G.
「だからね、あんないい加減なひとのいうことは、きいちゃダメなのよ。わかる?」
と〝レパブリク先生〟は、この調子で延々小一時間にも亘って潤平に説教し
そして、その数日後、潤平(とその一家)は、〝ユーグレナ先生〟の許から新しい〝ご指導〟の護符を頂き、その代金を振り込むと、早速〝ユーグレナ先生〟からその返礼の電話があった。ところが潤平は、またしても〝うっかり・ぼんやり
「お振り込み、慥かに確認いたしました。どうも有難うございます」
「いえ、こちらこそ。いつもお世話になりまして」
「いいえ。その後、何か変わったことはない?」
「そうですね」潤平は考えた。「あのう、堀さんから電話がありましたけど」
すると、電話口の声色が変わった。
「だ、誰ですって?」
潤平はしまった、と思ったが、もう遅かった。
「いやあ、あのう」
「もしかして、〝レパブリク〟さんから?」
「――はあ」
「あなた、あのひとと関係があるの?」
「――」
「どうなのッ!! 正直に
「ちょっとだけ……」
「あるのね!?」
「ええ」
「止めときなさいよ、あんなの。あんな
右も左もわからぬ、
「はあ」
と、
「そうですか」
しか返す言葉はないのだ。
「いいこと」と〝ユーグレナ先生〟は言う。「あのね、〝礎石〟ね、つまり〝モニュメント〟だけど、あれはおいといて構わないわ。毒にもクスリにもならない
「……わかりました」
「それからね」と言い差したところで〝ユーグレナ先生〟は立ち止まり、「あなた?」
「は?」
「何か、あたしに訊きたいことでもあるの?」
と来たので、潤平はつい、
「あのう、どうして先生は、〝レパブリク先生〟とは仲が悪いんですか?」
とうっかり
「聞きたい、その話?」
と
「いいええ、とんでもない」
と慌てて答えた。
「それからね」と元の口調で、「いい?」
「は、はいッ」
「ウェブで、〝魚崎観音〟について調べてください」
「……は、はあ。観音、ですね?」
「う・お・ざ・き・か・ん・の・ん。OK?」
「はい。何を調べるんでしょう?」
「そうだわね」ちょっと言葉を切って、「観音の全体像がみられる写真か動画があったら、それをみてちょうだい」
「わかりました。みる、だけで宜しいんですか?」
「ええ、いいわ」やや
電話は切れた。潤平は、手の中の電話機をぼうっとした眼で見つめた。その時、潤平の
その姿を若菜ひとりが見とがめて、潤平を外まで追ってきた。
「潤平くん、まだ種目が…、ほら、ベント・アーム・プルオーヴァーがまだ残ってるじゃない」
すると、潤平は、
「え?」
と妙に遠い眼、いや、
「まだ、メニューの途中でしょ」
テーブル(表)を押し付けたが、潤平はそれを受け取った切りで、
「ええ?」
とはっきりしない
「変なの」
若菜は口の中で
潤平はそのまま何か機械のように三階の自室に戻った。ふだんそうするように、ベッドの上に
そこに至って初めて潤平は、自分が何かに
そして潤平は、ブラウザを立ち上げると、ホーム画面から検索エンジンに移り、早速、「魚崎観音」をキーワードにして検索をかけた。――と、同時に天地がひっくり返った。いや、
天地が転覆したような感じを覚えて、次の瞬間、潤平が思わず眼をこすりながらディスプレイに
それは巨大な
潤平の右手にはポプラだろうか、背の高い木々の木立があり、その奥に四角い建物、蓋しデパートメント・ストアの建築がある。正面には
と、サイレンが耳をつんざくような音量で高らかに鳴り響いたのはその時のことだった。潤平はぎょっとして辺りを見回した――が、誰も相談相手になるようなものは、猫の
「フントがきます、フントがきます。カッツェの方は注意してください」
と繰り返した。潤平はそれを聞いて、怖い人間が接近する
「ああ、あなたね」と眉をひそめる。「ちょっと、ウチでは
