか、そんなことを予想して来たんですかね? 空を飛ぶ機械を手に入れられただけでも幸運なのだから。
「それとも、飛んでくるだけで精一杯で、他の事なんて何も考えられないとか?」
――◇ ◇ ◇――
「見ろ! あったぞ! 本当にあったぞ!」
リーダーである戦士の男が、窓の外を指差す。
「あれが空をさまよう移動迷宮……」
盗賊の男が探し求めていた物を前にして瞳をギラリと輝かせた。
雲海に島が浮かんでいる。
全長は1300フィートを超える。幅は170フィート前後。海原にある島にしたら小さめだが、空に浮かぶ島と考えたら結構な大きさだ。しかもその全てが岩盤では無く鋼鉄製だという。今では製法すら不明な
「どうします? あすこへ着陸するとなると、この飛行機械じゃ腹が潰れるのは避けらませんが?」
長棍を携えた僧侶が、視認できる距離まで来た鋼鉄の浮遊島を前にして今後の行動を促す。
彼らが乗っている飛行艇式の飛行機械は、基本的に水上以外への着水は考えられていない。中には水陸両用の機械もあるが、残念ながらこの冒険者集団が手に入れた飛行機械はそこまで高級ではない。
「なーに、着陸しちゃえばあとはどうにかなるでしょ? それにあれだけ大きければコイツの代わりになる飛行機械のひとつくらいあるんじゃない?」
鎧に身を包んだ女戦士が大雑把に予想する。彼女は面倒なことが嫌いらしく、自分ひとりだけでもここから飛び出して今すぐ向こうへ飛び移りたい様子。
「確かに言うとおりだ。着陸できなければ何も始まらんからな。良し、全員何かにつかまれ! 降りるぞ!」
リーダーが決するように、飛行機械を鋼鉄の島へと向けた。
「……」
キャビンの奥に静かに座っている魔術師の少女が成り行きに身を任せるように静観している。
「……ふう、なんとか降りられたな」
キャビン横のハッチが開いて、鎧に身を包んだ男が顔を出した。
冒険者たちの飛行機械はゆっくりと進んでいる鋼鉄の浮遊島の後ろから速度を合わせるようにして、その平たい地面の上に着陸しようとした。この飛行機械は低速でも航行できるようになっていたが、あと65フィートほど滑ったら落下と言う危ういところでなんとか着陸できた。
「随分と、潰れてしまいましたね」
次に出来てきた僧侶がまずは機体の確認と、胴体部の損傷を見た。着陸時の衝撃は凄まじかったらしく大きく凹んでいる。ひび割れもできてそこから穴も空いていた。その割には浮遊島の地面の方にはほとんど傷が付いていない。
「もう水の上に降りるのは無理でしょうね」
このままの状態で通常通り着水を行っても、破口部から浸水してしまって水没してしまうだろう。
「エンジンはまだ動くみたいだから、この場所からずり出せればなんとか飛べはする。飛び出せれば後はどうとでもなるだろう」
リーダーが他のメンバーを落ち着かせるように言う。幸いなことにエンジンは無傷なので飛行そのものは可能だ。
「で、次はどうするのよ?」
腰に剣、左手に盾を携えた女戦士が訊く。
「……しかし、こうもなんにも無いとはな」
浮遊島最上部の鉄製の地面には、先端で停止している自分たちが乗ってきた飛行機械以外にはほとんど何もない。あるとすれば島が進んでいる方向からして右側の地面ギリギリに立っている横長の塔くらいのものだ。
「まずはあの横に長い塔に行ってみよう」
「なぁ、あれって……宿屋、……に、酒場?」
横長の塔沿いに歩いてきた冒険者たちは、その塔の隣に何か二階建ての建物が立っているのを発見した。横長の塔はこの平地と同じように鉄製であるのに、その建物は地上と同じような材質でできている様子。その一階部分に「INN」と書かれた看板と「PUB」と書かれた看板が付いている。
「……あ、人がいる」
その謎の建物の前に人間が一人いるのを女戦士が見つけた。
「あれは本物の人間なのか?」
続いて発見したリーダーが不審げに言う。
店らしき建築物があるのだから、そこを切り盛りしている筈の人間がいても不思議ではない。
しかしここは人が立ち寄る方法すら殆ど無いはずの空飛ぶ最果ての島。そこに人間らしき者がいたとしても、それが本当に自分たちと同じ存在なのかと疑ってしまうのは仕方ないだろう。
「私ちょっと行ってみる」
しかしいちいち面倒くさい確認が煩わしくなった女戦士が確認役を買って出た。
「おい、気をつけろよ!」
「大丈夫大丈夫。まぁ、もし敵だったら援護よろしくね」
「ああ、分かってる」
とりあえず剣は抜かずに近づいてみる。もし有効的な相手だったら、いくら身を守るのが最優先とは言え、抜刀したまま近づいては暴漢と同じだ。それに後ろには頼りになる仲間が控えている。
女性が前にいるのは、横長の塔の隣に建っている二階建ての建物。塔も島全体も殆どが鋼鉄製だというのにこの建物だけが何故か木造。異文明の中に身近な存在が少しばかりホッとする雰囲気だが、異文明なら全てが異文明のままの方が安心する場合だってある。これは罠、だろうか?
