何でも言うこと聞いてくれる妖精さん

乙之浪

第1話 真夜中の妖精

「ねえ、起きて。」


 真夜中の森の中。耳元で囁くような声に目を覚ました、大きな山高帽を被った少年は、その声の主を探して右に左にきょろきょろと小さな空色の瞳を動かした。しかし見渡せども、声の主は見えず、空耳かと思い直してもう一度眠りに入ろうと目を閉じた。


「だから、起きてって言ってるでしょうが。」


 とん、と、頭を小突かれる感覚に、少年は再び瞼を開け、空を仰いだ。

 彼の頭上には、緑の髪と瞳を持ち、背中から白い羽を生やした、しかして手のひらほどの大きさの女の子が彼を見下ろしていた。


「きみ、だれ?」

「みてのとおり、わたしは妖精よ。」

「ようせいさん?」


 少年が不思議そうに尋ねると、小さな少女、妖精はくすくすと笑いながら、ええ、と答えた。

 ふわふわと宙に浮く彼女の体はほのかに煌いていて、その妖艶な笑みと合わせて、何か神秘的な雰囲気を少年は感じていた。


「妖精を見るのははじめてかしら?」

「はじめてみた。きれいだね。」

「あら、ありがとう。」

「それでようせいさんは、ぼくになにか用があるの?」

「ええ、そうよ。あなた、私の首飾りを持ってるでしょう。」


 妖精は少年の被っている埃っぽいローブの、ポケットを指さした。

 少年はポケットに手を入れると、今朝方に森で拾った、目の前の妖精の瞳と同じ色の、緑の宝石が埋め込まれた、木彫りの首飾りを取り出した。


「この綺麗な首飾り、ようせいさんのものだったんだね。

 じゃあ、返さなきゃね。」


 少年はあっさり首飾りを妖精に差し出すと、妖精は一瞬きょとんと彼を眺めた後、小さな手のひらでそれを制した。何故かその口元には、これまでの転がすような笑みとは違う、妖しい笑みが浮かんでいる。


「いいえ、返さなくていいわ。キミにあげる。」

「いいの?」


「ええ。その首飾りはね、魔法の首飾りなのよ。首飾りを拾った人の願いを、私が叶えてあげるの。」


「願いを、叶える……?」


 突然の言葉に、少年は押し固まる。妖精は彼のそんな反応を楽しむように続ける。


「疑っているの?じゃあ試しに何か簡単な願い事を言ってみて。本当は一つしかお願いは聞いてあげないんだけど、今なら特別サービスで叶えてあげるわ。

 ええ、保証する。必ずあなたを幸せにしてあげるわ。」


 さあ、と促す彼女に、しかして少年は黙りこくって、彼女をぼうと見つめながら固まってしまう。


「あら、願いが思いつかないの?」


 少年は目を伏せてこくんと頷き。また沈黙した。考え込んで下がる彼の頭に、大きな山高帽がより深く被さっていく。妖精はそんな彼の様子を眺めながら、じれったそうに彼の周りをくるくると飛び回っている。


「ちょっとしたものでもいいのよ?例えば、そのぼろのローブを、もっと高級な新品にしたいとか、その薄い布切れと焚火の代わりに、暖炉とベッドの付いた家を出したりもできるわ。みたところあなた痩せてるし、食べきれないくらいのご馳走なんて願いはどうかしら?

