三日目 『強欲なる祈り』


 灰色の散歩はすぐに終わる。細い路地裏に、雨を吸って伸びてしまった無数のチラシが横たわっていた。どれも焼かれているようだな。


「掃除とかしないのかしら、新進気鋭の極右政党は?」


「他の政党のチラシだからかもな。『焼いた敵の死体』を放置しているのさ。支持者の前で引きちぎったり、焼いたり……熱狂的な演出をしてみたんじゃないか」


「ふーん。詳しいのか、政治活動とか?」


「詳しいのは政治よりも、その表現技法の一つである暴力についてだ。敵の死体を辱めるヤツは、世界中にいる。インドでも、ヨーロッパの戦いでも、嫌というほど見たぞ。死体を娯楽に使うようなクズは、どこにでもいる」


「……人類に絶望している男みたいな言葉」


「だからこそ、科学に期待して、財テクを頼りにしていた。生前はそんな小さな男さ。野心もなく」


「死んでしまった今は、何なのかしら」


「……かつてより、とても悪いものだ。自分でも分からないぐらいに、深い闇の一員になったんだろう。神秘なんて、ろくでもないものだ」


「分かるわ。私も神秘の持つ闇は嫌いよ」


「オレもさ、仲良しだな。さて。入ろうか。新進気鋭の極右政党の事務所に」


「どこか分かるの?」


「まあな。君よりも社会に出てからが長いから」


「男ってだけで、選挙権が許されていたものね」


「そういう社会学的な問題について語ったつもりじゃないよ」


「知っているわ。なんだか、愚痴りたくなる。お年頃なのか、性格なのかしら」


「君は正義を愛していそうだからね」


「そうね。じゃあ、バチカンの戦士の先輩。長く生きた神秘の知識の数々の一つを、教えてくれないかしら?」


「世間知らずなお姫様、選挙事務所ってのは、どうにもやたらとポスターを張りたがるものなんだよ」


「ポスター?……ああ、そうか目立つためか」


「自分たちを示すためにね。言葉で表現することもある。『共産主義者、敗北主義者、資本主義者、欺瞞を駆使して労働者の血を啜る邪悪な蛇どもを殺し、神に選ばれし我々がドイツ全土に未来を築く。青年よ、力を示せ』……だそうだ」


「攻撃的なのね」


「哲学は否定することで純度を増すってことを、最近のドイツ人の極右は勉強したんじゃないかな」


「邪悪な蛇どもだとか、神に選ばれしとか……なんていうか、こいつらも神秘なお友達なのかしら」


「そうありたいと考えているのかもしれないよ。戦に負けた連中ってのは、神秘や熱狂に頼りたがる」


「はあ。そういうのは邪教の始まりだと思うのよね。神秘がなくても信仰しなさいって、千年以上前から教会は言っているはずなのに……」


「欲しくなるのさ。運命だって、歪めてしまえる力に憧れる。ありもしないのなら……まったくもって、良かったんだが」


「ドイツ人は大戦で負けたかもしれないけど、この土地の共産主義者はさらに負けているわね。この十字架曲げた神秘主義者みたいな連中よりも、ひねくれているかしら」


「かもしれないね。敗北を知った若者は……マルジェンカの力を見れば、虜になるかもしれん」


 だから、政治に関わろうじゃないか。ドイツを変える気でいる鼻息荒い若い極右政党に。力強い詩とケルト十字の一種か何かみたいな先が曲がった十字架が描かれたポスターが、あふれるように張られた壁にある古いドアをノックした。


 気配が動く。


 ドアの向こうに、若い影が走ったようだ。聖職者としてじゃなく、傭兵として得た感覚のままに言葉を選ぼう。


「……警官じゃなくて、君らの大好きな聖職者だよ。君らの敵と、オレたちの敵が手を組んだらしい。だから、オレたちも手を組もうじゃないか」


「……い、言っていることが分からないぞ!?」


 困惑した声でドアはしゃべったよ。


「分からないでいいさ。君よりもっとベテランで、ハナシが分かるヤツを呼んでくるといい。ナイフを構えるなよ。その必要はないし、オレには利かない。警官じゃないが、荒事には慣れているぞ、若者よ」


