87・似た者同士


 しかし、まあ。


 改めて並べてみれば、よく似た二人だ。アンナとゼノビアは互いに一定の距離を保ちつつ、僕の病室にやって来た。どちらも「お前に気を許す気はない」と宣言するかの如く硬い表情を保っている。対して喋る必要のなくなったアンナは、沙那に話を振られたとき以外無言を貫くようになった。


「それで、この二人をカルヴァへ招いた理由、だったな?」


 アンナがつんとそっぽを向いているので、僕が代わりに頷いた。ゼノビアはほとんど表情を動かさずに口を開く。


「知っての通り、おまえたち三人は獣人の中で利用価値が高い。マーノスト国・王女の二人は言わずもがな、──楓、第三王女が親類と知れた時点でおまえも同様の立場にいる」

「理解してます」

「ならもうわかっているはずだ。この二人が攫われたらおまえはほとんど身動きが取れない。パデューロにとってこんなに都合のいいもいないだろう」


 事実、今回の一件で僕と沙那のつながりは獣人諸国に知れ渡ってしまった。となると、人間との共生に反対する獣人は僕らのうち誰かを攫って脅す作戦にシフトする。


 そんな彼女ら──ゼノビアいわく僕を縛る錠前──を、わざわざ遠くに置いておくこともない。いざというとき守れる範囲にいてもらうというのは、考えてみれば至極もっともだ。


「私らなんぞを国へ置いて自分の立場が危ぶまれても、文句を言ってくれるなよ」


 アンナが言うと、ゼノビアは口端をちょっと持ち上げた。


「ご忠告心に留めておこう。──そして残念ながら、すでにカルヴァ国内の情勢はあまりかんばしくない」

「どういうことです」

「前回の戦争、お前はカルヴァにいなかっただろう」

「ええ」

「国民からしたらどう見える。『人間がいないタイミングを見計らって大軍が押し寄せてきた』とは思わないか?」


 まさか。


「もしかして、僕がカルヴァを裏切ってることになっていたり……」

「そのまさかだ」


 まじかよ、と声に出なかったのはもはや奇跡と言っていいだろう。


「なんでそんな! なんの根拠もないのに」

「大衆は信じやすい方に流れるのが常だ」


 ゼノビアは腕を組み、疲れたような息をつく。そんなやれやれみたいな感じを出されても困る。


「『僻地へきちおもむいて親愛なる妹を助けた人間の英雄』など知ったことじゃない。『カルヴァを転覆させようと暗躍していた詐欺師』の方が、我々獣人にとってはよほど信憑性のある話だ」


 国民ではなくと言ったところに、ゼノビアの責任感と遠慮が垣間見えた。


「もちろん兵たちには話を通してあるし、私も広報に努めているが、いかんせん悪評の方が広まりが早くてな」

「そういえば、カルヴァには新聞がなかったですね」

「ああ。今ほどあれが欲しいと思ったことはないな」

「お前たち、まさかマーノストの新聞を……?」

「筒抜けだ。Λラムザの話もな」


 アンナは驚きの表情を浮かべ、「人の国の情報を抜き取るとはなんて無遠慮な」とぶつぶつ言った。


「無遠慮なのは貴様の方だ」ここぞとばかりに、ゼノビアが口を開いた。「サジールから報告を受けたぞ。無関係な獣人からの襲撃をカルヴァの兵と思い込み、今まで反撃のつもりでこちらに攻め込んでいたらしいな」

「なっ、それは、……軍部の人間が勝手に。それに、私たちには獣人の国の違いなど分からないし……」

「確認が甘かった自分たちを責めるべきではないのか? そのうえで、軍部を止めなかった貴様も同罪だ。失われた命を前に言い訳を重ねるな。死者への侮蔑にあたる」


 いかにも反撃の隙が少ない。ゼノビアと口論はしたくないなと、僕は一人思う。

 正面から詰められてはアンナも切り返せないのか、口を噤んでうつむいた。片腕がなかろうと容赦はしない主義らしい。


「しかし」


 ゼノビアは一転、声の調子を落とす。


「私がお前たちの勘違いに気づかなかったのも、同罪だ」

「え」

「お前たち人間からすれば、獣人はみな同じに見えたりもするのだろう。エルガもグレアも、体の大きさが似ているだけで同じバケモノだとみなしたりするのだろう。──そういった心理に歩みよれなかったのは、ひとえに私たちに責任がある」

「……すまなかった」


 面と向かうにはまだ遠いけど、アンナは謝罪を口に出した。一歩前進、だと思っていいのかな。獣人と人間が手を取り合うとしたら、多分ここから始まっていくのだろう。


 ゼノビアが窓際に置いてあった花瓶の中から、青い花を一本抜きとってアンナへ渡した。


「これは?」

「弔いだ。窓の外へ花弁を散らせ。──互いの国を守らんとしたあわれな死者へ、賛辞を」


 アンナは言われたとおりに、千切った花弁を外に投げた。不規則に、バラバラに、小さなそれらが舞った。綺麗だと思う。埋葬された死者の血肉は、もしかしたらこんな風に土へ還っていくのかも。

