第5話
「しかし、えらい目にあったもんだね」
千勢の間夫である湊屋誠之助は、近々千勢を見受けて婚礼という流れが整ったことを伝えるべく、八角楼へと足を向けていた。
「ええ、まぁ、あまり外聞のよろしいことではございませんが」
そう答えたのは白粉の秋介。
「まさか、あの坊宗和尚が、虎目の宋介だったとは」
虎目の宋介。
出所のしれない風の噂によれば、恨みつらみを抱えるものの願いを金を受けてかなえる義賊らしい。そして、ここからは噂ではないが、ここ数か月、名だたる商家に押し入りその何件かで畜生働きをしたこともあって、火盗改めと同心連中が血眼になって探していた凶賊の名だ。
その名は、盗みを働いた家の玄関に数珠球に使っていただろう虎目石をひとつ転がして帰ることに由来するそうだが。
「まさか、数珠転がして帰るのが、本物の坊主とは世も末だね」
「ええ、まったくで」
虎目の宋介は、蔵前の大黒屋でそこの主と内儀を殺し、意気揚々と引き上げる中、張っていた南町の人間にお縄になったという。
当然、即刻死罪。ほどなくその首は河原にさらされることとなった。
「黄瀬川さんも、可愛そうなことをしたな」
「ええ、まあ」
虎目の宋介一味が捕縛された直後、朝日がすっかり顔を出したころに、町方は八角楼へと当然やってきた。しかし、そのときにはもう黄瀬川は部屋の梁にぶら下がって息絶えていたのだ。
もちろんそこには、千勢もそして誠之助もいたのだが。
「あの時は、千勢が大変だったな、秋介」
「へえ、なんのかんのといって、黄瀬川さんとは仲良しでしたからね」
「ああ、まったくだ」
そう言うと誠之助はゆっくりと立ち上がった。
「おかえりですかい?」
「ああ、用は済んだんでな」
そう言うと誠之助は、そそくさと店を後にする。そして当然秋介もそのあとを追って店の前まで見送りに出た。
「まあこんな話、忘れちまうのが吉ってもんさ」
そう言うと誠之助は、首をぶるぶると振るって肩をすくめる。
「ええ、まったくで、あっしらも早くに忘れてしまいたい話ですよ」
秋介はそう言うと、あの日、最後に登楼した坊宗を見送った時と同じように、ふと、黄瀬川の部屋だったその場所を見つめた。
その様子に、誠之助はしみじみとつぶやく。
「しかしあの部屋、初めて千勢から聞いた時は、狸穴だと馬鹿にしたもんだが」
そして、深いため息とともに、吐きだした。
「とんだ虎穴だったってことかい」
誠之助はそう言うと、秋介に「まあ気を落としなさんなよ」と声をかけて足取りも軽く大門へ向かって歩き出した。
その背中を秋介は、黙って頭を下げて見送る。
ちなみに、黄瀬川の部屋に残されていた虎目石の数珠。
その数珠は、いま、秋介の懐に収まっている。
「あっしは、嫌いじゃなかったですぜ、坊宗和尚」
秋介はそうつぶやくと、懐の中の数珠を優しくなでた。
それが供養になると信じて。
「なにも、殺しなんか働かなくたって……」
秋介はもう一度つぶやくと、なにかを振り払うように頭を振るって一つ大きく伸びをすると、そそくさと八角楼の中に消えていく。
その時だ、吉原の往来に一陣の乾いた風が巻いた。
「そいつはどうも」
吉原を吹き抜ける風のまにまに、そんな声が聞こえた気がした。
「すいませんね、そいつは拙僧の性分でして」
確かに、そう、聞こえた気がした。
虎穴 綿涙粉緒 @MENCONER
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます