第16話
目を開ける。
薄白い光が瞳に差し込む。それを皮切りに、全身の
「あれ、ここは…… ?」
イリニはまだぼんやりとした視界を回復させようと、瞼の開閉を繰り返した。その内、光の中に一つのシルエットを認めた。
「ん…… ? 鳥…… ?」
まだ夢から覚めてないのだろうか。
大きな羽が頭部から生えている、まん丸とした生き物。それでいて
そして、その手には何か大きな物が握られている。
「んん…… ?」
両側がギザギザとした平な何か。
ノコギリだ。
「ノコギリぃぃぃぃ!?」
「ギョェェェェェェ!?」
その面妖な生物は、さながら人間のように叫ぶと視界から消えた。代わりに、顔の近くで何か重い物が突き刺さった。さっきのノコギリだ。
一気に血の気が引いた。
慌ててその場から離れようとする。が、そこである事に気づいた。
「え、あれ? 手足が……」
手足が固定されている。目を向けると、
「何これ、どういう状況!? 俺殺されるの!? 誰か! 誰か助けて!」
「ひ、被験者が暴れ出したッス! 解剖させてくれないッス! 殺されるッス! 誰か! 誰か助けてッスぅぅぅぅ!」
「この状況で、なんで俺よりそっちの方が怖がってるの!? 俺の立場は!? しかも今、さらっと恐ろしい事言わなかった!?」
その生き物は、イリニの言葉など一切届いてないようで、羽をはためかせて右往左往している。
全く状況が把握できない。
岩肌が剥き出しになった部屋の、台の上に乗せられている。わかるのはそれくらいだ。
「ギョェェェ! 誰かぁぁぁぁぁ!」
「おい、いい加減に俺の話を…… ! あれ、そもそもなんで人間の言葉を…… そうか、この生き物もーー」
「なんだ、騒々しいな」
収拾がつかなくなってきたところに響く、あの渋い声。
「お、目を覚ましたか、がきんちょ」
「バルクさん! えっと、どこに…… ?」
「ドアの横だ。どこを見てる! もっと下! そう、そこだ」
指示に従い、ようやく見つける事ができた。
木戸の横に小さな穴が空いていて、そこを抜けたところにバルクがいた。専用の抜け穴なのだろう。
「いいところに来てくれました! そこの鳥っぽいマッドな生き物が、マッドな言葉並べながら、全然マッドじゃなくて! ほら、見てくださいこれ! もう少しで、ノコギリ突き刺さるところだったんですよ!」
「何が言いたいのかさっぱりなんだが…… ルースターは解剖が大好きな変わった奴なんだ。ちょっとくらい解剖させてやれ」
「ノリ軽…… ていうか、ちょっとって何……」
そもそも解剖する事を肯定しないで欲しい。
件のルースターという名の、鳥のような生物は、隅の方で小さくなっていた。何をそこまで怖がってるいるのか。
「それより、バルクさん。俺と一緒にいたもう一人の子は? あいつは無事なんですか?」
「ああ。一先ず峠は超えた。今はだいぶ落ち着いている」
「よかった…… !」
イリニはとりあえず胸を撫で下ろした。あの時は、全くの手詰まりで一時はどうなることかと思った。早く魔王の娘に会いに行って、自らの目で容態を確かめたい。
だが、まだ不安要素が残っている。
「それで、これはどうなってるんですか? どうして俺がこんなマッドな拘束を。あいつに会いたいんですけど……」
「マッドを連発するな。言葉覚えたてのがきんちょじゃあるまいし。で、悪いがガールフレンドの顔を見るのは後回しだ」
「あ、ガールフレンドじゃないです」
「即答か……」
困惑しながらもバルクはちょこちょこと走ってくる。そして、台を上り、イリニの顔の近くまでやって来た。
「今から簡単な質問をさせてもらう。いいか? 嘘はなしだ」
なんだろう、とイリニは首を傾げた。
「お前さん、名は?」
「イリニ・エーナスです」
「では、イリニ。お前さんは一体何者なんだ?」
「何者って…… それはどういうーー」
「どこから来て、何の目的であの場にいた?」
冗談を飛ばす余地のないほど、重々しい声。
思い返して見ると、お互い相手の事情を一切知らぬままここまで来た。バルクが自分にとって敵対的な存在だという可能性もあり得る。その逆も然りだ。この質問は、それを見極めるためのものなのかもしれない。
「俺は、その…… ネクラ国から来ました」
バルクの小さな顔に、微かな驚きの色が浮かんだ。
「それで?」
「俺の目的は……」
下手な嘘は返って状況を悪化させるだけだ。包み隠さず、洗いざらい話してしまおう。
イリニは深く息を吐いた。
「仲間を助ける事です」
「仲間を助ける? それはどういう意味だ?」
「実は俺、あの国で投獄されてたんです」
「なに…… ?」
