最終話 相性の悪い日々
その日の夜。
早速もらったばかりのCDをプレイヤーに入れ、安物のイヤホンで聞きながら晶はくつろいでいた――が、どうにも集中できないでいた。
その原因は……まるで葬式後のように顔を暗くする一姫の存在だ。
ふらっとやってきて、勝手に鍵を開けて上がり込み、部屋の隅で体育座りをしてはボケーっと上の空でいる。
偶に晶が目を向けると、慌てて目を逸らし、悲し気に顔を伏せてしまう。
(ったく……)
何か気まずいことがあるのなら来なければいいのに、と思いつつ晶は大きく溜息を吐いた。
当然それは彼女にも届き、一姫は大きく肩を跳ねさせる。
「おい」
「っ……!」
「ったく……どうかしたかよ」
「……別に」
あからさまな嘘を吐く一姫にまたも溜息を吐く晶。
なんでもないわけがないのは明らかだ。そして、なぜ彼女がそうなったのか、晶には察しがついていた。
「お前、桜花から聞いたんだってな。俺のこと。そう暗いのはそれが原因か?」
「あ……そ、それは……」
「図星、か。ったく、そう気を遣うことでもないだろうに」
晶は本心からそんなことを呟く。
当然勝手に喋った桜花に対する怒りも無い。退魔師の間では既に広まった話だ。
そしてこれはあくまで自分自身の問題。少なくとも監視者である彼女に迷惑をかける話ではない……と。
「そう思ってたんだけどな……」
「え?」
「お前、もしかして俺のこと知ってたのか。ずっと……5年以上前から」
一姫が目を見開き、そして、薄っすらと目元に涙を浮かべた。
さすがに笑うわけにもいかず、晶は口をへの字に曲げて、気まずげに目を逸らした。
「……生徒会長から聞いたの?」
「あいつは何も言わないよ。俺のことは喋る癖にな……絶対何か知ってるのに」
「じゃあ、どうして」
「そいつ」
晶は一姫の胸元を指差す。
決して、平均以上に膨らんだ胸を弄っているわけではなく、彼女が胸ポケットに大事にしまっているものを指してだ。
「お前が持ってた、中身のないお守りだ」
「おま、もり……」
「あれを作ったのは、俺か」
そう問いかける彼は、どこか半信半疑だった。
記憶には無い。しかし、彼女からそれを受け取った時、奇妙な懐かしさを覚えたのだ。
そのお守りに込められていた、自分と同じ匂いの、それでいて幼く、弱く、まだ若い力を感じ取って。
「退魔師には、自分の大切な人に手作りの何かを送る……まぁ、風習みたいなもんがあってな」
「大切な人……!?」
「知らなかった? まぁ、お前は退魔師じゃないみたいだしな」
晶の言う通り、一姫はそんな風習は知らない。
彼らが思いというものを重んじ、そしてそれが一番籠るであろう手作りの何かを送り合う文化があることを。
それは、彼女の両親が、彼女に退魔師の素養が無い可能性があると知ってから、退魔師に関する様々なことから一姫を遠ざけ続けたからだ。
「俺とお前は近しい間柄だったのかもしれない。でも何も知らないお前に、そんなもんを押し付けるなんて……」
「な、何も知らなくなんか無いわ! 私は、だって……私は……」
本当は退魔師の家に生まれたのだ。
……などと、言える筈がない。
その素質がなく、退魔師の世界から追い出されたなど。そして、だから今は、敵ともいえる監視者になっているなど。
「別にいいさ。今言われても、俺にとっちゃ他人事にしかならない。お前には悪いけど」
「う……」
「ったく、そんな顔させるなんて。俺はよっぽど嫌われてたか、好かれてたか」
そう肩を竦めつつ、晶は一姫の表情の変化を観察する。
何かを期待し、しかし怖れ踏み出せない……そんな彼女にかけられる言葉を、少なくとも彼はこの5年間の人生では得られなかった。
「監視者殿」
「っ……ねぇ、晶」
「ん」
「一姫、がいい。呼んでくれるなら、一姫がいい」
「……そうかい。分かったよ、一姫」
しかし、全く分からないわけでもない。
この一か月と少し、2人は殆どの時間を共に過ごした。一姫の迷惑ともいえる献身のおかげで。
たった一か月。それでも、それまでの4年と11か月を殆ど閉じた世界で生きた彼にとっては激動の一か月でもあった。
「まぁ、どうだっていいさ。お前が俺のことを知っていても、知らなくても……今の俺は、俺だからな」
彼はどうして彼が記憶を失い続ける呪いを自分に掛けたのかは知らない。
しかし、考え続けた記憶はある。
どうして、欠片もその時のことを思い出したことさえ思い出さないのか。
家族のことも、五年も全く考えないなんて有り得るだろうか。
何か自分の知らないカラクリが隠されているかもしれない。
それこそ一姫のことを全く知らない他人のように思うことも。
(もう、考えても意味はないけど)
失った記憶を取り戻す術はない。
そしてもしもそれがあったとしても、記憶を失い続けることは退魔師としての力の源だ。彼が手を伸ばすことは、きっと無いだろう。
もちろん、そんなことを口に出せば余計に一姫の表情を曇らすのは明らかだ。
「もしもきつかったら、別に来なくたっていいんだぜ?」
「私は貴方の監視者だから」
「だから、そんな真面目に監視しようってのはお前くらいだっての」
若さゆえか、手を抜く賢しさが彼女には無い。
当然否定するほどのものではないが、危うさを感じずにはいられない。
(昨日も、こいつは自分の力で幽世に来た……多少なりとも力が備わってるってことだ。本人には無自覚の内に)
自分の力を自覚できていないということはとても危険だ。
手にナイフを持っているのに、それを持っている本人が知らないのと同じ。不意に誰かを傷つける可能性だってある。
そしてもう一つ。
彼女のミッションに関わる少年、佐崎京助のことも気になっていた。
菫が幽世に呑まれる前日、確かに彼女は佐崎と接触していた。見ようによっては彼との接触をトリガーとして菫は妖魔と結びついたと取れなくもない、が――
(菫の思考を見た時、むしろきっかけは俺の方だった。これじゃあ佐崎じゃなく、俺の方が……)
彼にとって同世代との交流は神夜高校に入るまで殆ど無かった。
佐崎京助ではない。むしろ、幽世に近い自分が菫を巻き込んだのでは……と、そう思わずにはいられない。
「……なんにせよ、今の状態じゃ材料が少なすぎる」
「え?」
「いや、なんでもない」
晶の言葉は、ある意味自分自身にも言い聞かせるようなものだった。
菫との約束もそうだし、佐崎京助のこと、ついでに彼らが集まる神夜高校に晶と親交のあった桜花が生徒会長として在籍している事実。
仕組まれたと考えない方が不自然だが、あくまでまだ違和感程度でしかなく、確信には到底至れない。
答えが出ないのなら考えるのは無駄だ。
少なくとも、高校生活は3年ある。まだ1か月が過ぎただけで、到底全貌を明かすには不十分だろう。
「ねぇ、晶」
「ん」
「私、ここにいてもいいのかしら」
それは晶に問いかけるようで、しかし独り言のようにも聞こえた。
そして微妙に先ほどまでの晶の思考とリンクしている。
一姫自身、彼女の存在意義を薄っすらと察しながら、しかし分からずにいるのだろう。
その不安を打ち消す答えを晶は持っていない。彼も彼女と同じ状態なのだから。
「さっきも言ったけれど、もしも嫌なら来なくたっていいと思う」
「う……」
「けれど……そうだな、それはつまり、お前が決めていいってことだ」
晶の言葉に、一姫は驚いたように目を見開く。
まさか彼からそんな言葉を向けられると思っていなかったからだ。
自分の知らない過去を知り、しかも厄介な監視者である自分を、少なからず晶は疎ましいと思っているとどこかで思っていた。赴任してから僅かな間で何度も迷惑もかけてしまったという自覚もあった。
しかし、晶の言葉は彼女を突き放すものではない。優しく気遣うものでもなかったけれど、それでも――
彼の言う通り、一姫の意志に委ねられるのであれば、彼女の答えは一つしかない。
「……そう、分かった」
一姫はそう頷き、鞄から持参した文庫本を取り出し、読み始める。
そんな姿を見て、晶は彼自身でさえ気づかないほど小さく微笑みを浮かべつつ、再びイヤホンをつけ自分の世界へと戻った。
五条晶にとって、彼女らとの高校生らしい生活の方が非日常だ。
平穏は空虚で、退屈以外の何物でもない。
その平穏が青臭い学生生活に塗りつぶされた今、彼にとって真に安らげるのは退魔師として生きる幽世の中の方かもしれない。
(まぁでも、こういうのも悪くはないか)
イヤホンから流れてくる菫の歌声を聞きながら、そして、文庫本を読みつつもどこか嬉しそうに唇を波立たせる一姫を眺めながら、晶はそんなことを思う。
面倒で厄介で、中学だって通っていない彼にはあまりに相性が悪い日々ではあるが、逆に空虚さも退屈もない。
同じ部屋にただいるだけの一姫の存在をやけに大きく感じるのも、イヤホンから流れてくる菫の歌声にみょうなこそばゆさを感じるのも、彼にとっては初めてで――
ほんの少しだけ、人間に近づけた気がした。
退魔師業とラブコメ的高校生活は相性が悪い としぞう @toshizone23
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます