I.
I.
受験の結果は、潤平の〝勝ち〟に終わった。
潤平は数ヶ月間、物理学、化学、生物学に没頭して過ごし、元々得手だった数学にも磨きをかけ、英語にも
「将来は何になるつもりなの、潤平くん?」
ある時、若菜はそう問うた。潤平は、少しまえに親父も同じことを訊いてきたよな、と重いながら、
「何だろうね」と答えた。「ちょっと前までは、コンピュータの関連で仕事がしたい、と思っていた
「ウチは翻訳会社だけど、理科系の知識をもった人材も、…欲しいかな」
若菜の語尾は気弱に
「ぼくが翻訳?」潤平は笑った。「向かないよ、デスク・ワークは。幾らなんでも」
「あら、翻訳するだけじゃなくて、経営する面でも貢献する余地はあるのよ」
「経営なら、小樽に商科大学があるじゃないか」
「まあ、ね」若菜はそれでも食い下がって、「ね、じゃ、何をするつもりなの?」
潤平はうるさそうに、
「
けれども、潤平はいま、自分の中のリストで、〝将来〟という欄はブランクになっていることは痛いほどよく分かっていた。潤平は将来を
そして、待ちに待った合格通知がきた。いささか予定調和的な成り行きだったが、潤平は速やかに入学手続きをとった。入学式までまだ日時の余裕があった。そこで潤平は、若菜と語らって温泉へゆくことにした――、積丹半島の付け根に位置するイワナペツ温泉は、宿泊施設はなく、混浴の露天風呂だが、日本海に沈む夕陽を望むと景色がすばらしいということで、若菜は潤平をつれて函館本線の列車(北海道では、電車であっても気動車であっても、又客車列車であっても、全てひとしなみに〝汽車〟と呼ぶことを潤平は初めて知り、おかしかった)に乗った。宿はニセコのペンションに一泊の予約をいれただけで、ほとんど日帰りの旅行である。潤平は若菜と同室しても、
「寒いね」と云った。「ねえ?」
「?」
潤平が疑問符を表した表情を向けると、若菜は、
「潤平くんにとってさあ、人生、って何スか?」
と問うてきた。潤平は苦笑した。
「何もなにも、だよ。ぼくはまだ
「でも、何かあるような気がするんだ、潤平くんにはさ。何か、こう、深いものが…」
「そうだな…」潤平は
「ほら、言えるじゃない」若菜はほかに
「じゃあ、何が向いてるんだよ?」
若菜は肩をすくめた。
「ご免、あたしにもその先はわかんないや」
と言うのでその話は
そして入学式が挙行された。潤平は大輔、千鶴子のふたりと共に大学の体育館で行われた式に出席した。若菜は大学の門までは付き添ってきたが、中には
「またあたしは、自分で来ることもあると思うし」
と云って照れたように笑ってみせた。
潤平たちはクラスごとに別れてオリエンテーションを受けることになった。潤平たち化学科に進学するクラスは「19組」と区分されていた。指定された教室へゆくと、担任教官(
それが済むと潤平たちは簡単に自己紹介をしあって、生協関係の役員(仮総代やクラス委員を決める
潤平に初めての
潤平は宮下家で晩餐を終えると、父に勧められて断りきれずコニャックを一杯か二杯付き合い、「これからあんたは出世するんだから」という言葉を
実家から運んできたノートPCを前にし、ブラウザで、若菜から聞いた〝おいしい札幌ラーメンの店〟に就いて検索しようかと考えていた時、突然手が動いた。自分でもほとんど気づかぬ間にワープロ・ソフトを起動していて、半ば自動筆記のように書いたのだ。
すなわち、
「マーケットでは、多少アクが強くても、個性を備えたものが結局は勝利し、そうしたものはしばしばよく売れて勝ち残り、
という文言であった――。
潤平はすぐには自分が一体何を書いたのか把握できず、いやそればかりか今自分は何をやったのだろうか、とまずいぶかしむ始末で、ディスプレイに浮かぶ文句をみても、さては今夜はちょっと過ぎたのだな、と考えたほどだった。
けれども、ほとんど動物的といってもいい勘で、かかる文言を保存しておくだけの分別はついたので、これは
