第8話 帰還ミッション ―荒御霊を封印せよ―
「リアルファーのショールにしてやればいいのに」
「ありす、キミ、未来の夫に向かってそれはないだろ?」
「わたしはキツネの嫁になる気は一切ありません! そもそもお社燃えちゃったし、永久就職する前にすでに失業してるじゃない」
ああそっか、とキツネはその紅い目を丸くする。
「んじゃあ建て直すまでは婚約期間延長だなー。ウワキすんなよー?」
なんとも話が通じていないチャラさに、ため息をついてありすはベンチに腰を下ろした。久しぶりに朝から騒ぎっぱなしのせいで、ちょっと落ち着いて今後のことも考えたい。
「来週まで戻れないとすると、履歴書出したスーパーのバイヤーだったかの面接には行けないか……。ああ、解凍した乳酸菌、もうだめになってるだろうなあ……」
また一から培養しなおしだ。遅々として進まない卒論研究に思いをはせ、残り時間を指折り数える。論文発表会の前の提出締め切りから逆算しても、実験でデータを取れるのはあと三週間ほどのはずだった。
「こまったなぁ」
しかし根が楽観的なのか、はたまたツイていない人生になれてしまっているのか、なんとかなるかと思わなくもない。少なくとも、死んでなければなんとかなる。
「ま、いっか……」
ありすがまたため息を吐きながらつぶやくと、傍らで焼け跡を見つめていた少女も同様につぶやいた。
「ここを直すはヒトの子の仕事になるが、それはさておき結界を張りなおさねばならんな……。まあアメノホヒの末が祝言の終わりまでにはなんとかなるか」
「あ、そういえば末様と天の姫皇女の祝言ってもうじきでしたっけ。いいなあ、オレも見たいなー」
「バカを申せ。眷属のキツネごときが大社に入れるものか。あれはこの国の護りの契りだぞ。神代の時代から続く結界を崩壊させぬよう、はるか昔から決まっていた術を行使するためゆえ、そなたが思う祝言とはまったく違うものになろう」
「その準備で姫様も神諮りがてら出雲へいかれてたんですよねぇ」
「貴様のおかげで二度手間以上の手間がかかっておるがな。さあ、結界を張りなおすぞ」
少女がキツネの頭を小突くと、キツネも舌を出して腰を上げる。ひょこひょこと焼け跡に駆け寄り、つんと尖った鼻をひくつかせた。
「……あれ?」
「なんじゃ?」
キツネの動きが止まって、少女が不審げな表情を浮かべた。キツネはもう一度鼻をひくひくと動かして何かにおいを探していたが、またその動きを止めて少女を見上げる。
「姫様」
「だからなんじゃというておる」
「石のにおいが無い……」
「なんだと!?」
少女の表情が一段と険しくなった。さっきキツネに対して怒っていたときより目つきが鋭くなり、周りの空気がぴりっと緊張する。ただならぬ雰囲気に、ありすも腰を浮かせた。
「もう一度探せ。無いわけがなかろうが」
「あ、ああでも……」
「良いからもう一度だ」
有無を言わせぬ圧力で、少女はキツネに命令を下す。キツネは言われたとおりにまた鼻を動かしてにおいを取ろうとするが、何度息を吸い込んでも目的のにおいが見つからないらしい。
少女と獣、二人の表情に明らかな動揺の色が浮かぶ。
「どうじゃ」
「やっぱり無い。焼け焦げたにおいが残ってるせいだと思ったんだけど違うみたいだし、こんなことって……」
二人の表情がさらに厳しいものに変わる。そのときだ。
ゆらり、とありすの視界がゆれた。
はじめはめまいかと思えたそのゆれが、視界だけでなく足元にもその影響を及ぼし始めたところで、ありすはそれが地震だと気がついた。境内の楓の葉が揺れてひらひらと舞い落ち、枝に止まっていたすずめがけたたましい鳴き声をあげて飛び立った。
――大きい。
屋外の地面に立っていて感じる揺れにしては相当な大きさだった。電線がゆさゆさと揺れ動き、近所の家の窓ガラスが音を立ててきしむ。とたんに町が騒がしくなり、公園に面した通りにパジャマ姿の人々が現れ始めた。
「姫様!」
「これは……、ヤツじゃ」
厳しい顔で天を仰いでいた少女がつぶやく。美しい顔立ちが心なしか青ざめ、唇はわずかに震えていた。
「やはり二千年もの年月で結界は緩んでおったのだ。はようなんとかせねば、国が沈むぞ……!」
地震は一分以上続いただろうか。ゆれがおさまると同時に少女は大声でキツネを呼び寄せた。
「かけらも石のにおいは見つからぬか?」
