Court Rhapsody.

aza/あざ(筒示明日香)

CASE.00

 



 平日の昼間、男が二人、応接間のような場所で向かい合っていた。部屋には二人以外誰もいない。


「……」

 一人は金髪の美男子だ。前髪を後ろに撫で付け、露にしているのは女性に好かれそうな甘いマスクだが、今、この面立ちは気難しそうにしている。事実、難しい問題に直面しているのだ。

「────そう、小難しく考えることじゃねぇだろ」

 もう一人は、帽子を被った男。帽子の下に覗く髪は黒く、瞳はオッドアイだった。金髪の男はどちらかが義眼であることを知っている。義眼は高性能ウェアラブル機器で、繋がれた視神経は有機素材で出来ており、脳へきちんと視界を映しているだけでなく、随時ネット接続して様々な作業が可能だとか、何とか。こちらは金髪の男と異なり口元に笑みを浮かべていた。


「俺はお前と違うんだ」

 苛立って、口調が乱れるのも相手が相手だからだろう。帽子の男は肩を竦めた。

「簡単だろうが。訴訟を起こしたはずのそっち側が用意した証拠は一部でっち上げ、証言も嘘だった。だから示談にしようと言う動きになったんだろう」

「俺が用意したんじゃない」

「そうさ。俺たちは『弁護官』だからな。“弁護するのだけ”が仕事だ」

 金髪の男の憤りを、帽子の男はにやりと笑って軽く躱した。


『弁護官』と言うのは、裁判所に勤務する職種の一つだった。現在、『弁護士』と言う職業は存在しない。




 科学が発展した昨今、裁判も証拠と科学捜査が物を言った。陪審員が集められた証拠、捜査結果を元に討論会形式で結論を下す。

 刑事裁判では被告人に、民事には訴訟を起こした側と起こされた側にそれぞれ弁護する者が宛行われる。これが、『弁護官』である。


 と言っても昔の弁護士と違い、裁判に有利になる証拠や証人を呼ぶことは出来ない。証拠集めに証人呼び出しなど、それらは検察や警察の、あるいは裁判所に属する調査機関の役割である。被告や民事で依頼が在った場合に、調査機関は調査員を派遣し調査を行う。弁護官が法廷にて出来ることは弁明と経緯の詳細説明だけなのだ。


 そして二人はその『弁護官』だった。




「……」

 帽子の弁護官の気楽な調子に心中で舌打ちしつつ、金髪の弁護官は腕を組み深くソファへ座り直した。

 嫌な予感はしていたんだこの裁判、と金髪の弁護官は嘆息する。


 すべては女の訴えから始まった。女曰く“隣の部屋に住む男がストーカーだ”と言う話だった。




 警察に相談で来たのが一年前。当時は、男がストーカーとまで行かないまでも、女にしつこく構っていた。とは言え男の認識としては、“ご近所付き合いをしたかった”“美人と仲良くしたかった”程度の認識であった。


 現代、少子化がピークを迎える直前まで来た世界は、子を作るのが当たり前の時代と化していた。国を挙げて未婚者の『不老延命措置』や既婚者の『完全優遇制度』を導入して、対策を行って来た。

 これに伴って『堕胎罪』が復活し、強制性交等罪は『死刑』に。性犯罪を犯せば即時極刑と有って、無くなることは無かったけれど、激減していた。


 ゆえに、普通の神経をしていたらしい男も、警察が介入すれば怖気付き、女と関わりを絶つと念書まで記入していた。


 幕は引かれた、はずだった。


 ところが今度は“男の子供を孕んだ、なのに男は責任を取る気が無い”と女が訴えを起こしたのだ。刑事ではなく民事で。


 女の証言はこうだ。

「男はストーカー行為を改めなかった。強引に関係を迫って来た。幾度も誘われ、ついに根負けして関係を持った」

 しかし警察に念書まで在る男が? となった。女とてストーカー呼ばわりした男と、と当然なり、調査機関が調査した訳だが。




「調査員は背後関係も全部洗って、証拠を集めて来た。DNA鑑定だって、女の腹の子供が男の子供だと結果を出している」

 帽子の弁護官が空を見詰め諳んじるみたいに口にする。実際は義眼ウェアラブルで報告書を読んでいるらしかった。

「そうだ……った」

 途中まで相槌を打って、金髪の弁護官は溜め息を零した。帽子の弁護官も苦笑を浮かべる。

「まさか調査員が抱き込まれているとは思わないわな」


 調査機関は、公平を期すために検察警察の証拠、証言も細部まで調査する。科学捜査の結果も、裁判所直属の鑑定機関が存在し、二重で検査を行うのだ。民事ならば調査機関の調査も前後別の調査員で二重に────けれども。


