聞いてよ、青鬼くん

春都成

第1話 苦しい傍観者

「それじゃあなー、亮一りょういち~」

 武志たけしがそう言って、目を細めて、家へと続く小さな……門っていうのかな? 一軒家の家にたまにある黒い柵の中に消えていくのを、僕は、うん、と言って見送った。

 武志の姿が消えてから、僕はただひとり前に向き直って、はぁ、とため息をついた。外は息が白くなる気温。木は葉をすでに落としていて、時々ツバキだかサザンカだかの木だけが緑で、街にささやかないろどりを与えていた。

 ――やっと、一人になれた。

 僕は、はあああ、と両腕を空に向かって伸ばして伸びをした。ランドセルの中の筆箱の中の鉛筆が、少し動いて、カタッという音を立てる。

 歩きながら僕は、少し前に起きた出来事を頭の前あたりに投影するように思い出す。


「ぎゃははは、はー……あ、もうオレん家だ。ばいばいー! みんな」

 ライオンのたてがみみたいな茶髪の勘太かんたが、黒い手袋の指をいっぱいに広げて、僕らに手を振った。一緒に帰っていたやつらの一部が、うんー、と返事をしたのを聞いて、勘太は、えへへへへ、と笑って家へ「たっだいまー!」と飛び込んでいった。


 残された、僕と武志と裕也ゆうや智樹ともきの四人は、横並びに歩き出す。

 勘太の家からしばらく黙って歩いていたとき、ふいに、武志が口を開いて、

「勘太って、うざいよな」

 と言って、笑った。

 裕也と智樹も、ひひひひ、と笑う。

 僕は、え? と目を見開いた。

「なんだー、おれだけが思っているんだと思ってたー、武志も思ってたの? はは」

 智樹がそう言って、一重の細い目をさらに細くして、まりもっこりのような顔になってそう言う。裕也も、「よかったー」と笑う。

 僕は混乱する。

 ――みんな、え……? 友達なんじゃねぇの?

「なぁー、亮一もそう思うだろぉ?」

 武志が、巻き舌っぽい発音で、ねちっこくそう言ってきて、僕は、一瞬、何を言っていいかわからなくなった。二秒ほど考えて、

「……まぁ、授業中、うるさいもんな」

 と返した。

「それはおれらもそうだけど」

 と言って、智樹が声高らかにタハハ! と笑う声が響く。

 時々、「屋外なのにどこかに声がこだまするとき」というのがあるなとと思うけれど、そういうときって、どこに当たってこだましているのだろう。そういう時、僕は空に響いているかのように錯覚するのだけど、空に響く、なんて自然的に考えるとおかしいのかな、と思う。

 空に響いたその笑い声は、僕にとって、ちょっとした恐怖に感じた。


 僕はしばらくその後のやりとりに参加できなくなった。

 ――なんだろう。すごく、もやもやする。

 このもやもやの正体ってなんなんだろう……


 そんなことを考えていると、

「ちょっと」

 という女の子の声が、後ろから聞こえた。

 僕らが振り返ると、そこには、僕らのクラスの学級委員、さやちゃんが立っていた。

 みんなが足を止めて、さやちゃんのことを見る。

「ぬあんだよ?」

 わざわざ言葉を崩してそう言って、武志がさやちゃんのことをにらむ。

「陰口って、タチが悪いと思う!」

 ――さやちゃんの声には芯があって、まっすぐで。

 そう言う目もまっすぐで――

 ド正論をかまされて、僕たちは、一瞬、しん……とひるんだ。


 だが、武志は、クッ、と喉の奥で笑うような音を立てると、

「う……るせぇ! ぶりっ子!」

 と叫んだ。

 さやちゃんは、キッと武志を睨む。

「ぶりっ子! ははは! 確かにー」

 智樹と裕也は、便乗、というように笑いを重ねる。

 笑いの不協和音が重なっていくたびに、さやちゃんの目元には、涙が浮かんできた。

「あっははは! ぶりっ子だからそうやって、すぐに涙に頼るんだろー」

「だせぇ」

 その声を聞いて、さやちゃんは、こぶしをギュッとにぎって肩を震わせた。そしてくるっと背を向けて、元来た道を引き返して、走っていった。


 三人が、あははははは、と笑う。

「先生にチクったら、ぶっ殺すかんなー」

 と武志が、さやちゃんの背中に突き刺さるような声を発する。

 そうして僕らはまた前に向き直って、歩き始めたのだった。



 このときから、彼らと別れるまで、僕はずーっと、どこか居心地が悪い気持ちを抱えたまま、足並みをそろえていた。

 みんなが家に帰っていって、僕はようやく一人、はぁ、とため息をついて、新鮮な空気を吸い込むことができたのだった。

 ――僕は、あいつらみたいに陰口を言う人間ではない、と信じていたかったけれど。さやちゃんのように、「陰口は悪い」とはっきり言わない限り、僕は武志たちと結局同じ類の人間なんだ……