「先に断っておきますけど、別に俺は罪を犯してません。俺の仲間もネクラ国に捕まっていて…… あいつがーー ネクラが俺たちに濡れ衣を着せたんです……」
「濡れ衣か……」
バルクの声が急に沈んだような気がした。
「それだけじゃない。あいつは俺の仲間を殺したんです。少しの躊躇もなく」
「あの気弱そうな英雄様がねぇ…… 俄には信じがたい話しだが…… 何か恨まれる事でもしたのか?」
「わかりません……」
「そうか。ということは、お前さん、脱獄してきたのか?」
「実は」と、イリニは昨日牢屋から偶然抜け出せた事から、ここに到達するまでの経緯を簡単に伝えた。
すんなりと理解できないのか。バルクは終始下を見つめて、黙ったままだった。
「だから、俺は国王に会いに行かなきゃ行けないんです。バルクさん、マッドーー これを外してください」
「国王のところに行ってどうする?」
「ネクラ国の裏の顔を伝えて、すぐにでも仲間を解放してもらいます」
短い沈黙の後、低い声が聞こえてきた。
「それは無理だな」
「無理って……」
「諦めろ」
「なんで簡単にそんな事が言えるんですか! まだ試してもないのに! 早く外してください! 絶対に助けに戻るって、俺は約束したんだ! こんな所で道草を食ってるわけにはーー」
ピタリ、と頬に微かな感触。バルクの小さな手が、イリニ触れていた。叩かれたのだろうか。
「いいか、よく聞け? 仮にお前さんの話が真実だとしよう。だが、それを国王に話したところでどうにもならん」
「確かに、すぐには信じてもらえないかもしれない。でも、今までだって、一国の不正は小さな物でさえ、他の国が総出で正してきたじゃないですか! いくら世界を救った英雄でも、あんな事ーー」
「聞けと言っているだろう。お前さん、今フリュギア王国がどういう状況下にあるか知っているか? その調子だと、何も知らないようだが」
全くもってその通りなので、イリニは興奮を抑え、黙って続きを促した。
「お前さんが何を言おうと、フリュギア王国はネクラ国を敵に回すような事はしない。断言する」
「どうしてですか?」
「お前さん、この国に入る時、でかい根っこに襲われなかったか?」
「あぁ、あの殺意マックスのうねうね……」
「あれは聖樹ローレルだ。約二年前から根が国中に
「二年前……」
これもまた、イリニが投獄されてからの出来事というわけだ。大きな変化の波が、フリュギア王国にまで達していたとは。
「あれのせいで、こっちから使いを送れず、他国の人間もこっちへ入れなくなった。国同士の繋がりが途絶えたんだよ。ネクラ国を除いて」
「どういう事ですか? なんでネクラ国だけが」
「聖樹の異常が起きてすぐだったか、ネクラ・ロンリネス自ら、虹陽術であの根っこの一部を消し去った。それで、今は両国だけを繋ぐルートがある。その後、ネクラ国はフリュギア王国を支援する事を宣言したって流れだ。今でも、定期的にフローターから支援物資が届いている」
では、イリニが乗ってきたフローターは、貿易船ではなく物資配給の定期船だったということか。
「そういうわけで、フリュギア王国にとってネクラ国は唯一の頼みの綱。たとえ、ネクラ国が内側でどんな悪行を働いていたとしても、そんなもの対岸の火事だ。こっちに飛び火する事さえなければ、全て目を瞑る。いや、むしろお前さんたちが逃亡者だと知れば、嬉々として身柄を引き渡すだろうな」
「そんな……」
急に身体が鉛のように重くなる。
仲間を惨殺し、離れ離れにさせた張本人、ネクラ。しかし、対外的には聖人の面を被って接していたらしい。
いや、そもそもどちらが本当の彼なのか。元は気弱で温良な気質だった彼。それを歪ませるほど、イリニたちに強い恨みを抱いていたのか。二年前のネクラの訴えは、どれも身に覚えのない、歪曲された内容だったが。
(ネクラ、お前は一体……)
あと一歩だと思っていた。国王にさえ会う事ができれば、万歳解決すると思っていた。もう目と鼻の先まで迫っていた、そんな夢への活路が、音を立てて崩れ去ったのだ。
「それで、がきんちょ。これからどうするつもりなんだ?」
「これから……」
イリニは裸電球の吊るされた天井を眺めた。その弱々しい光はゆらゆら揺れ始め、やがてある像を結んだ。
空虚な眼差しでこちらを見る、青白い顔をした四人の仲間たち。皆、力の抜けた手を垂らしている。彼はそれに応えて手を伸ばそうとするが、
残るは二人。彼らも徐々にその姿が希薄になっていく。
イリニは目を閉じると、爪が食い込むほど強く手を握る。
「ネクラを倒す…… それしかない……」