 後半調査を任された調査員が、女側に有利に動いていたのだ。


「裁判所は各々調査員の経歴まで、把握していたはずだろうに……」

 真実は、男はストーカー行為をしておらず、関係を迫ったのも女。だのに調査員は男から女と接触したところだけをピックアップ、男が女の部屋を出入りしていた痕跡のみ提出し、女が男の部屋に入り浸っていた形跡は伏せていた。女の言う内容が信用に足ると思われる風に印象操作していたのだ。

 女のほうが、男の部屋へ通った頻度が高いにも拘らず。




 今回の調査をしていた調査員は孤児だった。性犯罪に巻き込まれた母親が、育てる自信が無いと産んだあと施設に預け、引き取り手も無く、卒園するまで施設で育った。

 法律により施設にいられる年は上限十八歳となっている。十五歳から雇用制度は適用され、自立が可能であれば単体で支援を受け十五歳から出ることが可能だ。けど、必ずしも十五歳で自立するとは限らない。十八まで施設で過ごし、支援を受けて大学に行くなど選択は多岐に亘る。

 何より子供にやさしい世界だが、支援をする者が在ってこそだ。国民は収入に依って国に貢献する義務が在った。


 女の家は、代々孤児に支援を行っていた家だった。その中に調査員も含まれていた。




「まぁ直接関係は団体だから甘かったんだろ……女の家は主宰じゃなく属していただけに過ぎないし、記録を残さず個人的接触とか、まず有り得ないからな」

 支援者が孤児と会う際には、法的に第三者の立会いと記録を残すことが必至となっていた。

 今回調査員と会っていたのは女の家で働く、言うなれば赤の他人だった。接触も調査員が非番の日を選んで行われ、改めて調べなければ事実関係も明るみに出ることは無かった。

「しらばっくれてるが、調査員が卒園した施設の出身者には援助を減らす、とか、言われたんだろうなぁ……」


「……法で取り締まるべきなんだっ、そう言うのは! 支援関係が在ったら、会わせなければ良い!」

「支援者にお礼が言いたい、支援者自身が養子に迎えたい、こう言うパターンの障害になり萎縮し兼ねないから、“べき”、とまでには踏み込めないんだろうよ。会わせないって言うのも難しいだろ。第一犬や猫じゃねぇんだ、随時監視する訳にも行くまい。プライバシーが在る一人の人間なんだから」

 プライベートに誰と会うかは自由。完璧に接点を絶つことは不可能。


 何事もバランスだからなぁ。帽子の弁護官は説く。金髪の弁護官は収まりどころの無い憤慨を何とか内々で宥め賺していた。額を押さえ、深く息を吐く。本日何度目となるか不明な嘆息だった。


 二人が茶を啜った丁度にブザーが鳴った。休憩の終了十分前を知らせるものだった。


「で、どうするの、お前」

 帽子の弁護官が訊く。金髪の弁護官は宙を仰いで正面を向き直すと。

「どうもこうも無い。弁護を続けるだけさ。弁護官だからな」

 証拠も証言も、すべてが虚言、偽物でないにしろ、調査員との繋がりで信憑性が失われた以上、女の訴えは棄却されるだろう。男の子供であることは確かで、認知はされるだろうが、果たして慰謝料と養育費は取れるだろうか。


