2024.12.14. 湯が出ない

 築四十年の我が家。朝からお湯が出ないことにブチ切れる娘。この寒い時期に湯が出ないのは命とりとは思うが。


「なんで、頑張って生きてきたのにこんな酷い目にあわなくちゃいけないのよ! 貧乏な家に産みやがって」


「どうしたよ、とりあえず水で顔くらい洗いなよ」


「洗えるわけないでしょ、ざけんな。こんな家出ていく。今までありがとう」


 しばらくは結婚する予定ないから稼いで親孝行するとか言っていた娘と突然の別れがきた。湯が出ないだけで。


「壊れる兆候があったよね?」朝は時間もないので湯は沸かないが沸点は低いようです。


「あのとき直ぐ治してくれてれば惨めな思いはしないですんだんだよ!」すごい剣幕だった。

「お互いにね。三十万かかるし、うちは貧乏だし」

「はあ? すぐ治して!」


 風呂場でスーツの俺は水が湯になるまで待ち続けた。「水のまんまだな。壊れたみたいだ」


「だからいってるだろうがっ。水道代勿体ないからやめろやっ!」

「……はい」


 涙目の俺。テレビでは世界中の誰よりきっと熱い夢みてたのに♪と中山美穂の歌が流れていた。


 冷たい手を温めながら熱い夢がみたいと願う。「えっ、中山美穂○んじゃったのかよ」


「お風呂でだって」と嫁さんが言う。「なんとかショックらしいよ」

「まさか、お湯出なかったのか」


 死因はヒートショックだそうだ。誰より熱い夢を見ていたのかもしれないが、不謹慎すぎて言葉にならなかった。


 俺は電気屋に電話して直ぐに窯を変えることにした。実家のツテで覚悟していた金額よりは大分安く済んだ。


 そして快適で熱い湯が戻り、我が家に平和が訪れた、その晩。


「間違えて娘ちゃんのバスタオル使っちゃったよ、ごめん」

「は、はあああっ!?」顔を真っ赤にした娘が怒鳴った。


「なにしてくれてんのっ。捨てて、今すぐタオル捨てて新しいやつ買ってきて!」

「えっ。そ、そこまで言う?」


「当たり前でしょ。パパは頭だけ洗ってシャワーで流して、全身は泡をくぐったら洗ったことになるっていう馬鹿理論でしょ」

「あ、ああ、あんまりゴシゴシやると乾燥して痒いから」

「その後は、タオルで汚い体をゴッシゴッシしてるじゃん!」


「あ、うん。反動でつい」

「その結果、タオルは雑巾の匂いしてるの知らないんでしょ!」

「ひっ、ひいいっ」


「なになに?」嫁さんが加勢する。「パパにバスタオル使われたら、そりゃ怒るよ。怒るに決まってるじゃん。完全にパパが悪いわ。娘ちゃん可愛そう!」

「……わざとじゃないんです」


 頑張ってきたとか、毎日洗濯してるのは俺だとか、水で顔が洗えないだとか、タオルが匂うとか。


 ムカッ腹がたって仕方なかった。ずっと怒ってる娘を、もう無理だと思ってしまった。


「め、面倒臭い奴だな」

「はっ?」口を塞いだ娘の目に涙が溢れだし、頬をつたう。


「なにそれ。私は自分で選んだタオルを大切に優しくポンポン拭いて使ってるのに、何で生活習慣の悪い親が謝んないで開き直ってるの!?」充分、充分にわかっていても辛い言葉。


「悪いのパパだよね」(娘と母)

「悪いのパパだよ。決まってる」


「まだドンキならやってるかな。買ってくるからこの話はおしまいにして、もう話かけないで」

「行かないでいい!!」

「じゃあ会社で貰ってくるよ」


 これ以上は耐えられないかもしれない。ずっと愛してきた、何よりも大切な家族から汚物扱い。


 引くかもしれないけど、昔はね俺が子供だった時代はね。お湯なんかすぐには出なかったし、箸も茶碗もタオルもパンツだって家族で共有していて、自分の靴下だって無かったんだ。


 クリスマスプレゼントは靴下に靴下が入ってるんだ。箸だって割り箸を洗ったやつを使ってたし、パジャマに着替えることなく、私服で寝ていた。


 みんなそうだったんだよ。江戸時代でしょっていわれたけど、そんなことはない。洗濯だって毎日なんかしなかった。


 だんだんと悲しくなって、やはり俺は泣いた。大切なタオルだったんだと想像してみた。


 あれは親の形見のタオルかもしれない。その例えだと俺が使っても怒らないだろうから駄目だ。


 やりなおし。大切なミポリンの思い出記念タオルだとしたら、どうだろうか。きっと親だからといえ、許せない。許せないきっと。


「パパは何てことをしてしまったんだ。許してくれる?」

「ぐずっ、それは許そうと思ってるんだけどね。面倒臭いヤツって言葉は傷付いた。話かけないで、とかも言われた」

「!!」


 あちゃあ〜そっちか。朝から晩までずっと怒っていた娘が、今度はずっと泣いていた。


 泣きたいのはこっちだった。娘ちゃんが泣くと、俺は二倍泣きたくなる。好きだとか愛してると言われると二倍好きになる。


 新しいタオル四枚を新しいトートバッグにいれて次の日持ち帰りまして、仲直りしました。


 会社で事情を話したらタダでくれましたわ笑。


 実家が電気屋、勤め先がタオルハンカチ扱っておりますので、なんとか助かってます。


 共有はないか、今の時代。娘ちゃんだって、いつまでも子供じゃない。俺が間違ってた。やっぱり……ないな、と思った。





 





 

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後悔日誌 GENESIS 石田宏暁 @nashida

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