H.
それで黒田は時折フォークで皿の上のソーセージをつついたり、スプーンでスープをかき混ぜたりしながら、
「信じられないね」
と云った。
「だけど、……客観的真実です」
「まあ、ぼくの身体に肉が付きにくくなっているのは
「つまり、坊ちゃんは、〝レパブリク先生〟の呪いで、
「うん。そうらしいね。それは、分かる。分からないのは、そんなことをしてまでぼくを追いつめる理由がどこにあるのか、ということだよ」
「理由は、お聞きになりたいですか?」
「ああ、
「
潤平は眉を上げた。
「
「〝レパブリク先生〟は、身体がご不自由なのです」黒田はしんぼう強くいう。「坊ちゃんのように、若く健康的で五体満足の方には
「ふうん…、ま、いいけど」
「ワタシは、もうここを去ります。もう二度とここには帰らないでしょう」
「ああ。元気でやりなよ」
と潤平は黒田をみて、
――ゲッ、野郎の涙かよ。
「――坊ちゃんも、お元気で」
そう言いおくと、黒田も去った。それはそれでよいが、よくない・
――と、潤平の背後でひとの気配があって、
「あなたはよく戦ったよ。だけど、こうなっちゃあ、おしまいだね」
と女の声が云った。潤平が振り向くと、スーツを着た若い女が立っていた。
「……―」
「あなたは〝カッツェ〟の方ね。――いえ、みればだいたい分かるわ。……あ、申し遅れました、あたしはこの林米駅の
と名乗って女は
「あ、じゃあ…」
と云い差すとかぶりを振って、
「いえ、あたしはあなた方の呼ぶ〝フント〟ではないわ。あたしども、
潤平は眼を丸くした。
「はあ、それじゃあさぞご迷惑でしょう」
「いいえ、そうでもないわ。
「だけど――」と潤平はその辺の設備を指した。「駅も列車も、みなフントの側に協力しているようにみえますけど?」
「そうみえるでしょう」と
「つまり、オンライン・ネットワークを?」
「そうよ」
潤平は笑った。
「ネットワークを作るのに長けているのはフントの方だ。カッツェは孤立的な戦い方をする集団だよ」
「それが、そうでもないのよ」
「信じられないな」
「――ところで、あなたさっき、この〝ゆふいんの森〟に何かした?」
潤平はうなずいた。
「妙な球体――、透明なミラー・ボールみたいのを一個、壊したけど」
「ああ、その
「なに?」
「不活性化、よ。この車輛は、そもそもフントの側に有効な心的エネルギーを供給するために、あたしたちが貸し出したものなの。あのボール…、フントの側では〝アース・ボール〟って呼んでいたみたいだけど、あれを壊されたらちょっと痛いかも」
潤平はにやりと笑った。
「ぼくの手柄だな」
「――けど、この戦いは、そもそもが無益な戦争だわ」
と
「じゃあ、その戦争を止めるには、何が必要なのさ?」
潤平が問うと、
「簡単だわ。コンピュータを使うのを止せばいいのよ」
と簡潔に答えた。
「ええっ!?」潤平は驚き呆れた。「コンピュータを?」
幾らなんでも、これでは
「そうよ」としかしながら
「……ふうん?」
「そうよ」
「――
「いいわ」
そして
「これよ、あたしが今無線で呼んだの」
潤平は一も二もなく従った。ふたりが運転台に乗り込むと、ディーゼル機関車はしゅうっと
「どこまで?」
「この先に、〝
ああ、と潤平は納得した。その駅なら、
夜景は窓外を流れ、機関車はやがて、まだコンクリートで固めただけの小さな駅に停車した。
「ここよ。フォームがまだ未完成で低くなっているから、気をつけて降りてね」
といい、先に立って降りた。潤平も続いた。
「これよ。みていてね」
と云ってマウスを操作してスクリーンを起こすと、続いて端末の前に腰を下ろしてキィボードを叩いた。すると――。
潤平はあっという間に時空を飛ばされた。いや、はじき飛ばされた。
そしてふと気づくと、自宅自室のPCの前に座っていた。戻った・帰着したのだ。
けれども、
「その、あなたたちのばかげた争いを止めさせることができるのは、笠原さん、あなただけよ」
その声が聞こえた瞬間、潤平は意識・無意識を超えてふたたびネットワークの作りだす
「
次の瞬間、潤平はもう分子でできた機械ではなかった。分子、原子にまでかみ砕かれ、さらに電子の連続体となって電話線に
時計をみると、午前三時過ぎだった。潤平は、一体自分は大丈夫なのか、これから何をしていけばいいのか、途方に暮れていた。自分の手を拡げて眺めると、少し
――潤平は取り敢えずベッドに横になった。
眼を醒ますと、既に日は高く、時計をみると午前十時を廻っていた。そういえば、若菜は、深夜は活動するのに日中の二倍のエネルギーが要る、というようなことを言っていた。深夜の活動ではろくな成果が出ないことも
起き出して、何か食べるものを探しに行こう、と思って階段を下りていると、
「あら、起きたの、潤平?」
千鶴子の声がした。潤平は振り向いた。
「あ? ――ああ…」
「何だか久しぶりに顔をみるわね。――あのね、父さんとあたしから、少し話があるから、朝食が済んだらスタジオにいらっしゃい。今日学校は?」
潤平は考えた。
「――ないよ」
千鶴子はうなずいた。
「じゃあ、待っているからね」
潤平は痛む頭を抱えてキッチンに降り、パンやスープを
――潤平は食事を
「潤平、食事は済んだのかい?」
潤平はうなずいた。
「じゃあ、お前の部屋で話しましょう。いま、父さんと行くから、待ってて」
一体何の話だろうか。潤平は何でも来い・どうとでもいいや、という気分で自室に戻った。又あらたまって話なんて、どういうことなんだろうな?
しかし、その疑問はすぐに氷解した。
大輔と千鶴子のふたりは、間もなく潤平の居室に姿をみせた。ふたりともどことなく事務的な・よそ行きの表情をつけているのが潤平にもすぐ分かった。
「いろいろ、この数ヶ月間に起こったこともあるが」と大輔は云った。「お前の身の上を考えても、いささか辛かったろうな、と思わん節のないこともない。それについては、深く同情する――、元よりお前はわれわれの身内、息子なのだからそれは当然だ」と言って言葉を切った。「しかし――」
その次に来るべき言葉を、潤平は大体予想していた。その通りに言葉は来たのだ。
「しかし」大輔は云った。「故意ではない、過失だということはよく分かっている、結果的にそうなったのだ、ということもよく理解している。だが、お前はこの数ヶ月間、ウチのスタジオには迷惑・損害ばかりかけているではないか。ああ、お前だけの
大輔はいった。潤平は下を向いていた。大輔のいいたいことはよく分かっていた。
千鶴子が跡を継いだ。
「顔が見えなかったから言ってたけど、学校から通知が来て、この二学期の修了で卒業見込みの書類を出せる、って報せてきたよ」
大輔が復た口を開いた。
「お前、大学に行きなさい。そうだな、ここからは通えないような距離にある学校がいいだろう。下宿なりアパート住まいなりをして、いったんこの家から離れなさい。――その方がこちらもよろず何かと都合がいい。今回の一件では、ご近所を騒がせてしまった節もあるからね。もうあんな占い師などにより
そういう両親の言葉の裏には、ほとんど
――だけど、父さんも母さんも、ぼくが一体どこにいたのかまでは知らない。ぼくがあのとき、公彦叔父さんの建設した〝加里米〟と〝林米〟の二駅で死にかけていたことも、一切知らない。それを知ったら、きっと叫び出すだろうが、ぼくはそのことは絶対、だれにも他言するつもりはない。
というようなことを考えていた。
「いったいお前はこの先、つまり将来だな、何をして暮らしにしたいのだ? 何をやって身を立てたい?」大輔は
そのようにほとんど
「コンピュータの関係を」
「そうか、コンピュータ関係か」大輔はうなずいた。「それでもやはり、専門学校とかよりは、四年制大学に行っておいたほうがいい気がするぞ」
「はい。そのつもりだけど」
「うん。それが分かっているなら、いいんだ。ただ、お前はここ数週間、何だかあさっての方角のことにかかり切りで心ここにあらず、といった風にみえたので、ちょっと気になったのだが」
ふたりは去った。潤平は、両親に、自分がすんでのところで正気を失いかねない
潤平はノートPCのディスプレイを起こしてスリープから復帰させ、ブラウザを立ち上げてから、その中に〝ダイヴ〟した――。次の瞬間、潤平の意識は大庭園の中にあった。
そこに、いた。それが〝ユーグレナ先生〟である、ということは逢う前から知っていた、と思う。先生は
「よく、来たわね」〝ユーグレナ先生〟はにっこりした。「もう来ないかと思っていたけど」
先生は卓上から扇子をとって自らを
「遠慮することはないのよ」先生は右手を挙げて合図した。すると、
「ロシアン・ティで、いいかしら?」
「――あ、ぼくは何でも。お構いなく」
潤平はへどもどした態度で腰を下ろし、
「何かお訊きになりたいことがあったのではなくて?」
〝ユーグレナ先生〟は静かに自らを扇ぎながらいった。
「……ええ、まず、魂のことなんですけど」
「うん?」
先生はゆったりと先を促す。
「魂は
「うん」
「…その、前世の意識や考えたことというのは、魂本体が転生してしまうと、どういうことになるんでしょうか」
「つまり、例えば前世で得た記憶や知識はどうなってしまうのか、ということね?」
「はあ、まあそんなところです」
「それはね、前世の魂というのは、転生したあとでも記憶の
「そうですか」
「満足した?」
「はい」
が、〝ユーグレナ先生〟は、じっと
「あなた、本当はそんなことを訊きたいのではないんでしょう?」
「………」
「本当に訊きたいことを云ってごらんなさい」
「…どこの大学がいいか、と思って」
「あら、北海道の大学で決めたのではないの?」
「ええ。――だけど、北大じゃむつかしすぎるし、じゃあと云って別の大学だと学費を払うのがもったいないくらいだし…」
先生はちょっと笑った。
「つまり、レベルの差がありすぎる、ということ?」
「ええ、まあそんなところです」
「それはあなた、こんなところへ来るよりも、予備校の模擬試験なり何なり受けて、ご自分の立ち位置をよく
「まあ、それもそうですが」
「あなたは、研究したりものを書いたりしている前世があるから、勉強すればきっと身に付く筈だと思うけど?」
「そうでしょうか」
「ええ。ご案じ召されるな。それより、もっと何かあたしに訊きたいことがあるのではないこと?」
「はあ。――
すっと出た。
「うん。
「ええ。
「ああ、それはあるかもね」
「だから、うまく観察すれば、
「うん。大学で研究テーマにしたら?」
と〝ユーグレナ先生〟と潤平は顔を見合わせて笑った。先生の笑い声は、石の床に舞い落ちる花弁のように散った。
「ほかには何も?」
「――そうですね、ないと思います」
「そう。それじゃあ、元気でね。ご両親にもよろしく」
「はあ」
と、潤平の身体はその瞬間から縮みだし、どんどん小さくなっていった。いや、もしかすると真実はその逆に〝ユーグレナ先生〟はじめ潤平周辺の事物一切が膨張したものなのかも知れなかったが、兎に角その縮小(膨張)は余りにも急激だったので、潤平はもんどり打って床の上でしりもちをつき、転げ落ちる恰好になった。そのはずみでしたたかに頭を打ち、潤平は星が、星々が、各星座が、更にその向こう・銀河系の奥までも
――と、ふっと気がつくと潤平は自分の部屋に戻っていた。机の上をみると、誰か気を利かせて取り寄せたのか、北大の受験案内と願書の書類一式がそろっていた。その隣には(これは身に覚えがあったが)某ゼミナール主催の全国模試の結果通知がおいてあった。
潤平は模擬試験の結果通知の方を先に開けた。
総合偏差値は62、北大理学部化学科は合格確率50%の〝C判定〟だった。
「悪くないじゃないか」
と夕食時に結果をみせると、大輔はビールを飲みながら云った。
「どうして〝化学科〟にしたの、潤平?」
とは千鶴子。潤平は、
「ものには
というと、ふたりとも何を思ったのか声を上げて笑った。
翌日から、潤平は
と、そこへもう一人出現し、〝珍道中〟が始まることになった。
というのも、宮下若菜の上の兄が
「NTTの交換所みたいのが近くにあるのよ」と若菜。「大きい目印といったらその程度だけど、近くにはコンビニも飲食店もあるしさ。街も落ち着いているし、住みやすいところだよ」
「地震がなければね」
若菜は笑った。
「そう、うん、地震がなければ…」
「いいさ」潤平はふっと力を抜いて笑みを
若菜は真顔になって、
「どうかした? あんた、何かあったの?」
「ううん」潤平はかぶりを振った。「何も。どうしてさ?」
「だって…:若菜は鼻の頭をかいた。「妙に深刻そうになっちゃって」
「誰でもそういう時があるんだよ」
潤平は立ち上がった。
「ウチに住む、ってこと、お父さんに知らせてもいい?」
若菜は潤平の背後から声をかけた。
「ああ、いいよ。どうせいずれは一回ご
「あら、いいのよ別にそんな、あらたまって…。あたしが
「そうお?」
「そうだよ」
「じゃ、頼むかな」
潤平は気のない依頼をすると、部屋を立ち去った。
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