ということで、潤平はあっさり
そう、あいつらは〝ネットワーク〟をつくるのが
「どうかした? OK?」
と問うた。すると、その男は、煙でも吸ったのかしきりと
「…あ、……あっちだ」
と操車場の方面を指さした。潤平は、その指のさす方角に視線をやり、
「敵が?」
「そう。――〝フント〟。だいぶ集結している」
潤平にも、これは一種の
「水かなにか?」
と云ったが、男はその場でうずくまったまま、
「いいから。あっちにはまだけっこう仲間がいる。おれはいいから、行ってくれ」
と
――ふと気づくと、潤平は学校に来ていた。眼の前には、まるで誰かがアレンジしてくれたかのように教科書とノートブックが
「……では、この範囲は来月の小テストにでる範囲内なので、よく復習しておくように」
と先生は最後にいった。えっ、ちょっと待ってよ、聞いてないよ、何も知らないよ…、と一瞬潤平は慌てたが、すぐその疑問は
夢をみていたのだろうか。潤平は、相変わらず不明確で抽象的な、
驚いて振り返ると、そこには黒田が立っていた。潤平はきつねに
「坊ちゃん」となだめるような声を出した。「びっくりしちゃいけませんぜ。――ワタシ、これ、みつけておきましたがね」
というと黒田は、
「どうしてこれが……」
潤平が手を伸ばすと黒田はニッと笑って、
「まあ、いいじゃないですか、細かいことは。ところで、ワタシにもいいもの聴かせて下さるって
何がいいのか分からないが――、と潤平は云おうとして言葉をいったん呑み込んだ。
「いいもの?」
「ほら、ハンガリーのイーストとか…」
「ああ、イーストねえ」
「あれ、聴かせて下さいよ」
ハンガリーのイーストは、むろんマジャール語で唄っているのだが、やはり東欧ポーランド出身のセイフなどと較べると、この手の東欧系バンドによく使われる〝透明感〟という形容は当てはまらず、歌詞の内容ももっと政治的な意味合いが込められているのか、曲自体もセイフなどよりどろどろしたものに思えるのだが、それは
潤平はウォークマンを手に取ったが、復たしても言葉を呑み込んで機械をまさぐる手もとめた。ひとつ、何か重要な・重大なことが抜け落ちているような気がするのだが……。けれども、その
と、その時黒田が、
「このウォークマン、見つけたのはワタシじゃありませんがね、呉さんですよ」
と云ったので、潤平は溺れかかったひとが、
そうだ、そういえばこのウォークマンは、いったん失くしたものなのだ。
なぜ今、この黒田が持っているのだ?
「それ」と潤平は問うた。「どういう訳合いであんたが?」
黒田はちょっと笑った。
「これはねえ」と
「くれた?」潤平は眉をひそめた。「くれる、ってそりゃおかしいじゃないか」
「呉さんが云うには、このウォークマンはヘッドフォンの設定にロックがかかっているんで、坊ちゃんのお持ちのヘッドフォン以外には使えないから、って…、おっと」黒田は口を
「返せよ」潤平は
「イーストを聴かせて下さい」黒田は粘る。「イーストを…」
「わかったよ」潤平は不承した。「これで」
潤平は黒田の求めに応じて、イーストのセカンド・アルバムを呼び出した。このDAPにはイーストの初期四枚のアルバムが収録されている――、後半の二枚は〝プログレッシヴ・ロック〟の
潤平の取り出したヘッドフォンを差し出すと、黒田はそれを手に、
「いいですね」
黒田はぽつんと云った。
「気に入った?」
「はい。ワタシ……」
黒田が言葉を継ぐ前に、潤平はすかさず、
「それさ、呉さんにもらったんだって?」
黒田は苦笑いして、
「ええ、そうなんですよ」
「呉さん、一体どうしてそんなものを?」潤平は怒りよりも内心の不透明な
「へええ」
「――あれは
「ええ。坊ちゃん、ワタシは別に…」
「わかってる。別に、誰を疑ったりとかしているワケじゃないんだ。ウォークマン、
しかし、それで話は済まなかった。帰宅後、潤平が大輔と千鶴子にかくかくしかじか、と
「これはおおごとじゃないか」
と大輔はいい、千鶴子も、
「ことはウチだけの問題じゃないよ。
と賛同したので、夕食が済んだのち、早速呉が呼びにやられ、潤平も
「どうして盗んだのだ?」
と大輔が問うと、
「……ちょっとでき心で」
と
「だれかの指示でやったの? あなたは
との千鶴子の問いには、
「いや、そういうことは断じてありません」
と真っ向から否定する。
万事こんな
「どうして黒田くんに渡したりしたの?」
「………」
「
「――黙秘します」
「誰かに売ろうと思ったの?」
「…黙秘します」
「ここにいる他の塾生のものも
「…いいえ」
「じゃあ、どうして潤平のものだけを? 狙ったの?」
「………黙秘します」
とまあこんな具合で、恐らく調書を取ったらまるで終戦直後の
そこで呉さんは無罪放免か……、と思いきや、そうは行かなかった。最後に大輔は、
「それじゃあ、なるべくことは荒立てない、というここの原則に従って処理することになるが…、しかしきみももう十九歳だ、小児ではないわけだ。それなりに責任はとってもらわないといけないな。――ここを退去してもらおう」
「……退去、ですか?」
「うむ。その代わり、きみを
呉さんはふいに
「わ、わかりました」
といった。
けっきょく、呉は故郷の山梨へ帰省することになった。この辺には
それで一件は落着した、……ようにみえた。
潤平は右頬にすさまじい熱のほとばしりを感じて
「どうもこんにちは」女は云った。「初めてあう顔ね」
「笠原といいます」潤平は自己紹介した。「よろしくお願いします」
「どうも」薄暗がりでよくわからないが、女はほほえんだようだった。「あなたも〝ユーグレナ先生〟の?」
「えっ」潤平は
女はこんど、はっきりと笑い声を上げた。
「あなた、天然ボケね」言うのである。「ここに来て戦っているひとは、みな〝ユーグレナ先生〟に縁やゆかりのあるひとばかりよ」
「そうなんですか。――いえ、ぼくはいきなり巻き込まれてしまったものだから…、何がなにやら分からず…」
「あら、そうなの。それはお気の毒さまね。けど、それでももう戦い方はマスターしてらっしゃるみたいじゃない」
「ええ」と潤平。「――やってるうちに、大体その辺のことは飲み込めて。それと、戦っている相手のことも。〝レパブリク先生〟でしょう?」
女は小首を傾げた。
「さあね。一応あたしたちは、〝カッツェ〟として〝フント〟に戦いを挑む、という
「相手もわからずに戦っているのですか?」
「相手の名前が分かったら、戦いにくくなるんじゃないかしら。それで伏せられているのだと思う。だけど、あたしも、敵としては〝レパブリク先生〟くらいしか頭にはうかばないわね」
「ふん」潤平は鼻を鳴らした。「――で、
「五分」女は即座に答えた。「まだどっちが優勢だともつかないわね。――ただ」
と何か気を持たせるような云い方は潤平の気に入らなかった。
「何です?」
「ただ、あたしたちには〝ユーグレナ先生〟のオーラが
「オーラ? 後光ですか?」
「そう」女は点頭した。「そうじゃなきゃ、あんな〝フント〟みたいな機械を相手にして、五分の戦はできないわよ」
「そんなものですかね」潤平はつぶやいた。「――ぼく、これから林米駅方面へ行きます。あなたはどうなさいます?」
「あたし、正直もう疲れたのよ。いいから、行ってちょうだい。ここならねらい撃ちされる
潤平はうなずいた。そして、地を蹴って
――呉さんは潤平たちの家を去った。潤平は
――潤平は林米駅方面へ向かうキハ20系車輛による急行〝たいしゃく〟の屋根に取りついて加里米駅を離れた。林米まで〝
――そう、潤平のあらたな〝病〟は、決定的にインターネットの利用から端を発していたようだ。潤平もそれをどこかにうすうす感じ取ってはいたが、腑に落ちる、という
潤平は十七歳の五月からトレーニングを始めて、おおよそ一年間に亘り鍛練を積んできた。自宅にジムがあるという恵まれた環境でもあり、又それなりにハード・ワークをこなしてきた成果でもあり、今では体重を超えるほどの負荷でベンチ・プレスを行うことができた。因みに単位のほうは、あと幾つか取得すれば大学入試受験が可能になる。入浴時に鏡をみても、なかなか筋肉がついて来たな、と感ずることがよくある。以前のように、
けれど、それがここで一つ問題の浮上をみたのだった。それというのも、こうして書くとばかげてみえるかも知れないのだが、問題は単純なことで、「身体に筋肉がつかなくなってきた」ということなのだった。潤平はひどい筋肉痛がある時を除き、毎朝ワークアウトを行うのだが、扱えるウェイト、つまり負荷は右肩上がりにだんだん増大している、つまり筋力がついていることになる。たとえば、潤平はベンチ・プレス(主に大胸筋のトレーニング)では、二た月前には八五.五キロを扱え、先月はそれが九〇キロになり、今月は九五キロに、といった按配でだんだん重い負荷でトレーニングをしている。ところが、そうしてトレーニングを続けていても、鏡でみた自分の身体には、ちっとも変化が現れないのである。そう、「それは主観的なものだ」という声があることは重々承知している。けれど、一〇〇キロのバーベルを使ってトレーニングをしている姿が、八五キロでやっていたときと見かけ上まったく変わらなければ、不安感ないし不信感を抱くのはまったく正常なことではなかろうか。
これはやはりおかしいのではないか、と思い出したころに、声を上げたのは誰あろう黒田であった。
ある朝、潤平が朝食をとるために階下に降りると、珍しく黒田が
「坊ちゃん」と馴れ馴れしい口調で話しかけてきた。「お久しぶりですねえ。どうもお早うございます」
「うん」潤平は口の中で挨拶した。「なにか、あった?」
「坊ちゃん、ワタシ、これでもよく考えたのですよ」黒田はよく分からぬことをいう。
「そう。――一体何の話なのか、ちっともみえないんだけど」
「
「何だい?」潤平の言葉は
「ええ、分かってますよ」黒田はじれったそうに言う。「ワタシのほうも、たぶん坊ちゃんに話すのはこれが最後の機会になると思いますけどね」
潤平は食事の手をとめた。
「なぜ?」
と問うと、
「ワタシ、実はこのたび、実家に帰ることになりまして」
潤平は黒田の眼をみた。
「――…そう」とオレンジ・ジュースを一と口含み、「そりゃあ、急な話だね」
「ええ。ワタシも、できればここに残りたかったんですがね」黒田はいかにも後ろ髪を引かれる、といった風情で
といささかやくざな口調で付け加えた。
「一体どうして? お
黒田は自嘲するように笑った。
「いいえ」と手を振り、「ワタシもできれば、ビルダーとして名を挙げたかった、名を刻み、残したかったんですがね。でも、全てこんな
そう言うのを聞いて、にぶい潤平も
「あのさあ」と潤平。「その件なら、ウチの親父かお袋に、かけ合ってみてもいいけど…」
が、黒田は、首を振って、
「それは、いいですよ。結構です。何てったって、言い出したのはワタシ本人なんですから」
「ふうん。――して、
「故郷は石川なんです。もう、あと荷物をまとめて、今週中には」
「そうか」と、気づいて、「何か、ぼくに用でも?」
すると黒田は頷いた。その顔をみたとき、潤平はなぜということもなく、ああこの男は、ぼくになにか非常に重大な・
「何でもいい、話してみなよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます