ものの気持ち
鯨飲
ものの気持ち
僕は、無機物の感情が分かるようになった。
それは、博士から貰ったこの薬の効能だ。
博士とは、近所の名物おじさんのことだ。
博士というのは、ただのあだ名だ。いつも白衣を着ているからそう呼ばれている。
そして、実際に僕のおじさんでもある。
そんな博士が、「これを飲むと、世界が変わる」と言って、薬を渡してきた。
「世界が変わるってどういうこと?」
と僕が尋ねてみても
「それは飲んでみたら分かる」
博士は、そう返すだけだった。
博士は昔からネタバレが嫌いだった。
自身の発明品を紹介するときも起動させてから、説明を始めていた。
「またいつものやつか」と思い、僕はその薬を飲んだ。
「飲んでみたけど、何も変わらないよ」
「そんなに早く効果は出ないよ。それより大丈夫か?気分に変化はないか?」
「うーん、どうだろう。これからどうなるのかって気持ちで、ちょっと高揚はしてるかも」
「おお、そうかそうか。まぁ、効果は明日ぐらいから出てくると思うよ。まぁ、人によって効果は変わってくると思うけど」
そう聞いた僕は、とりあえず家に帰ることにした。
どんな効果が出るのかが、楽しみだろうか、僕は期待と興奮が混ざったまま、ベッドに入った。
翌日、スマホのアラームで僕は目が覚めた。
ジリリリリリリ、と大きな音に、僕は苛立ちながらスマホの画面を強めにタップした。
昨日は、変な高揚感が収まらなかったため、遅くまで起きていたからだ。すると、
「痛っ」
聞いたことがない声が聞こえた。
僕の声ではない。
そして、この部屋には僕しかいない。
もう一度、スマホを強めにタップすると、
「痛いなぁ」
同じ声がした。
信じられないことだか、スマホが声を発している。
「もぉ、毎朝毎朝、昨日の夜に自分がセットしたくせに、強めに叩いてくるんだもんなぁ、嫌になっちゃうよ」
スマホが愚痴をこぼしていた。
その不気味さに怖気付いた僕は、急いで部屋を出て、一階へ降りた。
その途中、駆け降りた階段からも「痛っ」という声が聞こえた。
そして、そのまま僕は博士のもとへ向かった。
奇妙なこの現象を説明してもらおうと思ったからだ。
博士の家に着くなり、僕は博士に問いただした。
「あの薬は一体何!?」
「おお、効果が出始めたか。どんな感じだ」
「どんな感じって、スマホの声が聞こえるようになってるんだよ!何この薬!?」
「おお、なるほどなるほど。でもそれは、メインの効能ではないぞ」
「はぁ?何でもいいから治してよ!」
「まぁまぁ、落ち着け、ちょっとしたら治るから」
「何なんだよこの薬、変なの飲ませんなよ。こんな薬、もう二度と飲まねぇよ」
「いやー、結構楽しいだろ?お前もまた飲みたくなるって」
「はあ、まぁいいや。ほっといたら治るんだろ。じゃあもう帰るよ」
そして、俺は家に帰った。
耳を澄ましてみると、様々な声が聞こえる。
つけっぱなしのテレビは、「見てねぇなら、電源切って休ましてくれよ」
湯を沸かすやかんは、「もう、沸いてるよ、早く気付いて!」
座っている椅子は、「いつまで座ってるんだよ。早く、どいてくれ」
様々な無機物の声が、僕の耳に入ってくる。
最初は少し面白いと思った。日常的に使っている物の感情が分かるようになったからだ。
ガラスのコップは、「あーあ、何でこんなにも透明なのかしら。恥ずかしいったらありゃしないわ」と言っていた。
物にも恥ずかしいという感情があるのだと思って、思わず笑ってしまった。
しかし、だんだんと嫌気がさしてきた。
ずっーと声が聞こえてくるからだ。ノイローゼになりそうだった。
声が聞こえるのは嫌だったが、あの薬を飲むこと自体は不思議と嫌ではなかった。
そこで、僕は博士の家に、薬の相談へと赴くことにした。
家を出ようとしたが、雨が降っていた。
「うわ、雨かよ」
そう呟き、僕は玄関にあったビニール傘を手に取った。
博士の所まで行く途中、僕はお腹が鳴った。
そうだ、今朝はバタバタしていたせいで、朝食を食べていないんだった。
そこで僕はコンビニに寄ってご飯を買うことにした。
ビニール傘を傘立てに置き、コンビニへと入った。
買い物を終えて戻ってくると、傘立てにあったはずのビニール傘がなくなっていた。
ビニール傘は、ガラスのコップと同じように透け透けだ。
傘立てに置いてると、コンビニの客に見られて恥ずかしいから、どこかに逃げてしまったのだ、と僕は思った。
僕はもう一度、傘を買いに店内へ戻った。
ものの気持ち 鯨飲 @yukidaruma8
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