くまのこは見ていた

三矢本

第1話

 くまのこは、竹藪の中から子供達を見ていた。

 

 少し切り立った崖にある、無造作な竹藪。下には公園があり放課後の時間帯になればいつも子供達の無邪気な声がこだまする。ここはまだ世の中を知らないくまのこにとって、人に気づかれず人の生活の一端に触れられる絶好の隠れ場だったのだ。

 

 今日も人目を忍んで下界の様子を伺っていると、「20,19,18」と元気な声が聞こえてきた。発しているのはいつもこの公園で仲間達と遊ぶケンジだ。彼の仲間が何度も彼を名前で呼んでいたのでくまのこも知っていた。彼の朗々とした声を皮切りに、その友人達はとたとたと公園のあちこちに散開してゆく。

 

 彼らがやっているのは「かくれんぼ」という人間の遊びだ。遊びの様から察するに鬼が時間を数えている間に他の仲間が隠れ、時間が0になった時点で鬼が探すというものらしい。ちなみにくまのこはその「おに」が何を指しているかはわからない。よく少年達が母親に向けて「オニババア」などと言っているので、「母」に近い意味を持つ事は何となく分かった。

 

 「3,2,1,0っ!」

 

 母、もとい鬼役のケンジが数え終わる。ここでようやく戦い(かくれんぼ)の火ぶたが切って落とされた。ケンジはまずは状況を把握しようと周囲の様子を慎重に伺う。

 

 公園内でのかくれんぼなどすぐに決着がつくかと思いがちだが侮ることなかれ。四方を山々に囲まれ、地平線ばりの畑が広がるこの地における『公園』を侮ってはいけない。入り組んだ地形に無数の遊具、人を阻む荒れた草木。何よりこうして普通にくまのこがいる時点でその異様さは容易に察する事ができるだろう。案の定ケンジの表情に狼狽の色が見て取れた。

 

 こうして見ると、「かくれんぼ」というものは随分と孤独な遊びだと思う。探す鬼側は相手を見つけるまで一人であるし、隠れる側も見つかるまでは一人だ。ましてケンジは先の対戦で相手を見つける事ができず今回で鬼は二回目。時が経つにつれてケンジの目に涙の雫が貯まる。その孤独を齢7,8の子供が抱え込むのはあまりにも酷なように思えた。

 

 くまのこが歯がゆい思いで見守っていると、ふいに崖下の茂みからガサゴソと何かの気配を感じた。


 野生の動物かと鼻をひくつかせたが、違う。この匂いは人だ。顔を向けてみるとケンジと変わらない年齢の少年が、器用に茂みに体を隠し気配を消している。

 

 名前は確か、ユウジ。ケンジとよく一緒にこの公園に来るから覚えていた。愛嬌のある笑顔に人なつっこい性格で、誰からも好かれる日だまりのような少年だ。今彼は身に周囲の茂みから摘んだ草を纏い、背景に馴染むようにじっと沈黙を貫いている。上手い。崖の上から見ていたのでまだ気づく事ができたが、同じ目線に立っているとまず気づかれないだろう。

 

 この間にもどんどんと時間は過ぎてゆく。心なしか気温も下がり、空が夕焼けで赤らみ始めた。長かった一日の終わりがすぐそこまで迫ってきている。しかしケンジは未だに一人も潜む仲間を見つけられていなかった。

 

 彼はいよいよ立ち止まり、べそをかくように背中を震わせる。


 居たたまれなくなったくまのこが目をそらしていると、ふいに草木に身を潜めていたユウジの気配が変わった。

 

 「・・・・・・?」

 

 言ってみれば緊張から躊躇いへ。ただそこに居るだけで勝利が確信しているというのに、彼は確かに揺れていたのだ。くまのこは解せないとばかりに首を傾げるが、不安げにケンジを見るユウジの目を見てその真意に気づく。

 

 きっと案じているのだ。ケンジの事を。

 

 誰とも巡り会えず彷徨い続けているユウジをケンジは案じていた。だからこそここまで揺れているのだろう。他者を案じる暖かな心。ユウジはそれを自身の内側に秘めて、ケンジの孤独を案じていたのだ。

 

 だから彼がお尻を出したのも、必然の行動だったのかもしれない。

 

 ユウジはやがて意を決したように、草木からほんの少しだけお尻を出した。何も知らなければ子供がかくれんぼ中に見せた間抜けな行動だと一笑するだけだろう。しかしくまのこは笑わない。彼のこの行動の真意を知っているのは全てを見ていたくまのこだけだ。

 

 勝敗を超えた確かな友情を、どうして笑う事ができようか。

 

 「ユウジ、みっけーっ!」

 

 その直後、ケンジの明るい声がはじけた。確かな安堵を宿しながら、ユウジの元へと一直線に駆けてゆく。ユウジは「見つかったかー」と悔しそうな表情を浮かべるが、それが形式的である事は容易に見て取れた。まるで久しぶりに再開した旧知の仲のように、或いはいつもそばに居るのが当たり前の親友のように、二人は何も言わず横に並び笑みを零す。

 

 夕焼けで公園が真っ赤に染まる。並んだ二人の影は、今はぴったりと重なっていた。

 

 「・・・・・・」

 

 人間の寿命は、熊より2,3倍ほど長いという。

 

 今後遙かな時間を歩んでいく二人にとっては、こんな一日など記憶の片隅にも残らないものなのかもしれない。いつかは互いに別々の道を行き、それっきり交わる事が無くなるのかもしれない。

 

 それでも今日ユウジが見せた思いやりの気持ちは、確かにケンジに残り続けていくだろう。

 

 かくれんぼとしては最下位だったが、人としては一等賞だ。遠ざかる二人の背中を眺めながら、くまのこは最後に率直な気持ちを吐露する。

 



 人間っていいな、と。



 

 自分もおうちに帰ろう。そうくまのこがきびすを返そうとした所で、不意に背後から気配が濃厚に伝わった。


 人の気配だ。彼らのかくれんぼに夢中になっていてここまで気付かなかった。

 

 女性だった。アウトドア帽を目深に被り、興奮気味にこちらを見ている。狼狽するくまのこを余所に、彼女は鼻息荒く手元のメモにがりがりと文字を書いていた。

 

 「くまのこみていたかくれんぼ。おしりを出した子一等賞っ・・・・・・」

 

 瞳孔が見開いている。涎を垂らさんとばかりの表情だ。思わず身の毛がよだつ。怖い。何を考えているか微塵も分からない。早くこの人から逃げなければ。

 

 くまのこは慌てて藪から飛び出すが、逃げた先が悪かった。茂みに隠れて見えなかった岩につまずいて転んでしまったのだ。勢い余ってでんぐり返りのような様相になる。しかしなりふり構っては居られない。くまのこは涙目になりながら母の待つ巣穴を目指し駆けた。

 

 こうして、このお話の最後。

 

 自らの家へとひたむきに急ぐくまの耳に、高揚した彼女の声が届いた。

 

 「でんでんでんぐり返って、バイバイバイ!」


 と。




 あの歌が完成する、ほんの少し前の物語。





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