守れなかった
上津英
「レイゲツです。これでも勇者なんですよ」(前)
「助かりました、有り難うございます!」
「いえいえ、困ってる人を助けるのは当然の事ですから」
目一杯注がれた水瓶を持ちながら、俺は隣を歩いている妊婦に笑いかける。幼子を背負いながら水を汲んでいる姿が大変そうで、「手伝います」と先程声を掛けた。
思った通り、妊婦は大変だったらしい。幼子よりも重たい水瓶から解放され今は笑顔だ。
「宜しければお名前をお聞かせ下さいな?」
「レイゲツです。これでも勇者なんですよ」
「まあ、ふふっ、私勇者様に助けて貰ったんですね」
妊婦は俺の言葉を冗談と受け取ったらしくクスリと笑った。俺が三年前にこの国の姫を魔王ガーミから救い封印もしたのだが、女性には冗談に聞こえたようだ。
吟遊詩人がしょっちゅう歌っているくらい俺の活躍は有名なんだけどな。……でも仕方ないか。もう三年前だし、勇者は山奥に隠居したと歌われている。その勇者がこんな所に居るとは誰だって思わない。
「本当に有り難う御座いました。ほら、貴女もお礼言って」
妊婦は礼を言い背中の女児に声を掛ける。微笑ましい光景に俺は目を細めた。
が、女児は俺を見て顔を歪めてしまう。
「ふ、ううう……いやあーー‼」
甲高い女児の泣き声が鼓膜に突き刺さり俺はぎょっとした。妊婦も我が子の反応に驚いたようだった。
「ご、ごめんなさい! この子人見知りなんです!」
「あ、いえ。気にしないで下さい」
女児をあやしながら妊婦が申し訳無さそうに謝罪してきて、俺は笑って応えた。二歳程だ、そういう時期だろう。
「本当に申し訳ありません……。実は私達、レイゲツさんにお会いする前まで中央広場に居たんです。あそこは今姫の貼り紙が出てるでしょう? それで人が多かったから、この子もまだ興奮しているみたい」
「え」
母親は済まなそうに眉を下げる。が、「姫」と言う単語を耳にし俺は固まった。
「うえーん!!」
女児の泣き声は酷くなるばかりだった。
「姫が、姫がどうかされたのですか!?」
俺は声を荒げて妊婦を問い詰める。妊婦は一度驚きに肩を跳ねさせた後、首を縦に振った。
「は、はい……姫が魔王ガーミの贄としてまた連れ去られた、と。先程貼られた掲示ですから、ご存知なくても仕方ないです」
妊婦の説明が理解出来ない。あまりに突然な報せに、俺は抱えた水瓶を落としてしまわぬよう努めるのが精一杯だった。
「ガーミ!? そんな……」
「あの、レイゲツさん? 大丈夫ですか?」
心配そうな妊婦の声に一気に現実に引き戻された。ハッとした俺は、水瓶を地面に置き体の向きを変える。
「申し訳ありません! 俺、中央広場まで行って来ます!!」
「えっ、あ、はい。水瓶有り難う御座いました!」
言うなり俺は駆け出した。姫の事で頭が一杯になっていたので、妊婦の声に振り返り返事をする事も忘れていた。
どうか女性の勘違いであって欲しい。
未だ泣き止まない女児の声もあって、俺も叫びたい気持ちで一杯だった。
アトラウタ王国の第一王女、それが俺の恋人ヘンリエッタ姫だ。
姫とは三年前魔王ガーミを討伐した時に出会った。姫を救出したとは言え俺は平民なので、以降は密やかに愛を育んできた。姫は明るい笑顔が印象的な美人だ。
その姫が、またガーミに? あいつ復活したのか? どうして? まさか三年前の封印にミスがあったのか?