しかし女戦士は臆することなく近づいていく。
その木造二階建ての前で何かの作業をしている人物――掃き掃除をしているらしい――は近づいてみると女性だということが判った。
結構長身な女性だ。5フィートはあるのではないだろうか。ロングの黒髪を揺らしながらせっせと箒を動かしている。
「あの……いいかな?」
相手の距離があと15フィートと言う地点で女戦士は声をかけた。
「あなたはここに住んでいる人?」
呼ばれた女性は「はい?」といった表情で顔を上げ、箒を動かす手を止めた。
「そうですね、住んでいると言われれば住んでいますね」
女性は突然の来訪者が現れても特に驚いた様子もない対応。
「――なんか普通だね」
「どんな辺鄙で忘れ去られた場所でも、必ず一人ぐらいは誰かがいて情報を教えてくれる――って、わたしの友達の一人が言ってましたので、そういうことなんじゃないですかね。でも、勇者の言うことを聞かないでいきなり殺されちゃう村人その1じゃないですよ、一応」
この場所では闖入者と呼んでも良いくらいの自分たちが現れても物腰穏やかな自分のペースを崩さないその態度に、女戦士もなんだか毒気を抜かれてしまった。
「自分以外の人間が現れても驚かないんだ?」
「ここは一応、普通の酒場と宿屋ってことになっているので、どんな人が来てもまずは普通の対応をしようと思っているんですよ」
女戦士の問いに、女性は柔らかい微笑と共に答えた。
「でもやっぱり盛大にびっくりした方が良かったですか?『こんな場所に人が来るなんて!』みたいな感じで」
それを聞いて女戦士はついにこらえきれなくなり、口を大きく開いて笑った。
「あんた――悪人じゃないね、すぐわかる」
そう言いながら少し出てしまった涙を指で拭う。笑い涙とは言え、泣いたのなんて何時ぐらいぶりだろう。
「それだとわたしは人間ではなくなってしまいますね」
「と、言うと?」
「この世界には悪の心を持たない人間なんていませんよ」
それを聞いて女戦士は再び「あはは」と笑う。
「良かった、やっぱり普通の人だ。あんたなら安心できる」
女戦士は得心したように笑うと「おーい! みんなおいでよー!」と、擱座した飛行機械の脇から様子を伺っていた残りの仲間を呼んだ。
「いきなりゾロゾロ現れて申し訳ないな」
武装した人間が一気に4人も増えたことをリーダーが謝罪する。
「いーえ、冒険者のみなさんはそれが普段の格好でしょうから大丈夫ですよ、気にしないでください」
「この建物、やっぱり酒場と宿屋なんだって」
一足先に女性からそのことを聞いていた女戦士がリーダーへ伝えた。
「やっぱり酒場なのか!?」
「ええ、地下迷宮への冒険にはその手前に賛同者を募る酒場が必要でしょうから」
「こんな誰も来ないような辺境で、他の冒険者が募れるのか!?」
「できますよ?」
リーダーの不可能に近い問いに女性はあっさりと答えたが
「あなた方の他にも冒険者がいればって条件がつきますが」
「……だよなぁ」
一応「施設」としては機能しているが、そこに集う者までは自前でお願いしますということだ。
「まぁその話はいいや。で、休憩ぐらいはできるんだろ、その酒場で?」
そうなると街中にある普通の酒場とほとんど変わらなくなるので、リーダーはとりあえず休憩場所として要求した。
擱座してしまったとは言え飛行機械の内装は無事なので、本来はそこを探索の拠点にしたほうが良いのだろうが、何か情報でも得られればとリーダーは判断した。それに全員ずっと機内に詰め込まれていたのだ。まずは広い場所――と言うか自由に動ける場所で体を落ち着けたい。
「はいどうぞ」
冒険者一行は空の酒場の中に入ると手近なテーブルに体を落ち着けた。
「メニューは何にします? 珈琲でも入れますか?」
調理場へと移動した女性が訊く。
「それより水が欲しい。全員喉が渇いている」
空の上では水は貴重だ。今まで機上の民だった冒険者たちにとってはまずはそれが一番の要求物。
「できれば今後のことも考えて大量に欲しい」
「高いですよ?」
「覚悟の上だ」
テーブルの一つに腰を落ち着けたリーダーは、懐から布袋を一つ出して机上に置いた。
「こんな場所で金銭が通用するかどうか知らんが、とりあえず俺の持ち合わせはこれだ」
ここは山上以上に特殊な高所。物品の購入も、物々交換や肉体労働が基本でもおかしくない。
「ここは空の上ですけど、このお店自体はいたって普通のお店ですから、お金さえ払ってもらえればだいじょうぶですよ」
女性はカウンターの奥に消えると、今度は樽の一つを持って現れた。すごい力だ。その細い手足のどこにそんな筋力が詰まっているのだろうか?
「よいしょと」
冒険者たちの座るテーブルの前に樽を置く。そして蓋を開く。中身は綺麗に透き通った水で満たされていた。
「おお」
冒険者たちから歓声が上がる。
「はい、柄杓とコップも」
「ありがたい」
そうして冒険者たちは久しぶりに十分な量の水にありついた。
「残った分はここに置かせてもらいたいが良いか?」
数杯の水を胃袋に流し込んで人心地付いたリーダーが言う。
「ええどうぞ。樽も中身が無くなるまでお貸ししますよ」
「すまんな」
「食事はどうします?」
「そうだな、迷宮入りの前に腹ごしらえはしておきたいな。じゃあ五人分くれ。食後にはその珈琲も人数分つけてくれ」
「かしこまりました」
質素ながらも十分な量の温かい食事を久しぶりに堪能した冒険者たちは、食後の一杯を楽しんでいた。
この酒場兼宿屋と言う建物一階の酒場部分は、店の奥に大きなカウンターが設えてあって、更にその上は巨大な開放部――大窓となっていた。
これだけの高空にいれば常に強く冷たい風が吹いていそうだが、多少の空気の流れを感じるだけで突風が吹き込んでくる気配はない。風の流れを遮断する機構でもあるのだろうか。
「……」
魔術師の少女は入った時からそこにいて、食事中もずっと外を見ていた。
どうもこの少女だけこの冒険者集団の中で馴染めないらしい。他のメンバーもそれは理解しているらしく、積極的に声をかけようとはしない。
女性は、その魔術師の少女を少し寂しげに見つめたあと、静かに珈琲を飲むリーダーに話しかけた。
「ここへは何の目的で来たんですか?」
「ここへは『一つの書』の目的で来た」
リーダーは飲みかけのカップを置くとそれに応えた。
その「一つの書」という言葉に、一人の世界を築いてきた少女の肩がピクリと震えたのを女性は見逃さなかった。
「では『一つの書』の写本を取りに?」
「いや、原本そのものを拝借に来た」
「それは『一つの書』を奪取する――そういうことですか?」
「そういうことだ」
リーダーははっきりとした言葉で答えた。
「そうなると、この場所にある迷宮に降りていって最後の部屋で待つ
「覚悟の上だ」
リーダーの重苦しい言葉使いに、今まで談笑してた三人も会話を止めた。
「みなさんは冒険者なのですから、その力と技を活かして必要分の写本を取れるだけの金額を貯めたほうが良いのではないですか?」
女性が彼らの無謀とも言える挑戦に対して、もう一つの解決案を提示するが
「それは一国が配備する最新鋭戦艦をまるごと一隻買い取るのと同じぐらいの金を要求されると噂に聞いたが?」
「そうですね――それぐらいの料金を払わないと、図書館司書も了承できないでしょうね。でもそれの金額に準じたことは書いてあるみたいですよ」
一つの書。
それに目を通せた者は少ない。
しかし数少ない貴重な体験が出来た者たちはこう言う。
それは、全てのページが白紙であったと。
それは、全てのページがゴマ粒の様な極小の文字で隅から隅まで埋められていたと。
それは、全てのページが呪いの言葉で書き埋められていたと。
それは、全てのページが真っ黒に塗りつぶされていたと。
写本を取った者も実際に「一つの書」の原本を見ながら書き写しているはずなのだが、筆を進めるたびに記憶が曖昧になっていき、作業が終わり司書に本を返す段になると、一体自分がどのページのどの場所を書き写していたのか、全く思い出せなくなっているのだという。
ある者は言う。
「一つの書」とは、そのページを開いた者が必要としている言葉に文字を変える。
だからこの書を必要としていない者には白紙にしか見えず、必要な情報があまりにも多い者には極小の文字群となって現れる。だがそれを現実の事柄だとは誰も証明できない。
「一つの書」には「何か」が書かれている。
これだけが分かっている――事実。
「しかし金を払ったとしても、結局それは写本の許可が降りるだけだ。しかもそれでも一部のページが許可されるだけで、全部の写しが取れる訳じゃないんだろう?」
リーダーも「一つの書」の探索をしているだけあって色々と必要な情報は知っているらしい。
「そうですね。まるごと一冊写本を取りたかったら、小国の一つを全部売り渡すくらいの料金がいりますね」
それは既に現実的な話を飛び出して、もはや空想物語に入る領域。
「だったらもうその本自体を手に入れるかないじゃないか。俺たちにはそんな金を用意するなんて一生かかっても無理だ」
だからこその「奪取」という選択肢。そして「一つの書」の安置された迷宮は、その選択肢もちゃんとある。ただそれは「ある」と言うだけで、金銭で解決する以上に限りなく不可能に近いのは前述の通り。
「そしてここに集った俺たちは、その目的のために腕を磨いてきた」
リーダーが仲間一人一人の顔を見回しながら自信をもって言う。みんな目が合うと力強く頷く仕草を見せるが、魔術師の少女だけリーダーに見つめられても俯いたままだった。
「でもそうなると、まず迷宮に入る扉を開かないといけないですね」
その所信表明に対して、女性は違う方向から難題を投げてきた。
「鍵がいるのか?」
重要な迷宮はまず最初の入口が封鎖されている場合もある。この場所は「一つの書」と言う世界的にも最重要なアイテムの保管場所なのだから、まずはそれだけのガードがあってもおかしくない。
「えと……鍵の形をした短剣を持っている方はいますか?」
「鍵の形の短剣?」
「あんたが持ってるソードブレイカーのことじゃない?」
女戦士が盗賊に声をかける。
「これか?」
盗賊が腰の鞘から引き抜いた短剣――それは片刃の小刀で、刃の反対側は乱杭歯のような形状になっている。
「それですよ、迷宮の扉を開けられる
「そうだったのかこれは!? ずっとソードブレイカーの一種だと思ってたぞ!?」
ソードブレイカーとは相手の剣をこの乱杭の歯(刃)の間に挟み、叩き折ってしまうという武器破壊アイテムなのだが、使いこなすにも高度な技術がいるので、所持している盗賊も奇妙な形の希少な短剣程度にしか思っていなかった。この乱杭歯の部分が鍵の役目をするらしい。
「もし持ってなかったらどうなってたんだ?」
たまたま盗賊があの短剣を手に入れていなかった場合のことを考えて背筋が寒くなったリーダーが訊いた。
「この酒場のあそこの隅に、宝箱がありますよね?」
女性がその方向を見た。
「あの中に入ってますよ、シーフさんが持ってる物と全く同じものが」
それはとんでもないくらいに重要な情報に違いない。しかしこの女性はそれを余りにも簡単に教えてくれた。
「さすがにここまでやってきて、解除に必要なアイテムが無かったからって探索のやり直しなんてあんまりにも可哀想なんで、一応こちらでも用意してあります」
「それもアンタが言う『わたしの友達の一人』ってヤツの言葉なのか?」
厳しいのか優しいのか女性の真意がいまいち良く判らないリーダーが、探るように訊いた。
「いえ、これはわたし自身の考えです。ここまでやって来れた人に対してのご褒美として用意してあるんです」
しかしそんな質問にも、女性は相変わらずのマイペースで答えた。
「あ、でも、あなた方はもうちゃんとそのアイテムは持っているのですから、そこにある分は持って行ってはダメですよ?」
「ああ、それは分かってる」
そして逆に念を押される。
「今の自分たちには必要ないのに重要な道具だからって持ち出したら、その後とんでもないくらいの災厄に見舞われるってのは……俺たちも経験があるからな」
宿屋と酒場を兼ねた建物から冒険者たちがゾロゾロと出てきた。
遂に目的の物が眠る最後の迷宮へと辿りついた。
後はそれの奪取のために最下層まで降りるのみ。
「それにしても酒場の主人に見送りまでしてもらってありがとうな」
五人の後に中から出てきた女性にリーダーが言う。その言葉に、他の冒険者からも苦笑が漏れた――魔法使い以外から。
「ここで見た光景が、あなた方が見た最後の地上の姿かも知れませんから出来るだけおもてなししようと思っているだけなので、別に普通ですよ」
しかし突入前の緊張感をほぐそうとしたリーダーの言葉を、女性は余りにも簡潔に切り払った。
「そんな怖いこといわないでくれよ……」
「いえ――」
女性の瞳が揺らめく。
「――真実です」
それは涙か光の加減か、判らない。揺らめきと共に投げかけられた言葉。
「この迷宮に進むのも、ここから戻るのも、それはあなた方の自由です。自分に託された命を、どのように使うかも、あなた方の自由です」
乗ってきた飛行機械もここから飛び立つくらいはまだ可能だろう。だから今からでもここから逃げ出すのも選択肢として残っている。
「そして、機械神と自動人形の呪縛から解き放たれた今のこの世界には、その自由があるんです」
女性は酒場の前に立って彼らが迷宮の中に消えていくのを見ていた。
「あの人たちは、どこまで行けますかね」
最後に魔術師の少女が入る時、こちらを見た。
あの瞳にはどんな意味が込められていたのだろう。
「……」
女性は空を見た。雲が紫がかってきている。もうすぐ夕暮れ。
彼らも今日は初突入になるので、そんなに長居はしないだろう。地下一階部分の入口付近のマップを作っただけで今日は引き上げてくるに違いない。
しかし本日の目的がたったそれだけだったとしても、生きて帰って来れるかは別の問題。
地下迷宮と呼ばれる場所に入ったらどんな場所だろうと死は覚悟しなければならない、必ず。
「ちゃんと帰って来れたらうちの宿屋によるのか、あの人たちの飛行機械に帰るのか」
黒き龍焔の飛行甲板前部で擱座する飛行艇を見ながら女性が言う。あの半壊した飛行機械もなんとかしないといけない。中の工場に降ろして修理ぐらいはしてやるか。ついでに陸上からも飛び立てるように脚も付けよう。
だが彼らが再びあの飛行機械を使うのならば、まずは生還しなければならない。
そして生還できて、自分の宿屋を選んだならちゃんと迎えてあげないと行けない。
「……」
女性は店の前に置いておいた箒を手にすると、再び掃き掃除を始めた。
――FIN――
龍焔の機械神20短編 移動する迷宮 ヤマギシミキヤ @decisivearm
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