「まあ、潤平くんはこの年にしてはませてるから、こういう警句みたいのを
と言って笑ったのだった。潤平はその対応に然るべきだ、と考え、腹が立つ気にもならなかった。けれど、妙にこの言葉が引っかかっていたことは
間もなくして講義が始まり、潤平ら新入生はまず南北に長い大学構内のいちばん北部にある、教養部で講義を受けることになった。学科の必須科目のほとんどと、それ以外の選択して履修する全学共通科目など講義を受講し、単位を取得するのである。潤平は何となく選択科目の中に〝哲学〟の講義を登録していた。べつに〝論理学〟という講義も履修登録していたが、これとは違う。又、〝ラテン語〟の講座も登録してあった。
そうした
その中で、一回北十八条の居酒屋で、クラス担任も交えて飲み会がもたれたことがあり、潤平はその場で、教官の小田先生にうっかりそのノートのことを口吻に洩らしてしまった。
小田先生は、酒席のこともあったのか、
「ほう、どんなものか、今度一回みせてくれよ」
と云ってくれ、それで潤平のささやかな自尊心も満足したのだが、その次の〝化学〟の講義でも、終了後に先生は、シュレーディンガー方程式を解説してチョークの粉で汚れた手を拭きながら、教場を出ようとしている潤平を呼び止め、
「きみ、あのノート、持ってきたか」
と訊かれた時には、一体何のことを話しているのか、一瞬見当もつかなかったほどだったのだ。潤平は一度聞き返して、例の〝ノート〟のことだと知り、恥ずかしくて
「今度、よかったら是非みせてくれ」
と潤平の眼をみて言うので、潤平も折れて素直に持って行くよりほかになかった。
それでも、
「ヒトがヒトとして、ヒトなりに日々の食物や飲み水を必要としているのと同様に、霊たちも又、霊向けの飲み物や食物を欲している。」
潤平としては、この辺はどうもあの〝ユーグレナ〟と〝レパブリク〟の両先生による影響下にあることが割と強くにじみ出ているのではないか…、と
すると、小田先生は望外に喜んでくださり、
「いや、きみもこういうものを書くのなら、いっぱしの哲学者だね」
と言葉をかけてくれたのだった。潤平は、
「いや、ぼくは別に深い考えもなくやっているもので……」
と弁解するようなことを言ったが、
「
と熱心に請われるので、
そうなるとプレッシャーを感じて書けなくなるのが常だが、そういう気負いのないことも
夜、しじまの中に一人で
そうやって潤平は、一つずつ
「教育は家庭や学校だけで終わってしまうものではなく、時に社会においてより歪められた形の教えを洗礼のように受けることもある。」
潤平は別に、
そして、その潤平が初めて「自分らしく生きられているようだ」と感じたのは、小田先生の強い
潤平には全か無か、そのどちらかしかなかった。中間の半端な数値はすべて無視してしまっている。それでも潤平は、それを
「久しく逢う機会のなかった古い友と話すときは、すぐ
少しずつ潤平の許には反響のメールやツィートが寄せられるようになった。それと同時に潤平は又書き手として新たに影響を受けることになり、詩作も新たな方面へと向かうことになった。潤平は手許にとどく反響の声には――、中にはソマリアの大学教授や、ワシントンDCの弁護士までいたが、そういった人びとの声には、自分に好意的な声にも、批判的・懐疑的な声にも、わけ
潤平は、〝自然に、自然に〟という言葉が好きだった。何はともあれ自然に。この考えが潤平の(そういってよければ)思想・思索の世界の通底をなしているといってよかった。
潤平は又、学校の教科書ばかりではなく、時間があれば図書館に籠もって哲学書を読み耽るようになった。自宅の部屋の本箱には、いつかニーチェやキルケゴールやカントや
「家事は見晴るかす限りの敵軍の群を前にしている心構えで取り組め。」
潤平は自転車は使わずに歩いて移動した。自転車は、「せせこましい乗り物だから」として好まなかったのである。歩いていると、秋になると、大学を南北に一・二キロに亘って貫くメイン・ストリート沿いに植わっている
「大きな男と付き合うことになった時は、中にいる小人を相手にするつもりで相手にせよ。」
潤平は学内では、まず優等生のうちに入った。北大では、成績通知票の上で〝優〟とか〝良〟の多い優等な学生を〝健康優良児〟と俗に呼び、逆に落第ぎりぎりのところにいたり、落第してしまった学生は〝
「免許が欲しければ勉強が第一だが、異性と付き合う免許だけは処女・童貞を失っただけでは取れないこともある。」
やがて、潤平の周囲では潤平を一種の〝教祖〟のごとく祭り上げる運動・機運が高まってきたが、潤平はそれに必ずしも乗り地ではなかったようだ。潤平も、ジェフ・ベックのいうような、「自分は、アイスクリーム屋の〝今月のフレイヴァー〟みたいなヒット作がなかったからこそ、こうして生き長らえてこられたんだ」というコメントをとても重くみており、
「常に望みは高く保て。たとえその望みの高みの所為で墜ちてしまうことになったとしても、何も望まなかったよりは遙かにましである。」
「あるひとに与えられる
「芸術は人生の反映である。又、人生とは一個の芸術作品そのものである。」
潤平の人生観とは、以上のようなものであった。潤平は又、「素早く人口に
潤平にとって愛は何だったのか、といえば、若菜がそのものだった、ということができるだろう。潤平は、宮下若菜に就いては、「まるで腐れ縁のような関係をむすんでいる」とインタヴュアーに答えている英字誌も存在するが、具体的にだれを愛したのか、といえば答えは宮下若菜しかいなかった、という辺りが
「過度な貞節とは、
潤平の、自分名義での最初の本が出版されたのは潤平が二十歳のときであった。潤平は道内いくつかのTV局で取材をうけ、幾らかTV番組にも出演して、ウェブに
「いまここで本を出すというのは、後々ぜったい経験として生きてきますから。損にはならないですよ。それだけは確実にいえます。これまでの活動の集大成、という意味でも値打ちがあると思いますがね」
とディレクターは
「恋は本質的に生モノだということにかけては、ライヴ録音の即興性と非常に似通ったところがある。」
潤平はしかし、そういう自分の身の上の
「
そういう生活を送っていると、しぜん潤平の周りには、顔見知りや知己が増えてきた。潤平は本来あまり社交的な性格ではなかったので、余り他人には気を許さず、独りで行動することを好んだが、こうやって名が拡まってしまうと、それとうまく折り合いをつけて暮らすしかなかった。おだてに乗ってTVに出たのがまずかったか、まあ何にしろ自業自得だな、物事は全て
潤平を一種の教祖のように捉えてかしらとしてあがめ
「多くの口を、質でも量でも満足させるのは至難の業である。」
潤平のそういった生活全般は、
若菜には初め、この文句の意味がわからなかったが、ある時潤平が書き散らした草稿をみて得心がいった。
「コンピュータはひとを孤独にする。そしてウェブ(インターネット空間)とは、ひとの無意識世界の反映である。」
以下、最後に潤平の語録を参考程度に幾らか付しておく。
「女も男もそれなりにきたないが、女のきたなさは多くの場合自分の血に因があるのに対し男のそれは主として自分の生き様・生き方に
「めがねを掛けて鏡を覗くと、自分の地の醜さがよく分かる。」
「素顔には、朝の素顔、夜の素顔、そして深夜の素顔の三つがある。」
「精神的な運命と、肉体に刻印された宿命とは、しばしば符合している。」
「言葉は文字通り言の葉、ひとひらの価値しかない。真にクラフト(力)をもつのは、行い、行為そのものである。」
爽昧マッチョ・ボーイ 深町桂介 @Allen_Lanier
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