この前は自身の配下を召喚する儀式の贄として、王族且つ乙女である姫を連れ去っていた。今回も恐らくそうだろう。王族ならどこの誰でもいいらしいが、それでもガーミは再び姫に手を出した。
「はっ……っ!」
俺は息を切らして、騒々しい中央広場へ駆け込んだ。衛兵が囲んでいる掲示板には貼り紙が貼られている。姫はこの貼り紙を使って毎日国民にメッセージを送っていただけに、今は物悲しいものがある。
『昨晩ヘンリエッタ姫が復活したばかりの魔王ガーミに洗脳され、アトラウタ海の魔王城に向かった。三年前と同じく満月の日の儀式の生贄に捧げられると見られている。現在王立騎士団と救出の打ち合わせを慎重に行っている』
そこには確かに先程女性が言っていた事と同じ内容が書かれており、俺は目の前が暗くなった。
「ひ……め……」
このニュースが事実である事にただただ呆然とした。俺のミスで愛しの姫を危険な目に遭わせてしまった。
王立騎士団が動いているとは言え、彼らがどこまで頼れるか分からない。ガーミは洗脳が得意だし、素でも強い。
勿論救出は試みるだろうが姫は最悪見殺す気だろう。姫は兄が居るし、政略結婚を拒んでいる。そんな姫に利用価値があるとすれば、魔王ガーミを儀式の最中に奇襲する為の餌としてだ。奇襲なら騎士団だけで封印出来るだろうから。
姫。姫。
事実を受け止める事が出来ず、流れる涙をそのままに暫く俺はその場に立ち尽くしていた。
「ああっ勇者様がまた立ち上がってくれぬだろうか……」
ふと、広場にいる誰かの声が聞こえた。勇者。その単語に俺はハッとする。
そうだ、俺は勇者だ。みんなが立ち上がる事を望んでいる勇者だ。思わず絶望に打ちひしがれてしまったが、背中を押された。俺が今すべき事は剣を取り、姫を助けに魔王城に行く事だ。
「姫……っ!」
俺は決意を固めるように呟き、拳を握る。俯いていた顔を上げ、大急ぎで広場を後にした。
幾ら俺が勇者でも、丸腰で魔王に立ち向かえるわけがない。ガーミが魔王城から出られないのは有名だ。今回は隙を見て姫を救出すればいい。
一度家に戻って身支度をせねば。丁度良い事に俺の家は武器屋なので直ぐに準備を済ませられる。
目を閉じ、俺は姫の笑顔を思い浮かべた。気が強いのに国民に向ける笑顔は柔らかかった、愛しい人。
今助けに参ります。どうか、俺を信じて待っていてください。
「レイゲツ! レイゲツ! 居ますか!?」
慌てきったその声が聞こえたのは、俺が物置から剣を取り出した時だ。
振り返るとそこには、街でも有名な診療所を運営している容姿端麗な青年、魔術師ユベロスが息を切らして立っていた。
「ユベロス? どうした、そんなに慌てて」
「あっ、レイゲツ! 良かった、居たんですね。もう家を出ているかと思いました」
俺の姿を認めて胸を撫で下ろすユベロスとは、去年酒場で知り合った。俺が勇者である事に気付き、それからは何かと俺に話し掛けてくる。
別にユベロスの事は好きでも嫌いでもない。こいつはどこまでも優しいし、献身的だ。が、どうにも胡散臭い。ユベロスは頻繁に言葉に詰まる時があるから。
……きっと俺の近くに居れば何かのおこぼれに預かれると思っているのだろう。診療所を運営するにも金が要るしな。
「今出ようと思ったところだ」
「やっぱり……姫を救出する気なのですね?」
俺が頷くとユベロスは複雑そうに目を伏せた。
「王立騎士団も動くのでしょう? ……レイゲツが出ずとも。死にに行くようなものじゃないですかっ!」
「あんなの信用出来るか! 俺が行くしかないっ!」
俺が声を荒らげると、ユベロスはしゅんと黙ってしまい、それ以降喋らなくなってしまった。こういう事があるから俺はこいつを胡散臭く思ってしまう。
「レイゲツ……本気なのですね?」
少ししてユベロスが確かめるように呟いた。
「当たり前だ」
「だったら僕も一緒に行きます!」
決意を固めたその言葉に俺は耳を疑った。ユベロスらしくない言葉だ。
「えっ、お前が? 診療所はどうするんだ?」
「副院長が居ますし問題ありません! それに……僕も姫が心配なんです」
「なに?」
姫を愛する俺はその言葉を見過ごせず、思わずユベロスを睨みつける。
「ちょっとレイゲツ、勘違いですよ。僕は王妃の心の診察に行った事があって、その時姫にお会いした事があるんです。顔見知りは放っておけません。勿論それは貴方もです。僕は戦闘は苦手ですが魔法が使えますから、貴方のお役に立てるでしょう」
真っ直ぐにこちらを見つめてくるユベロスの言葉も頷ける。確かに一人より二人の方がずっと良い。ユベロスは使える存在だ。
「むっ……」
それでもユベロスの言葉にはどこか裏があるように思い、少し時間が欲しくて質問する。
「お前の診療所は心も診るのか。怪我や病気だけだと思った」
「診ますよ。勘違いされやすいですけど、あれだって病気ですからね。で? 僕は一緒に行っても良いんですか?」
ユベロスの語気は先程よりも強かった。やっぱりこいつは褒賞金の山分けを狙っているのだろう。それとも姫狙いか?
悩んだが、メリットの方に魅かれ最終的に頷く。それに今は一分一秒が惜しい。
「ああ、今すぐ発つぞ」
「はいっ!」
俺の言葉にユベロスはホッとしていた。
そして旅は始まった。
魔王城に向かう途中、低級モンスターと遭遇したが何ら問題なかった。
野宿した際、貼り紙を見に行く前赤子に泣かれたエピソードをユベロスに話したら苦笑いで返された。……ノリの悪い奴。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます