第3話

次の日、迎えが来て雲泉は母に別れを告げた。


雲泉は緊張した様子も無く静かな目にやはりかすかな微笑みをたたえて、「行ってまいります。」と母に挨拶をした。

母ももう伝えるべき事は伝えたという想いを胸に抱いて送り出した。

後は、あの子自身がどこへなりとスタスタ道を歩いて行ってくれるだろう。そんな気がした。

何せ、私だけの子ではないのだから。そう思い込もうとしてもやはり淋しかった。

和尚は雲泉を先方に送り届けた時もなお、この者は非常に真面目で一生懸命な性質である事を誉めた後で、しかしまた逆に無口で愛想の一つも言えない性格なのです。

それは人によっては生意気ととられかねないが決してそうではないのです。

そこの所をどうか御指導宜しくお願いしますと言って帰って来た。

係の者が、いろいろな所を案内し説明して回って仕事の仕方を説明した。

雲泉は寺での雑務や手伝いや写しはよくやらされていたので、言われた事はすぐに、手早くかたずけるようになった。仕事を始める

と、休みも取らず、それに没頭するので同僚の者の中で雲泉を悪く言う者は居なかった。

人が億劫がるような面倒な仕事もどんどんかたずけて行くので、やがて、周りの者達も一目置くようになった。

そのようにして雲泉の仕事場での人間関係は、和尚が心配した事も無しに過ぎて行った。

「あの男は全くもの言わぬが、ものが言えぬというのではない。先日非常に難しい書物があってこれが読めるか、読めるなら読んでみろと言うと、あの難しい物をスラスラとしかも澱みなくいつまでも読み進むんだ。これには驚いたヨ。」

とその部署の先頭に立つ者が語っている。

それに、書庫に収める時に書く目録を書かせたが、あれには驚いたネ。素晴らしく美しい文字なんだ。本当に驚いたネ。余計な無駄口をたたかず、仕事のえり好みをせず、人付き合いの悪い事を除けば最高だネ。」

そういう仲間内で話す事は少しずつ、少しずつジワジワと外にしみ出していく。

やがて職を紹介したあの屋敷の主の耳にも届くようになった。

主は大変満足して雲泉のあの爽やかな風貌を思い浮かべ、茶を持って来た娘に、「あの雲泉という若者を覚えているか。」と聞いた。

「一年程前、法要の件でここにも来た事があるがお前は下ばっかり向いていたから、よく顔を見なかっただろう。大層、好感が持てるので和尚にどのような者か聞いたら、これからの行く道筋も決まっていない勉強中の身だというではないか。

それで試しに編纂の部署に紹介したのだヨ。それが大した人物のようだ。私も満足しているヨ。様子もいいが、人の目を伺うというような嫌みな所が少しもなくて、それかと言って傲慢でもなく、常に淡々として涼し気な所がいい。私は

最初から気に入っていたのだが、お前は覚えていないか?」

父親が娘に聞くと娘は頬を赤らめて、「存じ上げません。」と言って逃げるように去って行った。

どうやら嫌いではないらしいナ。主は今度、雲泉を一度屋敷に呼んでみようと思い立った。

実はこの屋敷の主は以前より、この人物だ!と自分が納得するような若者を探していたのだ。

妻が早くに亡くなり、娘は一人。この娘に相応しい人物を見つけ出し、自分の跡を継がせる若者を大分以前から、それとなく探し歩いていたと言った方が良いだろう。

しかし、なかなか自分が満足するような人物には巡り会わないで来た。

まあまあ候補は何人かいる。大人しい娘は父親がよしとして勧めたら、その何人かの中の誰かを婿に迎えるだろう。

しかし、私自身がこの者ならと満足出来る程の人物にはとうとう会わずにここまで来た。

しかし娘ももう十七歳になる。そろそろ決めねばと思っていた矢先の一年前にあの雲泉を見かけたのだ。

一目で主の目を引いた。

まず見目形が美しいという点で目につき、それに気をつけて目で追っていると挙措といい、何事につけ控えめでありながら、どこか堂々としている。特にあの、人を見る目のある和尚が、それとは解らぬようにしているが、かなり気に入って大事にし自慢にも思っている気配は隠しようがない。