 ……もちろんもっと大きな願いでもいいのよ。お金持ちになりたい、とか。モテモテになりたい、とか。

 王様になりたいって人の願いも、過去には叶えてあげたことがあるわ。」


 言いながら妖精は、過去に願いを叶えた人々のことを思い出す。

 ある貧乏な家庭の腹をすかせた少女に、食べきれないほどのご馳走を出してやった。

 ある浮浪者の男に、使いきれないほどの金貨を出してやった。

 ある野蛮な山賊の大男を、一国の王様にしてやった。

 鳥のように空を飛びたいと言った女に翼を与えたこともあった。


そしてその全てを奪ってやった。


 太った少女は。以前よりも辛い飢えに苦み。太ったまま餓死した。

 金持ちだった男は、以前のような贅沢をやめられずに借金を続け、破滅した。

 体だけは大きい王だった男は、願いを取り上げる以前に自らの民に殺された。あれは彼女にとって驚きであったが、同時にとても愉快な見世物であった。

 翼を失った女は以前のように飛び立とうとし、当たり前のように墜落した。


 彼女は上等な首飾りを落とし、それを拾った人間の願いを叶え、頃合いを見てそれを奪うことを生業としている。

 そうして、願いによって堕落した人間たちが、願いを奪われた時の間抜けな表情や、肥大化した欲望によって破滅する時の絶望の表情を浮かべるのを見て笑うのだ。

 彼女は妖精として生まれた時から、その悪辣極まりない行動を繰り返してきた。彼女はそういうもので、妖精とはそうあるものなのだ。

 そして彼女は、持たざる者こそ、より大きな堕落と絶望を生み出すことを知っている。このみずぼらしい、一見無垢なように見える少年こそ、彼女の格好の標的なのだ。


「ごめんなさい。お願いごとはいらないや。」


「ちょっと、いらないってどういうことよ!」


 一瞬の思考に耽っていた彼女は、少年の予想外の一言に憤慨した。そんな彼女を見て、少年は申し訳なさそうにうつむく。


「ちょっと願いを言うだけで幸せになれるのよ?こんな機会、逃す手はないでしょうに。」


「でもごめん、本当に考え付かないんだ。だから、他の、君を必要としている人のところに行ってね。」


少年はますます申し訳なさそうに山高帽に顔を埋めてしまう。妖精は益々苛々した様子で白い羽をセミの様にばたばたとはためかせている。


「そういうわけにはいかないわ。あなたの願いを叶えるまでは他の人のところにはいけないのよ。」


苛々とした様子でそう告げながら、妖精は内心で毒づいた。

 稀にいるのだ、こういう欲のない、植物のような人間が。こういう人間は散々時間をかけて悩んだ挙句、思い付きのどうでもいい願いを叶えて終わる。彼女としても、そんなどうでもいい願いから生まれるものに興味はない。時間を無駄にするだけだ。


 ハズレを掴まされてしまったと目に手を当てて落ち込む彼女は、急に自分が大きな影に覆われるのを感じた。彼女が手を離し、前を見ると、その鼻先に少年の空色の瞳が覗いていた。

 ぴゃっとか細い声で驚く彼女をよそに、少年は微動だにせずに彼女を見つめていた。


「何よいきなり!びっくりしちゃったじゃない!」


 少年はハッと我に返ったように身動ぎし、謝罪した。


「ごめんね、ようせいさん。それで、さっきの話は本当?」

「んん、こほん。ええ、本当よ。キミの願い事を聞くまで、他の人のところにはいけないわ。」


 先程の慌てぶりをなかったように振る舞う妖精だが、動揺からかその返事には些か非難的な部分が混じる。 




「じゃあ、ぼくが願いを言うまで、ようせいさんとずっと一緒だね。」




「え、ええ。そういうことに、なるかしら。」


 少年の言葉に辿々しく答えながら、妖精は何か自分の体に、しまった、という冷たい感情が通り抜けるのを感じた。

 そんな彼女を尻目に少年はわかったと頷くと、彼女から顔を背け、手に持っていた首飾りを大切そうに首から掛けた。


「それじゃあ、これからよろしくね。妖精さん。」


 それだけ言い残すと、少年は再び薄い布を被って目を閉じ、彼女が現れた時と同じように、すやすやと寝息を立てて眠りに入ってしまった。


「ちょっと!勝手に寝るんじゃいわよ!ずっとなんて冗談じゃないわ、何でもいいから願いを言いなさいよー!」


 最早態度を取り繕うこともせず、憤慨しながら喚き散らす彼女から、最初の威厳のようなものは微塵も感じられない。

 それまで無表情だった少年が、目深に被った山高帽の下で、笑みを浮かべていることに、余裕をなくした彼女が気付くことはなかった。



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何でも言うこと聞いてくれる妖精さん 乙之浪 @kakinotane1945

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