「お前は信用出来ない」(後)
***
「海上の魔王城に行くには、勿論海を渡らなければいけないんだが……」
「立入禁止区域に侵入している漁師に賄賂を渡して近くに着けさせれば済みます。僕が魔法を使って渡る、という方法もありますがそれはガーミに気付かれる可能性が高いです。ガーミに気付かれたら姫は救えないかもしれません。レイゲツ、少し待っていてください!」
悩んでいる俺にユベロスは言い、浜辺の漁師に向かって進んでいく。こういう際どい方法は物語でも良く使われているが、それを平然とやってしまうユベロスに苦笑いが零れた。
「……と言うか、ユベロスがやるには似合わないな」
あまりにも彼らしくない行動に思わず声が漏れた。
やはりユベロスは何か裏がある。金が目的なら言えばいい、隠す事でもない。
となると、姫なのだろうか。姫を確実に救いたいなら俺を利用すればいい。そして帰り道、姫にバレないように俺を暗殺する……。国に帰ったら容姿のいいあいつは簡単に姫に言い寄れるだろう。
「……」
漁師との交渉を終えたユベロスを見る目が鋭くなる。俺はもうユベロスを信じられなくなっていた。
「お待たせしました! ではレイゲツ、行きましょうか」
自分の傍に戻って来たユベロスは安心したように言う。だが俺の表情は緩まなかったからか、次第にその表情が不思議そうな物に変わっていく。
「……レイゲツ? どうかしましたか?」
「ユベロス。お前は信用出来ない」
「え?」
突然の冷ややかな反応に、ユベロスの青色の瞳が戸惑ったように揺れた。俺はその揺れを逃すまいと繰り返す。
「お前は信用出来ない」
その言葉を聞いてもなお、ユベロスは戸惑っていた。どうせどう切り返すか考えているのだろう。その態度が白々しく見え、俺は苛立ちを覚えていた。
「もういい!」
一度俺は鋭く言い、ユベロスの首に手刀を落とす。
「っ!」
綺麗に手刀が決まりユベロスは簡単に気絶した。意識を失ったユベロスは簡単に地面に横たわった。
「……」
ユベロスを岩陰に隠した俺は、先程あいつが交渉をしていた漁師の元へ向かう。
「すみません、遅くなりました。出して頂いても宜しいですか?」
「ん? んん? あれ、さっきの魔術師の兄ちゃんはどうした? あんたが兄ちゃんの連れなのは分かるけどさ……」
良く日に焼けた漁師はユベロスの姿が無い事を不思議に思っているようだった。ユベロスがすぐそこの岩陰で気絶しているなんて思っても居なさそうな顔だ。
「ああ、……彼は直前で怖気づいてしまったようで、魔王城には行かないようです。なので、魔王城には俺一人で」
「はあああ、あの兄ちゃんがねぇ……なら仕方ねぇが、兄ちゃん一人で大丈夫なのかい?」
漁師は不思議そうな表情を浮かべ不安そうに尋ねてきた。俺は力強く頷き笑顔を見せた。
「勿論です。俺は勇者ですから!」
「はっは、勇者ねぇ! そりゃいい!」
俺に釣られたかのように笑った漁師は、やはり先日の妊婦のように俺を勇者だと思っていないようだった。
「まあガーミは城から出れねぇからこっちにリスクはねぇし良いか。んじゃ乗れ!」
「有り難う御座います」
礼を言い漁師の指示に従ってシンプルな船に乗った。立入禁止区域内で漁をしている負い目があるからか話が早い。