 別に、今日このときまで、あいつらが勘太を嫌いと気付いていなかったというわけではなかったし、そんな予感は数か月前からしていた。

 だけど、言語化されるということは……声に出されることというのは、すごい変化だし、大きな力を持つ。


 僕はもともとあいつらみんなのことが好きだった。

 けれど、最近はあいつらの中に居るのが、正直言って、つらい。

 居づらいけど、僕はこのグループの外に出るのは、嫌……だったんだ。



 ぴゅううと、冷たい風が吹く。僕は緩かったマフラーの隙間を引っ張って詰めて、先端をコートの中にしまい込んだ。

 そのとき、僕の目に、道に立つお店の宣伝と思しきミニ黒板に書かれた白い文字が映った。


「青おにのお悩み相談室 飲み物代のみで、お悩みお聞きします」


 僕は、ぽかんとその黒板を見つめる。

 ここは通学路の一角。この道を行くのは六年目だ。だけどこんな看板を見るのははじめてだ。新しいお店だろうか?

 僕は、その黒板の中の矢印が指す方向に視線を移す。

 そこには……えっと、末広がりの円錐えんすい? っていうのかな。てっぺんはとがっているけど、底面は円みたいな? いや、上半分は円錐で、下半分は円柱、っていうと正確かもしれない。

 そんな白いテントが建っていた。

 ――えっと、これはすなわち……ゲル、だな。

 ゲルはこないだ社会の授業で写真を見た。モンゴルとか、移動しながら生活する人(遊牧民)たちが住む立派なテントみたいな住居のことを、ゲルと呼ぶことをこないだ習った。


(これは新しいお店……? にしても、青おに、っていうのは、なんのことなんだろう)

