姫と裏切りの従者

菜花

王女アドリーヌ

 そこは、精霊によって魔力が存在し、輪廻転生が本当にあるものとして当然の世界。

 各国は精霊の加護を受けた王族を頭に据えることで国を維持していた。

 そんな魔法の世界の片隅であったとある悲恋の話をしよう。



 ある王国の姫――いや、もう『元』 姫だろう。元姫のアドリーヌは艶が失われ短く雑に切られた髪が乱れたまま、荒れてガサガサな肌を隠しもせず、ボロのような服をまとって惨めさに耐えながら広場中央に設置された処刑台へのそのそと歩いていた。そんな彼女はまだ16という若さである。

 国が飢饉によって傾き始めた頃、革命軍を名乗る暴徒が王宮に押し寄せて来た。彼らは真っ先に両親である王と王妃を殺害し、正当後継者であるアドリーヌを国を傾けた原因として名ばかりの裁判を受けさせ死刑判決を出した。その間ひと月という短さ。拘束された時点で彼女が生き残る道は絶たれていたのだろう。


 付き添いの男がキビキビ歩けとアドリーヌを怒鳴る。彼女には既に抵抗する気力もなかった。

 一般人が見やすいようにと一段高い場所に作られた処刑台。そこでアドリーヌは覆面を被り鉈を持った処刑人に首を落とされるのだ。

 その事実にはもう涙も出ないけれど、ふと遠くに幼馴染の少年が見えてしまい、それが原因で瞳に水の膜が張る。


 あの少年は名をフィルマンといい、アドリーヌの乳兄弟で忠実な従者――だった。

 小さい頃は王宮内でよくかくれんぼをして遊んだものだ。


『また見つかっちゃった』

『見つけましたよ。次はアドリーヌ姫が探す役をしますか?』

『嫌よ。だって私、フィルマンに見つけられるのが好きなんだもの。次もフィルマンが探す役よ、絶対見つけてね』


 本物の兄弟、いや、それ以上の感情がアドリーヌにはあった。いずれ自分は政略結婚をするだろうけれど、自分の心の中にはいつだって彼がいるのだろうと思っていた。いつも優しくて、絶対怒らないフィルマン。けれど、彼がただ一度だけ怒った時があった。


 王宮に暴徒が押し寄せてきた時、フィルマンが自分の手を取ってこっちだと一緒に逃げてくれた。彼についていけば必ず助かるだろうと何も心配していなかった。

 しかし着いた場所は革命軍の主な代表がいる場所だった。

『これはどういうこと?』

 震える声でそう言うアドリーヌにフィルマンは悪辣とした笑顔で言い切った。

『バカ女が。まんまと引っかかったな。俺はお前なんか一度も主と思ったことは無い。国の金を吸い上げる贅沢姫、お前なんか国の恥だ!』

 そう言って怒鳴り散らすフィルマン。

 裏切られた、と理解できたのは丸一日経った後だった。

 それからの記憶はあまりない。けどそのほうが良かったのだろう。覚えていてもつらいだけだろうから。

 フィルマンは革命軍と通じて王家を裏切った。けどそれは――。


 横の偉そうにした小太りの男がつらつらとアドリーヌの罪状を読み上げている。


「この女は庶民が飢えているにも関わらず贅沢三昧をやめず、外交と称してパーティーをいく晩も重ね、国庫を傾け……」


 知らなかった。自分がそんなに恨まれているなんて。

 お金もドレスも欲しいと言えば出てくるものだと思っていた。

 普通のことをしているだけなんだから嫌われるなんて有り得ないと信じ切っていた。

 こうなって初めて、自分が思い上がっていたのだと知る。


「……よって処刑とする!」


 広間から歓声が沸いた。ああ、自分はこんなにも多くの人に死を望まれているのだ。

  

 処刑人が何故か困ったように頭を下げろと言ってくる。それを見た小太りの男はニヤニヤしながら処刑のことをアドリーヌに伝えた。 


「いやあ探すのは大変だったんだ。処刑がへたくそな男! きっと今日の処刑は盛り上がるぞ。良かったな、お前みたいな女でも最後に庶民を楽しませることが出来て」


 鉈がゆっくりと振り下ろされる。





 ――精霊様。この世界で神と呼ばれる存在よ。

 私は足りない人間でした。だからこの罰は甘んじて受けましょう。

 ですから、どうか来世の罪を軽くしてください。私はもう王家に生まれたくありません。次があるなら庶民として平穏な暮らしをしたい―― 



 その日の処刑は罪人が死ぬまで時間がかかり、大盛り上がりだった。






 数年後、田舎の村で一人の赤ん坊が産声をあげた。

 その赤ん坊は奇妙なことに生まれながらに前の生の記憶があった。


――ここは? 私は確か、処刑されて――


 目が開かない、口も利けない、ただただ訳の分からぬ不快感で泣き叫ぶ。

 赤子が自分の状況を理解できたのは一年を過ぎてからだった。


 赤ん坊は女の子で、ニネットと名付けられていた。

 ニネットはつつましく暮らす農家の家の中を見回して精霊に感謝を捧げた。


――ああ精霊様、私の願いを聞き届けてくださったのですね!――


 王族でも貴族でもない、平凡な女として転生したのだと、アドリーヌの記憶があるニネットは思う。

 ……といっても、輪廻転生は普通、自分の血縁に生まれやすいものだ。けど血縁がアドリーヌで絶えたのだから赤の他人のもとに生まれるしかない。それでも感謝を述べずにいられない。

