1-5 女神さまを信じた瞬間
「ところでニーヴ。魔王城の場所は突き止めてるの?」
「いいや。この世界に降りて六日ほど彷徨っているけど、まだ収穫はないよ」
「そう。じゃあ人里は?」
「それならいくつか。丁度近くにひとつあったかな。案内する?」
「ええ、よろしく」
「わかった。ちょっと待っててね」
にっこり笑ったニーヴがふわりと浮き上がり、あっという間に木々の上まで飛んで行って見えなくなった。それから五秒も経たずに戻って来ると、クロエの横で宙に浮いたまま、俺たちが進んでいた方向より九十度右を手で差す。
「南西に、十キロメートルくらい離れた場所にあるよ」
「礼を言うわ、ニーヴ。おかげで無駄に探し回らずに済んだわ」
「ぼくの得意分野だからね。道案内は受け持つ代わりに、戦いの方は任せたいなー」
「いいわよ」
戦闘担当は不本意ながら俺になるというのに、当然のごとくクロエが勝手に決める。
せめて俺に確認くらい取ってほしいが、痛覚攻撃が嫌なので抗議はしない。
「さぁユキノン、行きなさい」
南西を指差し、俺に指図するクロエ。
俺は一瞬考え、
「……まさか、俺ひとりで行ってこいって言うつもりじゃないだろうな?」
「バカね。あなた一人で情報収集なんて出来るわけないでしょう。
先を歩きなさいって意味よ」
クロエは心底呆れた様子で肩をすくめた。
ひとこと目は非常に余計だが、そういう意味なら一安心。
今まではクロエが先頭だったのに、急に俺に前を行けって言ってきた理由はわからないが……
まぁ、それくらいなら別にかまわん。
「……わかったよ」
頷いて、俺は指が差し示す、獣道すらない雑草の中に足を踏み入れた。
それから三回。俺だけでモンスターを撃退し。
太陽が真上より少し傾いた頃、俺たちはようやく森を抜けた。
まだ遠くてよく見えないが、雑草と木がちらほら散らばる平地の中に、人工的な建物の群れがある。
「うひょーっ! 町だ! 異世界に来て初めての町!」
どんなのか楽しみで楽しみで仕方がない。
前世ですら日本から出たことがなかったのに、今から異世界の町に行き、異世界の住人に会うのだ。
はしゃぐなって方が無理な話である。
「かっわいいなぁユキノン」
後ろで朗らかに呟くニーヴ。
「当たり前でしょう。このわたしが作ったのよ」
振り向いてみれば、クロエがめちゃくちゃドヤ顔をしていたりする。
しかしすぐに不愛想な顔に戻り、
「それはそうと……
ニーヴと会えたのは僥倖だったようね。ここまで近付けばわかるわ」
ちょっとばかし意味のわからないことを言う。
「わかるって何が? 町があること? そりゃ見えるんだからあるのはわかるだろ」
「そういうことじゃあないよぉーユキノン♪
早とちりしてクロエルをバカにしたら、またいじめられちゃうよー?」
ニーヴがにっこにっこ笑って言って、
「そうね。短絡的なユキノンは後でおしおきするわ」
「すみませんでしたおしおきは勘弁してください!
だって主語が無かったからわからなかったんだよ!」
ジト目を向けてくるクロエに慌てて九十度のお辞儀をする。
それが功を奏したか、クロエはふうっと小さく息をつき、
「この後の行動によっては考えてあげてもいいわ。
とにかく、急ぎなさいユキノン」
真剣な眼差しで町を見据える。
「あの町、襲われている最中だから」
◇ ◇ ◇
「なん…………なんだよ、これ……」
クロエが言った通り、町は悲惨な状態だった。
石造りの街並みは、本来ならファンタジーらしいほのぼのとした風景であったはずだ。
しかし今や多くの建物が崩れ落ち、ところどころが灰と化している。大通りには露天商が連なっているが、どれも野菜や果物などの商品をぶちまけており、ゴミ捨て場と言われても違和感がないほどである。
それから――
……それから、死体。
見える範囲だけでも、たくさんの死体がある。
ホラー映画の中でしか見ないような死体がたくさんある。
その中には人間だけでなく、馬のような動物や牛や鶏に似ている動物もいる。
とてもじゃないが観察なんて出来ず、俺はすぐに視線を逸らした。
「敵はまだここにいるようね。行くわよユキノン」
言って、中央の大通りの真ん中を堂々と進んでいくクロエ。
俺は茫然としたまま、無意識に彼女の後を追った。
「……クロエルがいてよかったなぁ」
俺の隣に並んだニーヴがぽつりと呟く。動物たちを眺めるその顔は笑っているのに、どうしてかそれが『笑顔』には見えなかった。
悲鳴すらも聞こえない静かな道を歩き、やがて広場にたどり着いた。
そして、〝それ〟と目が合った。
「あらぁん? やぁねぇ……
もしかして勇者が来ちゃったかんじぃ?」
不気味な笑みを張り付けた血まみれの女が、助けてと懇願しているおじさんを片手で軽々と持ち上げていた。もう片方の手に血を滴らせたのこぎりのような剣を引っ提げて。
毒々しい緑色の髪に、死んだような黒い目をした妙齢の女で、ロングドレスに似た服に身を包んでいるのだが、何故かドレスのあちこちからひらひらした帯が何本も伸びている。もともとは白いドレスだったようだが、今は大量の血を吸って八割以上が赤黒い。
広場にも血を流して倒れている人が何人もいるのだが、女の他に敵らしきモノはいない。
恐らく、すべてこの女一人の仕業だろう。
「た……たす、たすけてくださいっ!」
がたがた震えているおじさんが、大粒の涙を流しながらこちらを向いて叫んだ。
女はケタケタ笑い、俺を見て酔ってるかのような声で言う。
「でもぉ、勇者にしてはぁ、珍妙なのが混ざってるのねぇ」
こわいこわいなんだこいつ! めっちゃこわい! つーか不気味!
ぞぞぞぞ、と鳥肌が立つ感覚がする。ぬいぐるみだから肌がないはずなのに。
あまりの恐怖に、思わずクロエの傍に寄る。
正直、異世界を舐めていた。舐め過ぎていた。
こんなに残酷で怖いとは思わなかった。
迷わず女神と相対するなんて、きっとかなり強いに違いない。
だって、こいつが……こいつが町の人を全員……
「あら、今回の魔王は大したことなさそうね。
あなたのようなザコが幹部だなんて」
ザコ、の部分を強調してクロエが言った。
小馬鹿にしたように。にやりと笑って。
「…………ざこ? 今、ざこって言った? あたしを?」
笑顔そのままに、女が首を傾げて不思議そうに女神を見返す。
「その上、このわたしの最高傑作の価値すら見極められない愚か者ね。
とはいえ、仮にも幹部なのだから、魔王のいる場所くらいは知ってるわよね?
早く言いなさい」
完全に上から目線で命令するクロエ。
女の頬がぴくりと引きつった。
「………………ねぇ。
あんたさぁ……もしかしてぇ、わかってないのぉ?
あたしはねぇ、勇者をおびきだすためにぃ、わざわざこんなところまできてぇ、人間どもをぉわざわざ一人ずつ、ちまちまころしてたのよぉ? おびき出すのが目的だからぁ。
それがほら、見えるぅ?」
ひっと怯えるおじさんを、女はさらに高く掲げてみせる。
「こいつで最後よぉ? もう生きてるのはこいつだけぇ。
あっはははははっ!
ねぇ! 来るの遅すぎじゃなぁい?
ぜんぜん来ないせいで、この町はぜんめつぅ!
こんな被害出すとか人間たちかわいそぉー! 無能な勇者でかわいそぉー!」
無能、を強調して愉しそうに笑う女。
明らかな挑発。
さすがにクロエも笑みを消し――
「あなた、会話も出来ないのね。
わたしは『魔王の居場所を早く言え』って言ったのよ。
そんな戯言を吐けだなんて、一度も口にしていないのだけど?」
上から目線のまま、見下すような視線を返す。
「それと――」
一度区切り、はぁっと溜め息を吐いて両腕を組む。
そしてクロエは、はっきり言った。
「最後の一人って、誰のこと?」
「………………はぁ?」
完全にバカにしたような目で、女がクロエを見やる。
そのセリフには俺も驚いた。
まさか……まさか、あのおじさんを見捨てる気なんじゃ……
愕然と眺めていると、クロエは片足を軽く上げ、
「〝ツェイン〟」
発すると同時に、タンッと地面を踏みつける。
途端――
クロエの足元から溢れ出た薄紫の光が、瞬時に地面の上を
俺は我が目を疑った。
猛スピードで周りの景色が変わっていく。
崩れた建物が元に戻っていく。
焼け落ちた荷車が本来の形を取り戻していく。
倒れていた人たちが、死んでいた動物たちが起き上がり、逆走で、どこかへと去っていく。
――完全なる〝逆再生〟だ。
動きが止まったその時には、きれいな街並みが辺りに広がり、血の一滴すら見当たらない。
「はぇ?」
広場の中央に立つ女が間抜けな声を出した。
女の姿も少し変わった。持ち上げていたおじさんもいなければ、剣も汚れていない。着ているドレスは真っ白になった。
「え? わしは死んだはずじゃ……?」
ふと、心底戸惑う声がした。俺たちの後ろの方からだ。
「え……きゃぁぁぁぁぁっ!」
「あいつはさっきのっ!」
広場の周りで動きを止めた人たちが、女を見るなり悲鳴を上げ、建物の方へと慌てて逃げていく。
すぐに広場には、女と俺たち以外いなくなった。
俺たちの存在に気付いたらしく、何人もの住人たちが、警戒しながらも建物の中や影の方から広場の様子を眺め始める。
「あなたがここへ着いたのは一日半ほど前かしら?
一番古い死体がそれくらいだったものね。
だから、二日ほど戻したのよ」
淡々と、クロエが言った。
それからくすりと笑う。
「で? あなたはまだ誰も殺せていないようだけど、最後の一人って誰のこと?」
目を見開いた女が、面白いほど口をぱくぱくさせている。
俺も驚きすぎて頭がついていけてない。
「さぁっすがクロエルぅー♪ かぁっこいいー!」
ただひとり状況を理解しているニーヴが、俺の横で嬉しそうに笑った。
「ほらほらクロエル♪ 今だよ今! お決まりのやつ言わないと!」
ニーヴのことばに、クロエは深い溜め息を吐き、
「わかってるわよ。嫌いだけれど、いつもやってるもの」
不満そうに呟くと、茫然としたまま動かない女に向かって胸を張る。
「我が名はクロエルフィア!
時空間魔法を大得意とする、人間担当の女神よ!
このわたしが来たからには破滅へ向かうのみと知りなさい!」
声高らかにそう告げた。
その姿は、まさに救いの女神そのものだった。
死んだらぬいぐるみになっていたんだが。 karuno104 @karuno104
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