同じクラスの響谷冬音ひびたに ふゆねさんは、文句のつけようのない優等生だ。

 成績は常に学年一位。

 全国模試でも上位に食い込み、噂では学力が既に東大レベルだとか。流石にそれは言い過ぎだと思う。


 それとスポーツも万能で、体が丈夫なのか、今まで無遅刻・無欠席の皆勤賞。もちろん俺みたいに授業中に居眠りなんてしない。

 先生はだらしない生徒(主に俺)を見ると口を揃えて『彼女を見習え』なんて言うし、とにかくこの平凡な公立高校に通っているのが疑問に思うほど、彼女はすごい人間なのだ。

 そう、すごい……ひと……なんだ――


「私のお尻を叩いて下さいッ!」 


 ある意味すごい人だった。

 放課後の屋上で。

 クラスの優等生が息を荒げながらお尻を突きだし、叩いて欲しいと懇願している。


 頬は上気し、桜色の唇を湿らせ。

 露出した下半身は純白のショーツ一枚。

 色白い素肌に、背中から垂れ下がった黒髪が覆いかぶさり。彼女の呼吸と共にわずかに上下するお尻が俺の視界から離れなかった。

 そんな恰好なのだが、寒さの強まってきた季節とは思えないほど、彼女の肢体はじっとりと汗に濡れている。


「――――ッ」


 突然の事態に言葉が詰まり、俺はその場にフリーズ。

 え、これどうしたら良いの俺。

 何をどうすれば正解なの? 誰か教えてください。


 ぐるぐると混乱する頭で必死に考える。


 ――彼女の言う通りお尻を叩けばいいんだろうか。

 でも、本当に叩いちゃっていいのか?

 女の子のお尻を叩くって一歩間違えれば犯罪じゃない?


 そもそも真面目な彼女がこんな事するのはおかしい!

 もしかすると何かの罰ゲームか、それとも弱みを握られて脅されているのかもしれない。

 ……と思ったが、彼女の恍惚な表情を見てすぐに考えを改める。

 どうやら本気らしい。 


 ―—冷静に考えておかしくないかこの状況。

 ふつう、特に接点の無い男子を呼び出してお尻を叩いてくださいなんて頼むだろうか。あまりにもおかしい。


「――まてよ?」


 ああ、分かった。

 これは夢だ。


 クラスの高嶺の花に憧れる俺の見せた、都合の良い夢なんだ。

 別に女の子のお尻を叩く願望はないけど、とにかくこれは夢。

 そうであって下さい。


 俺の憧れた響谷さんは、清楚でおしとやかな優等生。

 決してお尻を叩かれて喜ぶ変態じゃない。


「えーと、……響谷さん」


 自分の中の響谷さん像が音をたてて崩れていくのを感じながら。

 それでも俺は一縷いちるの望みにすがって声をかけた。


「とりあえず俺を叩いて下さい」

「急にどうしたんですか? おかしいですよ鈴木くん」


 おかしいのは君だよ。


「いや、もしかしたら夢かもしれないからさ。頬を叩かれたら目が覚めるかなーと思って……」

「でしたら私のお尻を叩きましょう」

「なんでそうなるの!?」

「痛みがあれば夢かどうか判別できると思ったんですよね?」


 君だけ痛がっても意味がないんだよ!


「大丈夫です。お尻って叩く側もけっこう痛いんですよ……」

「ねぇ試したの? 自分で自分を叩いて試したの!?」


 くそっ、頭がこんがらがってきた。

 さっきからなんだか息が苦しい。

 眩暈と吐き気もしてきた。


 とにかく早くこの悪夢から立ち去りたい。

 このまま彼女を放って逃げ出そうかと思ったが、夢とは言え、半裸の女の子を残して逃げる度胸なんて俺にはなかった。

 ――気は進まないけど、ここは彼女の言う通りにしよう。

 それでこの夢から覚めるなら安いものだ。


「……もう分かったよ。叩けばいいんだよね、叩けば。そしたら早く解放してよ」


 お尻を叩く趣味はなかったけど、女の子の身体に触れるのは嫌と言う訳じゃない。

 ……何かこういう言い方だと変態っぽいけど。


「――待って鈴木くん。そんな嫌々ではなく、もっとノリノリで『この雌豚が、いっちょ前に人間様の真似なんてしやがっておこがましいんだよ。〇〇まき散らしながら悶えイキなこの変態!』って感じで叩いてくれないと困ります」

「人に物頼むってレベルじゃなくない!?」


 目の前の女に響谷さんの面影は無かった。

 ギシリ――と、胸の中で何かが軋むのを感じた。


「……ていうか響谷さん。そもそも君は、なんで俺にお尻を叩かせるの――?」


 自分の胸元を軽く押さえながら質問を投げかける。

 しかし、彼女は言い終わるよりも先に声を荒げて懇願する。


「いいから早く叩いてください! もう待ちきれません!」

「駄目だ日本語が通じない……」

「理由なんて後からいくらでも話せます! だから今は罵倒しながらお尻を叩く事だけ考えてください!」


 気づけば響谷さんは四つん這いになって、突き出したお尻をぐりぐりと俺に押し付け始めていた。

 これ以上変態性をレベルアップする響谷さんは見たくなかった。


「……はぁ」


 ――もう分かった。いい加減腹を括ろう。


 俺は手のひらに息を吹きかけ、彼女の柔らかいお尻をがっしりと掴んだ。

 モチモチとした肌が指先からぷにっと吸い付く。

 触れる際、彼女の身体が少しだけ揺れた。


 ――こんな形で、響谷さんの身体に触れるなんて。


 ギリ――と奥歯をかみしめると、俺はお尻を掴んだ指先に力を込め、もう片方の腕をゆっくりと振りかざした。


「……行くよ、響谷さん――」


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