 今度こそ、平穏な暮らしをする。下手に身分が高いところに生まれて、責任を取るために殺されるようなところには居たくない。さあ今日からはこの暮らしを楽しもう。



 そうアドリーヌ、もといニネットが決意してから15年の月日が流れた。

 慣れたもので、ニネットは毎日畑の世話をするこの生活を満喫していた。自分の手で、いや村全体で小麦を作る。それがどれだけ大変なことか。前世の自分は何も知らず、農家というのは口を開けてればパンを食べられるものだと思っていた。生産者とはそういうものだろうと。……つくづく嫌な為政者だった。毎日朝から晩まで畑を見ることがどれだけ大変か。今世でニネットは身体で学んだ。これで、少しは自分に誇りが持てそうだ。

 日も暮れたので農地の草刈りをやめて刈り終った草を荷台に乗せ、所定の場所まで捨てに行こうとした。その際に草があまりにも大量でよろけてしまう。転びそうになったニネットを支える手があった。


「大丈夫か?」

「あ……ありがとう、ロジェ」


 ロジェ。ニネットの隣の家に住む少年だ。互いの両親同士仲が良く、その影響でニネットもロジェと仲が良い。


「少しは俺を頼ってくれよ。何でも一人でやろうとしないでさ」

「だって一人で何でも出来るのが嬉しいんだもの。前……っと、小さかった頃は早く両親の力になりたいって思ってたし」


 これは本当だ。前世では親孝行など出来なかった。しかし今世の両親を見て、つい前世のアドリーヌの感覚で暮らしに余裕がなくて心も貧しかったらどうしよう、と思っていたのだが、その不安はまったくの杞憂に終わり、一人っ子のニネットを可愛がる理想的な両親だった。今世では両親に自慢の娘って言われるような人間になろうと赤子の時から思っていた。


「ニネットが両親の力になるなら、俺はそんなニネットの力になるよ」

「ロジェ……」


 ロジェはどういう訳かニネットにとても優しい。単純なニネットはいつからかそんなロジェに恋心を抱いていた。けれどそこで思うのは前世のこと。本当は相手の負担になっていないかと何度も不安になったが、その度に前世と違ってお互い庶民じゃないかと思い直す。前世は身分という越えられない壁のためにフィルマンを苦しめたこともあったのだろう。アドリーヌは他人の気持ちに無関心な人間だったから。だから今回はなるべくお礼を言ったり相手に負担をかけないように頑張ることにしている。他の村の人間に利用されることも多いけど、嫌われるよりよっぽどいい。そう思っていたら心を読まれたのだろうか、ニネットの荷台に草が増えた。


「ニネット、捨てに行くならこれもお願い」


 同じ村のモニクという少女だった。笑っていいよと言うニネットと違い、ロジェは怒りを露わにした。


「モニク! 自分のぶんくらい自分でやれよ、何ニネットに押し付けてるんだよ」

「うるさいわね。ニネットがいいって言ってるんだからいいじゃない。私は最近手が荒れて痛いの」

「この時期荒れてるのは皆同じだろ!」

「何よ女心が分からない男ね。私はこんな田舎で一生生きるつもりはないの、いつかは王都に行くの。その時に農民娘丸出しの手じゃ恥ずかしいってものだわ」

「はぁ? そんな理由で……」


 なおもつっかかろうとしたロジェをニネットが止めた。


「それなら仕方ないよ。手を大事にしてね、モニクちゃん」

「分かればいいのよ。じゃあね」


 去っていくモニク。完全にいなくなるとロジェが不満を伝えてくる。


「いい様にされてるだけじゃないか」

「誰かのために出来ることがあるって、私は嬉しいから」

「……ニネットのそういうところ、俺は好きだけど、だからって何でも引き受けてちゃ相手のためにならないぞ。モニクも王都なんか何故行きたいんだか」


 王都。ニネットの頭に前世の記憶が蘇る。大きくて広い城。豪奢な室内に豪華なドレス。化粧もバッグも皆一流。人々は皆洗練されたたたずまい。見るもの食べるものみな田舎にいては味わえないものばかり。田舎暮らしに慣れた頃、そういえばあんなこともあったなと思い出す。姫として常に最新の流行を身につけていた時は誇らしく得意げになったものだった。けれど、いくら華やかでも最後は……。


「私も王都、好きじゃないな」


 ぽつりと本音がもれた。


「ニネット……そうだな。王都なんかまともな人間の行く場所じゃない。革命軍が占拠してからは荒れ放題だっていうし」

「そういえば、王都の政治ってどうなってるんだろう。何か知ってる?」

 ロジェはふっと遠くを見る目になって言った。

「……滅茶苦茶だってよ。当たり前だ」

「え、王家を断絶させたのに? 何かそれなりの計画があって行動を起こしたんじゃ……」

「それなりの計画があったら王家滅亡なんかさせないだろ。精霊の加護を失った直後の王都は魔物が入り放題だったって話だ」


 ニネットはぎょっとした。そうだ、精霊。

 精霊の加護をもって国とするこの世界。加護が無くなったら緩やかに衰退するしかないのでは?


「そ、それで、どうなったの? 精霊様は?」

「……断絶させたからな。精霊は当然怒る。困った革命軍は精霊に会って出来もしない口約束をした」

「それは?」

「王家の人間の生まれ変わりを連れてくるから、今度からはそれを依代にしてくれと」


 ニネットの背筋に悪寒が走った。自分はまさにそれに当てはまっている。いやでも王族は過去に遡れば何人もいる。その中の誰かが依代になるのかもしれない。


「けれど、見つけた生まれ変わりは全員断った」

「え、どうして?」

「どうしてって、当たり前だろ。皆怒ったんだよ。『前世の自分の子孫を惨たらしく殺しておいて助力を願うとは厚顔な』 って。だけど誰かが引き受けてくれなければいずれ国は亡ぶ。そんな中、転生者の一人がこう言った。『アドリーヌ姫がお前らを許すなら自分も許そう』 と。おそらく全員同じ気持ちなんだろうな」

「……!」


 転生者。おそらく自分の前世のご先祖様にあたる人達。王家を滅ぼした直接の原因となった自分を想ってくれるとは思わなかった。優しさに涙が出そうだ。


「けど、アドリーヌ姫は見つからない。……まあ、血縁者は全員革命で処刑したしな。どこに生まれるかまったく予想もつかない。難航しているようだが、俺は見つからなくていいと思っている。だってそうだろう? 殺したけど都合悪くなったからまたここに来てくださいなんて、どの面下げて言ってるんだよって話だ。いまだに魔物に悩まされて自警団がそこら中にいるらしいけど、まあそれはそれで楽しいんじゃないか」


 あえて王都の情報は耳に入れないようにしていた。処刑のことを思い出してしまうから。けれど、知ってしまった。王都の窮状を。

 助けたほうが、と思うのだが、前世で王都の人間が自分の処刑を喜ぶ様子を思い出して二の足を踏む。 

 ……きっと、ご先祖様の生まれ変わりの誰かがその役目を果たしてくれる。王都の民だって無能な自分に助けられたいとは本心では思ってないはず。


「変な話をしたな。ごめん。……さあ、早く仕事を終わらせて帰ろう」


 顔色が悪いニネットをロジェが気遣ってそう言ってくれた。ニネットもそれに甘える。

 そうだ。昔ならいざ知らず、今はもうただの平民なのだから。



 その日、仕事を終えたロジェは家に帰り、自室に入るなり深い溜息をついた。

 あんな話をするつもりではなかった。なかったが、アドリーヌがいなくなった後に王都がどうなったのかは、やはりアドリーヌの生まれ変わりである彼女には知ってほしかった。

 ロジェはニネットの前世を知っていた。魂は血縁に転生しやすく、それゆえか顔見知りと再会しやすい。あるいは、血縁とは無関係でも前世の知り合いの近くに生まれたとはよく聞く話である。

 そう、ロジェはアドリーヌを裏切ったフィルマンの転生した姿だった。


 話はフィルマンの子供の頃まで遡る。


 飢饉で餓死者が増え、無能な王族はいらないと怨嗟の声が巷に溢れ、それは直属の部下であるフィルマンの耳にまで入った。もとより正義感の強い少年であったフィルマンはそれを聞いてからアドリーヌを穿った目で見るようになった。それでなくとも、両親から口を酸っぱくして「従者たるものアドリーヌ姫に滅私奉公せよ」 と言われていて反感があったのだ。


 いつも豪勢な食事をして、食べきれなかったら捨てる。食べ物を粗末にするやつなんてお話の中だったら悪役だ。

 綺麗なドレスや食費がいくらかかっているのか考えもしない。自分のことしか考えてないんだ。

 民が飢えているのに生活の質を落とさない。庶民の生死なんて知ったことじゃないということか。

 こんなやつにどうして自分が仕えないといけないんだ。選択の自由があるならこんな女絶対嫌だ。でも従者の家に生まれたばかりに言うことをきかないといけない。なんて可哀想な自分。