一度何かの事で雲泉に簡単な覚書を書かせて主に渡した事があった。

簡単な数行の文字はかなりの達筆で驚いた。それからはますます気になり、あの者の素性を知り、出来るなら自分の手の届く所に仕事を与えて様子を見ようとしたのだった。

そうして、一年さりげなく、気にはしていたが三月もするとジワジワと染み出て流れてくる噂は期待通りのものだった。

主は大いに満足して次の段階に進めようと思い、娘に話を振って見たのであった。 


雲泉はほどなくして和尚と共にまた、あの屋敷に招かれた。

主は雲泉の仕事ぶりの良い噂を和尚に伝えて和尚を喜ばせて安心させた。

二人は酒肴を馳走になり、娘も来て酌をしたので和やかな時を過ごした。主もだが和尚も機嫌よく屋敷を退出した。

帰り道、ほろ酔い加減の和尚は、雲泉に、

「大層お前は気にいられたようだのう。あの姫御前も文句なしの美人だし…。

お前はきっと相当気に入られたのじゃよ。」と言って雲泉を見た。

雲泉はいつものように静かに黙っていた。

それは、見る者によっては少しはにかんでいるようにも見て取れただろう。

だが和尚は少しだけ、ほんの少しだけ考え込んだ。が、首を振ってそれ以上は考える事を辞めた。

そして心の中でつぶやいた。

「風の吹くように、そのままにな…。人の人生なんてわかりはしない。それにこの通り自分の事さえおぼつかないのに大の大人の男の身を儂が考えてどうなるものでも無し、

後は雲泉が雲泉の道を行くだけよ…。」そう何やらぶつぶつ独り言を言ったがその独り言も心地よい涼しい風に吹かれてどこかに流れて行った。


あれから雲泉は相変わらず難しい書物や、時には貴重な書状などをまとめたり書き写したりしながら過ごして行った。そして一ヶ月ほどたったある日、またあの屋敷の主から招待を受けたのだった。

雲泉はいつもそうであるが、招待を受ければ、それを受ければ、それは仕事の一つとして、素直にそれを受け、何もためらわずに出かけた。

屋敷の前では主が喜んで待っていたが何か急な用事が出来て出かけなければならないという。せっかく来ていただいて申し訳ないが、娘が相手をするので、今日はゆっくりして行って欲しいと言うと出かけて行ってしまった。

雲泉は、いつもの庭の見える座敷に通された。そこには、豪華な料理が並べられており、主の娘があでやかな着物や髪飾りの衣装で控えていた。

主がそう計らったのか、侍女もいず、娘一人だけがいて、娘は恥ずかしそうに名前を述べ、「ふつつかですがお酌をします。」と言って雲泉の盃に酒を注いだり、料理を食べやすいように、いろいろ世話を焼いてくれた。

雲泉はその都度、礼儀正しく短い言葉で礼を言い、ゆっくり、味わうように食べ、満足しているようであった。

食べ終わると、「御馳走様でした。大変美味しくいただきました。」と丁寧な礼を言った。

娘は嬉しそうな様子であった。

それから、雲泉は庭の良く見える縁先に立ち、また庭を眺めた。そして暫く暫く何も言わずに庭を見ていた。

娘は、その後ろに控えながら、何か自分に言葉をかけてくれるのを待っていたが、雲泉は何も言わず、ただ、庭を眺めるばかりだった。そして、座敷の隅の小机に、紙、筆などを見つけると、娘に向かって、これを使っていいかの仕草をした。

娘は頷いた。会話のようなものは、ただそれだけだったが、それでも娘はほっとし、非常に嬉しく思った。

雲泉は、やがて墨筆を整えると、紙に向かって一心に何かを描き続けた。それは、今見た見事な、庭の景色だった。

暫く熱心に描いた後、それは、素晴らしい絵になっていた。

娘はその見事さに驚いて、その絵にしばし見とれていたが、雲泉はすっくと立って、「お邪魔しました。」と一言言ってそのやしきをさった。

主が帰って来ると、すぐに、娘に様子を聞いた。

娘はその絵を父親に見せて嬉しさを隠せないようだった。

大事な宝物のように、その絵を胸に抱いて部屋を出て行く娘の後姿を見て父親も満足したようであった。

「それにしても、あの絵は素晴らしい。ただのものではないな」主は改めてそう思った。


雲泉は、その一ヶ月ほど後に、また屋敷に招待された。

その日は、最初から主の姿は見えず、娘が恥ずかしそうに、「父は今日も外せない仕事があるとのことで失礼しました。大変申し訳ありません。」と詫びを言った。

そして娘は、この前の様に贅沢な料理の並んだお膳に招き、雲泉が食べやすいように世話をした。

雲泉はそれを満足そうに味わって食べた後、「大変ごちそうさまでした。美味しくいただきました。」と礼を述べた。

立ち上がった時に、また部屋の隅に紙と筆道具を見ると雲泉は暫く考えていたが心を決めたように紙に何かをサラサラ書いた。。

それは側にいる娘の絵姿のようであった。絵を書き終えると、今度は空いたところに漢詩のようなものをサラサラと書きつけた。

雲泉はその頃、唐から渡って来た書物を読み、それをわかりやすいように別紙に書き写す仕事をしていたのである。

その中では、文人たちが馳走の礼に絵を描きそれに讃を入れて相手に渡すと言うものであった。それと同じような事は、以前、和尚のお供でいろいろな家に招かれて食事を御馳走になったりお布施を頂いたりした時に、和尚は紙と筆を借りて書を書いてさしあげていた。

雲泉は、この大層贅沢なもてなしを受けた場合、何かで、それを返すのが礼儀と記憶していたのである。

雲泉の描いた絵姿は、娘によく似ていて、それ以上に美しく描かれていた。さらに、娘には読めないけれど、何か書かれている。

このお方は、口に出してこそ言わないが、これに、意味のある言葉を書いてくれたに違いないと思い込んだ。

雲泉はそれを書き終えると、涼しげな眼で、「失礼しました。」と言って帰って行った。その後間もなく帰って来た父親に、娘は嬉し気に絵を見せた。父親は、その絵の美しさもさることながら書のすばらしさにも驚いた。そして、その讃の意味を知りたいと思った。

それから、すぐに、漢詩に通じた知人を訪ねて、その意味を聞いた。

それは、唐の有名な詩人のもので、芙蓉の花のような美人を讃えた詩である事が解った。

雲泉は、食事のお礼として、礼儀に適った事をしていたのだった。

けれど、雲泉の、姿、顔形の美しさや、佇まいに、夢中になっていた娘は、すっかり、雲泉に心を奪われて、雲泉もまた、自分の事を好いてくれていると、思い込んでしまったのだった。しかし、それは無理もない事だった。

父親は高い位にあり、広い屋敷、土地、財産のある一人娘の婿になりたいと思う者は山ほどいて、それを望まない若い男はいない程この家の美しい娘は高嶺の花だった。

父親も、娘も、それを鼻にかける類の人達では無かったが、只、相手の心持を知りたさにこのようにして、二度、三度、と招いて見たのだった。

しかし、残念ながら、雲泉は普通の男では無かった。

その後、また、暫くして、雲泉は招待を受けた。

あれから、娘は、一日千秋の想いで、その日の来るのを待ち続けていただろう。

早くお会いしたい、今度はあの方の口からじかに本当のお気持ちを聞こう、と心に決め、

こういう事を話そう、ああも聞きたいと色々考えて、溢れる想いを抑えていたのだった。


娘の希望で、その日も、父親は屋敷にいなかった。

いつものように、豪華な料理でもてなされた。

料理を馳走になると、雲泉は帰ろうとした。しかし、部屋の隅の小机には筆の道具も置かれていなかった。

いつものように、素晴らしい庭を眺めて帰ろうとする雲泉に、横に座っていた娘が、思い切ったように話しかけた。

その声は、かすれて震えていた。

「今日は、雲泉様の本当のお気持ちが聞きとうございます。

大変不躾とは思いますが、雲泉様の本当のお心を知りたいのです。」

しばらく沈黙が続いた。

娘はそれでも、じっと、雲泉の言葉をまっていた。

また、暫く沈黙が続いた。

やがて、雲泉は口を開いた。

「私は貴方が思っているような人間ではないのです。」

しかし、娘は訳も解らず次の言葉を待つばかりだった。

そして、また暫くして雲泉が

「私は、あの空に浮かぶ雲のようなものなのです。」といった。

それだけ言うと、後は何も言わなかった。

他に何か言ってくれるかと、辛抱強く待っていた娘が、おずおずと、

「それは、どういう訳でしょうか。」と、尋ねても

雲泉は目をつむったまま、もう、何も答えなかった。

二人の間には沈黙が流れて行った。

やがて、娘は部屋を出て行った。

雲泉が屋敷を去る時、娘は、もう、送りには出て来なった。

そして、その後は、二度と招待されることは無かった。


それからも、一年程は編纂の仕事はつづいたが、

和尚が、かねてから、あちこちに声を掛け、雲泉が雲泉らしくあるべき場所を探していてくれたのだ。

ある日、和尚から、寺の総本山に、雲泉に相応しい仕事があって、本人に会ってみたいと言っていると、手紙がきた。

雲泉は素直にそれに従った。

何百人、何千人という僧侶たちが入ったり出たりする総本山に雲泉は特別扱いで行く事になったと言う。

古い文書のある貴重な書庫の中の貴重な役所を与えられたのだった。

それは一重に和尚が幼い頃からの数々の才能や今迄の働きぶりを話して歩いたお陰もあるが、実際の今迄の仕事ぶりがどこからともなく知れ渡り、本山の頂点におられる方の耳にも届いたからであるやがて雲泉は、和尚の勧めに従うことにした

和尚に連れられて総本山に足を踏み入れた時、雲泉は剃髪していた。

それは有髪の頃にも増して美しく、幼い頃から見て来た和尚でさえしばしみとれるような美しい青年僧であった。

雲泉にはこの姿こそが本当に似つかわしいと和尚は思った。

ここ一年余りの事は何を聞かずとも全て手に取るように解ると和尚は感じていた。

母御に僧侶になる事を伺いに行くと、

全て和尚様にお任せします。あの子が生きやすいようにお計い下さい。本当に何から何までありがとうございます。と母親は泣いていた。

やはり雲泉は雲泉であって、雲泉以外にはなれなんだか…和尚はつぶやいた。

その日、雲泉は本山に上っても少しの動揺も見せず、いつものように落ち着いた静かな佇まいだった。僧侶の衣装も前々から帰着ているようによく似合っていた。

それから二人は寡黙な僧の案内で長い長い廊下を歩き一つの部屋に通された。

そこに入ると一冊の書物を与えられて、それを読んでおくようにと言うと案内した僧は出て行った。それは和尚の目にもかなり難しい書の一つで滅多にお目にかかれぬ貴重な物だった。

雲泉はその書を手に取ると夢中で読み始めた。和尚はその横顔を見ながら、つくづくこの若い一人の青年の不思議さを思った。

この完璧な才能の権化でありながら、只一つ無い物がある。それは感情だ。人として生まれたなら誰もが備わる心、人はその心持に悩みもし悲しみもする。だが雲泉には恐らくそのかけらも無いだろう?それ故に邪魔するものが無い故にここまで完璧にもなれたのだろうか。あの時この子の才能を目の前にした時、和尚はまるで宝を手にしたように有頂天になった。そして雲泉がどんどん知識を吸収して伸びて行く様を見るのは子のいない和尚にとっていつか無上の喜びになっていた。それを自慢にも思った。

だが今和尚はこの青年に対して、何か哀れさを感じるようになった。「雲泉、お前は幸せか?」心の中で言ってみた。「雲泉、お前はそれでよいのか?」と聞いてみたい時がある。だが、和尚が例えそう話しかけても雲泉は相変わらず涼しい目をしているだけだろう。

どうやら儂はいつの間にかこれの母親と同じ気持ちになってしまったようだ。

待たされている間、和尚はそんな事を考えたりした。

かなり時間が経ったなと思う頃、年老いた僧とやせて目に険のある中年の僧侶が入って来た。

中年の僧が自分の名を名乗り、こちらがこの本山の大僧正ですと老僧を紹介した。

穏やかな顔のかなりご高齢のその方を和尚もこうして間近にお会いするのは初めてだった。大僧正は静かな声で、「ここに来るのはさぞ大変だったでしょう。ここに来るそこに至る迄の事は全て御仏様にお導きなのですヨ。

私がここにいるのも、貴方方がここにいるのも全てがです。嬉しく有難く思います」。と話すお声は優しく柔らかだった。

目の鋭い層が雲泉に向かって、その書物は読みましたか?と聞いた。

雲泉は緊張もせずに「はい。」と静かに答えた。

するとその僧はその目を一層鋭くして、その書物の内容でも文面でも覚えている所があれば思い出して話してみて下さい。と言った。

これがいわゆる試験なのだ。

和尚は少し心配になった。今までこの和尚でさえ手にとって読んだ事の無い書物だった。

だがその心配をみせまいと座禅の行の時のように目をつむって黙っていた。

雲泉はその書物を自分と相手の僧の間に置くと、その書の中身を今、それを見て読み上げているようにスラスラと澱みなく暗誦した。

和尚は驚いてつむっていた目を開けて雲泉を見、自分以外の三人の僧達を見た。

雲泉は少し上の空間を見上げるように相変わらず涼し気な目をして悠々と諳んじている。

大僧正はニコニコしながら優しいまなざしでそれを見守っている。

目の鋭い僧はその目を一層大きく見開いて雲泉を見ている。やがて目の前に置かれた書物を自分の手に取り、暗誦に誤りがないかを確かめる為開いて目で追い始めた。

和尚は自分でも驚きながらも、それが非常に誇らしく、相手の驚く様を見ているうちにおかしくなって、それをこらえるのに苦労した。

雲泉は一つの間違いも無く、それを最後まで暗誦した。

中年の僧は驚きの余り黙っている。

何か指摘するところがあったならそこを容赦なく突くのが彼の役目なのだろう。

すると大僧正が笑いながら、このようなお方もこの世の中におらっしゃるんですナ。これも正しく御仏様の思し召しなんでしょうな。御仏様がここにお遣わしになったんでしょう。有難い事です。と誰にともなく手を合わせた。


このようにして雲泉は膨大な量の書物が納められた書庫に詰め、古来からある書物を読みその内容をまと日日々学ぶ僧たちの為に、解り易くまとめた教本作りに専念するようになった。

雲泉の書は美しいうえに見やすく文も解り易かった。

本山においてもその仕事ぶりはすぐに評価され、上の方からも認められた。

誰もがその書いた物を見ると、こんな字がいつか自分もかけるようになりたいとあこがれを持つのだった。

やがて雲泉の下には彼が仕事を片付けやすいように字の旨い者達数人が下についた。

書庫ではいつの間にか雲泉が一番上に立って仕事が流れるようになって行った。

雲泉はまだ非常に若かったので、彼を手伝う達筆の者となるとどうしても年齢的に大分上の者達ばかりだったが、その誰もが自分の手筋が認められ選ばれて雲泉の手伝いが出来る事を誇りに思い、どのような事も喜んで勤めるのであった。

それは自分の書いた物がいつ後世の

人達に読まれ、幾千、幾万の人達の助けになるだろうという励みであった。

その者達の感激から出た言葉を聞く事があっても、雲泉は変わることなく淡々と仕事を片付けて行った。そして、いつも静かに幽かな笑みを浮かべた涼しい目をしているばかりだった。

大僧正も雲泉を気に入ったらしく、時々、薄暗い書庫から連れ出すように、何かの催し場に供をさせ連れ歩いた。

大僧正の後ろに静かに控えている美しい雲泉の姿は人の目を引いた。

大僧正はそれも得意だったのかも知れない。大僧正の書は広く知られていて、誰もがその有難い書を欲しがった。

大僧正は寺の中で数枚書いては雲泉にその中から一番良い物を選ばせ、その一番良い物を雲泉に与え二番目に選ばせた物をいずこかに送るというようになった。

雲泉、お前の書はいつかこれを超えるだろう。いや、もう超えているのかも知れぬがなと笑った。

ある日、「雲泉、一度皆の前でお前の勉強したものを講義してはくれぬか?どうかナ。」と大僧正から話があった。

雲泉は少し考えて「はい、かしこまりました。」と引き受けたのである。

その話は少なからず無言で静寂な筈の寺の中をいつの間にか伝わり、皆の好奇心の的になった。

その頃、月に一度、大伽藍で寺の僧の誰もがかれもが、一斉に今まで聞いた事の無い有難いお話を聞ける日が設けられていた。

そこには溢れる程の僧たちが固唾を飲んで待っているのである。

従って講義する側も誰もが知っているような話をしたのでは熱心な僧達を満足させる事は出来ない。その為にも選ばれた講師は前々から何を話すかを古い書物や何やで自らが勉強し準備し、その日に備えるのだった。

