三日目 『強欲なる祈り』 その8



 しない方がいいタイプの交流だったはずだよ。死者と生者のあいだの中で、お互いのことを知ってしまうことは。過度に認識し合う必要はない。オレたちは、マルジェンカを倒すためだけの任務で、結び付いているだけの関係性なのだから。


 もっと。ドライで良いはずなのに。


 オレたちはどこか孤独が持つ引力を放っているらしく、仲良くなれそうな気配がしてならない。使命が揺らいでいては、戦いの場ではいつだって戦士は損するはずなのに。良くない傾向なのに、どこか……心が癒された。ズタボロで壊れてて、狂っていていいはずなのにね。


 ……幸いなことに。


 足音が近づいてくる。慌ただしい二人の男の足音だ。あの未熟さを感じさせてくれる若者と、それよりは偉い身分のナチ党員だろうかね。ドアが開く。古風な軍人のような敬礼を、新顔の中年はしたよ。オレより年上に見えたから、王様の仕えたことのある時代の男だろうか。


 王者が滅びる時代を生きるには、その古風な敬礼と忠誠のスタイルは、どうにも重苦しさがある。


「ヘルマン・グストロフです。ローマから来たお二人ですかな?」


「ああ。バチカンの戦士だよ。秘匿された身分ではあるが、君は知っているかな?」


 軍人らしいというか―――むしろ演技がかったキリストの騎士らしいというか。カイゼル髭を持つヘルマン・グストロフは、目をぱちくりとさせた後で年齢の割りには脂肪がついていない首を横に振った。


「いいえ。私は政治のことには詳しくはない。軍人上がりの……書記官ですからな」


「そうかい。主要なナチ党のメンバーは、ベルリンにお出かけか……ああ、すまないな、グストロフ。君を軽んじているわけじゃないぞ。どの祖国であっても、国のために命を懸けて世界大戦を過ごした男には、共感と敬意を持っているんだ」


 立ち上がり、彼の傷だらけの手を握る。書記官というよりも、もっと無骨な時代が長かったのだろうな。タコと火傷と古傷が多い。槍でも習っていたのかもしれない。ますます、王者が滅びる時代の男であったことを感じさせる。


「無礼な態度に見えたとすれば、謝るよ。生来、荒事のなかにいた身でね。ジェントルマンとしての教育を受ける暇がなかったのさ」


「構いませんよ。外国の方。私も、そういう男には共感が抱ける。国家社会主義ドイツ労働者党は、私や君のように……祖国のために汗と血を流した魂がたどり着く、答えなのだから」


「……誤解させたら悪いが、入党しに来たわけじゃないよ」


「ああ。こちらこそ、申し訳ない。政党についていると、つい勧誘の癖がついてしまってね。妻にも釘を刺されているんだ。あなたは、無骨な顔面をしているのだから、あまり表立って勧誘とかしない方がいいですよ……と」


「ステキなアドバイスをくれる奥様ね。時代遅れの無骨なおじさま」


「ハハハ。シスター、あなたもバチカンの……?」


「そうよ。コレット・イルザクス。バチカンが秘密裏に運用している、特殊な事件を解決するための戦闘集団の一員」


「なるほど。だから、硝煙の香りをさせる」


「鼻が利くのね」


「戦うことを誇りに思っていた、古い時代の男だから。そういうものには親しみが深くてね。君からも……たしかに戦士の力を感じる。彼ほどではないが……」


 彫りの深い瞳の奥で、警戒心にも似た興味が輝いていた。推し量ろうとしたがっているようだが、やめた方がいいはずだった。神秘の世界の住人に、妻帯者は近づくべきじゃないよ。不幸の奈落に引きずり込まれたら、失うものが多すぎる。


「……戦場で出会うとすれば、同じ戦列の側が良かった」


「同意見だ。痛みを多く知っている古強者を、殺したくはないからな」


「私もだよ」


 カイゼル髭の下にある唇が微笑みを作る。唇にも傷跡があるな。銃剣の刃でも受けたのかもしれない。泥まみれの接近戦で殺し合いをするなんてな。塹壕戦で生き残った男だろうか、ヘルマン・グストロフは……。


 まあ、あいさつをしておこうか。敬意と常識を示すためにもね。


「オレの名前はアレク・レッドウッド。コレット・イルザクスの同僚だ。二人して、バチカンから使命を受けている。内容は……少し、オカルトじみているが、オレたちは本気でその任務を履行するために、この土地まで来た。マジメに聞いてくれるかな」


「ええ。当然です。私は敬虔なキリストの騎士でありたいと願っていますからな。総統閣下と同じく、ヨーロッパのキリスト教徒として守りたいと」


「ならば、聞いてくれ。オレたちは、君たちの政敵である共産主義者たちに合流したらしい邪悪を……ああ、分かりやすく言えば『吸血鬼』を探しているんだ」


「……吸血鬼、ですか」


 戦士は唇を曲げたな。疑われてしまったらしい。ならば、少し神秘を見せるとしようか。


「やはり証明しなければな。いいか、グストロフ、そして若造。オレは今からナイフを取り出す。そいつをグストロフに渡す。いいな?誤解するなよ、若造。懐のピストルを使おうとするな。オレはコレットに危険が及びそうになれば、死の影の速さをお前に教えることになる」


「は、はいっ」


「……騎士がまた一人ね」


 からかいの言葉の全てに反応できるほどの若さはもうなかったことが幸いした。オレは落ち着いた顔で『備えている』古強者にナイフを差し出す。礼儀に従い、柄を差し出すのさ。刃先はオレに向けている。


 ヘルマン・グストロフはそれを取った。見定める瞳で、その尖れた刃を調べる。


「業物ですな。上手く使えば、鎧さえも簡単に穿つ。強さと鋭さを持っている……古い鋼と見知らぬ製法……なるほど、バチカンの戦士も古風で何よりだ。それで、これを?」


「構えておけ。オレは、この手をその刃に刺す」


「……どうしてかな?」


「神秘の世界の一端を、見せるために」


「奇術の類を、私は見破りますぞ」


「知っている。だからこそ、ヘルマン・グストロフ。君に示すんだよ」


 行動あるのみだった。ナイフに右の手のひらを押し当てて、手のひらをそれで貫通させる。痛みと感触を得るが……死体となった体からの出血量は悪い。


「……血が、湧きませんな。十分、傷つけた深さだというのに。だが、わずかに血が……出てはいる。不思議な体質ですな」


「ああ。コレット。頼む」


「……はいはい。衆目よ、ここに集まり刮目せよ。聖女の奇跡、ここにあらん」


 奇術師が使うような口上をあえて使う。賢さは皮肉を愛するようだな。コレット・イルザクスの小さな手がオレの傷を受けたばかりの手のひらを取る。『バチカンのための奇跡』を保存した血脈の娘は、その奇跡でバチカンの威光を示した。


 輝きが生まれる。


 穏やかな慈愛の光。


 ヘルマン・グストロフと、若造が、その光に驚いた。だが、ヘルマン・グストロフは知性を失っていない。観察している。マグネシウムの粉でも使った奇術か何かの類いだとか、閃光弾のことなんかを頭に浮かべているかもな。


 とても良い傾向だ。


 知性で確かめてくれるといい。


「ほら。この通りさ。神秘の世界の体現者が、君の前にいる」


「……ナイフの開けた穴が、完全にふさがっていますな」


「き、奇跡!!奇跡だああ!?」


「うるさいから、黙りなさいな、青年」


「は、はいっ。で、でも……き、奇跡を見てしまった……っ。やっぱり、ナチ党は、神に愛された組織なんですね……っ」


「君たちの組織への表敬訪問として神に遣わされたわけじゃない。敵を探して、敵の敵である君たちを利用するために来たのさ」


「共産主義者と『吸血鬼』が結託したと……」


「バカみたいなハナシに聞こえるだろう。まあ、正確には共産主義者も『吸血鬼』の正体を知らないだろう。たんにパトロンとして化けて、接触したのかもしれない。とにかく、彼らを『吸血鬼』は利用している。政治的な対立を、人のあいだに招き、時間稼ぎをする」


「時間稼ぎ?」


「ああ。魔王を産むためにな」


「……魔王、ますます……理解を越えていくね」


「困ったことに空想だったら良かったんだがな。だが、わざわざバイエルンまで来たのは、『吸血鬼』の実在が確かであり、この『吸血鬼』……マルジェンカが、人類に災厄をもたらす性格をしているからだ」


「災厄……」


「直近だと、『スペイン風邪』ね。あれを産んだのは、マルジェンカよ」


 コレット・イルザクスの言葉に、古い騎士は瞳を険しくさせてしまう。地雷の上に、お姫様のつま先が触れたらしい。


「……身内が死んだか」


「……死んだ。戦地で、敵の捕虜になっていた年の離れた弟が。あの風邪で、死んだようだ。もしくは、拷問かもしれないが。少なくとも、生きて帰ってくれた弟の戦友からは、そう聞いた。彼は、正しい青年だ。嘘をつかないと思う。弟と同じように」


「あれと同じ脅威か、それ以上を『吸血鬼』は企んでいる。世界を救いに来たんだ、オレたちは。困ったことに、各国政府と協力している暇もない。オレたちのあいだにある国境は、根深い政治的な対立で人心を縛る。知っていることを、教えて欲しい。オレとコレットで、世界から面倒な災いを一つ消すよ、全ての人類の安寧のために」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀の少女の復讐は、残酷な牙をキラめかせ。 よしふみ @yosinofumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