第十八話 千年続く暮らしの中で

「これで良いですか?杏様」

「えぇ、十分すぎるくらいよ」

 庭園を元に戻し、私たちの元へ帰ってきた渼月に、杏様が少し呆れた様に言うのだった。

 さっきまで荒れ果て、形すら無かった庭園が、とても綺麗に戻っている。瓦礫で押し潰されたり、散ったりしていた花までも…

「渼月!今なんの術を使ったの?」

 私は好奇心が抑えられずに、興奮気味に彼に問いかけた。

「特に妖術と呼べるものは使っていません。」

「確かに…何も唱えなかったものね」

「あはは…瀬兎ちゃん。妖によって使える術も、属性も様々です。だから昔から、しっかりした術など無いのです。みんな適当に唱えてますよ?」

「へ?」

 渼月の発言が意外すぎて、少し拍子抜けな返事をしてしまった。

 確かに妖にも人間にも、それぞれ使える術の属性がある。例えば私なら火を使う術が得意だとかそういうの。

「え、でも…術を唱えたりもするわよね?」

「えぇ…難しい術は」

 渼月が言う難しい術が何かは分からない。だって妖の強さによって、難しい術の限度が違うから。


「適当に術を使うと言えば…瀬兎ちゃん。赤城から霊符をもらってませんか?」

「ええあるわ」

 私は渼月に言われ、結界の中から師匠にもらった霊符を出した。あの路地道で出して、芹に怒られたやつ。

「それ、『風』と書いてありますが、実際には小規模な封印なんです」

「え?うそ…」

「本当です」

 渼月は少し微笑みながら教えてくれた。

「あれ?僕が書いた本、最後まで読んでませんか?」

「えぇ…妹に取られたから」

「妹…なるほど」

 さっきまでの微笑みは消え、少し考え込む。そして私に少し、本の内容を教えてくれた。


「妖の王は死ぬ前に五つのものを封印しました。

 一つにある者の記憶を 

 二つにある者の姿を 

 三つにある場所を  

 四つに自身の大切な物を 

 五つに僕らの時を    

 そしてその全てに、自身が死んでもなお続く永久術をかけています。」

 渼月は自分の術式で、空中に雑な絵を描きながら説明してくれた。

「これらは世界のどこかに散らばっています。一つ持っていれば、お互いに共鳴し合い、その姿を見せてくれるでしょう。

 そして、その五つ全てが揃った時に、彼女の意志を託された者が現れる。

 ま、あの妖の王が考えそうな事ですよ」

 最後はとても適当に言い放った気はしたが…大体の事は理解した。つまり、私はこれからこの霊符を集めれば良いのだ。どこにあるのかはこれが教えてくれる。

「妖の王は意外と遊び好きなのね…」

 私は霊符をもう一度結界の中にしまいながら、渼月に微笑みかけた。

「えぇ…同時にとても賢い方でした」

 彼はどこか遠くを見つめる様に言ったのだった。



 暫く渼月の横顔を見ながら黙っていた私が、元気よく聞いてみる。

「渼月!質問です!」

「なんでしょう?」

 さっきから彼が、術の強さや使い方を話していたから気になっている事がある。

「ずばり渼月は何級でしょうか?」

「霊力値の事ですか?」

「そうです!」

「うーん…S級です。」

「え、S…!?」

「はい。」

 S級と言えば、この世に数人しかいないと言う。最も強い妖達だ…人間にはあの『月姫』しかいなかったという。

「な、俺には遠く及ばない分けだろ?」

「えぇ…やっと分かったわ」

 Aに近いB級の芹では、足元にも及ぶわけがない事は明らかだ。A級である私も、人間だから芹とほとんど同じ霊力値なのだから。

「ちなみに、赤城はSS級ですよ?」

「ん?元?」

 師匠がSS級なのにはもう驚かない。私に刀を教えてくれた人だし、強いのは明らかだからだ。

「はい。千年前、妖の王の亡骸を封印する際に、僕と赤城の霊力を使いました。そして使った霊力は未だ戻ってはいない。

 なので、赤城にはほとんど霊力が残っていないのです。」

「…それでもあの強さなのね」

「まぁ元々赤城様は、霊力をほとんど使わないで闘う方だったからな」

 芹がそう言ったので、思い出した。師匠が霊力を使った所は確かに見た事がない。それは霊力が無いからだったとして…私はたったの一度も、師匠に木刀ですら勝ったことが無いのだ。



