第七章──奇貨、災いの種、あるいは切り札

89・復帰に向けて


「はぁ……っ」

「あらら、もうばてちゃった?」

「病み上がり──、というか、負傷あがりには厳しいですよ」

「え~、たったの一キロで? そんなんじゃシロツキと一緒に動けないぞー」


 たったの、って。おいおい僕は人間なんだぞと口を挟みたくなるけど、まあそうだよなぁと思う。獣人にとっては、特に兵隊にとっては当たり前の運動量なんだろう。それがたとえ大けがを負った後だったとしても。


「はい、水」

「ありがとうございます」

「久しぶりの基礎体力訓練はいかが?」

「すごく疲れました。体が動くのを拒否してるみたいです」

「んふふ、正直だね」


 沙那やアンナと一緒に第三部隊ルートニク寄宿舎へ移り住んだ次の日、僕とシロツキはさっそく特別訓練とやらを開始した。


 が、ほぼ一か月リハビリに費やしていたこともあって僕の体は重く、実践訓練など夢の話。代わりにメリーが体力回復の運動を見てくれているのだけど、これがまたハードなこと。キロ単位で走った後にスプリント、筋トレ、ストレッチと続く。徹底的に体が破壊されていくような感じがするけど、これでいておそらく効果はあるのだろう。次第に動くことに慣れていた。


「シロツキはなにを?」

「気になる?」

「ええ、まぁ」

「愛しのパートナーだもんね」

「愛しの……まぁ、間違ってはないかもしれませんけど」


 僕とシロツキの間にあるのはあくまで親愛だ。メリーは色恋沙汰を想像したような視線を寄せてくるけど、その期待には応えられない。今でさえおんぶにだっこの僕が、彼女と釣り合うはずがないんだから。


「シロツキはグレア隊長が直々に見てくれてるんだ」

「隊長が?」

「そ。イヴから前回の戦いの報告を受けたよ。《地穿》を模写してエルガを攻撃したんでしょ?」

「ええ、まぁ」


 《過剰変爪オーバー・ラム型・地穿リアネス・ヴァルト》、だっけ。名前もイヴの黒爪から採っているみたいだし、模写って言い方はしっくりくる。


 でもあれは土壇場でたまたま思いついた攻撃なんじゃ……。

 歯切れの悪い言葉を返してしまう。メリーはふふ、と笑った。


「形はどうあれ、シロツキの黒爪が新しい可能性を見せたのは事実。グレア隊長はね、けっこうシロツキに期待してるんだよ」

「期待」

「うん。若さのせいか、それとも楓クンのおかげか、どんどんできることが増えてるでしょ。私たち的には、これを放っておく手はない、ってわけ」

「でも、それはシロツキが戦争に使われるってことでもあるんじゃないですか」


 メリーはちょっと言葉を止めて、挑発的な眼をした。


「じゃ、逃げる? 一回始まっちゃったエルガとの戦いも全部放棄して、シロツキや沙那たちと逃げてみる? ファロウもサジールも陛下もみーんな置いてさ」


 嫌だな、と思った。逃げることを真剣に検討する自分も、メリーのその言い方も。彼女はたぶん僕が逃げないっていう結論を出すことをわかってる。


 ただ、即答するのも嫌で、僕はメリーをちょっと睨んだ。

 嫌だ嫌だ、って。まるっきり子供みたいで。自分に呆れる。


「ごめんね」メリーが殊勝な態度で言った。「意地悪な言い方だったね。──楽しいんだ。楓クンと話すの。反応がいちいち正直で、どんなことでもしっかり考えてくれるから。私たちはもう考えることも面倒くさくってさ。敵は殺す、味方は生かす、それだけだから」

「でも結局、僕も戦う方を選ぶんです」

「それでいいんだよ。迷うことができる人は、迷えるうちに迷えばいいの。落ち着いている状況で躊躇うことができるのも才能、ってね。いつか、否応なくその時が来る。だからさ」


 メリーは、何の話だったっけ、と顎に手を当て、ああそうそう、と顔をあげた。


「シロツキはね、いまグレア隊長の黒爪を模写する訓練の最中なの」

「《叢甲ファビュリオン》を?」

「うん。それの特質は知ってる?」

「アバウトになら……。たしか、純粋に硬度が高いんでしたっけ」

「そーいうこと。力を注ぐ限り硬度を増す特質、ね。これって、単純だけどものすごく強いんだよ。極論相手の攻撃が通用しなければ負けることもないんだから」

「それを模写……」

「できたら儲けもの。できなくても新しい可能性が広がれば充分。──シロツキ、気合入ってたよ」

「それまた、どうしてです」


 僕が言うと、メリーはすごく微妙な表情を返してきた。


「ほんとにわかんないの?」

「え」


 自分以外の人間のやる気の理由。そう易々とわかるものではないと思うんだけど。そう思って頷くと、メリーは。


「君、童貞でしょ」

「なッ、は、それ関係あります!?」

「関係なくはないかなぁ……はぁ」

「なんでため息つくんですか……」

「報われないなぁって思ってさ」


 君もひどいよね。

 とメリーは言って、ちょっぴり不機嫌そうに鼻を鳴らすのだった。






     *






 ゼノビアからの招集を受けたのはそれから五日後だった。

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