 僕がそんなことを考えて、まじまじとゲルに近づいて見ていると、

「こんにちはー、どうぞーお入りくださいー」

 という声が中から聞こえてきた。

 僕は、ゲルの布に切れ目が入っているところを、そっと開けて、中を覗いた。そこに居たのは、本当に……

「お……おに?」

 僕はおそるおそるそうつぶやいた。

 最初は、着ぐるみか、全身タイツか、特殊メイクだと思って見ていた。

 あの、実写版のアラジンのジーニーみたいな人かなって。

 だけど、どう見ても、肌はその下に色鉛筆の名前でいうところの「はだ色」になるような色があると思えないほどに青く、ゴツゴツとした皮膚をしている。

 上半身は、背広を着ているけれど、下はズボンじゃなくてトラ柄のパンツを履いていた。

 極めつけは頭の上に三角に伸びた角だ。地面から生えたタケノコのように、天パの髪(毛?)の上に自然に密着している(ように見える)。


 鬼(と仮定することにした)は、くるり、と振り返ると、目をきらり、と輝かせた。

「おぉ! これは、小さなお客様でー」

 僕はずっこけそうになった。彼の声色がその姿に似合わず、思いのほか優しげだったからだ。

 例えるなら、めちゃくちゃ強面の体育の先生が、実は子供が大好きで学校一優しいというのに近いと思う。

「えぇっと……あの、あなたは……」

 僕がおそるおそるそう聞くと、鬼は、あはは、と笑って、

「まあ、立ち話もなんですし、座って。紅茶飲む?」

 と聞いてきた。

 僕は、あ、と看板に「飲み物代のみで、お悩みお聞きします」とあったことを思い出し、

「いえ、あの、僕紅茶飲めなくて。というか、お金持っていないので」

 と言って、ぺこり、と会釈した。

「あ、小学生? だったら、お金は取らないよ。ほら、座って」

 そう言って、鬼は、椅子を持って、そのゴツゴツとした青い手を示して、「ほら」と言ってくれた。


 僕はしぶしぶと、その差し出された椅子に座る。

 椅子に置いてあるクッションが、ふんわりと心地よかった。

 中は暖かい。おしゃれな柄のじゅうたんやクッション、テーブルクロスたちが、ゲルの中を豪華に装飾してくれている。

「紅茶がだめだったら、オレンジジュースにしときましょうか?」

「え、あ……はい」

 僕はうなずいた。

 鬼はオレンジジュースを入れたコップを持って、テーブルの上に置くと、僕の向いの席に座ってニコニコと笑った。

「えっと……最近このへんに引っ越してきたんですか?」

 僕がオレンジジュースに口をつけずにそう聞くと、鬼は、パッと表情を輝かせて、話し始めた。

「そうそう! あ、自己紹介が遅れたね。僕は青鬼。あおにぃ、って呼んで。実は、『ないた赤おに』に登場する、青鬼で……」

 僕はきょとんとする。

 『ないた赤おに』は、一年生のときに、観劇教室で見た。

 たしか内容は、赤鬼が「人間と仲良くなりたい」と望むけれど、赤鬼は人間には怖がられてばかり。で、友達の青鬼が、人間の前で悪役として登場することで、人々を助けた正義の味方、赤鬼が人間たちに慕われるようになって、大喜び、ってなるんだけど、赤鬼のもとには青鬼から手紙が来ていて……悪役として登場していた青鬼と、正義の味方の赤鬼が一緒にいると、人間におかしいと思われてしまうから、という理由で、青鬼は、赤鬼のもとから離れる。ってやつだよね?

「赤鬼くんのもとを離れるのは、胸が苦しかったよー」

 あおにぃはそう低い声のトーンで言って、物憂げな表情をする。

「それで、赤鬼くんのもとから離れてここに?」

 僕がそう聞くと、あおにぃは首を振って、

「あ、直接ではなくてね。実は、あのあと他の土地に住み込もうとしたんだけど、引っ越した先で人助けしたときにも、なんていうか……その土地にはもう居られない状況になってしまって……他人のためにひと肌脱ぐたびに、引っ越してきたんだ……それで、そのたびに家を借りるのがもう面倒くさくなって、遊牧民族に習って、ゲルに住むことに……」

 僕はびっくりした。

 思っていた以上に数奇な運命だ。

 ゲルに住む経緯にもそのような背景があったなんて――

 僕は、あおにぃ、一貫して良い奴なんだな……とかわいそうになった。

「今はね、君が見つけた看板を立てて、それを見つけた人の人生相談でもしようかな、って思って始めたところ。ティーパックと、ジュースと、魔法瓶に入れたお湯で、ちょっとしたお小遣い稼ぎをしているんだー」

 あおにぃがそれでもなおあっけらかんと話す明るい様子や、それで生活はできるのかとか、いろいろと突っ込みどころが多いことが頭に引っ掛かりつつも、何から突っ込んでいいのか、僕にはわからなかった。

「それで、君は?」

「え?」

 僕が何もしゃべらずにいると、あおにぃが、いろいろと質問攻めにしてきた。

「名前は?」

「え? えーっと、亮一」

「亮一。よろしくね。いくつなの?」

「十二歳。小学校六年生です」

「なるほど。人間でいうと、いろいろと、物思いにふける時期だねぇ」

 「人間でいうと」というフレーズに、猫や犬の年齢を言われているような感覚を感じる。「十歳なんだけど、猫のなかではもうおばあちゃんでねぇ」みたいな。

 ――いろいろと、物思いにふける時期。

 僕は、ふっとさっきの出来事を思い出した。

 

 「勘太って、うざいよな」

 「なんだー、おれだけが思っているんだと思ってたー、武志も思ってたの? はは」

 「なぁー、亮一もそう思うだろぉ?」

 「陰口って、タチが悪いと思う!」

 「う……るせぇよ! ぶりっ子!」

 「先生にチクったら、ぶっ殺すかんなー」

 あははっはあはははは、タハハ……

 

 僕はため息を吐いた。

「そうだね……」

 あおにぃは、僕のその言い方に何かピンと来たのか、ん? と僕の顔をのぞき込んだ。

「何かあった? ……もしかして、亮一、いじめられてる?」

 僕はううん、と首を振る。

「むしろ、僕がいじめられていたほうがよかったかもしれない。僕は――無力なただの傍観者ぼうかんしゃだよ」

 僕のその言葉に、あおにぃは、顔色を変えた。もともと青いんだけど。

「ねぇ、詳しく聞かせてもらっていい?」


 僕は、さっきの一部始終をあおにぃに話した。

 あおにぃは、「へぇえ……」「そうか……」「それは嫌だね……」と相槌を打ちながら聞いてくれた。

「亮一は、その、勘太くんのこと、嫌いじゃないんだね」

「……まぁ、確かに、変な奴だし。女子に嫌がらせしたりはするし、『めっちゃいい奴!』ってわけじゃないけど。勘太は、陰口を言わないし、陰湿いんしつないじめはしないから」