それは講師にとって大変な事だった。

その有難いお話を聞いた僧たちはそれを書き留めたり記憶にしっかりとどめたりして、やがて本山を降り大衆の前に立った時、その話を人々に伝えるのであった。

だが雲泉は講師に指名されても特別その為に勉強するという事はしないで淡々と仕事をこなしていた。

ある日大僧正が雲泉を呼び、今、どのあたりを解釈しているのかナと聞くのでそれを答えると、

その辺りも面白そうですナ、昔は私も読んだ事があるが、雲泉あなたの噛み砕いた話を私に聞かせてくれませんかとおっしゃった。

そして、いよいよその日がやって来た。

伽藍の中は若い僧達は勿論の事、年老いた僧も又、外からの僧も混じっているらしく、いつにも増してぎゅうぎゅう詰めのその多くの目達は、まだ若く美しいこの僧がどんな事を話すのかしかも大勢の人達の目の前で果たして落ち着いて話が出来るのか、好奇心と疑いも混じった目で見守っているのであった。

一人の僧が、今日の講師は雲泉士であります。雲泉士は書庫の中にある有難い書物を日々研究されておられるので貴重なお話を聞けると思いますと紹介してくれた。

雲泉が中央の壇に立つと場はその若さ美しさに改めて息を飲み空気が変わった。

雲泉は落ち着いた口調で自分がまとめ上げた内容を朗々と語り聞かせた。

自分の目の前の高座の椅子に腰かけている大僧正に向かって、雲泉は民衆が聞いても容易に理解出来るだろう言葉を使って説明するように話して行った。内容は、迷いも無く生きて行くにはどうしたら良いかと問う哀れな者に対して仏陀が答える本来は非常に解りづらい難しい文書だったが、雲泉はそれを聞く者の様子や答える側の様子を色付けして、講義を聞いている者達に一層解り易いように説明して話して行った。

伽藍の中は静まり返っていた。もしも目を閉じたなら、他には人一人居ないだろうと思う程、呟き一つする者無く、その中に雲泉の耳ざわりの良い、良く通る声が美しい音楽のように聞く者の心に心地よく泌み通って行った。

それは異国での仏陀と人々とのやりとりの数々だったが、雲泉の口を通すとまだ見ぬ異国の匂いや風までが感じられるような気がするのだった。

それは実に不思議な事だった。

話が終わっても辺りは暫くシーンとしていた。それは誰もがその話の世界に浸っている証だった。

やがて大僧正の有難いお話でしたの一言で、初めて人々の間からざわめきが起こった。

講義は無事終わったその後、雲泉は大僧正から呼ばれた。

雲泉、もしも嫌でなかったらこれからも今日のような話を月に一度、皆の前ではなしてくれないだろうか?と言われた。

「はい、そのように致します。」雲泉は気負いもなく答えた。

雲泉、お前は何でもよく物を見、知り、それを憶えて人に授ける事が出来る。

雲泉が話した話の内容はこういう物でした。

その日も空は晴れ渡り風の殆どないとても暑い昼下がりでした。仏陀はかなり年老いていましたが、自分が悟りを開いて得た事を人々に教える為に仏陀の一行がその村を通りかかる事を聞きつけた人々が仕事を休んででも遠い道のりをかけつけた。現にそこは人だかりが出来ていました。仏陀が弟子達を従えて休息をとった所は巨大な木の下でした。

樹齢が何百年なのか解らぬ巨大な木は大きく枝を広げ伸ばし、枝に着いた葉がまるでその日の暑さから仏陀達とそれを見守る人々を守るように陰を作っておりました。

その木陰の中だけには正しく涼し気な風が吹き抜けていて少しも人々に暑さを感じさせませんでした。仏陀はかなりの高齢である筈なのに、少しもそれを感じさせない程ゆったりと豊かな慈しみの表情で人々を見渡しました。

すると人々の中から年老いた一人の険のあるお爺さんが少し甲高い声で立ち上がりました。

「私は一つ隣りの村の者です。あらゆる悩み事に対して解決のお言葉を下さる偉い方がおいでになると聞いて仕事を放ってはるばる駆けつけて来ました。

この上は何が何でも私が日ごろ抱えている不満やうっぷん、不安を解決するお言葉を聞かないでは帰れません。貴方様は本当にこの私の苦しみを解決して下さるのでしょうか」とやや挑戦的に聞いた。