俺もオールを漕ぐのを手伝い魔王城がある小島に近付いていく。ただの古城に見えるが、ここに姫が、ガーミが居るのだ。
俺は、優雅に振るまえた時の誇らしげな姫の笑顔を思い出した。鈴のように愛らしい声も思い出し、魔王城の近くである事も忘れて笑みを浮かべる。
「おっしと、到着したよ」
俺が姫の事を思い出している内に、小島に到着したようだった。
「で、俺はここで帰りを待ってたら良いのかい?」
「はい。ガーミとは交戦しませんので、遅くても朝までには戻って来ます。それまで待っていてください」
「ほいほい、賄賂を貰ってますからねえ。気にしなすんな」
どこか下品な笑みを浮かべて漁師は頷いた。俺は剣を持ち船から飛び降りた。一時間程船に乗っていたからか、揺れる事のない地面に安心する。
俺は魔王城に足を踏み入れた。
まだガーミの手下は召喚されていないので、魔王城は予想以上に静かだった。通路に響く自分の靴音が気になり一歩一歩慎重に歩いていた、その時。
「ガーミ! 離しなさい! 大体人を遠くから洗脳するとか気持ち悪すぎでしょ!?」
「ええいうるさいっ! お前を洗脳する為に魔力を全部使ってやったんだから光栄に思え!」
大広間に通じてるであろう扉の奥から、愛らしい女性の声が響きハッとした。ガーミも一緒に居るからかいつも以上に気が強くとも、間違える訳がない。この声は姫だ。
「姫……!」
俺は扉の隙間からそっと中を窺う。
思った通りそこは大広間だった。玉座、と言っても差し支えない。白い壁が印象的なその広間に、毛むくじゃらの巨人と巨人に腕を引っ張られ玉座の前の台座に連行されようとしている姫の姿があった。
無理矢理連行されているからか、姫は苦痛に顔を歪めている。そんな表情を今まで俺は見た事が無く、カッと頭に血が上った。
「姫を離せガーミっ!!」
気付けば俺はバンッ! と勢いよく扉を開けて、広間に足を踏み入れていた。
「!?」
突然の俺の登場に、姫は勿論ガーミですら肩を跳ねさせ驚いていた。俺はその隙を見逃す事なく、懐から投擲用の小刀を取り出し、それをガーミの大きな目玉に向かって飛ばした。
「ぐあっ!」
目玉に小刀が突き刺さったガーミはうめき声を上げ、ふらりと後ろに後退る。俺は急いで姫に駆け寄り、状況を理解出来ていない様子の姫の手を取った。その顔には恐怖が張り付いている。
「姫! 助けに参りました! 俺と一緒に逃げましょう!」
早口で告げ、俺は扉まで向かおうとする。ガーミが態勢を立て直しては俺とて姫を守り抜ける気がしない。
しかし。
「いやっ! 放してっ!」
ようやく口を動かした姫は、金切り声を上げて俺を拒絶した。掴んでいた手も思いきり振り払われる。
「!? ひ……め?」
場にそぐわぬ反応と言うのもあるが俺は姫に拒絶された事が信じられなくて、呆然と姫を見つめた。
「貴方誰よ。ううん、顔は知ってる。貴方、私が一度笑いかけたらそれ以降付きまとってきた変態でしょ! そんな輩と一緒に逃げてやるものですか!」
姫は俺への嫌悪を顕にしながら叫ぶ。
俺は呆然とした。
姫は何を言っているんだ? 俺を知らない? 何の冗談だ?