 ふと両親のことを思いだした。胸の中に雨が降って、心臓にこびりついた切なさがわずかに流れ落ちた気がした。そうだといいな。本当に。


「きれいですねぇ」


 部屋の中で静かに話の流れを追っていた沙那が、わあっと歓声をあげた。でもすぐに弔いの花だと思いだして、あ、と静かになる。


「遠慮するな」ゼノビアが笑んだ。「『離別の落花らくか』は、その美しさによって死者を祝い、生者を慰めるためのものだ。花の美しさを喜ぶのに何も躊躇うことはない」

「あはは……よかった」

「落ちないように気をつけなさい、沙那」


 小さな背中が身を乗り出そうとし、アンナは静かに忠告した。






     *






 二週間がたって、その間にしたことと言えばリハビリくらいのものだった。日中は暇で仕方がない。


 が、それを誤魔化すように、僕の病室はしばしば談話室と化した。というのも、同じく片腕での生活に慣れるためリハビリしているアンナや、見舞いに来た沙那、それからサジール……この三人がそれぞれに話を持ち寄って長話していたからだった。

 ときには真面目な話──マーノストとカルヴァはどの程度手を取り合えるか、とか──をしたり、ときにはくだらない話──こちらは前世での沙那の失敗談が主だった──をしたりと、こんな風に退屈な時間を減らしてくれた。



 一方で気がかりなのはマーノストとパデューロの情勢だった。この前の戦いが終わって以降、とんと静かになっている。嵐の前の静けさ。そんな言葉が頭をよぎって、わずかな不安が日に日に募っていった。


 そしてリハビリだけの毎日が三週目に到達し、僕はようやく一人で歩けるまで回復したのだった。






     *






「久しぶりだね」

「久しぶりだな。埃まみれになってるぞ、きっと」


 サジールと並んで廊下を歩きながら、僕は苦笑した。何が久しぶりって、第十二部隊ヒルノート寄宿舎の自分の部屋に戻るのがだ。


「掃除もリハビリになるかな?」

「重いものを運ぶときはあたしを呼べ」

「うん。ありがとう」


 これは本来男女逆ではなんじゃ?

 ──まあいいか。

 治療にあたって、サジールには全裸を見られたりしているので、もはや恥もへったくれもない。


「掃除するなら、ほうきをどっかから借りた方がいいな」

「箒かぁ……掃除機が欲しいな」

「なんだそれ」


 前世にある機械で、空気の力を使って床のごみを軽々吸い取ってくれる。形はこうで、こうで……。便利すぎんだろ! お前この世界にそれ再現しろよ!


 そんな話をしているうちに部屋の前へついた。


「いよいよ御開帳だな」

「うん。サジール、埃まみれの覚悟はできた?」

「ちょっと待て、息止めるから。──あとゆっくり開けろ。風圧で埃が踊ったらヤダ」

「了解」


 苦笑しつつ、僕は戸を引く。


「……」


 あれ、と思う。

 違和感に捕らわれながら、最後まで戸を開けると。


「……なんだよ、これ」


 息を止めるのも忘れて、サジールは目を見開いた。

 部屋の中を覗き込んだ僕も同じく言葉をなくす。


 ああ、こうなるのか。そんな納得の裏で、まさかこうなるとは、と思う自分がいる。感情が二つに分かれて追いつかない。


 それは惨状と呼ぶにふさわしい光景だった。金属のタンスはひしゃげ、机の脚も天板もごっそりとひずんでいる。椅子なんかは原型をとどめていない。部屋の最奥のベッドが、窓から差し込む光にズタズタな体を晒していた。


 荒らされた。

 誰に? 誰かにだ。

 僕のことを裏切り者と信じる獣人の誰かに。


 前世では、小、中、高と、それなりに──もちろん沙那や両親の死を除けば──順風満帆だった。いじめられたことなんかないし、モノを隠されたこともない。クラスの中心ではないけど、友達が少なかったわけでもない。いじめられたことなんかなかった。


 そっか。こんなにきついんだ。へぇ。心が道化を演じて身を守ってる。いやに客観的な視線で思考した。


 いったい誰がやったんだろう。同じ国の中に犯人がいると思うと、純粋に怖かった。戦いとは方向性の違う、ひどく粘着質な嫌悪が胸を覆った。こんなの、僕には無縁だと思っていたのに。もし、僕がこのきつさを知っていたなら、小学生のころ物を隠されてたあの子を助けただろうか。


 いや、考えても仕方ない。


「埃どころの騒ぎじゃないな……」


 こちらを伺うサジールへ、僕はなんとか笑って見せる。


「どうしよう、ね。これじゃ、寝床もないや」

「ゼノビア陛下に掛け合おうぜ。実害が出てるし、すぐに対応してくれるはずだ」

「うん」


「……なあ」

「なに?」

「──大丈夫だよ。わかんねぇけどさ」

「っ、」


 頬が強張っていたことにようやく気がつく。


「僕、笑えてなかった?」

「ぜんぜん。ヘタクソのなかのヘタクソだ」

「ひどいなぁ」

「もっと練習しろよ。あたしを騙したいならさ」


 騙したいわけがない。そんなつもりでいたんじゃなくって。


「わかってるよ。だから、大丈夫だって」

「……サジール」

「ん?」

「ありがとう」

「ああ」


 戸をしめるのも億劫だ。

 僕らはそのまま踵を返した。


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