成程、その老人は長い道のりを歩いて来たのだろう。埃にまみれた粗末な衣服は汗で体に張り付き食べる物もろくに食べていないのか体はガリガリに痩せていた。

それを見た仏陀の弟子の一人のアーナンダは気の毒そうに、「それはどのような事でしょうか。」と伺いました。

するとその老人は、「先生様、私は生まれ落ちた時から不幸でした。貧乏な家に生まれ、小さい頃から満足な物を食べた事が出来ないまま大人になり、大人になってからもこのみじめな生活は少しも変わらずとうとうこの年になってしまいました。

そして、このまま良い事も無しに死んで行くのかと思うとつくづく情けなくなり、怒りが込み上げて来ます。周りが同じならあきらめもつきますが、私の隣に住む同じ年の男は反対にいつも幸せそうに生きています。

生活だって大して私と変わりがないのにいつも機嫌よく、自分くらい幸せ者はいないような顔をしているのです。それが悔しくて仕方がありません。私達は最初っから貧乏なのだから仕方がありませんが、しかし同じ貧乏なのにどうして隣のあの男は幸せそうにしているのか。人はどうして生まれて来て何も満たされないまま死んで行かなければならないのでしょうか。こんな事を言う私は聞く者によっては何と馬鹿げている人だろうと思われるかも知れません。

しかし、先生、何でも解決して下さる方だと聞いたのでこうしてやって来ました。どうか、私に心安らかになる方法を教えて下さい。」

その険のある顔の老人は話し終える頃にはすがるような顔で目に涙さえ浮かべていました。聞いている者達の中からは一言のやじや批判の言葉もありませんでした。

この一見自分勝手に思える老人の言葉は、言い換えればここにいる一人一人が持つ問題でもあったのです。

辺りは仏陀が何を答えてくれるかを息を飲んで見守っていました。

すると、今まで静かに落ち着いていた仏陀の口から声が発せられました。

何とも言えない人を癒すようなお声でした。

「人の苦しみはどこから来るかと言うと、それは人との比較から来るのです。“私”と私以外の人との比較からです。時には“満足”という喜びを感する事もあるかも知れないが、多くは私と他人との比較によって苦しみを感じ、一つの苦しみが去っても次から次へと比較しながら生きる毎日は不安を持ち続ける事になるのです。

あなたは私に生まれながらに不幸だと言いました。私はずっと貧乏で恵まれず従って私はずっと不幸だったと。それではあなたが生まれながらに金持ちだったら幸せ者だったかというと金持ちが全て幸せかと言うとそうではありません。多くの金持ちが違った意味で不幸を抱えて生きている例を沢山見て来ました。だから不幸は貧乏だから金持ちだからという事で決められないのです。現に貴方のお隣の人は同じく貧しいのにいつも幸せにしているというではありませんか。その人は貧しいのに何故幸せなのでしょう。その人は“私”を捨てているのです。

私が私がといつも思う事が貴方を苦しめているのです。貴方は何故、自分をそう苦しめるのですか?あなたの“魂”である“心”は自由である筈です。人間に限らず動物ももちろんあの木に止まっている鳥達も心があるならば心はその体を離れて自由な筈です。貴方はたまたま今のその体に止まった小鳥のようなものです。その止まり木の体をいっとき離れてこの大きな木の上から世の中を眺めてごらんなさい。

この木の上からあなたのその身体を眺めてごらんなさい。一生懸命、働き通しに働いて来た、その身体はなんと頑張って来たろうと逆に愛おしく見える筈です。その体は貴方が生まれ落ちる時に自分が選んで止まった“とまり木”なのです。その大事な止まり木である残り少ない日々を今までのように嘆いたり呪ったりして邪険にしてよいのでしょうか?

私達人間はこの世に生まれ出て記憶にはないけれど、自分が選んでそれぞれが“とまり木”を定めそこに止まってそこに心を育てて来たのです。“私”というのはとまり木である自分の事です。まず心は自由です。どこにでも飛んで行けます。“私”というものは一度捨ててごらんなさい。“私”という姿形を捨ててそこを離れて高い所から見た時に何かが見えて来ませんか?ほら懐かしい自分だけの仮の姿が仮の宿が見えて来るでしょう。皆、誰もが仮の姿にほんの生きている間宿を借りているに過ぎないのです。

美しいとか、美しくないとか貧しいだの金持ちだのは、ほん、のひと時の仮の宿のようなものです。けれど、その仮の宿も止まり木も、それがあるからこそこの世にいられる大事な宿であり止まり木でもあるのです。

人生、生まれたら、やがて必ず老いがやって来ます。そしていつかこの世から別れて行く日が来ます。死ぬという事です。私も同じです。そう遠くない日に死ぬでしょう。それは金持ちだ、貧乏人だとの区別なしに必ず皆にやって来る事です。死ぬ事は自然な事です。人は生まれたらいつか必ず死ぬのです。死なない人はいません。その時は、今迄このよにとどめて多くの事を見せてくれた止まり木でもあり仮の宿でもあった“私”という身体に本当に感謝して心が離れて行くときなのです。

老いぼれて醜くなってしまった体なら尚更十分に自分の為に力を出し尽くしてくれたその“私”という亡骸にありがとうの心を持って次の旅に向かうのです。

死んだ後の“心”の行方はどこなのか、それは死んでみなければ解りません。ですが苦しみや悩みがどこから来るのかは解ります。一度、その体だけに執着しないであの鳥になったつもりで遠くから貴方を見てごらんなさい。きっと涙の出る程、愛おしく見える筈です。“私”という体と心は別なのです。“私”を捨てて物事を又は世の中を見るのです。するとずっと楽になる筈です。

そしてあなたの心が止まっているその止まり木がきっと大事に思える筈です。」

そこまで仏陀が話すと、その時どういう訳か巨木の枝に止まっていた鳥達が一斉に飛び立って空に向かって飛んで行きました。

人々は思わずそれを見上げました。

まるでその中の一羽が自分の魂か心ででもあるような気がしました。

そして誰もが心はいつでも自由にどこへでもこの身体から飛んで行ける。しかしそうして自由に飛び回った心はいつかは止まり木であるこの身体に戻って来るようなそんな気がしました。

この話は聞く人の心をとても楽にしてくれたのでした。

人は誰も平等









こうわにいつかは死ぬ。それはごく当たり前の自然な事で恐れる事は何もないのだと。

年老いて死ぬのも少しも恐れる事は無い。長い間、自分の為に止まり木でいてくれた使い古されたその亡骸に感謝の心を持ってお別れしよう。

その先はどんな所なのか。仏陀の話を聞いていれば何故か悪い所では無さそうだ。

そこに集まった人々は皆、どこか安心したような、そしていままでよりも自分の体を心を宿している止まり木のように思えて来るのでした。

質問した老人はもちろん顔から険しさは消えていました。

いつか死ぬその時迄の大事な日々を無駄に過ごす事はもう無いだろうと思われました。

講話の終わった翌日

大僧正が雲泉を自室に招いた

「お前もやがては年をとるだろう。だが、その時、私はこの世にいない。お前に会ってからというもの私はもっと生きてお前の話を聞きたいと今日は特にそう思った。

だが私の命もそう長くは持つまいと思う。お前がいつか年老いた日々を、老成したその日を見てみたいと思ったヨ」と言って笑ってから、

「今迄は雲泉のせんは泉と書くが、今日からは仙人の仙と書くがいい。周りの者にはそう伝えておく。私がお前との関わりのあった印としてこの字を授けよう。」

そう言って大僧正は“雲仙”と紙に書き授けた。

その日から雲泉は雲仙になった。

それからも雲仙は古い書物と次々と出会いながらそれを解り易く後世に遺すという仕事を朝から晩までこなしながらも少しも疲れを知らぬようであった。

一緒に仕事をする者達はその根気と忍耐力に驚き、あの方は普通の人では無いと囁いた。

そのようにして、雲仙の日々は膨大な書庫の書物に埋もれながらの毎日だったがそうしながらも月に一度大伽藍でぎっしり詰めかけた僧達の前で講義をするという事で流れて行った。

その日々の流れの中でもいくつかの出来事があった。

寺の一年に一度の催しの際、大僧正のたっての勧めでお参りに来た民衆の面前で話をした事があった。雲仙はいつものように淡々と話しをした。多勢の老若男女の中で特に年老いた者達は何故か雲泉の話から胸を打たれるらしく涙を流して泣いている者が多くいた。

大僧正は民衆にもせめて年に一度雲仙の話を聞かせたいと思ったのだが、やはりそうして良かった。これからも年に一度は雲泉の話を民衆にも聞かせようとそう思った。

だがそういう事があって間もなく大僧正もとうとうこの世を旅立ってあの世へ行く時が来た。

急に体調を崩していよいよと思ったのか、雲仙は大僧正の枕辺に呼ばれた。

今、正に旅立とうとするその人は雲仙をみとめると嬉しそうにし、「儂はいよいよこの仮の世を旅立とうと思うんじゃ、雲仙もお経を唱えてくれんか。」と言われる。

雲仙ははいかしこまりましたと答え、お経を唱えだした。

大僧正は安心したように最初は周りの顔を次々に眺めやがてすぐ目の前で一心に読経している雲仙をまるで釈迦如来を仰ぐように目を細めて手を合わせた。

周りの者達も一緒に読経したが、廊下に控える者までが読経しながら泣く者が多かった。

だが、そのすすり泣く声が多く混じる中にも目の色、顔の色一つ変

えない雲仙の声は今、旅立とうとする人の耳にいつまでも心地よくはっきり響いているようであった。


大僧正が逝ってから雲仙に対して以前のように、外での講話や月一度の大伽藍での講義の話も自然になくなった。

雲仙は書庫にこもりっきりの日々を過ごしながら、それが至極、満足のように相変わらず涼しげな目に幽かな笑みを浮かべていた。

そんなある日、何年ぶりかに和尚からの急ぎの手紙があった。

忙しいだろうが緊急な用事があるから他の事を差し置いても来るようにと書いてあった。

雲仙が元居た寺に行くと年をとって小さくなった和尚が迎えてくれた。

小さくなったがまだまだ濶達さは健在の和尚が茶を持って来た僧が去ると、雲仙の目をしげしげと見て話し出した。

「実は雲仙、そなたの母御はそう長くはないだろう。」と話した。話しながら和尚は雲仙から目を離さなかった。

そう聞いても雲仙の表情はいつもと変わらず静かなままだ。

「大分前から伏せっていたがここ急に容態が悪くなって、今は目の前の物も見えずただ気力だけで持っているのだヨ。それは死ぬ前にせめて一目、雲仙お前に会ってから逝こうとしているに違いない。」