だって何時もあんなに優しい笑顔を向けてくれたじゃないか。俺の目を見て笑ってくれた事もあったじゃないか。俺が人に親切にしてやった翌日には、必ず姫から国民への労いの言葉という名の俺への隠れたメッセージが中央広場の掲示板に貼ってあった。
俺と姫は身分が違うから、俺は姫が出席する行事には必ず顔を見せた。それだけが唯一会える時間だったから。
宮殿のバルコニーに姿を見せる日も欠かさず足を運んだ。姫はその度に嬉しそうに微笑んでくれたじゃないか。
「っ……良くもやりよったな! 人間めコケにしおって、ええい代わりは要るのだ、姫もろとも喰らってやるわ!!」
暫し身悶えていたが、ガーミは火山が噴火した時のような腹に響く声を広間に響かせた。
「っ」
その声は人間の本能を嫌でも刺激してくれた。姫の表情が今まで以上に険しくなる。
「嫌!! 私は! こんな所で死にたくないっ!!」
姫は自分を奮い立たせるように叫んだ。その声はガーミがドンドンと音を立てて近寄ってくる地響きにすら負けなかった。
その直後。
「っ、え?」
どん、と。
姫に背中を押された。一気にガーミと距離が近くなり、血のように赤い大きな瞳に俺が映る。そのすぐ後ろで、大急ぎで姫が広間から出ていく音がした。
最初、俺は自分に何が起きたかを理解出来なかった。でも、姫の靴音がどんどん遠ざかっていく内に気が付いてしまった。姫は自分が逃げる時間を作るために、わざと俺をガーミの前に突き飛ばしたのだ、と。
「あの女……っ」
突然の姫の行動に面食らっていたガーミだったが、少しして姫の真意に気付いたようだった。涎が垂れているその口に笑みが浮かんでいる。対して俺は、その事実を受け入れられずにいた。
「あの女、よくも……っ! お前では魔力は回復しないがええい良かろう!」
ガーミが何か言っているが俺には全く聞こえなかった。ガーミの鼻息が明らかに近付いてきている。逃げるべきなのかもしれない。でも俺はそれ以上頭が動かなかった。
だって姫が俺の事を拒絶した。俺はこんなに姫の事を愛しているのに。
「はは……は……」
口から乾いた笑いが漏れる。涙も出ているのか視界がぼやけて仕方ない。
「はは……はははははははは」
俺はもう、笑うしかなかった。
そんな俺をガーミが可哀想な物でも見るような目で見下ろしてきた。ガーミも姫に裏切られた俺を憐れんでくれているのだろう。
「壊れた、か」
ガーミが淡々と呟いた。そう、俺と姫の絆は壊れてしまった。同意して貰えたのが今は有難くて俺は小さく笑い掛けようとした。
が、次の瞬間俺の意識は途絶えてしまった。
***
ふと意識が戻った。
ユベロスは次第に状況を思い出し、青ざめた。
漁師に賄賂を渡し終え魔王城に行く前レイゲツに――そこまでは覚えている。
「レイゲツ、レイゲツ!?」
慌てて岩陰から飛び出し、乗るはずだった船の姿を探す。しかし浜辺には漁師どころか人っ子一人居なかった。
しまった。姫の事が心配だったのは勿論、レイゲツの事が放っておけなくて着いて来たと言うのに。
レイゲツは一見人当たりが良いが、その実相当な病人だった。酒場で吟遊詩人の歌を聴いている内に姫に心を奪われ、自分を勇者と思い込み人の話を聞かなくなってしまった。武器屋の生まれだからか、不幸にも一般人より腕が立ったのも不味かった。赤子に泣かれたと言うのも、赤子がレイゲツに恐怖を感じたからだろう。
「いつか問題を起こしそうで……」とレイゲツの家族に相談されたのがキッカケだった。
本人に病識が無いので、入院させる機を窺いながら目を光らせていた。自分をレイゲツは良く思っていなかっただろうが、それよりもただただレイゲツが心配だった。
しかし直前でレイゲツが暴走してしまった。目を離してしまった。少し腕が立つくらいでガーミの元に行ってしまった。姫に真実を突きつけられ、絶望してしまっただろう。そして……。
「っ」
自分は何の為にレイゲツに着いていったのか。今はただ、レイゲツも姫も無事である事を祈るばかりだ。
「……あ」
その時、気が付いてしまった。
水平線に一隻の船が見えたのだ。小さなその船には、先程の漁師とうんざりした表情を浮かべている姫が居るだけだった。
「ごめ、ごめんなさい、レイゲツ……守れなかった……」
その光景で全て悟ってしまった。
祈りは届かなかったという事を。
守れなかった 上津英 @kodukodu
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