「また夢みたいな事を。お前さん、彼我の差ってのを理解してるのか? それに、相手は英雄様だけじゃない。最悪、二つの国を敵に回す事になるんだぞ?」
「わかってます。それでも、俺は諦めたくない。仲間を放って置いて、自分だけのうのうと生きていくなんて嫌だ」
そう言い放つと、イリニはバルクの顔を見据えた。意志の炎を、その目に
すると、バルクはくるりと背を向け、台から降りた。
「なら、好きにするんだな」
そのまま、バルクは扉の方へ四足で歩いていく。
「え、あの、ちょっと待ってください! 先にこれを外してください!」
「そのくらい虹陽術でどうにかなるだろ?」
「いや、その…… 今は使えないというか……」
最後に虹陽術を使えなくなってから、あの時のような妙な感覚はなりを潜めていた。どんなに試行錯誤しても、使えるような兆候は出てこない。
バルクは立ち止まると、軽く肩を下げた。
「その程度の事も自力でできないくせに、よくネクラを倒すなんて大口叩けたもんだな」
急にバルクの口調が荒々しくなる。
「他者を助けるってのは、己の事を難なくこなして、なお力が有り余ってる奴にしかできない。非力なお前さんがどう足掻いたところで、無駄死にするだけだ。それとも、なんだ? 仲間を助けるっていう使命から逃れるために、死にに行くってか?」
「そんなんじゃない! 俺は…… みんなと前みたいな生活を送りたくて……」
勇み立った出だしから一転。イリニの語勢は弱くなり、ついには消えていった。
何も言い返せない。バルクの言っている事はほとんど正しいのだから。今の自分には、ネクラどころか、そこらにいる魔物すら倒せない。だから、ここまで逃げてきたのだ。
「お前さんのその真っ直ぐな性格は嫌いじゃない。だが、前を見過ぎて、全く周りに目を向けてないのはだめだ。お前さんのガールフレンドはどうなる。連れて行って一緒に死ぬのか? それとも、このまま置き去りにする気か? 少し身勝手過ぎる」
バルクのセリフは、記憶に新しいある言葉と符号した。
『でも、"仲間思い"も度が過ぎると、ただの自分勝手だよ?』
先刻のフリージアの顔がありありと浮かぶ。
仲間のためと思っていた行動は、全て自分のためにしていた事なのだろうか。
「あの嬢ちゃん、うわ言でお前さんの名前を呼んでたぞ」
「え…… ?」
これにはイリニも面食らった。記憶の中で、魔王の娘が彼の名前を呼んだ事など一度たりともなかったからである。
「嬢ちゃんは隣の部屋だ。急いては事を仕損じる。まずは、手の届く所にいる仲間の事から考えてやるんだな」
まだ少しぶっきらぼうな感じの言い方だが、どこか丸みを帯びた柔らかさも含まれていた。
呆気に取られ言葉も出なくなっていたイリニに対し、痺れを切らしたのかバルクが声を張り上げた。
「ルースター!」
「ほ、ほいっす!」
ルースターは大きな羽を広げ、すぐさまこちらへ振り返った。
「
「え!? 解剖は!? 解剖したいッス! 色々調べたいッス! 心臓、肝臓、小腸、ハラミ、砂肝……」
「段々食い物に持っていくな。それに、砂肝はお前さんだけだ。ほら、早く外してやれ」
バルクに言われ、ルースターは不承不承といった感じでこちらへトボトボ歩いてくる。そして、羽の下に隠れた手を使って、拘束具を外していく。
だが、ふいにその手が止まった。
「あの、解放する代わりに一つお願いがあるッス」
「お、お願い? まあ、俺にできる範囲なら……」
ルースターからは「おお!」と、なんだか大袈裟な反応。驚くと羽を広げるのが癖らしい。
だが、今度は羽の先同士をくっつけ、もじもじし始めた。落ち着きのない奴だ。
「え、えっと…… あの…… オイラにあの女の子の名前を教えて欲しいッス!」
「名前…… ?」
「一目見た時から運命を感じたッス! あの子こそ、僕の運命の人! それは例えるなら、大腸と小腸! 二人は赤い糸で繋がっているッス!」
「え、何その例え……」
「きもいな」とバルクが白んだ目を向けていた。一方のルースターは、周囲の空気などお構いなしに、飛び出さん勢いで羽をバタつかせている。
案外大したお願いではなかった。それくらいなら。そう思ったが、イリニは重大な事を忘れていた。
「名前か…… 教えてあげたいけど、俺も知らないんだ」
「ギョエ!?」
イリニは再び天井を仰いだ。光の中には、先ほど幻視した仲間の影が微かに残っていた。
(みんな…… 俺はどうすれば……)
英雄を討て〜全てを奪われた元勇者、魔王の娘との共闘。世界を敵に回しても、復讐を目指す〜 川口さん @kawaguchi_san
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