第62話「球場で語る⑦」

 神谷の言葉はまだ終わらない。


「でも、それも、あんたは川村先生にいわれて、私を監視していたのだと理解したわ。ええ、そうね、そうよね、いつもどうせそういう落ちだし、それはよく分かっていたわ! だから割り切ろうとした! 割り切ろうとした! なのに!」


 それはいつも誰も信じられない少女の叫びだった。

 信用するべき人がおらず、自分を癒してくれたと思った菫という少女も実は敵で、神谷にとって俺もそうで、全て嘘だらけなのだ。


「――なに? 私の過去の話を聞いて? あんたの過去の話をベラベラと話されて、あんた私をどれだけひっかきまわしたら気がすむのかしら? ねえ、そんなに私という存在があんたにとって不安なのかしら? 迷惑をかけているって? ねえ、教えてよ! ねえ!」


 さらけ出された神谷の本音は傷だらけで、血を吹き出しながら話すかのようだった。


 痛々しく、か弱く、それでもなお美しい。


 それはもうどうあがいても切り離されない神谷の性だ。

 そうして神谷に突き出された血のように熱く痛々しい言葉を俺はぐっと腹にしまい込み、誰にいわれたのでもない自分の言葉で神谷へと返す。


「俺の事を別に親切な奴だなんて思わなくていい。川村先生にいわれてっていうのも本当だ。お前の事を迷惑な奴だと思っているし、いつもなにかやらかすんじゃないかと不安で仕方ない」

「――ッ!」


 神谷はとうとう激情のまま、体を動かし俺のボディーをえぐるように打つ。


 一発、二発、三発、四発、五発。

 何度も何度も子どものヒステリーの様に殴りつけてきた。


 俺は痛みをこらえ、神谷の攻撃をうけるがままだ。

 吐き出したらいい、全部、本音で、中途半端に隠さずにありのままに。


 それが神谷とした付き合うふりをする為の約束なのだから。

 神谷が腹がたつというのなら、いきどおりを感じるというのなら、その感情をありのまま受け止める。

 どれ位時間がたったのか、いつやむかとしれない攻撃も終わり、神谷は息を荒げる。


 俺は嵐がすぎさったかのようにボロボロにされたが、続く言葉をまだいっていない。

 なので、ここで倒れるわけにはいかないのだ。


「……俺はただ神谷に、きれいだといわれても怒らなければいいと思っている」

「――なっに――を……」


 息を荒げたまま、神谷は爛々とした瞳でこちらを見る。

 体力を使いきってしまっても、まだ体内を燃やす怒りの炎、それだけの意味を持つ言葉。


 俺はそれが一番許せない。


「そういわれても、神谷が心から笑えたら、いいと思う。お前の容姿がお前を不幸にするものじゃないと、お前が思ってくれたらいい」


 お前の容姿は祝福されるべきだ。

 誰よりもお前自身を縛るものではないように、とても簡単な事ではないけれど、それでも神谷が自分の容姿を好きになれるようにせめて――。


「それまでは腹がたったら俺を殴ったらいい、嫌な事があったら、俺を罵倒すればいい。俺は少なくともその時までお前の彼氏のふりだ。彼氏っていうのは、彼女を甘えさせるもんだろ? だから頼れよ、俺を」


 だからそう、俺は神谷にいや、彼女ならそうだ、こう思ってもらいたいはずなのだ。


「神谷は自分をもっと好きになっていい」


 神谷はそういう俺を茫然と見ている。

 髪は乱れ、息も乱して、服装も乱れている。

 その上、まぶたは赤くはれているのに、それでもやっぱりきれいだった。


「………………あんたはそれで本当にいいの?」

「ああ、お前が自分の容姿の事を好きになったら、俺の学校生活もいつか平穏なものになるだろうからな」


 そして、それまでの道のりは大変だが、とてもにぎやかな学校生活になるに違いないから。

 かつて右肩の故障と共に失った情熱を少しでも取り戻せるようながむしゃらな目標。


 俺にとって、今、それがお前だよ、神谷。


「……神谷?」


 うつむいたまま反応のない神谷に俺は恐る恐る声をかける。

 調子にのりすぎてしまったのだろうか、これで怒られ、縁を切られたら、終りなので、あせる。


「……後ろを向いて」

「こうか?」


 俺はいわれるままに背中を向ける。

 同時に背中にとんと軽い感触が伝わる。

 なんだと思ったがその後、聞こえてきた声に俺は身動きがとれなくなった。


 ――神谷は泣いていた。


 決して大声ではなく、小さな声でまるで呻くように、声を押し殺して。

 俺は神谷に残酷な事をいったのかもしれない。


 佐伯の話を聞いて、神谷の過去を分かったような気になっているのかもしれない。

 でも、俺はもったいないと思ったのだ。


 俺は神谷が勉強に対して、どれだけ真摯に取り組んでいるか知っている。

 神谷の格闘技能がどれだけ高いものかはこの身をもって知っている。

 だからその容姿についても、誇っていいと思ったのだ。


「あっ! 兄ちゃんがなんか姉ちゃんを泣かせてる!」


 背中に意識をとられて、あろうことか良太の接近に俺は気づかなかった。

 当然、俺の背後で泣いていた神谷も気づく訳はなく、すぐに俺の背中から身を離した。


 赤くなった目もとを押さえ、取り出したハンカチで神谷はふいている。


「うわっ! 姉ちゃんめっちゃきれいだな! えっ! なに! すげー! きれいすぎ!」


 良太は馬鹿のようにきれいきれいと連呼する。

 それと同時に神谷の顔色がみるみる赤く変わっていき、俺は逆にどんどん青くなっていく。


「ちょっとお前、良太やめろ! それ以上いうんじゃない!」

「なんで? だって兄ちゃんすげーきれいじゃんか! この姉ちゃん!」


 純粋無垢に心からそういう良太の口を塞ぎ、俺は神谷を見る。


「……まったくあんたの弟らしいわ」


 そういって神谷は右手を振り上げる。


「……ですよねー」


 俺は観念して、顔を差し出す。


「私をきれいだっていうんじゃない!」


 神谷はそういって良太のかわりに俺を強烈にビンタした。

 残るわずかな体力が底をつき、俺は倒れ伏してしまう。

 結局いつものパターンでなにも改善されていない現状に、将来の不安で暗澹とした気持になった。


 俺はもしかしたら、早まった事を約束したのかもしれん。

 そう思う俺の上を神谷は去り際、一言残していく。


「これからよろしくね、樋口」


 初めて神谷に名前をいわれた瞬間だった。

 叩き伏せられたのに、思わず笑みがこぼれてしまう。


 ああ、こちらこそこれからもよろしくな神谷。

 そうして俺の平穏を求める日常が続いていくのであった。



 ――了



* * * * *

 これにて、一度、樋口孝也と神谷かえでの話は終了となります。

 続編については構想はありますが、次は新作を書く予定です。

 後は、本作のリライトとして、神谷かえで視点を追記するか悩み中ではあります。

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バイオレンスな彼女のせいで俺の体がもちません。 碧井いつき @koron46

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