88・移転とハンモックと鬣
「ああ、──部屋がか」
僕らの報告もゼノビアはほとんど予想していたらしい。退屈そうに頬杖を突いている。
「災難だったが、まぁ、本体を刺されていないだけマシだと思ったらいい」
「そんな、簡単に言いますか」
サジールがむ、と眉をしかめた。
「楓はカルヴァの利益になるように動いてたのに、あんまりです」
「……すまない、他意があったわけじゃないんだ。本当に怪我がなくてよかったなと思っただけで」
「それがどうなったら今みたいな言い方になるんです」
「サジール」
どうしてか気の立っている彼女を沈めて、僕は話の続きを促す。ゼノビアは目元を抑え、俯くようにして深呼吸した。
「二人ともどうか許してくれ。最近公務続きでな、どうにも頭が働かないことが多いんだ」
「そ、うですか」
サジールは王女と会話していることにようやく思い当たったらしく、バツが悪くなったのか、ふいと顔を背ける。ゼノビアはゼノビアで、多忙の隙を縫って僕らに謁見する機会を作ってくれたのだ。それを責めるのは少し違う。
「……あたしも、言いすぎました」
「いい。謝罪を繰り返しても円環するだけだ。それで、部屋をどうするかだな?」
「はい」僕は正直に胸の内を明かした。「同じ部屋を使ってたら、今日の夜にでも襲われるんじゃないかって気がして、少し怖いです」
「君の《
ふと笑んだ女王へ、僕も苦笑を返す。
「だとしても、ですよ。戦う力がないんですから、放置されるのはかなり不安です」
「シロツキと一緒に寝ればいい」
「公にそれをするのは、なんというか──」
「だろうな。早急に場所を移そう。──実を言えば、沙那とアンナに関しても不安が残る。なんといっても、国民にとっては敵国の王女たちなのだから」
言われてみればその通りだ。長いカルヴァ生活で顔が知れている僕とは対照的に、あの二人には『人間』というレッテルだけが貼られている。今のままでいるのは危険だろう。とすれば、
「
「同じことを思っていました」
「珍しく気が合うな。ではそれで行こう。沙那とアンナにも話を通しておけよ」
「はい」
会議終了。
さすがというか、結論に至るまでが早い。
サジールがにへっと笑った。
「アンナってやつ、軍人の中に紛れるなんて~って文句言いそうだな」
「大丈夫だと思うよ。けっこう肝が据わってるところあるから」
腕を一本もがれた直後にエルガの片目を奪うほどの胆力だ。一周回って怖ろしくすらある。
「そんじゃ、行くか」
「うん。寄宿舎にいるよね」
「ああ」
僕が作戦室の扉に手をかけようとすると、扉の方から自発的に開いた。
おかしいないつの間に念力が使えるようになったんだっけ、なんて馬鹿な思考をよそに、目の前にはシロツキが立っていた。マーノスト近辺での戦闘が終わってから、実に三週間ぶりの再会となる。
互いの口から「あ」と小さな声が出た。
「シロツキ」
彼女はちょっとだけ微笑んで、ゼノビアの方へ向く。
「
「ああ。よく無事で戻ってきた」
「明日から特別訓練を受けるにあたって任命を」
「特別訓練?」
またメリーの《
「そこの人間ももちろん一緒に参加だぞ」
サジールにくぎを刺される。やっぱりな、とは思ったけど。
「特別訓練ってなんです?」
「名前の通りだ。獣人が普段から行っている訓練を平常、それ以外を特別と言う」
「あの……制度上の話ではなく、具体的に何をするのかっていう話で」
「それは明日のお楽しみだ」
にやり。
そんな擬音が付きそうなほどすさまじい圧力の笑みに押され、気づくと頬が引き攣っていた。
「そんなことより、シロツキ、人間たちを第三部隊の舎に案内してくれ。積もる話もあるだろう。道中で言葉を交わせばいい」
