第4話
「で、大川の殺しの件、ありゃいってぇどうなってる」
浅草あたりを根城にする目明しの藤五郎は、
この男、浅草の藤五郎親分といえば知らぬ者のいない、新米の同心なら頭も下げようかというほどの大人物ではあるが、その実ただの面倒くさがりのお節介焼きという、なんとも厄介な性分の中年男だ。その厄介さ加減は、歳の割にはやけに多い白髪が物語っている。
「ああ、あの決闘の件ですかい、しかし親分、ありゃ親分の縄張りじゃねえですぜ」
かつては
まあ、その性分がなければ今頃五平は獄門台に登っていたのだろうから、文句を言えた義理ではないのだが。
「知ったことか、負けた佐々木某って侍は、俺の縄張りじゃねぇのかい」
「まぁ遠かありませんが、ちょいと出てますな」
「うるせぇ、で、どうなんだい」
五平の抵抗もむなしく、どうやらこれにも藤五郎は嘴を挟みたいらしい。
もちろん五平も、そんなことは先刻承知で北町の同心あたりからそれなりの情報はすでに仕入れてきている。強請屋であった頃は、準備万端整えて、ぐうの音も出ないほど相手を追い詰めることで有名だった男だ。こういう仕事に関しては、そこいらの瓦版屋の上を行く。
「へぇ、殺されたのは、浅草をちょいと出た上野は池之端の長屋住まい、今は素読の指南をやっているご浪人で、佐々木孝右衛門って年寄りでさ」
その言葉に、藤五郎は「チッ」っと舌打ちをした。
「やっぱりあの爺だったか、てぇことは相手は相当の手練れってこったな」
「ご存知で」
「ああ、よく知ってるよ。碁会所でよく合う年寄りでな、普段はどこにでもいる好々爺だが……ありゃ」
藤五郎は後ろ頭をほりほりと掻いた。
「剣の鬼だ」
「わかるんで」
「ああ、間違いねぇよ、ありゃ相当鳴らした男だ」
藤五郎は目をつぶる。
あの姿、あの出で立ち、あのたたずまい。ただ座っているだけでもどこにも打ち込むすきがなく、ただ歩いているだけでも、すれ違う人間を軒並み切り殺してしまいそうな冷涼なる殺気の塊。
あれが、殺されるもんかね。
「で、下手人は」
「ま、まあ下手人といっていいのかどうかわかりませんが」
「なに、どういう意味だ」
「いやね、その佐々木某を殺めたやつも二本差しで、本人が言う通りなら仇討だってことになるそうで」
仇討ちだって、じゃぁ。
「御免状はあるのかい」
「それがねえんでさ」
御免状がねぇ、か。まあそれでも、名前と在所がわかれば侍の仇討はおとがめなしってことになるんだろうが。
「で、そいつは、なんて野郎だ」
「それなんですがね」
藤五郎の問いに五平は答えにくそうにうつむいた。
「なんだ、わかんねえのか、だんまりかい」
「いえ、まあ、そうなんですが」
「ですが……なんでぃ」
五平はそう問われるとばつの悪そうに答えた。
「茅鼠、だそうです」
「なに」
「ですから、茅鼠」
いぶかしげな顔で、藤五郎は五平を見る。
茅鼠、だと。
「ええ、仇討ちですからね、ご番所でも名前と在所さえわかれば無罪放免ってことになるんで結構粘っているそうなんですが、なにを聞かれても答えるのは自分が茅鼠だってぇ事と、もう一つ」
「もう一つ……なんでぃ」
「へぇ、殺めた佐々木某は自分の」
そう言うと五平は、無遠慮に藤五郎宅の水瓶に近付き、柄杓からそのまま水を飲み、答えた。
「佐々木は自分の父親だ……と」
「なんだそりゃ」
そうとだけ答えて、藤五郎はその場で腕組みをすると「ううん」と小さくうなった。
そりゃぁねえな。俺はあいつの息子を知っている。それこそ、上野あたりを縄張りにしている同じく目明しの八助あたりも知っているはずだ。佐々木孝右衛門の一粒種、確か奥州あたりから連れてきた細君との間に結んだたった一人の息子のことを。
実は藤五郎は、その細君もよく知っていた。
たまに佐々木宅を訪れて、夜っぴて碁を打つことがあったのだ。
いつ行っても、ここと変わらない貧乏長屋を磨き上げるようにきれいにしてある、品のいい、それでいて佐々木と仲睦まじい細君であった。いつも笑顔を浮かべている、美しい女であった。
「倅は侍にはしたくないんですよ」
あの頃佐々木がそういったいった通り、息子は、侍を捨てて料理屋の桜屋で板前をしているはずだ。
腕はいいそうだがまさかあの鬼を殺せるはずはない。
「で、どうなるよ」
「へぇ、北町のお役人が言うには、このままだんまりが続けば間違いなく獄門台だろう、と」
「切腹……にはならねぇよな」
「ええ、まぁ。乱心ってことになるでしょうから、晒されはしねぇとは思いますが、打ち首でしょうねぇ」
「そうかい」
じゃぁ、俺の出番はねぇ、よ、なぁ。
そこまで聞いて、藤五郎は五平に「もういいぜ」とだけ言うと、埃の浮く畳にゴロンと横になった。
鬼を殺した茅鼠、か。
「たいそうなねず公だ」
藤五郎はそうつぶやくと、にやりと笑って、ひとつ大あくびをした。
それを見て、五平はそっと藤五郎の家を出る。
「大親分は昼寝ですかい」
長屋の路地に出た五平はそうつぶやくと、昼下がりの江戸の空を見上げた。
「今日もあっつくなりそうだ」
五平はそういうと、さっと尻っぱしょりをして路地をかけ出す。
その後ろで、小さな鼠がさっと陰に隠れた。
江戸の街に掃いて捨てるほどいる、何でもない、小さな小さな生き物が。
小さく、鳴いた気がした。
茅鼠 綿涙粉緒 @MENCONER
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