「焼けたにおいの中にヒトのにおいがするけど、石のは無いよ姫様。かなり大勢のヒトのにおいがするんだけど、オレが留守居になってからこんなことってはじめてだ」
「ちっ、火事でヒトが集まったときに紛れたか。おい、ありす!」
「は、はいっ」
不意に名前を呼ばれ、ありすは思わず気をつけの姿勢で立ち止まってしまった。少女の声に含まれる緊張の度合いが高まったのが伝わってくる。
「昨夜見たことをもう一度話せ。集まったヒトの子らの中で、社の宝玉を持ち去ったものがいなかったか?」
「え、ええっと……」
「なんでもよい、些細なことでもよいから思い出せ!」
「はいっ」
自分より頭ひとつ以上小さな子どもの姿だったが、さすがにお稲荷さんとして祭られている神様だ。その迫力に気圧されるように、ありすは昨晩の出来事を思い返す。
夕方までは人は来なかった。夕方からここへ来たのはあの中学生三人組。タバコをふかしていたリツと呼ばれた少年が、賽銭箱に触れていた。ひっくり返して、そしてなにをしたっけ。
「男の子が、お賽銭箱ひっくり返して小銭泥棒して、それで火事になって……あれ?」
そういえばその後で火がつくまでに、何かあったような気がする。
リツの動きが一瞬止まったような、へんな時間。あの時彼はなにをしていたかといえば、何かを拾っていた。小銭じゃなくて、何かを。
「お賽銭箱の小銭じゃなくて、いや、小銭のほうがたくさんだったんだけど、一個だけなんか青っぽい、丸い何かを拾っていたような……」
「それじゃ!」
少女の眼が光った。ありすの見かけた青白い玉のようなものが、どうやら目的の石らしい。しかし、それはおそらくリツが持ち去ったままになっているはずだ。
「あの、それってなくなるとどうなるの?」
深刻な表情を崩さない少女とキツネが、お互い顔を見合わせた。そしてキツネが肩をすくめて話し出す。
「さっきも姫様が言ってたけど、それがこの地に結界を張るための留め石。つまりは宝玉さ。この国のいたるところにここと同じ結界のための社があって、とある大物の荒御霊を封じてるってわけ」
「荒御霊?」
「まー、今風に言えば怨霊とか、怨念とか? ずいぶん前に姫様の父君とモメたヤツなんだけど、力はまだまだ衰えてないんだな、これが」
飄々と語るキツネの隣で、少女が腕組みをしたまま後を継いだ。
「そやつの本体は出雲に封じられておるのだがな。黄泉から竜脈を通じて、現世に干渉をしようとしておる。妻とその子に裏切られたやつの恨みは強く深い。この国に降りかかる災いをおそれ、我と我が父、そして我が養母が、ヤツと志を同じくする子にゆかりの深い土地へ社を建て、結界を張ったのだ」
「災い……」
「近頃今のような地震が多かろう。各地の結界がゆるみ、出雲の封印も解けかけておる。古からの約束どおり、このたび天の皇女が出雲へ輿入れし本体の封印を強化するのだが、外を護るこちらの結界が崩れては元も子もない」
そんなやばいお稲荷さんだったのか、とありすは生唾を飲む。しかも自分の目の前でそんな大切なものを持ち出されてしまったことに胸が痛んだ。
いっそ本当に幽霊のフリをして子ども達をビビらせていたら、昨晩の中学生達の来訪自体が無かったかもしれない。
「それにしても、地中深く埋めておいたはずの宝玉が、なぜ賽銭箱などに入っておったのか。大体この社自体、我の術で目立たなく、ヒトの手入れも最小限になるよう図っておったというのに」
「あー……、それって、あの」
「なんじゃ」
鋭い目つきで見つめられ、ありすの心臓がびくっとはねる。思わず目を泳がせてキツネに助けを求めたが、当のキツネは話を少女に任せた後はすっかり汚れてしまった自分の毛づくろいに夢中らしい。
「え、えーっと、あの、ひょっとしてっていうか、その」
「だから、なんじゃというておる」
ああ、ごまかせない。意を決してありすは口を開いた。
「……ユーレイが出るってうわさを聞きつけて、昨夜の子達が来たのは、たぶん、その、わたしのせい、かも……」
「うわさ?」
「キツネさんに置いていかれた日に、別の中学生に姿を見られて、そのちょっとアクシデントで……」
しどろもどろになりながら、ありすはササヤマという女の子と眼があったこと、そのはずにで触れたスマホをどうやら操作してしまったらしいこと、その結果、興味本位の少年たちを呼び寄せて、タバコの火を社に引火させてしまった可能性も説明した。