「ありがとうございます」
シロツキは見ているこっちが嬉しくなるほど表情を明るくした。
「陛下も行ったらどうです?」
部屋の入口からひょっこりと顔を出した獣人──確か書簡をマーノストまで届けてくれた人だ──が言った。
「なぜ私が」
「疲れが顔に出てます。最近ぼうっとしてることも多いし、小休止しても誰も咎めないってもんですよ。それに、あなたが付いていれば万が一にも犯罪に巻き込まれることもない」
「私は別に、この人間と話すこともないのだが」
「そういうことを言ってんじゃありません。休んだらどうですってことですよ。いい加減にしないと、前みたいにメリー副隊長呼んできますよ」
「な、そ、の話は、やめろ……」
ゼノビアの顔がぼふっと赤らむ。
一体どうしたことだ。
「何があったんです?」
「おい、貴様!」
ゼノビアの大声を無視して、彼は言った。
「女王がまだ陛下になりたてのころだけどな、忙しい日が続いて、全身から壊れかけの雰囲気漂わせながら『まだやれる』『まだいける』って三徹したことがあったんだよ。『いい加減に寝かせないと壊れるぜあの人』って兵の間で囁かれるくらいに。──そこにやって来たのがメリー副隊長よ。《踊猛》でゼノビア陛下を強引に横にして、作戦室に即席のハンモックを作っちまいやがった」
印象深い話なのだろう。
なおも饒舌に、彼は続ける。
「さらに、そこで寝ちまった女王陛下の、寝言のまぁ幼いこと。『ママ』『パパ』って呼んだり、《踊猛》にしがみついて『いかないで』って言ってみたり。当時現場を見ていた第三部隊の面々が『かわいい』って一口に言うくらいなんだから」
「へー……」にやにやするサジールと。
「『お母さま』でも『お父さん』でもなく、『ママ、パパ』ですか」
ふーんと鼻を鳴らすシロツキ。
「ッ、きさまっ!!」
「うわ、やべ」
そんじゃ!
そう言い残し、彼は脱兎のごとく逃げ出した。鳥の獣人なのに兎とはこれいかに。いや、そういえば兎も羽って数えるか。どうでもいいな、これ。
「おい人間ッ!」
「うわっ、はい」
思わず嫌そうな声が出てしまう。
「今日ここで話した内容は口外を許さん! 広まっているのを確認し次第お前の処刑を開始するッ!」
「横暴な……」
「文句があるなら黙ってろ!」
論理破綻もすがすがしい。けれど嫌だなんて言ったら今すぐ八つ裂きにされかねない。ミンチになりたくない僕には、笑いながら「はい」と答えるのが精いっぱいだった。
*
第三部隊寄宿舎には空き部屋が十個ほどある。寄宿舎の一階ラウンジに集合した部隊員に向かい、僕ら兄妹はお世話になりますと頭を下げた。アンナは終始そっぽを向いていたけど。
「へー。こいつがお前の妹か」
顔見知り程度の隊員がまじまじと沙那を見る。
「……なんつーか、ふつーだな」
「えっと……異常な方がいいんですか?」
沙那の問いに彼は「そうじゃねえけど」と笑う。
「人間のくせに獣人と共生したいだなんていう奴の親族だぜ? もっとぶっとんだ奴が飛び出てきてもおかしくないだろ」
「前も言いましたけど、僕らが住んでいた世界では人間と動物は戦争なんかしていないんですよ。むしろ僕らがデフォルトというか……」
「はいはい、にわかにはしんじられねぇよ、そんなの」
彼が「な」、と声をかけた先には、さっきから一言も発していないグレアがいた。
「隊長はどう思います?」
グレアはつと沙那を見て、
「驚きも落胆もない」と言った。「我々を前にしてもほとんど恐れの色を見せていないだろう。それだけで充分、マーノストの兵よりよほど度胸がある。この兄にして、この妹ありだ」
──褒められたのかな?
──たぶん。
こそこそと会話していると、
「褒めているつもりだ」
獣人の聴力にすっかり聞かれていた。
「ありがとうございます」
沙那が答えて、それから、
「あの」
「なんだ」
「もし、よければ、なんですけど……」
「ああ」
「──
言わずもがな、速攻で沙那の後頭部に手を沿えて頭を下げさせる。そうだ、そういえばこいつこんな奴だった。触りたいなとか思っても普通は言わないだろ。何考えてんだほんとに。
「ごめんなさい! 気にせず流してください!」
「ちょ、楓、痛いよ」
「ばかお前! 初対面の相手に向かって顔の近くのパーツを触らせてくれなんて頼む奴がいるか!」
「だってめったにない機会だもん! 心配しなくても毛を抜いて持ち帰ったりなんかしないから!」
「当たり前だばか!」
はっとして周囲を見渡せば、第三部隊の面々はほとんど硬直。アンナは苦笑を浮かべているし、唯一柔らかい表情のシロツキは「この感じ、本当に久しぶりだな」と的外れな感想をこぼしているし、ああもう。
どうやって謝罪したら許してくれるかな。
頭をフル回転させている静寂の中に、
「構わん」とグレアの声が聞こえた。
「え」
「構わんと言っている。鬣を触らせることなど、さしたる問題ではない」
「本当ですか!」
沙那が嬉しそうに言い、得意になって僕の方へ「ほら」と言ってくる。ほらじゃないんだよ、ほらじゃ。
だがしかし、気になるのはグレアの方だ。人間のことは明確に嫌っているかと思っていたんだけど。いったいどういう心境で?
「あの、ほんとにいいんですか」
「嫌でもないなら拒否する必要もないだろう」
「でも、僕らは人間ですし」
グレアは一つ息をついた。
「ゼノビア陛下が人間と道を交えることを視野に入れている。なら、我々が肩肘を張る必要もない。──むしろ変に気を使われるよりは、お前の妹のように心の声が漏れている輩の方が信用できるというモノだ」
「ほらね!」
「何がほらねだ。失礼なことには変わりない」
「頭でっかち。そんなんだと一生鬣触らせてもらえないよ」
「なんで鬣基準なんだよ」
「じゃあシロツキの頭撫でさせてもらえないよ」
そっちで喩えられると、途端に言葉に詰まる。なんだかそれはなぁ……。
ふいとシロツキを伺えば、「私は、別に、撫でてもらっても……」と視線をそらしている。その隙に沙那は宣言通りグレアの黄金色の毛並みへ手を伸ばしているし、アンナは愛する妹の肉体が獣人の方へ向かって心配そうだし、もう何が何やら。
「沙那がいるとどっと疲れる」
「そうかもしれない」
シロツキが笑った。
「私たちがずっと待ち望んでた疲労だ」
「……そうだけど」
「とりあえず、私を撫でておくか?」
「どうしてそうなるの」
「スキンシップは大事だ」
向こうを見やれば、沙那がグレアに肩車されて「高い!」と喜んでる。グレアは子供をあやすように時折揺らして怖がらせたりしている。それを下から見上げるメリーが「落ちないようにねー」と笑う。同じくファロウが「いっきに子供預かり場みてぇになったな」と苦笑する。ほかの獣人たちも、人間がいる新鮮な感覚を楽しんでいるように見えた。
覚えず、脳裏に浮かぶ父親の姿とグレアが重なって見えた。メリーは母親に。ファロウは、ちょっと思い浮かばないけど。
「……」
にぎやかな遊びの蚊帳の外で、僕は不意に怖くなって、シロツキの手を握る。
「楓?」
「……ごめん、なんか」
なんか。なんだろう?
うまく言えない。本当に急に怖くなったのだ。
ずっと今日が続いたらどれだけいいだろう。そんな叶うはずのない願望を思ったら、いつか今日が失われてしまうことを思ったら。
「疲れているんだ。きっと」
シロツキが僕の頭をたどたどしく撫でた。
存外心地いい感触に身を任せていると、だんだん心が落ち着いてきた。
「あー!」
沙那の大声が僕らの意識を引き戻す。
「楓とシロツキがいちゃいちゃしてるー!」
いつのまにそんなに打ち解けたのか、獣人たちも口々に「ほんとだ」「いちゃいちゃすんなー」「部屋でやれー」と好き勝手に言う。シロツキは頬を若干赤らめながら、「ただのスキンシップだ」と開き直った。
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