そう話しても雲仙の表情はいつもと少しも変わらなった。それを見て和尚はうんうんと自分で頷きながら話し始めた。


「雲仙、私はお前と会ったあの頃からお前は人間であって人間ではないのではないかと思っていた。

こんな言い方は普通の人にとっては失礼というものだが、お前だから私は今、正直に言う。お前の心の中はどうなっているのか解らない。儂ら等と同じなのか?もっと深いのか?それとも心そのものが無いのか?さっぱり解らない。とにかく、母御と私だけがその事に気付いている。母御は生まれた時からそれに気が付いている。そして納得しているのだヨ。

だがナー雲仙、

母というものは子の心に触れたいものだ。嬉しいか、悲しいか、苦しいのか。母御は今迄、お前の心に一度も触れる事が出来なかった事を恐らく一番淋しく心残りに思っているだろう。

それでもそれが運命だと諦めて今、この世を旅立とうとしているのだヨ。

雲仙、お前の心がどこにあるのか、又、そういうものが無いのかどうか解らないが、わたしの言葉が耳に入りお前の頭の中にしっかり記憶されるなら心して聞いてくれ。お前は人より何倍も尊い御仏の言葉が記された書を読んで来た。それをしっかり記憶にとどめ多くの人達の前で講話をしているとも聞く。

いいか雲仙、お前の心はどうか解らないが、今、別れてこの世を去って行く人の気持ち又は、母親の気持ち、それを見送る者達の気持ちは今迄、数多く読んできた筈だ。

その時、去る人がどう別れるか、送る人が去る人にどのような言葉をかけるか。雲仙、お前は十分にその人達の言葉を記憶している筈だ。

いいか、母御は自分が死んで行く時、お前が別れを悲しんでくれる事を一番願っているのだぞ!世間の息子は母が死ぬ時は涙を流して泣くものだ。どんな親不孝な息子でも、自分を生み慈しんで育ててくれた母親が遠くに行ってしまう。その時は別れの辛さと後悔で泣くものなのだ。

雲仙、それが出来ないならせめて母親が満足してこの世を旅立って行けるように感謝の言葉をかけてあげるのだ。いいナ雲仙。

お前の記憶の中身を全部ひっくり返してでも母親が喜ぶ言葉を探して見つけ出してかけてやるのだ!」

「いいか!雲せん!」和尚は叱るように哀れむように話した。

その後雲仙は何も言わず和尚について母がいる家へ向かった。

母親の枕辺

に座ると母親は床の中からこちらに顔を向けたが、その目は白く濁りはっきり雲仙とは解らないようだった。

母親は力ない手を空にただよわせ、

「雲仙?雲仙なの?」と探した。

目の前にあるその手を雲泉はそっと握って自分の頬に持って行くと、母は目の見えぬ目から涙を流して泣いた。

暫く雲仙は何も言わない。

母親は見

えぬ目から涙を流すだけだ。

和尚はその場にいたたまれなくなって座を立って次の間に行こうとした。

その時、雲仙の声が聞こえて来た。


「母上、このようなお姿になる迄御無沙汰した親不孝な息子をお許し下さい。母上が父上の無念なお心をいつも心に抱いて私を一生懸命育ててくれた事はよく解っていました。その御恩にせめて報いようと私は一生懸命勉強してまいりました。

ここに私がこうしてあるのは全て、父上様と母上様、そして和尚様のお蔭です。

母上、母上にはまだまだ長生きしていただきたかった。本当に残念でなりません。何の親孝行もせずに逝かれるのは悲しくて無念でなりません。お許し下さい。」

母はそれを聞くと握った雲仙の手を自分の頬に当て一層体を震わせて泣いた。

「ああ、雲仙、私の雲仙。今こそあなたの心が目の見えぬ私に見えました。本当に良かった。良かった。和尚様ありがとうございます。」

そう言うと、手から急に力が抜けて行った。

母親は今、正にここを離れて行ったのだ。

それを追いかけるように雲仙は経を唱えた。いつまでもいつまでも経を唱えていた。

隣の部屋で和尚が涙をぬぐっていた。その涙は満足の涙に違いなかった。




雲泉はその後、六十歳まで生きたと言う。いつまでも年をとらない人のように若い青年のままのお顔だったと言う。それは人が生まれて死ぬ迄、幾万回も泣いたり笑ったり悔しがったり、あるいは人を憎んだり始終、顔の筋肉を使うのに対し、雲泉は体の中に煩悩という虫を一匹も飼っていなった為だと思われる。

心によじれたシワが無ければ顔にもシワが出来ないのだろうとその死に際に集まった人々は皆が話し合った。

雲仙はいつまでも若く美しいままでこの世を旅立って行ったのだ。

だがその心の中がどうなっていたのかは誰も知らない。


おわり

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第1話 山ん婆の昔話/雲泉 やまの かなた @genno-tei70

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