 そう自分を憐れんでいると、その手に金を握らせてこう言う勢力が居た。

「アドリーヌを稀代の悪女として処刑してしまえばいい。お前は彼女に踊らされた被害者だ。彼女がいなくなれば自由になれる。皆が幸せになる」

 16の少年には、それは天啓のように聞こえた。


 そして言われるがままに彼女を革命軍に売った。

 彼女が処刑される姿を見た時は、そこまでしなくてもと流石に思ったが、皆熱狂していて何も言えなかった。

 でもこれで皆が幸せになるんだ。自分は正義の鉄槌を下しただけなんだと思っていた。

 実際は、それを機に国が傾いていった。飢饉の比でなく。


 諸外国が貿易を打ち切ると通達してきた。どの国も王政だ。王族を殺すような国と付き合えないと判断したのだろう。結果、輸入輸出が厳しくなり貧しくなった。

 王が悪人であった国など良い機会だとばかりに領土の切り取りを開始してきた。流石にそこの国の精霊が止めたが。

 国は余計に荒れた。なのに舵を取る人間がいない。アドリーヌが死んでからは自分がこの国の代表だと見苦しいほど身内で権力争いをしていた。その間庶民は放っておかれた。

 そんな時に魔物が王都に侵入するようになり、共通の問題にぶつかったことで皮肉にも団結した。そして王族がいなくなったことで加護がなくなったのだと知る。

 精霊は怒り狂っていた。王族の先祖に子々孫々自分を祀ることを条件に国に加護を与えたのに、今年の祭事がまだなのだ。そして血縁が絶えていたと知り、勝手なことをした庶民を許さず飢饉をさらに酷くした。


 慌てて精霊のご機嫌取りに向かい、転生者を探し出すと約束した。

 その間は温和な性格のクロードという男が政治を取り仕切ることになった。革命を成功させた立役者――その頃には皮肉で言われていたが――フィルマンも彼に仕えることとなった。

 クロードは口癖のように言っていた。

「私達はとんでもない間違いを犯したのだ。罪を贖わなくては」

 国内のあらゆる所からくる苦情。その一つ一つに丁寧に対応していた。いつしか彼は寝なくても働ける男という噂が立った。当然そんなことはなく、ある朝、彼は机に突っ伏して死んでいた。過労死だった。

 次にリーダーとなった人間はクロードの部下であったブレーズだ。彼は敬愛するクロードを過労死させた庶民を恨んでいた。


「リーダーならこれもしろあれもしろとクロード様に無茶な要求して、苦情だって最初から怒鳴るように伝えてきて、クロード様はそんなやつらのために命を縮めたんだ。庶民に人権など与えるな! そもそもこんな窮状になったのは彼らの王家への逆恨みが原因じゃないか! あいつらに考える頭は無い!」


 そう考えたブレーズは自分に反対する人間を徹底的に弾圧した。文句を言ってきた庶民をその日のうちに処刑台に送ることもざらだった。クロードのことを想えばブレーズのことも分かるような気もするし、フィルマンは立場もあって強く出れなかった。

 やがて、庶民からはついに「王政のほうがマシだった。アドリーヌ姫の時代には飢饉で死ぬことはあっても理不尽に殺されるようなことはなかったのに」という声がもれた。ブレーズは馬鹿にされたとますます怒り一日何十人も処刑台送りにした。フィルマンも流石に苦言を呈したが、「アドリーヌ姫にお前は何をした?」 の一言で何も言えなくなった。


 庶民に近づこうとしないお貴族様と思っていたアドリーヌ。しかし近づきすぎたクロードは過労で死んだ。あれは適切な距離を取っていただけなのでは。

 気に入らなければすぐ殺すブレーズ。我儘ではあったがアドリーヌは誰かを殺すように言ったことなど一度もなかった。

 いつも豪華なドレスを着ていたアドリーヌ。今思うと国の顔だったら当たり前では? クロードがなんとか外交を復活させた時、きらびやかな服をまとう諸外国の要人の傍らでみすぼらしい服を着た自分達がいた。国のレベルが知れるという光景だった。

 生まれながらに選ばれた人間であるだけでムカつくと思っていた。実際王族がいるから精霊の加護があったのに。

 従者である自分より魔力がないアドリーヌを見下していた。精霊を祀ることに全振りしているんだからそれで問題無かったんだ。

 いつもいつも従者の自分に友人面して鬱陶しいと思っていた。……あれこそ彼女が身分差なんて意識していなかったという証明のようなものだったのに。年相応だったのに。


 そう悩んでいたある日、昔の夢を見た。

 夢の中ではアドリーヌは健在で、いつものように笑ってフィルマンに抱き付いてきた。

「フィルマン、ねえフィルマン。あのね」

 あまりにも懐かしい光景。そうか、嘘だったんだ。アドリーヌがいなくなったのも処刑されたのも、俺が彼女を裏切ったのも。

「姫様……」

「どうしたのフィルマン? なんだか苦しそうだけれど」

「いいえ、いいえ。こうしてまた姫様と会えたのが嬉しくて」

「また? 昨日も会ったじゃない。変なの。でも、ふふ、私も嬉しい。フィルマンのこと好きだから」

 全部夢だったんだ。あるいは神が憐れんでくださったのか。時間が巻き戻っている。これは幸いだ。革命軍のやつらが来ても今度は追い返そう。いやそれより不審な動きがあると王に伝えてしまおう。いや、それよりもまず――。