 現今、既婚者より劣るけれど子を育てる者は血縁が在る無いに関わらず、あらゆることが保障されている。補助金も毎月子供が不自由しない額が交付されている。

 それこそ、女の家が行っている慈善事業の支援が良い例だ。女自身熟知していることだろう。

 今や養育費とは、親権を主張するための資金に過ぎない。


「責任を取れ取れ騒いでたからなぁ……お嬢様はあわよくば結婚したかったんだろうが」

「……」

「無理だな」

 二人は、ソファから立ち上がった。




「まったく意味がわからない。自分をストーカーしてるって言ってた男に、入れ揚げるなんて」

 部屋を出る前に身支度を整える。襟を正し、シルクのネクタイを締め直しつつ金髪の弁護官がぼやいた。

「言えてるな。まー、そこが男女の不思議ってことだろうよ。もしかしたら、最初から女のほうが熱を上げていたのかもなぁ」

「……信じられない。だったら尚更、訴えるなんてどうかしてる」

「っつっても、騙される男も男だよ。化粧と服装、髪型如きで引っ掛かりやがって」

「……」

 飄々と言ってのける帽子の弁護官だったが、金髪の弁護官は同意しなかった。


 現代において科学は目覚しい発展を遂げ、維持に切り替わったが……分野は医療を筆頭に法曹、政財と延び、勿論ファッションにも至った。

 女の変わり様は、変装の域を超えていた。男から提供されたツーショットに写る女は、短時間で整形したのかと目を疑う程だった。それぐらい、メイクは進化しているのである。

 念書も、あの容貌の激変を鑑みれば効力の範囲外だろう。さすがに男が不憫だった。


「一番は、ちょっと交流しただけでストーカーだなんぞと騒ぎ出す、隣の勘違い女がやばいと気付きながら、自分に群がる女に一切注意を払わなかった男が悪いからなぁ」

「それで示談か」

「男に全く以て非が無いなら、女の暴走で済むんだけどなぁ。入り婿単身赴任の身の上で、裁判沙汰じゃあなぁ」

 丸く収めたいのは男も女の家も同じ、と言うことだ。帽子の弁護官は軽やかに笑った。


「……」

 金髪の弁護官は無感情に帽子の弁護官を見ていた。




 今回のケースは下らない内容だった。脛に傷持つ莫迦な男女の、どうしようも無い痴情の縺れだ。


 しかしその下らないケースは、現代の科学至上主義と公正でなければならない調査機関の問題も浮き彫りにした。

 二重チェックが機能していない、なんて問題じゃない。調査員が手心を加えているかもしれない可能性が浮上するなど、根本を揺るがせる、在ってはならない事態だった。

 本件は取るに足らないから、まだ良い。最悪の想定だって考えられる。


 殺人だったら? 婦女暴行だったら?


 犯人がでっち上げられたら。または加害被害を摩り替えられたら。

 調査機関だけの問題ではない。科学捜査の捜査員だって。検察や警察もだいぶ浄化作用を徹底して来たとは言え、根底は不明瞭だ。

 陪審員だって……全裁判通して関係者の完全な関係有無、不正の無さを確かめるなど、土台無理だ。

 科学は嘘を付かないだろう。としても、扱う人間が隠蔽、捏造しては仕様が無い。


 こうなると裁判の行方を是正することは、権限の無い弁護官だけでは、到底対処し切れない。……いや。

 違うのだろう。帽子の弁護官だけは。彼だけは。


 元は調査員だった帽子の弁護官は、常にそうだった。


 弁護官でありながら、容易に覆す。本件だって、そうだ。先に帽子の弁護官を促し自ら退室後、休憩室の扉を閉める。がちゃんと扉が閉まれば、微かにピーッと音が鳴りロックが掛かったことを知らせた。鍵が閉まったところでドアノブから手を放し、二人連れ立って法廷へ向かう。


「……」

 審議の前法廷にて、帽子の弁護官が、矛盾に気付いた。

 毛先程度の、小さな矛盾だった。


 弁護官は法廷で異議申し立ては出来ない。

 けれど、調査に対して調査機関に再度調査要請を行うことは可能だった。元調査員のこの弁護官ならば、内部事情も精通しているだろう。裁判所で帽子の男が何と言われているか。


Mr.TurnBackミスター・ターンバック』。

 逆転させる者、引っ繰り返す者。“Turn Back”は折り返す、引き返す、引き戻す……どんでん返しを意味する。


 簡単なはずの裁判で、端から嫌な予感は在ったのだ。金髪の弁護官はひっそり肩を落とした。




「……」

 帽子の弁護官こと『ミスター・ターンバック』と呼ばれる弁護官は、然り気無く金髪の弁護官の背後に回りこっそり、苦笑いをしていた。

 ミスター・ターンバックには、金髪の弁護官に伏せていたことが在った。

 調査員のことだ。

 調査員が、なぜあのような職務違反行為を働いたのか。


 調査員に女が有利に運ばれるよう持ち掛けたのは、女の実家で奉公する女性だった。

 女性は調査員と同施設の出身であり、調査員にとっては、初恋の人だった訳だ。


 先程「調査員が卒園した施設の出身者には援助を減らす」と言われたのではないか、なんて口にしてはみたものの、現実には女性により「私のために何とかしてほしい」とでも言われたのだろう。


 ミスター・ターンバックは想像した。とどのつまり、最初から最後まで男女の茶番で引っ掻き回されたのだと、潔癖なこの弁護官は知ったら卒倒するだろうなと。


 裏で『Mr.Silkミスター・シルク』と呼ばれる、金髪の弁護官は。


“Silk”とは、英国の法廷弁護士、所謂バリスターの中でも優秀な者がなれる勅選弁護士の俗称だ。通称は男王であればキングスカウンセル、女王であればクイーンズカウンセルと呼ばれるのだが、法廷では絹のガウンを身に付けることから来ていた。


 金髪で見目麗しく、毅然とした態度で裁判に臨む男はいつだってシルクのネクタイを締めていた。

 そのことから前述のことも相俟って、誰が付けたか金髪の弁護官は『ミスター・シルク』と呼ばれた。


 本件が終われば次の裁判が在る。子作りを命題とする当代、裁判の訴訟内容は基本男女の事柄が多い。

 要は次も、このまた次も男女の擦った揉んだに付き合わされると言う話だ。昔と違い弁護官には民事も刑事も無関係なのだけど。


────ああ、コイツの女嫌い……や、恋愛嫌いに、まーた拍車が掛かるな────

 ミスター・ターンバックは先を行くミスター・シルクの背を眺めながら、やれやれと首を振った。




 独身者が老いることをゆるされない世界で、半世紀を生きる二人が未だ若いままなのも、致し方が無いのかもしれない。




【 It ends or follows. 】

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