「ふむ……」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど、全然なにがどうしたのか分からなくて」
「だめじゃんありすー。ヒトに姿を見られるなんて、霊の風上にもごふっ」
軽口を叩いたキツネを拳骨一発で黙らせると、少女はありすをまじまじと見上げた。普通に立てば頭一個分は身長が違うのだ。見た目がはるかに自分より幼い少女だったが、中身はきっと数千年生きてるカミサマだ。すっかり迫力負けして、ありすは素直に頭を下げる。
「ごめんなさい。余計なことしちゃったみたいで」
「いや、元はといえばこのバカがやらかしたことだ。ありす一人のせいではない。が、そうか、そなた、生身のヒトの子に干渉ができるのか……」
「いや、でも操作したかもっていうだけでひょっとしたら何かの間違いかもしれないし、火がついたのだって思った以上にスプレーのガスが充満してたのかもしれないし」
ふむ、と少女が頷く。
「よしいいだろう。ではありす、キツネ。貴様ら二人で、その少年から宝玉を取り返してまいれ」
「ええ!」
驚いたありすが目を丸くしていると、少女はなにがつぶやいて胸の前で印を切った。
「縛りの術は解いた。はよう行ってくるがいい」
「ちょっと、なんでわたしが!」
「当然だろう。バカが責任のほとんどを受け持つとはいえ、そなたもやったことの落とし前をつけてもらわねば困る。連帯責任というやつじゃ」
「だって! わたしただの人間ってか、ただの生霊? だし。ミタマさん、カミサマならちゃちゃっと取り返してこれるんじゃないの?」
あわてるありすに、少女は静かに首を振った。
「我ら神の一族は、ヒトの子に直接干渉はできぬ。触れることも話すこともかなわぬのだ。我らができるのはただひとつ、見守ることだけなのだ」
いやいやいや、とありすは激しく首を振る。
「ちょっと待って。だって神社におまいりしてご利益があったってヒトもいるじゃない。それってカミサマが何かしてあげたとか、そういうのあるんでしょ?」
「ない」
少女はきっぱりと断言する。
「ヒトの子に干渉して何か為すことができるのは、同じヒトの子だけじゃ。神社に参ることで自らの意思をはっきりとさせ、ご利益に感じるものを得られるのはその者が努力した結果でしかないのだ」
ちょっと悲しげに、少女は静かな声でそう告げるとキツネの頭を小突いた。ぺろりと舌を出して首をすくめたキツネが、仕方ないなといった風にありすの足元へ寄り添う。それを見て、少女は唇をきっと結んだ。
「さすがに一人で行かせるわけにはいかぬゆえ、そのバカキツネを供とせよ。宝玉がヒトの手にあると知られれば、やつの手の者が出てくることもあるやもしれぬ。気をつけていけ」
緊張感の増した口調に、このミッションを断れない圧力を感じてありすは観念した。ちらっと足元を見やると、毛づくろいも終えて白く輝く身体に戻ったキツネがにやりと口元を上げて笑う。
「まあ安心しなよ、ありす。キミはオレが護ってやるからさー」
「……信用ならないよ、あんたの言うことは」
しょうがないか、乗りかかった船だし。あきらめに似た感覚で、ありすは腹を決める。どうせあと四日は此方にいなければいけないんだったら、これもある意味ヒト助けだ。情けはヒトのためならずというし、ちょっと怖いけどめったに体験できることでもない。
それはそうと、とありすはふと浮かんだ疑問を聞いてみようと思った。
「あの、そういえばさっきからお話にでてる『やつ』って、誰なんですか?」
少女は、そんなことも知らんのか、とあきれた顔で眉を寄せると、吐き捨てるようにその名を告げたのだ。
「出雲の国津神、オオクニヌシノミコト。我が末の妹の婿にして、父様の後継者。かつてはこのトヨアシハラの中つ国に君臨していた、土着の王だ」
その名を聞いて、なんかやっぱりやばいことに足を突っ込んでしまったと、ありすは早くも後悔しはじめる。そういえば、もう十月になったんだっけ。シューショク、決まるかなぁなどと考えるありすの頭上では、神無月に入った空がどこまでも抜けるように青く広がっていた。
神無月にシューカツを あおいかずき @yukiho-u
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