 アドリーヌと触れ合いたい。そうして悪夢を忘れたい。フィルマンは彼女の手を握る。

 何の、感触もしない。

「姫様?」

 フィルマンがアドリーヌの顔を見ようとすると、そこには何もなかった。自分が握っている者も、肘から先が切り取られた片腕だった。

 ……そう言えば、特に罪の重い罪人は処刑されたあとに四肢をバラバラにしてから埋葬される風習があった。アドリーヌも、あの時……。

「あああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 フィルマンは飛び起きた。そこは王宮に居た時よりもずっと粗末な一軒家の、自分の私室だった。全て、夢だったのだと悟る。


 フィルマンの目から涙が零れた。

 俺の負けだ。そうだよ、あいつに会いたいんだよ俺は。戻りたい。会いたい。会って謝りたい。

 何故彼女を裏切ったのだろう。

 あの頃は飢饉で贅沢に暮らす彼女への不満が高まっていた。それらを真に受けて裏切った結果がこれだ。間違っていたのは自分だ。彼女じゃない。


 凄惨な殺され方をした人間の魂は二度と同じ思いをしないために記憶が引き継がれることがあるという。

 また会えたら今度こそ裏切らずに守りたい。それまではせめて、ブレーズの暴走を少しでも抑えよう。

 

 ブレーズの補佐で疲れが溜まっていたフィルマンはある日、「お前のせいで!」 という暴漢に滅多刺しにされて死んだ。多分、ブレーズによって処刑された誰かの身内だろう。心当たりが多すぎた。

 そして気がつくと田舎の農民の家に生まれていた。

 転生は同じ血筋の上に生まれることが多いが、フィルマンは血縁からは一族の恥と見られていて、晩年はほぼ絶縁状態だった。にもかかわらず、フィルマンの死後に血縁者であるというだけで全員が処刑台送りになった。これでは無関係の人間のもとに生まれるしかない。そんな事情は知らないが、一族から恨まれている自覚はあったのでフィルマンの魂はホッとしていた。

 そして歩けるようになった頃、隣家の女の子に気づく。

 ――あれは、アドリーヌ姫だ。間違いない、魂の色が同じだ。思わず。縋りついて謝り倒したい気持ちが押し寄せる。けど、それは自己満足でしかない。

 謝って許してもらえるかは別問題だ。まして自分なら絶対許さないし顔も見たくない。

 この人生が終わるまで隠し通して、良い幼馴染として振る舞おう。それが一番彼女を傷つけない。ただのロジェとして彼女を守ろう、今度こそ。

 ニネットがアドリーヌ姫だとばれないのはロジェが魂の色をぼやけさせる魔法で攪乱していたからだ。

 アドリーヌがロジェをフィルマンだと知らないのは、元々彼女には魔法の才能が無かったからだ。前世はそれを陰で笑っていたけれど、今は助かったと思っている。


 そういえばブレーズはフィルマンが死んだ後、ほどなく亡くなったらしく王都は落ち着いたらしいが、それでも革命軍は信用ならない。あいつらの大言壮語にはすっかり騙された。

 今世の彼女はここで穏やかに生きるんだ。


 そう思ってニネットの傍で農作業を手伝っていたある日、ニネットに告白された。


「私、ロジェが好き」


 過去の罪が許された気がした。すぐにでもその気持ちに応えたかった。けど出来ない。

 彼女は自分が前世で裏切ったフィルマンだと知らない。だから好きになれたんだ。自分を処刑した原因の男と結ばれるなんてあってはならない、おぞましいことだとフィルマンの魂は叫ぶ。

「ニネットには、自分以外の誰かと幸せになってほしいんだ」

 そう言った時のニネットの顔は、逆光で思い出せない。


 運命の皮肉か、王都からの使者が来たのはその次の日だった。


「百年に一人と言われる魔法の天才が見つかりましてね。ようやくアドリーヌ姫の魂を見つけましたよ。ああなんだ、フィルマンも一緒じゃないですか」


 そう言ってきた使者は、前世のフィルマンが面倒を見ていた子供だった。親を処刑されて行き場が無くなった子。結婚する気も恋人を作る気もなくて子供代わりにしていた子。何故数ある孤児の中でその子を選んだかというと……アドリーヌの金の髪と、フィルマンの茶色の目を持っていたからだ。だから間違えようがなかった。

 ニネットは己の前世を言い当てたこと、そして幼馴染がフィルマンだったと知って茫然とロジェを見つめた。慌てて否定する。

「違う、フィルマンなんて知らない。俺はロジェだ、ただのロジェだ!」

 ロジェはニネットが自分がフィルマンであったことを知ったら軽蔑するだろうと思い込んでいた。前世で裏切っておいてまだ従者面するのかと。罵られても仕方ないことはしたのだから。


 しかし、ニネットの考えは違った。


 ロジェがフィルマン? 私がアドリーヌであると言い当てた以上、彼がフィルマンというのも事実だろう。フィルマンが、ずっと私の傍にいた……?


 ――可哀想な人。

 ロジェは前世を思い出していないのだ。そうでなければ自分なんかに優しくするはずがない。自分は傲慢極まりない姫だったのだから。

 知らずに憎んでいた人間の世話をまた焼いている。殺されるような主にまた仕えるようなことをしている。哀れだ。

 きっと無意識下ではアドリーヌだと解っていたから、告白も受け入れて貰えなかったのだろう。

 人は魂が同じだと知り合いの近くに生まれてまた似たような関係になる場合が多いらしい。

 事実、私もまた彼を好きになった。きっと、愚かな私は何回生まれ変わっても彼を好きになるのだろう。そして彼を縛りつける。

 ここでその忌まわしい流れを絶たなければならない。

 前世では一番楽しかった時を送らせてくれた人、今世でも初恋となった人。

 今世では、きっと私が守るから。


「前世のことはよく分からないけど、私行きます。精霊様を説得します」

「ニネット! やめろ、君がそんなことをする必要はない、あいつらの自業自得なんだ!」


 振り返らずに馬に乗る。今世の両親には悪いけど、でも精霊の加護がなければどのみち国は亡ぶ。

 ニネットが追いつけない距離に行くまで、ロジェは同行していた兵士に押さえつけられていた。

「今更騎士気取りか? そんなことしてもお前がアドリーヌ姫を裏切って死に追いやった事実は消えないのに」

「うるさい! それは前世の話だ、今度こそ彼女を守るんだ!」

「お前の判断は当てにならないんだよ。前世でも良かれと思ってしたことで国を引っ掻き回したの忘れたのか? お前みたいな馬鹿は引っ込んでろ!」

 地面に頭を押さえつけられる。田舎まで届いていないが、今やフィルマンの名は「裏切者」「愚か者」のスラングになっていた。だから会ったこともない兵士でもフィルマンと知るや暴行気味に対応する。

 これが、前世の報いなのかとロジェは絶望した。




 精霊の棲む森まではそう時間がかからなかった。

 ニネットがつくまで荒れ果てていた森は一瞬で蘇った。まるで歓迎されているようだ。

 奥の泉に行くと精霊が待っていた。美しいが、神々しすぎて人間味のない容姿。跪いて乞う。

「アドリーヌの魂が参りました。どうかこの国に再びの加護を」

 精霊はそれはやぶさかではないが、見返りは何だと尋ねてきた。

 確かにそうだ。人間だってタダで色々やってくれる者はいない。少し考えたニネットはこう言った。


「私の命と魂では代償になりませんか? この魂をもって精霊様にお仕えしたく存じます」


 前世で酷い殺され方をしてからずっと穏やかな生活に憧れていた。今までの暮らしも穏やかなものではあったが、結局前世の関係者に見つけられてしまった。安全であるとは言い難い。

 精霊の棲む神域は時間や空間を超越したある種の天国のような場所と聞く。それに精霊様のような超越的な存在によって亡くなるというなら名誉だし、諦めもつくし、そもそも精霊様が残酷な殺し方をするとも思えないし。ニネットに損はないのだ。


 精霊はそれを聞いてそっとニネットの首に触れた。ニネットの身体から力が抜け、糸の切れたマリオネットのように地面に倒れた。苦しむ間もなくニネットは死に、身体から魂が抜け出る。精霊はそれを手に取り、無垢な魂が手に入ったことを喜んだ。契約は実行されたのだ。

 魂だけの存在になったニネットだが、不思議とこの状況に安堵していた。身体ないということは傷つけられる心配がないということ。むしろ願ったりかなったりかもしれない。

 それに、精霊様にお仕えするならこれでもうロジェに会わなくて済む。ロジェ、私のいない人生でどう生きるかな。私という足かせがなくなって、きっとのびのびと生きられるんだろうな。精霊の神域に住むようになり、外の世界のことはもう知る由もないが、きっとロジェは楽しく過ごせているだろうと信じていた。




 その後、ロジェはニネットが命と引き換えに王国に加護をもたらしたと聞いた。後悔が胸に押し寄せる。

 あの時もし告白を受けていれば、既に他の男の者になったニネットは死なずにすんだかもしれないのに。精霊は穢れを嫌うから。みすみす彼女を失った。また。彼女ばかりが苦しんだ。

「……ニネット、またいらぬ犠牲になって。今度はすぐ逝くから……」

 ロジェは前世同様、刃物で自らの命を絶った。

 

 それから彼の魂は、ニネットの魂が精霊のもとにあるから生まれ変わりは出来ないことを知らずに、アドリーヌの、ニネットの魂を転生するたびに探している。

 彼が思うのは遠きの日の約束。


『だって私、フィルマンに見つけられるのが好きなんだもの。次もフィルマンが探す役よ、絶対見つけてね』

「はは。昔はよく王宮でかくれんぼしてたからな。今度こそ見つけるから……」



 ロジェであった魂は平民の子として生を受け、ジスランと呼ばれた。

 根拠もなくニネットは近くに居るに違いないと思ったが、村中探してもニネットの魂を持つ人間はいなかった。

 なら交流のある近隣の村かも。

 あるいは離れて暮らす親戚にいるのかも。

 亡くなった赤子のことまで尋ね歩いてみても、ニネットは見つからない。


 生まれていないのでは、と一瞬思うがそんな筈はないと思い直す。処刑された姫と手引きした従者の生まれ変わりがあんな近くに生まれたのに、二回目からは適用されないなんてあってたまるか。


 ジスランは村にやってきた旅人から王都の話を聞き、それを聞いて王都にいるのでは? と思い至った。なんでも王族を直接処刑して、さらにその姿を見世物にしたのに、そのあと政治が思うようにならないからという理由で他国にいた、以前の王家の傍系も傍系の子孫を新たに王に立てたらしい。もう簡単に絶えないようにと何人も側室を迎え入れされて、子どもは数十人を超えるそうだ。……その中にニネットがいるのかもしれない。血縁といえば血縁、縁者のもとに生まれる可能性は低くない。

 それからのジスランは田舎の冴えない倅が生まれ変わったかのようだった。

 魔物退治で武功をあげ、王族に仕える人間になった。

 ……フィルマンの時はそれが嫌で嫌で仕方なかったのに、今はこうして自分から仕えている。あの愚かな過去世がひたすら恨めしい。

 ともかく王族と名の付く人間は全て調べ上げた。結果、ニネットはいなかった。

 何故。

 自分が嫌、ということはないだろう。それではニネットの時の説明がつかない。もう縁は切れたとでも? そんな筈はない。あんなに一緒だったのに。

 鬱々とするジスランの脳裏にあの懐かしき声がよぎった。


『次もフィルマンが探す役よ、絶対見つけてね』


 ずいぶんかくれんぼが上手くなった。前はあんなに簡単に見つけられたのに。探す必要もなかったのに。……早く見つけないと。きっと泣いてしまう。

 もしかしたらまだ生まれていないだけかもしれないと戸籍係にでもなろうとかと思ったジスランに悪評をばらまく同僚がいた。


「ジスランはフィルマンの生まれ変わりだ!」


 それはジスランがいたために出世が思うようにならなかった男だった。自分の能力不足を棚にあげ、こいつさえいなければと告げ口に走った。

 何も本気でフィルマンの生まれ変わりだと思っていた訳ではない。ただ難癖をつけて出世コースから外れれば、くらいの気持ちだった。

 だが念のため、と王がジスランの過去世を調べた結果はクロ。それを知った王族は態度を豹変させた。

 フィルマンの所業は人類史上最悪の悪行とまで言われていた。直接殺した処刑人や

民衆を煽った革命軍よりも、フィルマンが手引きしなければあの王家は滅びなかっただろうとされる有識者の意見がのちの人々の憎悪を買った。

 生まれ変われば実質別人、そうは言われているが、それでもフィルマンの生まれ変わりは王族のアレルギー反応を誘うには十分だった。


「王家を滅ぼした人間がまた王家に仕えるとは……またおかしな輩を王宮に招き入れるつもりがあるのか?」

「別人と分かっていても怖い。アドリーヌ様が腕の悪い処刑人によって肉塊になるまで切り付けられた事実を思い出すと吐き気がする。私たちのことを思うなら王宮から出ていって」


 王にも王妃にもそう言われ、ジスランは大人しく去るしかなかった。

 ――自業自得なんだ。

 あの過去世の自分にもし会うことが出来たら、この手で殺してやりたい。

 そんなことを思いながら王宮を出たジスランを暴漢が襲った。

「アドリーヌ姫の仇……!」


 アドリーヌの時代からはもう百年近く立っているが、その頃にはアドリーヌ姫は悲劇の王女として有名になり、小説や舞台、演劇で引っ張りだこだと言う。それらの話でいつもフィルマンは悪役だった。純真な王女を騙し、処刑の場も高みの見物であざ笑うという魔王のような扱い。最後はアドリーヌ姫の信奉者がフィルマンを処刑する。史実はそうではないのだが、そのほうが面白いのだろう。分かりやすい悪役で、憎まれ役のほうが。

 だからアドリーヌ姫に同情するあまりフィルマンが転生した人間にまで憎悪を向ける人間がいてもおかしくない。

「ははは! やりましたアドリーヌ姫! 貴方の仇を取りました! これで少しは貴方の無念も晴れましたか!?」

 暴漢は笑っていた。だがジスランも笑っていた。惨い死に方をすると記憶が持ち越される確率が高まる。……次こそ、見つけないと……。


 次は商人の息子、マティアスとして生まれた。その財力で調べられるところは全部調べてニネットを探した。見つからない。年頃になると縁談が出た。自分だけ幸せになるなど出来ない。家督は弟に譲り、自分は広い世界を見たいと言って旅に出た。死ぬまであちこちを放浪したが、見つからなかった。代替わりして弟の息子に「ふらふら旅ばかりする変なおじさん」 と言われたが、実際そうなのだろう。この旅は、ニネットを見つけるまで終わらない。


 対木は貴族の子息、フィリップとして生まれた。理由をつけて領地に引きこもり、王都にはなるべく行かなかった。ジスランの時みたいに無理矢理探すのを中断させられてはたまらない。それでも周辺に見つからなければ王都でも探してみる。フィリップの容貌に見惚れて声をかける貴族の淑女達は多かったが、何も思わなかった。ただニネットでもアドリーヌでもないと感じるだけ。

 ある時ふと、精霊の住処周辺はどうだろうと思った。精霊によって死んだのなら、その周辺の妖精に生まれ変わることも有り得るのでは?

 そうだどうしてそれを思いつかなかったのだろう。ニネットを奪い去った精霊が憎くてあの場所には近寄りたくもなかったからか。

 精霊の住処を尋ねる。ニネットの魂を探していると聞くと、精霊はテレパシーのようなもので伝えて来た。「私の知るところではない。契約は既に済んでいる」

 精霊がそう言うならそうなのだろう。フィリップはそこを去り、再びニネット探しに出た。

 それからほんの短い間のあと、精霊の傍を小さな光が飛ぶ。

「人間の匂いがしますよ。どなたかいらしてたんですか?」

 ニネットの魂だった。

 精霊はニネットの質問には答えず、「知り合いをむごたらしく殺した男が謝りたいと殺した知り合いの転生先を探しているらしい。お前ならどうする?」 と聞く。

「え? えーと……」

 ニネットは何となくアドリーヌ時代のことを思い出す。普通の人なら……。

「教えないのも一つの選択だと思います。だって転生して折角全てを忘れて自由にやっているんでしょうし。思い出させるのも酷くないですか?」

 精霊はふふ、と笑った。

「でも……私だったら話を聞いてあげたいって思うかもしれません。後悔と反省の気持ちにずっと苛まれるのもつらいから」

 笑っていた精霊は急に真面目な顔になった。そして「なら、覚えているのも罰だな」 と伝えてくる。


 精霊はアドリーヌの魂を気に入っていた。だからそれを二回も傷つけたフィルマンの魂には怒っていた。どこにもいない魂を求めて探し続ける彼をあざ笑う。

 その期待に応えるかのように、それから何回生まれ変わってもフィルマンの魂はアドリーヌの魂を探し続けた。

 回数が二桁の頃は笑って見ていられたが、三桁になってくると精霊もぼちぼち罪悪感が湧いてくる。ニネットの魂にロジェのことを聞く。あの魂のことはもう忘れたかと。

「いいえ。ずっと、ずっと覚えています。彼の幸せが、私の幸せなんです。そういえば精霊様、彼の魂は今何をしているんでしょう? きっと幸せですよね? 私がいないのだから」

 その逆でお前がいないから不幸に溺れていくんだよ、とは言えなかった。今知ったら今までどうだったのかも教えなくてはならなくなる。ちなみに今は高名な魔法士の家に生まれ、過去世がフィルマンだと知られて家の恥だと追い出されスラム住まいになっていた。そして底辺の暮らしになってもずっとニネットを探している。


 ――もういいか。

 精霊は自分のお気に入りを苛めた人間の魂をいたぶるのにも飽きたらしい。ニネットにあと数年したら自分に仕えるのをやめて人間の輪廻転生に戻れと伝えた。

「え? あの、私何かしましたか?」

 同じ魂ばかり何百年も見るのに飽いた、とあっけらかんと言う。ニネットに拒否する権利もないので、ただ従うのみ。けれど気になることは一つ。またフィルマンの魂に会ったらどうしようか。……そんなことある訳ないよね。かなり時間が経ってるし。




 今回の転生は平民の家らしい。赤子の拙い視力と聴力をなんとか駆使してそう悟る。平民か。あちこち探すなら財力があるか権力がある家のほうが良いんだが。だが生まれてくる家にしてみれば誰とも結婚しない男とか面倒でしかないだろうな……。周りへの迷惑を最小限にとどめるのなら平民でいいのか。

 ぼんやりそう思っていると、ベビールームに誰か尋ねてくる。母親だろうか。いや、この足音は複数人。

「起きてたの? 私の可愛い天使ちゃん。お隣さんが訪ねてきてくれたのよ。ほら、貴方と同い年の女の子。長い付き合いになるからね」

「初めまして。どうか仲良くしてやってね」


 重たい瞼をあける。そして見えたものに驚愕する。そこにいたのは、永年探し続けた魂だった。


「あ、あー……」

「あらあら、やだわこの子ったら。母親にもこんな反応しないのに」

「好きになっちゃった? ふふ、良い男に育ったらお嫁さんにしてあげるわよ」


『見つけましたよ。アドリーヌ姫』


 長いかくれんぼがようやく終わった。

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姫と裏切りの従者 菜花 @rikuto

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