第3話

「わしは、ほめられ、あがめられるような人間ではないのだ」


 奇妙な誘いの後、佐々木はそう前置きをして独白を始めた。


 木村には、ただそれを聞くほかない。


「確かに剣の腕は立つ、自分で言うのもなんであるがな、たとえこの江戸であろうとわしに敵う者はそうそうおるまい」


 一見、世間知らずの若い武芸者のような言葉も、佐々木の口から洩れればそれは、真実としてしか受け止められない説得力があった。確かにそうであろう、木村でなくとも、そう思ったに違いない。


「それだけにわしはおごっていた。弱きを叩きのめすことに快感を得、弱きに施すことに自慢を得、そうして高まる名声を浴びることに汲々としておっただけだ」


 佐々木は語る、その胸の内を。


 自らを満たし、そんな手前勝手な満足を得るだけの日々。


 弱きもの打ち据え、救いを求めるものに手を差し伸べながらも、その心内ではいつもそれらを見下し、ただ自分の名声を高める道具としてしか考えていなかった。湧き上がる卑しい心が、そんな自分を突き動かしていた。


「愉快であったよ、本当にな」


 そう自嘲気味に笑う佐々木の言葉を、木村はそれほど意外とも思わずに聞いた。


 佐々木の言葉、きっとそれは謙遜ではない。間違いなくそれは、佐々木の偽らざる想いであり、その男の価値を減ずる事実ではない。


 むしろ、憧れ追い求めた男が、郷里で神となった男が、ただの心ある人間であったことに木村は安堵すら覚えていた。その正直な物言いに親しみがわきつつもあった。  


 しかし、次の一言で、木村の心中は一変する。


「それにな、わしは、そなたの母に、とき殿に懸想しておった」


「な、いま、なんと」


 懸想……だと。


 では、佐々木殿はわが母に惚れていたということか。と、すれば、それは。


 そんな木村の心中を正確に察して、佐々木は続けた。


「ああ、そうだ、そなたの母が墓地で首をくくろうとしておったなどというのは真っ赤な嘘。真実は、ただわしとそなたの母とで示し合わせて玄侑殿の寝間に押し入り、刀もとらせずに惨殺したまでのこと」


 そんな……馬鹿な……。


「で、では、佐々木殿は母を哀れんだのではなく」


「押し込み、奪った。ただの夜盗よ」


 そう言うとニヤリといやらしげに笑い、冷たい視線で木村を見下し、続けた。


「どうしても手に入らない女だったからな、ああするしかなかったのよ」


「こぶ付きの藩の重役の奥方。そうでもせねば我が物にはなるまい」


「隠れて犯すのも、限度があったしな」


「寝首を掻くしか、あるまい」


 なんて、ことだ。


 とめどなくあふれる佐々木の言葉に、木村は心中でそう唸り、そしてこぶしを握り締めた。


 憧れていた、いや、崇拝すらしていた目の前のこの男は、木村の思いもつかぬほどに下衆な男であった。


 それは、確実に父玄侑にも劣る卑劣漢であり、佐々木の悪辣さに比べれば父玄侑のそれは児戯にも等しく思えた。武士の家に押し込み寝首を掻いて妻を簒奪するなど、とてものこと侍のやるべきことではない、それはまさに夜盗の領分だ。


 畜生外道の仕業だ。


 佐々木の心内に黒い憎しみがわく。それが誰に対するものかもわからず。


 それが目の前のこの外道に対してなのか、それとも卑しい自らの母に対してか。いや、真実も知らず、噂に惑わされ、哀れな父を恨み、この外道、佐々木孝右衛門に憧れ続けた愚かな自分に対してか。


 それとも、この皮肉な運命に対してなのか。


 わからぬ。


 わからぬまでも、その身を焦がす憎しみと怒りは、木村の額に粟のような汗を染み出させるに十分であった。


 その心に、ねばつく黒い炎をたきつけるには十分すぎる事実であった。

 

 しかし、佐々木は、そんな木村を気にも留めず、さらに吐き捨てた。


「まあでも、とき殿は長くはもたなんだよ。罪の呵責であろうが、少々無理に事を進めさせたせいか気を病んでな、間もなく死んだ。思えばあれも哀れな女よな」


 佐々木の言葉に、木村の視界がぐにゃりとゆがむ。


 知っていた、それは知っていた。


 佐々木と母がともに暮らしたのは三年にも満たぬことを。しかしそれも、別のところにその種があると思っていた。


 少なくとも木村には、それでも母は佐々木に救われたのだと思っていた。


 その三年を、自由に、幸せに暮らしたのだと。


 なのに、救われるどころか、母は無理に畜生働きの片棒を担がされたせいで心を病み、そのせいで死んだのだ。しかも、それを佐々木は、そんな母を哀れだと言い放った、哀れだとそう切り捨てたのだ。


 恥ずかしげもなく、母を哀れんだのだ。


「き、貴様は、それで恥ずかしくはないのか」


「なにを、先刻から恥ずかしいといっておるではないか」


 絞り出すように、やっとのことで発した木村の問いに、佐々木はぶっきらぼうに答える。そして、何事もなかったかのようにもう一度切り出した。


「で、どうする。わしの下で剣を学ぶ気はあるか」


「ふざけるな」


 木村はそう叫ぶとその場に立ち上がり、刀に手をかけた。


 そのまま抜き打ちにこの男を切って捨てる。前口上もも名乗りもなく、相手に剣を構えるいとまも与えず、卑劣漢にはふさわしい不意打ちで仕留める、それならできる、自分にもできる。


 この男は父の、いや父と母の仇なのだ。

 

 木村がそう決して、刀を抜こうとした、その時。


 ピュウという風切音とともに川面から飛んできた竿先が空中でクルリと向きを変え木村の眼前に迫り、同時に佐々木の煙管が木村の愛刀の柄頭をグイっと押さえつけた。


 まったく見えなかった、動いたことすら、わからなかった。


「ぐぅ」

 

 木村の口から、つぶれる様な呼気が漏れる。


 煙管に抑えられた刀は岩に遮られるかの如くにピクリとも動かず、そして、これより一寸も動けばその竿先が柔らかい眼球を貫くことは未熟な木村にも明白であった。


 だから動けない、木村は完全にそのすべてを封じられたのだ。


「そなたではわしの敵にはならん。その程度の無様な不意打ちが叶うほど、わしは弱くはない」 


 佐々木はそういうと、抜き打ちの姿勢のまま固まる木村を泥にまみれた雪駄で蹴り飛ばした。そして、そのまま風の如くに木村に迫るとそのみぞおちあたりを思いきり踏みつけた。  


「がぁぁ」


 木村の口から悲鳴が漏れる。


 佐々木はそれを無表情で聞き流し、続けた。冷たい瞳で見下ろしながら。


「あがいて見せよ木村左右平。茅鼠の如く一心不乱に剣を磨き、その命をもってあがいて見せよ」


 言いながら佐々木の脚に力がこもる。


 胃の腑の内をぶちまけそうな苦痛の中、木村はその声を聞いた。


「これより毎日、わしはこの刻限ここでそなたを待つ。何度でも挑み、その度に強くなれ。誰のためでもなく、藩のためでも親の仇でもなく、そなたの憎しい男を討つために、そのためだけに強くなれ」


 佐々木の脚にさらに力がこもる。


 木村は、その身を裂くような痛みにすでにその意識を手放しそうになっていた。そうなりながらも、佐々木の言葉を必死に耳の端でとらえていた。


「あがけよ茅鼠。そなたの前にある巨木にかじりつき、見事倒して見せよ。見事本懐を遂げてみせよ」


 遠くなる佐々木の声を聴きながら木村は心中でつぶやく。


 ああ、俺は茅鼠であるのか。と。


 これから俺は、この男に挑み、倒れ、そしてまた挑み。その巨木をかじり倒すその時まで、みじめに縋り付かねばならないのか。それが俺の人生なのか、それが俺の運命さだめであるというのか。


 ならば、そうであるならば。


 その時、かすれていく意識の果てに茅鼠の姿が見えたような気がした。


 相も変わらず、一心不乱に葦にかじりつき、いまだそれを倒せてはいない、小さな、小さな生き物の姿が。


 健気にも果敢な、小さき命の姿が。


 俺はあれか、ならば。


 挑もう。


 この身果てるまで、命燃え尽きるまで。


 この男に挑み、そして、いつかは……。


「期待しておるぞ、茅鼠」


 佐々木のその言葉が、木村の耳に届くことは、なかった。

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