「あの、皆さん。こんな所で立ち話をしていないで、私の部屋へ来ません?」

 私と芹と渼月が話しているのを黙って聞いていた杏様が口を開いた。

「えっ!良いの?」

「構いません。私が皆さんともっとお話ししたくなったので」

「ありがとう」

 杏様は、案外穏やかで優しい方だった。いや、特に怖いと思った事はないが、違う国の女王という立場が、遠い存在だと思わせていたに違いない。


「私は梔子くちなしの所へ行ってから行きますね」

「あ、待って渼月。私も行くわ」

 渼月が梔子の所へ行って何をするのかは知らないが、私も女性の容態が見たいのだ。

「えっと…俺も行くよ」

「では、私は部屋で準備をしていますね。渼月連れてきてくれる?」

「わかりました。」

 そして杏様は一足先に部屋に向かっていった。さっきまでの恐怖心はどこへいったのやら…




「渼月。梔子の所へ何しに行くの?」

「…梔子には、塁様の代わりを務めてもらおうと思ってたのですが、どうして居なかったのかと、問い詰めようかと思いましてね。」

 梔子に用意された部屋へ行く途中、私は渼月のこの発言で、またもや彼が少し怖いと思ってしまった。

 だって優しい口調で言ってはいるが、表情も暗く、まるで悪役みたいだったのだ。

「渼月って案外怖いのね」

「それは心外ですね。僕は誰に対しても公平な判断をしているまでです」

「…どうだかな」

 芹の言葉に、私達の先を歩いていた渼月がピタリと歩みを止めた

「何が言いたいんですか?芹くん」

「いえ…なんでもないです…」

 背中からでも怒っているのが分かるくらいに、霊気が逆立っていた。

 そんな渼月に芹は少し怯む。

「あの…渼月」

「なんですか?」

 芹は渼月を恐れながらも、問いかけた

「さっきの妖は、やっぱりあいつなのか?」

「…そうかもしれませんね」

 渼月は静かにそう答えるのだった。そうかもとは言っておきながら、自分の中では答えが出ているかの様に。

「ねぇ渼月。さっきの妖は、結婚がどうとか言っていたけど…どういうことなの?」

「それは…何が聞きたいのですか?」

 渼月は、私達に背を向けながら答える。静かに霊気を震わせながら…

「渼月は、あの妖とどういう関係だったの?」

 私が問いかけた途端、彼の霊気はピタリと震えるのを止めた。しかしそれは落ち着きを取り戻したからではない。私は最も聞いてはいけないことを言ってしまったようだ。


「君には関係ないだろっ!」


 物静かな渼月が、声を荒げて言い放った。

 私と芹は突然の事に、肩がすくみ上がる様な感覚を覚えた。

「えっと…ごめんなさい」

「はっ!すみません!取り乱しました」

 私が謝った事で、彼は我に帰った様だ。眉を下げて私に謝って来た。普段の優しく綺麗な声で、少し慌てながら。


 それから彼は少しずつ落ち着きを取り戻し、梔子の部屋へ向かいながら、少し話をしてくれた。

「僕は千年前、妖の王が死んでからでしょうか。何かが途切れたかの様に、精神が安定しなくて…」

 彼は自身の頭を掻きむしりながら、どこか苛立った霊気を漂わせて、話を続けていく。

「僕らは千年以上生きていますが、その千年の間、僕らの時は止まっています。なので、身体の成長はなく、精神だけが成長するのです。それがどうにも気持ち悪くて…」

 もしそれが、千年前の戦いに参加した妖全員に現れる症状なのだとしたら、芹もそうなのだろうか?あまり不安定な所は見た事がない。

「芹もそういうことあるの?」

「気持ちが悪くなる事は…渼月程ではないけどあるな」

「そうなんだ…」

「まぁ心配する程じゃない。渼月は妖の中でも特に頭が良いから、そういう事がよくあるんだ」

 なるほど…頭が良くないと言われている妖の中で、賢い彼にのみ起こる症状、というわけか。確かに、精神的な成長に、身体が見合わなければ、気持ち悪くもなりそうだ。

「それで…精神的に、安定剤が欲しくて…杏様の元に」

「そうなのね…」

 私は彼の話を聞いて、少し思ったことがある。渼月は、元々穏やかな性格ではないのではないかと。

 私が引っかかるのは、庭園で妖と話していた時の彼の口調。普段の優しい感じではなく、突き放す様な話し方が、少々気になっていたのだ。

 もしかしたら、さっきの方が本当の彼なのかもしれない。鵺の本当の姿を見た事がある者は、妖四天王だけだと言うが、その姿というのは、きっと身体の形だけでは無いのだろう。でもそれは、知らなくてもいい事だと、私は思った。


「ねぇ、聞かせてくれない?あなたと杏様が出会った時のこと」

「話すほどの事ではありませんよ。お互いに利用しあっているだけですからね」

「そうなのね…」

 私は、これ以上は踏み入れない方が良いだろうとその場で判断し、その後、何かを言う事なく、梔子の部屋までたどり着いた。



 トントン

 誰も居ない廊下に、渼月が部屋の扉を叩く音だけが響く。

「…はい」

 出てきた梔子は、渼月の事を見るなり、顔を青ざめた。

「入るよ?」

「ど、どうぞ…」

 渼月は、そんな梔子には見向きもせず、寝ている女性の方へまっすぐ向かった。

「あの…なぜ、ここに」

 梔子は扉の前に立ったままの私に、こっそりと聞いてきた。

「私は彼女の様子を見に来たんだけど、多分彼は…」

「あー、そうだよなぁ…」

 梔子はこれから起こる事を予測した様に、青ざめていた顔をさらに引きつらせた。


「…ん?」

 女性の容態を見ていた渼月が、何かに気がついた様に、首を傾げた

「邪気が現れたという話では?」

「はい。ですが彼女が…」

 梔子は渼月に対して、丁寧な口調で説明した。

 渼月は一瞬私をみてから

「…なるほど、分かりました。この件は保留にします。けど梔子、私は確かにあなたにお願いしましたよね?塁様の姿で舞踏会に参加しろと」

 彼は梔子に、少々苛立ちを見せながら言い放つ。そんな渼月に、梔子は怯み上がり、芹の後ろに隠れてしまう。

「すみません…舞踏会が始まる前、塁様の姿で彼女の部屋にいたら、突然女に襲われて…」

「それで?」

「それで、その…」

 梔子は、渼月に怯えながら話すので、話が先に進まない。

 芹は後ろに隠れた梔子を、庇うわけでも無く、その場に立ったままだ。

「何かを吸わされ、意識を失っていました。気がついたら、舞踏会は既に始まっていて…」

「そうか…分かった。連れて行かれなかっただけ良しとしておこう」

「ありがとうございます。」

「勘違いするな。今からでも仕事を果たせ。今塁様はここに居ない。彼女に化けていたのは恐らくあの女だ」

 渼月は、優しい口調など見せる事なく、淡々と梔子に圧をかけ続けていた。

 すっかり縮み込んでしまった梔子は

「わかりました…」

 とだけ言って、塁様の姿に変幻する。


「ところで…芹くんが追跡してくれてるんだよね?」

「梔子との差が怖いですよ。鵺様」

 芹、良いツッコミね!私も思ったわ!

 渼月の態度は、梔子に話していた時とは比べ物にならないくらい、ふんわりしていた。表情は明るく、どこか楽しげな様子で。

「だって、君は紅姫の物だから…」

「そうですけど…」

 紅姫、それは妖の王の名称だ。本当の名前は知らないが、妖みんなからそう呼ばれているらしい…

 芹が紅姫様の物だから、渼月は口を出せないという事だろうか…

「芹は紅姫様の眷属なの?」

「ん?あぁ…俺は準眷属だ」

 眷属よりも位の低い準眷属。それでも紅姫様との繋がりはあるという事。

 なら梔子は、渼月の眷属だという事か。でも、紅姫様以外の王に、眷属が居たという話は聞いた事がない。

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月紅の鬼姫 松川巫雪 @matukawafuyuki

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