「えーと……この――雌豚がぁッ!」


 風を切り――手のひらを勢いよく振り下ろす。


「ひうっ――」


 乾いた音。

 同時に、彼女の身体がビクッ――と跳ねる。

 その表情は恍惚に濡れていた。


「……はぁ――はぁ――」


 ――—―。


 熱い何かが、ぞくり――と全身を駆け巡る。

 初めての感覚だった。

 震える右手をゆっくりと広げる。


 今しがた、彼女のお尻に赤い手形を残した。

 ジンジンと鈍い痛みが、これは夢ではないと訴えていた。


「…………」


 無言で再び右手を揺り上げる。


「ねぇ、響谷さん」

「なに――」


 彼女が声を発した瞬間――。

 俺は右腕を思い切り振った。


 ――べチン


「――あっ!?」


 さっきよりも少し大きな悲鳴。


「……響谷さんは、なんで人間の言葉で返事したのかな。今の君は雌豚でしょ。自分で言った事じゃないか」

「ブ、ブヒ――」

「豚はそんな声で鳴かない」


 再び振り下ろす。

 今度はスナップを効かせて軽快に叩いた。


 ――バチッ


「――ッ!?」


 衝撃と同時に、彼女の身体が地面に崩れる。

 カリ――と俺の爪が尻の肉を引っかいた。


「あーもう、じっとしててよ。やりにくいなぁ」


 俺は腰からベルトを引き抜くと、その場に胡坐をかいて座る。

 屋上の冷たい床の温度が、火照った身体を僅かに冷ました。


「ほら、起きなよ」


 俺は彼女の両腕を優しく掴み取り――グイッと後ろ手に捻り上げた。


「――!?」


 そのままベルトで縛り上げるのと、響谷の貌が驚愕に変わるのは同時だった。


「どうしたの? なにか変だった?」


 穏やかな声音で。

 彼女を膝の上に乗せながら問いかける。


「だ、だって……鈴木くん、さっきまでと様子がちが――」

「君のせいだよ」


 ヒュッ――と四度目の平手打ちを食らわせる。

 彼女のお尻はすっかり全体が赤く染まっていた。

 夕暮れは沈み、辺りは徐々に暗くなる。


 俺の中で、何かが壊れた。


「だいたいさぁ――人を勝手に呼び出しておいて、図々しいんだよね」

「あっ――ごめっ――なさ――」

「ていうかさっきも聞いたけど、なんで執拗にお尻を叩かせるワケ? しかも俺にやらせる必要性ある? そろそろ腕が疲れてきたんだけど」

「それ――わぁっ――! まじめで――いる――はんどうでぇっ――!? あっあっあっあ――」

「お尻叩いてるだけなのにエロい声出さないでくれるかなぁ!」

「ひぎゅうっ!? す――ずきくん――がぁ――むしを――はたきおとした、おとにひかれ――てぇッ!? ことわらなさそうだか――らぁ――!?」

「しかも都合の良い男で、単にハエを手で潰したのが理由かよ。叩いたら良い音出そうだからか? つまり俺じゃなくても良かったって事じゃん。ハエ叩きとでもやってろよ変態!」

「あ――そこ――もっとぉ――!」

「あー、手ェ痛い。ちょっと休憩。……俺さぁ、真面目で優しい響谷さんに憧れてたんだけど、今日呼ばれてすごく嬉しかったんだよね。なのに蓋をあけてみたら響谷さんは変態でさぁ、誰でも良いから変態行為の相手が欲しかっただけとか。なんか裏切られた気分だよ」

「鈴木くん……」

「でも、もうどうでもいいや」

「あっ――!」

「俺の好きだった響谷さんはもういない。そう考えたら全部どうでもよくなった。君が喜ぶのは癪だけど、精々飽きるまでストレス発散代わりに君のお尻を叩かせてもらうよ」

「しゅごい―—あ――らめ――もっと――もっとぉ――!」








「――もっと授業に集中しましょうねぇ、鈴木くん?」

「……んぁ?」


 ぽす、と何かで頭を小突かれ、靄のかかった視界で起き上がる。


「ここは――」


 所せましに並ぶ机。

 人の密集した気配――。


 ごしごしと擦った目には、見慣れた教室の風景が飛び込んできた。


「一番前の席で居眠りとは良い度胸ねぇ……」


 声のした方を見ると。

 ポンポン、と肩に出席簿を乗せ、眉間に皺を寄せた数学教師の夏川歩美なつかわ あゆみ(29歳独身)が口元を歪ませて語りかけてきた。

 周囲からはクスクスとクラスメイト達の笑い声が。


「あれ――なんで教室……。響谷さんは……?」

「響谷さんならあなたの右後ろの席でしょ? まったく、少しは響谷さんを見習いなさい」


 ――やれやれ、と小言を漏らしながら踵を返すと、夏川先生は教室の後ろへと歩いて行った。


 俺は狐に化かされたような気分でぼけーっと突っ立っている。


 ――え、どういう事!?


 もしかして、今までのは全部夢だった!?


「――マジかー……」


 ドサッ、と脱力して自分の席にもたれかかった。

 そうか、夢なのか。

 妙にリアリティのある夢だったな。


「…………」


 チラリと右後ろの席を見る。

 そこにはいつもと変わらない様子の響谷さんがいて。

 真剣な面持ちでノートの板書にいそしむ姿があった。


 ――良かった、いつもの響谷さんだ。

 それじゃあやっぱりアレは夢だったんだな。


 俺はポリポリと頬をかき、姿勢を正して授業の続きを追った。


 夢の中の響谷さんは。

 お尻を叩かれるのが好きな変態で。

 最初はそれに嫌悪感を抱いていた俺も……徐々に得も知れぬ快感に目覚めていき――。


「――ってどんなエロ漫画の導入だよ……」


「私のお尻を叩いて」とクラスの美少女に懇願された夢。

 そんな夢を見た俺は、自分の煩悩の馬鹿らしさにため息をついた。


 さっきの夢。

 俺はお尻を叩かれる響谷さんを見て、なんというか、自分が自分でなくなっていくかのような恐ろしい感覚を味わった。

 自分でもあんな衝動があった事にビックリだ。

 正直、夢でほっとしている。


 ――でも変態だったとは言え、響谷さんと親密に話せたんだよな


 夢で嬉しいような、ちょっと残念なような――


「それじゃあこの問題を誰か――」

「はい。私が解きます」

「あら、じゃあ響谷さんにお願いしようかしら――」


 そんな事を考えている間にも授業は進む。


 響谷さんは椅子から立ち上がり、教卓の黒板へと向かった。


 彼女はノートを片手に、チョークで数式を解き始めるが――


「あっ――」


 先端が割れてしまい、欠片が床へ散らばる。

 響谷さんはそれを拾おうとして身を屈め――


 ややお尻を突き出す格好になった。

 その際、チラリと俺の方を見て……頬を染めた、気がした。


「――――ぁ」


 ――ぞくり

 熱い何かが、全身を駆け回るのを感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】「私のお尻を叩いて」とクラスの美少女に懇願された 藤塚マーク @Ashari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