「……な、なんだか偉そうだけど。ひょ、ひょっとして、総統に会いに来た偉い超能力者なのか?」


「超能力者……?まあ、そう名乗ったことはないが、神秘の下僕の一人だよ」


「そ、そうか。う、うん。わかった。まあ、入ってくれていいよ。今、ドアを開けるから」


 鍵が開かれた。ドアが開く。彫りの深い顔面を持った、金髪碧眼の青年が政治ポスターにあるようなニコニコ顔で出迎えてくれたよ。


「ど、どうも!国家社会主義ドイツ労働者党に!!長いんで、気楽にナチって呼んでもらって結構です!!あなたのための政党ですから、親しみを込めてください!!」


「ライバル政党の呼び名と似ているぞ」


「あんなの、20世紀のうちに消えてなくなりますから。ナチは30世紀になってもやってますよ!永遠の政党なんです!!」


「ああ。わかったよ、労働者のためにがんばってくれたら嬉しい」


「ええ!!がんばります!!まずは、ドイツを諸悪の影響力から解放して―――って、び、び、び、美人だああああ!!?」


「でしょうね。でも、シスターなの、理解してくれると嬉しいわ。告白とかしても、断るだけ。私、神さまと結婚しているのよ」


 男に告白されるのが大嫌いそうだからな、『聖杯』の一族の美少女は。美少女だから、男どもに言い寄られる機会も多かっただろうし……難儀なことだ。それはコレット・イルザクスだけではなく、彼女の美しさに心を奪われがちの男たちにとってもかもしれない。


「は、はあ……っ。そ、そうですか……っ」


「悪いわね」


「い、いいえ!!そうですよね、シスターなんですから、神さまと結婚しておられるわけで……と、とても、良いことですよ!!信仰に一途なんて、とても…………で。その、何か、御用でしょうか。ナチの事務所に……?」


「誰でもいいから君の上司を呼んでくれないか?」


「総統閣下はベルリンに出張しているんですが……」


「誰かは知らんし、興味もない。とにかく地域の荒事に詳しいヤツを紹介してくれ。オレたちは、バチカンからの使者だ」


「ば、バチカンって、あの!?」


「イタリアにあるアレだ。有名だな。カトリックの総本山だよ」


「ああ!!やっぱり、ナチはドイツを救うんですね!!バチカンからも支援者が届くようになった!!我々の日々の活動が、苦労が!実を結び始めていますよ!!総統閣下!!」


「……彼は変わっているわね」


 美少女の言葉は短くて的確なものが多いよ。とくに、自分が振った男の冴えないところを指摘する能力には長けている。男は、自我が拒否するのだろうかね、そんな言葉を耳に入れることはしないよ。この青年も、気づかなかったか―――あるいは気づかないフリをしている。


 どちらでも良いことだ。


「青年よ。君らの政治活動がどうなろうと知ったことじゃない。だが、バチカンに協力したら君らのことを支持する日も来るだろう、バチカンは恩知らずじゃないぞ。オレたちのために働けば、教皇さまだって君らのリーダーに勲章を与えるさ」


「さすがは総統閣下です!!ああ、きっと、そうなりますよ!!バチカンの支持を得て、我々はドイツを目覚めさせます!!脅威が迫っているんだ……東の冷血どもは、きっと、我々を破壊するはず!!」


「……ヴァルシャジェンのこと?」


「え?ヴァルシャ……え?そいつはロシア人どもの新しい支配者ですか?」


「……知らないなら、良いの。忘れて。とにかく、君じゃハナシにならないと思うから。ちょっとは偉い人を呼んで来なさい。あと、雨の日なのよ。乙女を屋根のない場所に放置していることが、正しいと思っているのかしらね?」


「も、申し訳ございません!!こ、こちらにどうぞ、シスター!!」


「ええ。ありがとう」


「キリストの騎士の一員として、し、失態を……っ!!」


「ここにもキリストの騎士がいたか」


「アレク・レッドウッド。意地悪な言葉を私に使う男は、嫌いになるわよ」


「ああ、無駄口は叩かないことにする」



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