掌編小説・『ウィンク』
夢美瑠瑠
掌編小説・『ウィンク』
掌編小説・『ウィンク』
「猫田瞳探偵事務所」という看板が掲げられている、うらぶれたビルのテナントには、若い、アイドルっぽい新米の私立探偵の、しかし東大卒のそれなりに頭のキレに自信のある猫田瞳氏が終日蹲踞?しているのだった。
「蹲踞」というのが適当かは分からないが、あまり依頼は来なくて、暇を持て余して、チャンドラーとかの小説を真似てバーボンウィスキーを呷ってみたりしているだけの日が多いので、中らずと雖も遠からずという、そういう趣になるかと思う。
RRRRRRRRR・・・
と、久々に電話が鳴って、「そちらは私立探偵さんですよね?」と、中年女性の声がした。
電話に出た瞳は、「依頼ですか?嬉しい!」と、思わず本音が出てしまい、電話の向こうの相手が苦笑する気配がした。
「依頼ですよ。亭主が浮気しているみたいなんですが、証拠を摑めないんです。密会しているらしいラブホテルは分かっています。現場写真を突き付けてギュウと言わせて、なんだったら精神的な苦痛の慰謝料かなんか請求したいんです。
そういうことはどうなんですか?」
「浮気が発覚しても婚姻を継続する場合は50万円から100万円、離婚や別居を望む場合は300万円くらいまで請求できます。家庭裁判所で調停してもらえます。」
「主人はやり手の事業家ですから・・・離婚は考えていないです。じゃあ、とにかく現場を押さえてもらうということで・・・報酬は慰謝料から払うとか・・・それでもいいですか?」
「OKです。それでは後日お伺いして詳しい情報を交換してもらいます。」
・・・こうして猫田瞳探偵は、できるだけ地味な服装をして、件(くだん)のラブホテルに張り込みをすることになった。
事業家だという初老の夫氏は、若い風俗嬢に誑(たら)し込まれて、散々貢がされているらしい。毎週金曜日に夜遅く酔っ払って帰ってきて、決まってそのラブホのマッチとか優待券とか、背広のポケットに入っているのだという。
随分迂闊な浮気だが?女にデレデレされて、夢現の気分なのかもしれない。
素面の時は俊敏なビジネスマンでも、酒と女に溺れてしまうと、赤ん坊と変わらないような、意識レベルになってしまうのかもしれない。
金曜日が来て、3時間近くに張り込んでいる猫田瞳探偵の、ファインダーの射程内に、そのアベックの獲物がまんまと入り込んできた。ラブホテルとわかるアングルから、素早く5,6枚写真を撮って、さっさと退散した。
後は、その動かぬ証拠の写真を夫君に提示して、同意の上で裁判所に調停してもらうだけである。
ところが、ここから、話は思わぬ方向に展開する・・・
撮影してきた5葉の写真を眺めていると、それぞれ少しずつ違うアングルなのだが、一枚にだけ、奇妙な人物が映っていた。
背の高い、外国人女性で、出勤中らしいフォーマルな服装をしている。
目の色は綺麗な緑色で、髪の色は暗くて、いわゆる「ブリュネット」、タイプだ。どこかで見た顔だな・・・と思っているうちに、少し前に警察から送られてきた指名手配犯人の似顔絵に似ていることに思い当たった。
「えーと、これだったかなー」
書類をひっかきまわしているうちに、件の女の似顔絵がハラハラッと床に舞い落ちた。手配書には女の罪状や身体的な特徴が詳しく記されていた。
「マリア・オルレアン。保険金殺人犯人。25歳。ポーランド人。日本在住歴5年。夫は日本人の貿易商だったが、自宅の風呂場で溺死。捜査の結果、マリアが睡眠薬を飲ませて殺害したことが明らかになった。マリアの身体的な特徴は、金髪で青い瞳。肌は小麦色。身長175㎝。事件発覚後に失踪。巧妙な犯罪者で、全く手掛かりを残さずに半年以上逃亡を続けている。目撃情報その他があれば、03-3246-・・・・・・・」
似顔絵とかその他の特徴は、写真に写っている女と完全に一致する。
撮影した時間とかは、データが残っていて、金曜の同じ時間帯にこの女がここを通りかかるという可能性は濃い。なぜなら先刻にも書いたが、何かの職業に従事中、または仕事場に向かっているという、いかにもそうしたいでたちをしているのだ。
若干カジュアルな制服だと思うが、確信は無い。
ただ・・・決定的な違いは瞳の色だ。
手配書では「青」となっているが、写真の女は明瞭に緑色である。カラコンというものがあるので、変装している可能性はある。
金髪というのも染めれば暗くできる。
カラコン、というものを考慮に入れれば、「青い瞳」のほうが偽装である可能性もありうる。
瞳はとりあえず、警視庁のこの件の担当者に連絡を取ってみることにした。
「・・・なるほど。有力な情報ありがとうございます。その場所の住所は・・ふむふむ。そのあたりの事業所を片っ端から当たってみますよ。聞き込みは捜査の基本です。なあに、逃げられるものか。すぐアゲて見せますよ。ハハハ。
ところで目の色といえば・・・我々も不思議に思っていることがあるんです。
マリア・オルレアンの子供時代の写真というのをいろいろ探して3枚手に入れたんですけどね・・・3枚ともウィンクをしていて、光の加減かもしれませんが、「青い目」に見える写真と、「緑の目」に見える写真に分かれているんです。
瞳の色が後天的に変わることはあり得ません。
写真が紛れていて、マリアには目の色が違う双子とかいるんですかね?
解せないところですけど、捜査自体には支障のない情報で・・・」
「ウィンク?3枚とも?偶然にしては何だか妙ですね。大体殊更に青い瞳に拘るとか、そういうのも変ですよね。関係しているようで、関係のない第三者がいて、それで何だか話が混乱しているのかしら?勿論犯人は一人なんだけど・・・」
目撃情報には相当の報奨金が出ますから、といって、礼を述べて、担当者の電話は切れた。
瞳は例の浮気の件を事務的に処理して、50万円の報酬を受け取った。
そういう間にも、例の保険金殺人犯のことがずっと気にかかっていた。
なにか見落としている、何か気が付いていないところがある・・・
いつも写真を撮られるときにウィンクをしている少女の心理・・・
カラコンを付けたがる女性の心理・・・
そうか!分かった!
・・・ ・・・
「そうなんですよ。マリア・オルレアンは『オッド・アイ』だったんです。
左右の瞳の色が違う。人間には非常に珍しい遺伝的な特殊例です。あの後すぐ近隣の外国語学校でポーランド語を教えていたことが判明して、逮捕状を取って連行したんですが、取調室でカラコンを取った眼は、綺麗に左右が違う色になっていて、ちょっと不思議な感じがしました。マリアは、子供の頃はそれが非常にコンプレックスだったようです。それで、写真を撮られるときには意識的にウィンクをしていたんですね。
大人になってからはいつもカラコンをつけて、あまり目立たないようにしていた。夫婦仲がいいうちはそんなことは何でもなかったんですが、性格の不一致で険悪になっていくと、その殺された亭主は敬虔なカトリック教徒で、マリアの目の色まで気味悪がって、「出来損ない」、とか「悪魔」、とか罵るようになった。
大人しいけれども性格の強いマリアはだんだん憎悪を募らせていって、挙句の果てに殺人を犯してしまった・・・
私なんかは嫁さんがそんな面白い女だったら「ナゾーちゃん」とか言って可愛がりますけどね。あ、これは古すぎたなーハハハ。
とにかくありがとうございました。」
瞳の勘通りの意想外のトリックが話をややこしくしていたのだが、一応事件は収束した。
しかし殺人の動機までが「瞳の色」だとは気が付かなかった。
瞳は、ネットで「オッドアイの猫の瞳」というのを探して、眺めてみた。
それらはどれも、すごく芸術的で神秘的で魅力的だったのだ。
<終>
掌編小説・『ウィンク』 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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