三日目 『強欲なる祈り』 その7
……嫌いになる、か。
じゃあ、今は嫌いではなくて、少しは仕事相手として認めてくれているのだろうか。美少女の心を読むのが得意なタイプの男じゃないから、ハッキリとしたことは不明だった。それでも、オレは彼女に嫌われたくはないらしい。娘の成長した姿を見せてくれたから、だろうかな。
何であれ。
良い仕事をしていると思う。コレット・イルザクスの言葉に、青年は動かされているからな。我々を貴賓として扱う。応接間に通して、古いが雰囲気のある椅子と、磁器のコップと紅茶を注ぐ。洗練された動きじゃなかったが、良いパトロンに恵まれたのだろう。敗戦国の新鋭政党が出すにしては、良い茶葉を使ってくれている。
香りが良い。雑な処方で淹れても、それが失われないほどに。コレット・イルザクスが上機嫌になるのを感じたよ。
お姫様らしく、小指を立てて紅茶の入った白いカップを口に運ぶ。そいつを味わうとね、明るい顔になった。戦士じゃない表情に。ああ、エリーゼに……会えたな。銀色の髪の乙女には、どうしても……娘を感じてしまう。
「……さみしそうな顔をして。あなたの分の紅茶もあるんだからね?」
「物欲しそうだったかな」
「ううん。そうじゃない顔よ。悲しさを感じられる。そういう顔で、あなたは…………いいや。いいの。気にしないで」
「分かった」
「……気にしない方が良いことね。プライベート過ぎることとか。それに、なんとなく分かっているような気もするし……さあ、青年。美味しい紅茶の次は……」
「く、クッキーでしょうか!?」
「違うわ。偉い人を出しましょう。そこのチョビ髭のおじさんでも良いけど?」
「ちょ、チョビ髭じゃなくて、そ、総統閣下です!!その、我々の党首の……ベルリン出張なので、今はお会い出来ませんが。きっと、バイエルンにいたら、すぐにでもバチカンの使者さまたちとお会いになったと思います!敬虔なキリストの騎士として!!」
「……はあ、他のでもいいから、敬虔なキリストの騎士を見つけて来なさいな。紅茶が冷めるまでは、待っていてあげるわよ」
「直ちに!!」
……青年は召使いのような従順さで、この応接間から逃げ出した。
「喜劇役者みたいな動きをする子ね」
「君はお姫様みたいだけれどね。キリストの騎士を自任する人々は、芝居がかっている」
「芝居もするわよ。仕事をしたいのだから。女って、そういうのは得意なんだしね。ほら、騎士が似合わない戦士さん。クッキーをあげるわ」
……君みたいに恐れを知らないね。それとも、確認したかったのだろうか。コレット・イルザクスのために口を開く。大きくなっている牙に、青い瞳は向かった。確認しているよ。無言でね。何も、言葉は使わなかった。
ゆっくりと、クッキーを噛む。お姫様は笑ったよ。
「大きな口ね、アレク・レッドウッド。獣のようだわ」
「ああ。美女が連れて歩くには、相応しい種類の野獣だろうとも」
「妖精の魔法のせいで、獣になった王子なのかしらね」
「そんな由緒正しいものじゃない。ただの貧しい孤児で人殺しなだけさ。後ろ暗いことを多くして来て、たくさん魔物を殺しもした。それだけの人生だ。知っているだろ」
「文章ではね。でも。それが、きっとあなたの全てじゃないことは、分かっている。美少女だって、アホじゃないのよ。知っていたかしら?」
「知っている。演技で青年を召使いに変えられる美少女は、とても知的水準が高いんだろうさ」
紅茶を飲むよ。オレだって、インドで茶葉に詳しくなっているからね。嫌いじゃないさ。紅茶の味を語れる男になりたくて……願ったんだよ。みすぼらしい孤児だったものが、生まれたばかりの娘を抱きかかえたときには、さまざまなことを……。
ああ。そうさ。
バチカンの詳しい文書にだって、それはそうだ。載りはしないこともある。
