ようこそ新世界

平賀・仲田・香菜

ようこそ新世界

「道の駅で買った地キノコの詰め合わせ、爺ちゃんの山で採取したキノコ。そして」


 僕はキッチンから押し入れへと足を運ぶ。襖を開き、湿っぽく埃っぽくじめっとした匂いが鼻についた。私物が山のように積み重なった箱の底より、一つの瓶を取り出す。


「フリーマーケットで買った甲子園の土からいつのまにやら生えてきた変なキノコ」


 今日の夕飯は新鮮なキノコをふんだんに贅沢に使ったクリィムシチュウを作るのである。

 種種雑多なキノコたちをキッチンに並べる。キノコは水で洗わない、風味と食感が落ちてしまう。後に石突きを落とし、それぞれを食べやすい大きさに切り揃える。

 たっぷりのバターをフライパンで火にかける。黄色味がかかったブロックが下面より、ちりちりと音を立てながらどろどろに溶けていく。

 そこに大量のキノコを投入である。全体にバターが回るよう徹底的に掻き回す。ぐるぐる、くるくる。蠱惑的な香りが立ち昇る。換気扇で外に逃すのも惜しい、僕は香りまでもキッチンで一人独占する。

 全体が溶けたバターに覆われたキノコは、電灯をてらてらと反射する。ここで火を止めて、適当に小麦粉をかけダマなく溶かす。さらに牛乳を注いで温めれば簡易的なホワイトソースの出来上がりだ。後はコンソメに塩胡椒で味を整えれば、よくわからないキノコをふんだんに使った真白いクリィムシチュウがいつの間にか完成しているのである。

 一口。こんなものか。

 二口。さっきよりも美味しいような。

 三口。いや間違いない、最初より美味しく感じる。

 四口五口。なぜこの味の魅力に最初は気付けなかったものか。

 六口七口八口九口十口。もう止まらない。


 ぷつん、と頭の奥で何かが途切れる音がしたような気がする。僕の視界は白く染まった。二十一世紀の地球の重力に耐え切れなくなった僕の頭部は、クリィムシチュウの皿に躊躇も躊躇いもなく落ちたのだ。

 たまたま集めて適当に組み合わせたキノコの薬効が悪い方向に良い感じに作用したようだ。

 幻覚興奮成分なんのその、僕の気分は最高に上にいた。

 視界が白から黒に染まり、僕の意識は最高にハイとなった。


 夢か現か幻覚か。目を開くと僕は宙に浮き、どぎついビビッドピンクなモヤが世界を包んでいた。

 僕はまばたきをする。目を閉じたその、ほんの、瞬間にも満たないその刹那は、この世の過去を未来を観測させた。

 僕はまた、まばたきをする。あったかもしれない過去、あるかもしれない未来が数億通り頭に流れ込んでくる。

 これはすごいぞ。このままこの高さに居続ければ、僕は過去と未来を掌握してこの世の神と相なるであろう。


 そのとき不思議な過去を見た。

 バックスクリーン四連発が起きていた。バース、掛布、岡田、そしていったい誰がと世界を覗き込もうと屈んだその時、僕は身体のバランスを崩して宙より落下してしまっていった。


 ***


「兄ちゃん、酒持ってねえか」


 身体を揺らされる。僕はおぼつかない意識のままに目を開く。

 崩れたビル、ツルに侵食された建造物、そしてひび割れたアスファルト。荒廃した世界だ。そして僕の肩を揺らすハゲて額に脂の浮いたおっさんだった。タンクトップに腹巻、まさにおっさんであった。


「申し訳ないですが、持ち合わせていないです」

「そんなアホな、さっきから酒の匂いがぷんぷんしとる」

「本当に持っていないですよ」

「バクダンでもメチルでもなんでもいいんや、持ってるやろ?」

「そういえば除菌ティッシュなら……」

「それや! くれ!」


 おっさんは目を燦々と輝かせて期待に満ち満ちている様子だ。僕はティッシュを一枚おっさんに与えてみる。おっさんはそれにしゃぶりつき、含まれたアルコールを根こそぎ吸い尽くそうと必死である。しゃぶり尽くし、おっさんの涎と噛み跡でティッシュはみるも無残だ。