「なるほどねえ。じゃあどっちかというと、その武志くんたちの陰口に引いたんだね」

「……そう、かな。なんか、勘太と仲良くない奴が『勘太うざい』とか言ってたら、『まあ仕方ないかな、誤解があったのかも』って思うけど。長い付き合いで、これまで長いこと友達だったのに、そんな陰口言うなんて、ってちょっと……もやもやした」

「そっかー」

 あおにぃは、テーブルに頬杖ほおづえをついて、僕の目をじっと見てくれた。

「それで、亮一は、どうしたかったの? どうしたかったの、っていうか……どうしたいの?」

 ――どうしたい、か……

 そう聞かれてはじめて、僕はギクリとしたのだった。

 一連の出来事に対して、僕はただ、嫌だなと思ってはいた。

 でも、「どうしたい」ということは考えていなかったみたいだ――そう考えると、僕はなんて無責任な奴だったのだろう、と思ってしまった。

 黙ってしまった僕に、あおにぃは、

「あぁ、その。ごめんね。ついさっきのことだし、そんなにどうしたい、なんて、整理ついてないよね」

 と言って目を逸らした。ズズズッとコーヒーをすする。

 僕は、ふふ、と心にもない苦笑いをしてうなずいた。


 しばらくゲルの中は沈黙が流れていた。

 無音の中で、僕の頭の中で自分と対話する声だけが響いていた。

「なんか」

 と僕は口走っていた。

「あおにぃは、その……なんか励ましたりは、しないの?」

 僕がそう聞くと、あおにぃは、「えぇ?」と目を見開くと、あははと笑った。

「励ましかー。言われてみれば、僕は君のつらい記憶を掘り起こすだけ掘り起こしておいて、なんも言ってあげていないね」

 そう自虐的に言って笑うと、あおにぃは、少しまじめな面持ちになった。

「でも、励ましの言葉って、例えば、『そんなこと言わないで、頑張ろうよ』とかっていうのがあるよね。励ましっていうのは、素敵なことだと僕は思っているんだけれど、でも、それによって、相手が感じた喜怒哀楽の――特に、よく悪いものと思われてしまう、怒りや哀しみっていう感情に対して、『そんなこと言わないで』っていうのは、相手の気持ちを完全に否定していることだと思うんだ。だから、僕はそういう類の言葉は使わないよ。相手の気持ちをまず受け入れることから、始めたいんだ」

 僕は、あおにぃのその姿に少し目頭が熱くなって、押さえようと、天井を仰ぎ見た。少しの間目を閉じて涙をグッと堪えると、僕は、

「ありがとう……」

 とつぶやいた。

 あおにぃは、にこっと笑った。

 そして、少し間をおいて僕の目をじっと見ると、

「この問題はさ、そんな、昨日今日でどうにかなる問題じゃないでしょ。だからさ――これからも、辛いことがあるときは、僕に言いに来なよ。話したくなければ、黙っていてもいい。僕は何も言わなくても、そばにいてあげるから」

 と言ってくれた。


 僕はそのあおにぃの台詞にハッとした。

 何も言わずに、話を聞いて、そばに居てくれるような、そんな、友人――

 それは、僕が長年求めていた友人の姿だった、と感じたのだ。

 僕は、こくり、こくりと黙ってうなずいた。声を発したら、涙が溢れてしまいそうで。

 あおにぃも、うん、とうなずく。


 あおにぃは立ち上がって、ゲルの入り口の布をめくって外を見ながら、

「もう遅いでしょ。親御さん、心配するんじゃない?」

 とこっちを見て言ってくれた。

「また来てね」

「うん」

 僕も立ち上がって、ランドセルを背負い、

「今日はありがとう」

 と言って、お辞儀した。

「またね」

 というあおにぃの声を背中で聞いて、僕は街灯の灯り始めた通学路へと戻っていった。


 家に帰る。

 お母さんから、今日は遅かったね、と言われたけれど、僕は、ごめん、と言いながら、

「新しい友達ができて」

 と返した。

 お母さんは、少し目を丸くして、へぇ、と返した。

 僕は、うん、とうなずくと、自分の部屋へと階段を上がっていった。

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