紅茶をすすりながら、柱時計の規則正しい音を聞きつつ。自分の価値を少し探したりしたな。君とエリーゼのことばかりが、オレを特別にしてくれている。そう気づけた。ああ……オレは、あんなに特別な宝物を多く手に入れたはずなのに、敗北者になったのか。
「また、悲しそうな顔をする」
「……悲しいこととね、素晴らしいことの裏表がくっついている。そんな人生だったのさ」
「ふーん」
「そういう反応を使うときはね、コレット・イルザクス。もっと、瞳から力を抜くべきなんだぜ」
「……うん。そうね。そうしましょう。お前のことは、あまり深く考えないほうがいいかも」
「そうしてくれると嬉しい。最悪な状況の一つでは、君に……オレの始末を依頼することになるからな」
「悲劇的なことね。戦友を、手にかける」
「戦友だと思わないでいると、やりやすいぞ。仲間を手にかけることは、本当に罪深い行いだ。何人か知っているが……ろくな末路を送れなかった。殺したからといって、終わることはない。後悔とは、そんなものだ。君は、できるだけ間違わずに生きろ」
「間違わずに……ね。ええ。お前のアドバイスは、きっと価値がある」
「間違って生きてしまった男の実体験だからな」
「そうかしら。そう、なのかもね。お前は……不幸に見える。それでも、世界のために戦えるのね」
「戦えるよ。復讐のついでに、世界を救う。そう決めた。オレにとって世界が復讐よりも、重たいわけじゃない。むしろ、軽いから……ついでにやれちまう。利己的で、尊敬すべき戦士じゃない。大儀のためには、もう生きれはしないから」
「……それも、愛情の証明だ。お前は、愛のために生きられた。妻子を失ったからといって、お前のその人生は、きっと……間違いじゃないよ」
君みたいに。
コレット・イルザクスはオレのことを分析するのが上手な気がする。ちょっとだけ、いつも間違うけどね。そこも君と同じだ。君もコレットも、オレを誤解している。オレはもっと邪悪なものだと自分でも思うのに、ちょっとマシな生き物であるかのように評価した。
……それでも。
いつものように。
救われもする。自分の人生に肯定されることが少ないからだろうか。拒絶と否定と、殺し合い。三つのつまらない要素が過分に含まれてしまっているオレの人生は、自分じゃ評価しがたいからね。
「ありがとう」
「どういたしまして。安心していいぞ。私は、もしもの時。ちゃんと殺して―――眠らせて、あげるから」
「……ああ」
本当は。そんな言葉を使ってもらう場合だと、念を押すべきだ。強く迫って、眠らせるではなく、殺すと言わせるべきだったのに。エリーゼにも似ているコレット・イルザクスへの負担となるかもしれないからって……オレは、手加減していたよ。
若い娘が、弱いばかりだとでも決めつけているのか。
そうじゃないさ。彼女はバチカンの戦士なのだから、さっさと冷血な殺し屋の覚悟を与えてやるべきなのに―――。
「―――お前が、ちゃんと、アレク・レッドウッドの心のまま、使命を果たせばいい。その覚悟をしなさい。そっちの方が、強いでしょ」
……君にも似ている彼女は、君と同じように。合理性より強さを、オレに求めた。知的水準の高い女性のはずなのに、不思議なことだ。
「……強くなれるかな」
「……なれると信じたい。あなたは、きっと、バチカンの戦士でいられるわ。世界の終わりが来た日には、きっと……許される種類の、人殺しなのよ」
最後の審判の日まで、地獄で苦しんだ後。
オレは許されるらしい。その後でなら、天国にいる君とエリーゼにも会えるかな。だとすれば……良いことだ。
「あなたは、希望のために戦える。自分がいない未来のことでも信じているから。だから、復讐が燃え尽きた後には、その力も使うといい。そんな気がするの。私は……甘っちょろい理想主義者かしら、アレク・レッドウッド」
「いいや。いいお姫様だよ。気高くて、野獣を強さに導いてくれるような」
「そう。なら、いいわ」
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