「あー……キくう」


 恍惚とした表情のおっさんだ。目覚めにこんなものをみた僕は気分が悪い。おっさんの前から立ち去る。


「じゃあ僕はこれで」

「待ちいや! 礼くらいさせい!」


 アルコールが入って気分が良いのか、おっさんはだいぶ馴れ馴れしくなってきた。距離感も近く、酒と加齢臭が混ざった不快な臭いが鼻につく。


「兄ちゃん、観光やろ? ワシが案内したる」


 渡りに船、とはこのことだろうか。気付かぬうちに荒廃した世界へやってきてしまった僕には、もしかしたら幸運な出会いなのかもしれない。泥舟でなければ、だが。


 ***


 僕とおっさんはロープウェイに乗っていた。他に客はいない、僕とおっさんの二人きりだ。おっさん曰く、この町の移動にロープウェイは欠かせないらしい。


「新世界?」

「そう、日本は今から百年前、新世界になったんや」

「だから新世界って何なんですか」

「新世界は新世界やろ」


 おっさんは窓の外を指差す。


「見てみい、あっちこっちに通天閣が生えとる」

「本当だ」

「町の至る所がロープウェイで繋がっとるんや、大きく育った通天閣同士を繋げてな」

「なる、ほど」


 なるほど、なのだろうか。


「ほれ、田んぼの畔も見てみ」

「あれは……何かがたくさん生えてますね」

「串カツや」

「誰かが植えるんですか?」

「お前アホか? 串カツなんて勝手に芽が出て気付いたら大きくなってるもんやろ」

「なんか小っちゃいおっさんが串カツに群がってる」

「アル虫やな」

「アル中?」

「虫や、ムシ」


 かつては野生の串カツから油を搾って灯りを点していたという。

 頭が痛くなってきた。ここは一体何なのだ。


「ここはどこなんだ……」

「新世界言うとるやろ。日本は新世界に、ネオ・オオサカになったんや」


 僕は頭を抱える。美味しいキノコのシチュウを食べていただけなのに、どうしてこんな世界に来てしまったのだろうか。


「兄ちゃん、どうせネオ・新地に行きたかったんやろ?」

「ネオ・新地?」

「とぼけとる場合ちゃうで? もうこの下は五大ネオ・新地の一つ、クーデレ新地や」


 また耳慣れない単語が出てきた。


「その、クーデレ新地ってのは何ですか?」

「言葉の通り、クーデレの女の子とお遊びする町や。この新地にはクーデレしかおらん」

「ふうむ」

「クーデレは嫌いか? でもネオ・新地はまだまだあるで。ツンデレ新地にツンデレ新地、も一つおまけにツンデレ新地」

「ツンデレが多い」

「しゃあないやろ、ツンデレは種類があるんや。ツン期とデレ期がキッパリ分かれるクラシック型。みんなの前ではツンで二人きりになるとデレる誤用型。そしてライバル型」

「ライバル?」

「ベジータがおる」

「あー……」


 納得できそうなできないような。

 ネオ・オオサカの五大ネオ・新地、全く懐が深いようなニッチに狭いような。


「おや、クーデレにツンデレにツンデレにツンデレ。五大と冠するからにはもう一つあるのですか」

「せやな。ああ、ちょうど上を通るところや。ここは……」


 おっさんの様子がおかしい。額の脂っぽさが顔全体に広がる。顔色が先ほどまでの赤色から青白く塗り直される。身体はガタガタと震えだし、おっさんは全身を掻き毟りながら叫んだ。


「ああああああああ! 酒! 酒ないか!」


 ロープウェイという個室で、憤怒の形相を見せながら絶叫するかもおっさん。その声量はロープウェイをぐらぐらと揺らした。

 僕は、出会った時と同様に除菌ティッシュをおっさんに食べさせようと考えた。が、先ほどおっさんに与えたものが最後の一枚だったようだ。

 もう、おっさんは止まらない。


「酒! 酒!」


 挙動不審にロープウェイ内を彷徨き彷徨い、窓ガラスの前で立ち止まる。そのまま虚な目をして外を眺め、ぶつぶつと何かを呟き始めた。これは、じゅげむだろうか。


「ロックロック五杯を飲みきれ水割りお湯割りの黒霧島白霧島赤霧島喰う飲む処に酔う処乾いたつまみは酒の当て魔王魔王魔王のストレート八海山の十四代十四代のマッカランのブラックニッカの白州の山崎」


 じゅげむとはちょっと違うようだった。

 おっさんは窓ガラスに体ごとぶつかり、その勢いのままにロープウェイから落下していった。どうやらおっさんは最後の新地のどこやらに落ちてしまったようだ。


『まもなく終点です』


 これだけの事が起きたというに、案内の機械音声は無感情にアナウンスを告げる。今日会ったばかりのおっさんとはいえ、このまま立ち去るのも後味が悪い。僕は最後のネオ・新地へおっさんを探しに行くことを決めた。


「生きてんのかなあ」


 ***


「よろしくお願いしまーす」

「ありがとう」


 除菌ティッシュを使い切ってしまっていたことを思い出し、僕はネオ・新地の入り口で広告付きのポケットティッシュを受け取る。一万円ぽっきりだとかなんとか、従業員を高収入で募集中だとか色々書いてあるがティッシュに変わりはない。僕は無造作にポケットへと突っ込む。


「さて、おっさんはどこだろうか」


 僕は、ロープウェイで俯瞰した風景を思い出しながら町並みを観察する。


「こりゃあ遊郭だな」


 隙間なくみっちりと古めかしい建物が並ぶ。その建物だけを見ると情緒と歴史が溢れた風情を感じることができそうなのだが、そうもいかない。派手な色に露出多めの服に身を染めた若い女性ばかりが店に呼び込みをしているのだ。

 どうにも目のやり場に困ってしまう。彼女たちは道行く男性へ積極的な声かけを行い、店の中へと消えていく。僕にはその様が、大型の爬虫類に捕食される哀れな小虫の様に見えてしまっていた。


「お兄さん寄っていかない?」


 ついに僕も声をかけられてしまった。薄手のキャミソールにホットパンツを身につけた髪色の明るい女性が僕の腕に抱きついてくる。人工的な柑橘の香水とケバケバしい化粧の香りが混ざり合った化学的な臭いが鼻につく。


「ハゲたおっさんを探しているんです」


 女性は理解のできないものを見るかの様な目で僕を見ながら離れる。


「お兄さん、そういう趣味?」

「違います! 知り合いがこの町に落ちたんです」

「ああ、さっきの凄い音はそれだったのね」

「その音はどこから?」

「ウチと遊んでいってくれたら思い出すかも」


 僕は、はあとため息を吐いて女性の元を離れた。いけず! という叫びに背中を押されて僕はおっさんを探し続ける。


「しかし、どこにもいないなあ」


 このネオ・新地には女性ばかりだ、まあそういう町だから仕方がないのかもしれないが。その他は観光客と思しき男性がちらほらと。しかし、どうにも男性の数が少なく見える。ネオ・新地の中でも人気がない土地なのだろうか。

 十数人に声をかけ、数十人に声をかけられおっさんを訊ねたが、成果は乏しかった。おっさんはどこに落ちたのやら。


「……さっきから、つけられている気がする」


 僕が歩けば、背後からも足音。僕が振り返れば、クモの子を散らす。それも、数十人単位で。


「何か用でもありますか」


 僕は叫んでみた。すると、散らされたクモの子が集まってきた。それらは全て、僕がここで声をかけ、僕に声をかけた女性たちであった。入り口でティッシュを配っていた女性までもがいる。


「ティッシュを受け取ってお礼を言われたのなんて初めて……好き……」

「いけずなお兄さん、釣れないところがいかすわあ」


 などなど、些細な、大変どうでもいい理由で僕に心を奪われたエピソードが満載であった。そして、大変困ったことを言い出した。


「仕方がない。みんなが平等になるよう、このお兄さんをバラバラにしてみんなで分けましょう」

「私は右目がいいわ!」

「肝臓を味見してみたい!」

「お兄さんの中指と薬指で……うふふ」


 大変困った。どうやら僕は彼女たちに捕まれば、四肢はバラされ目玉はくり抜かれ、内臓を喰われてしまうようだ。僕は一目散に逃げ出した。


 メインストリートを走り抜け、路地を抜け、僕は走り続けた。しかし、どこまで逃げても彼女たちは僕を追い続けた。


 ニッチもサッチもいかなくなり、僕は建物の屋根によじ登り、屋根伝いにぐんぐん逃げていった。


「兄ちゃん! こっちや!」

「おっさん!?」


 屋根と屋根の間から、脂の浮いた見慣れた禿頭が覗く。僕はその声を頼りに、建物の隙間へと滑り込んだ。


「よかった、無事だったんですね」

「ああ。しかし兄ちゃんもケッタイなことになっとるな」

「ここは一体どういう新地なんですか?」

「ヤンデレ新地や」


 ここだけは勧めたくなかった、とおじさんは続ける。確かに、ここは大変恐ろしいところであった。


「そのポケットティッシュ、通信機とGPSが入ってるで」

「なんと」

「だけど安心せえ。ワシが受信機を奪いとって、兄ちゃんを救出したんやからな」

「本当に、ありがとうございます。安心したら喉が渇きましたよ」


 おっさんは僕に水筒を渡した。ネオ・新地に落ちてからコンビニで飲み物を買ったらしい。僕は礼を言い、水筒の中身を一気に呑み干す。

 瞬間、僕は目の前が真白になった。身体もうまく動かせない。薄れゆく意識の中で、おっさんの声が脳に響く。


「ニガヨモギの酒なんやけど、水みたいなもんやろ?」


 南無三、というよりアブサン……


 ***


 僕が目を開くと、世界はまだ真白だった。


「なんだ、クリイムシチュウか」


 どうやら僕は元の世界に、僕の家に帰ってきたらしい。手作りキノコのクリイムシチュウはキッチン中にぶちまけられ、見るも無惨である。

 ポケットティッシュを手に持っていることに気付いたが、片付けはもういいや。不思議な夢を見ていた気がして、どっと疲れが押し寄せる。僕はシチュウに塗れた身体をものともせず、ティッシュをキッチンに投げ捨て、布団に横になって再びまどろんでいった。


 ***


 深夜、キッチンにノイズが響く。

 無造作に転がるポケットティッシュからは小型の機械が覗く。

 砂嵐のように不鮮明な機械音が響く。

 それは、徐々に人の声へと変容していった。


「見つ……やっ……繋が……」


 そして、鮮明になった。


「逃がさない」

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