第40話 そして花火は打ちあがる


「お、きたきた」


 慎之介が改札口に手を振り、悟と恵もそちらへ視線を向ける。

 雑踏に紛れて、金色の髪の毛をたなびかせながら、手を繋いでこちらへ向かう詩と梓の姿がそこにはあった。

 悟の瞳は、その愛らしい2人の姿だけがはっきりと映る。


「お待たせ。待った?」

 梓が小さく手を振る。


「待ってないぜ。俺たちも今着いたばっかりだしよ」

 慎之介は優しく笑った。


「あ、恵も浴衣着てきたんだ!おそろだね!」

 梓は恵に近づき、「すごく似合ってて可愛い」と喜んだ。

 水色を基調とした下地に、ところどころに金魚の絵柄が描かれた浴衣は、夏らしい涼しさを映し出し、恵の女性特有の瑞々しさを表現している。

 可愛いと言われなれない恵は、照れて赤くなった顔を隠しながら「ありがとう」と呟いた。


「ほんと、こんなに変わっちまうなんてな」

「うるさいわね」

 慎之介が恵をからかい、恵はその言葉にむっとする。


「そうかな?恵は昔から可愛かったし違和感ないよ?」

 悟は首を傾げた。


 彼のその言葉に、恵の恥ずかしいという感情のボルテージが一気に上昇し、彼女の頭から白い煙が立ち上る。

 嘘やお世辞を言えない悟だからこそ、その言葉は、彼女にとって致命傷を負わす銃弾となり、彼女の本心が棲まう心のど真ん中を撃ち抜いた。


「おうおうおう、さすがだな悟は」

 慎之介は口を押えながら笑う。

 悟は慎之介が笑う意味が分からず、終始頭の上にはてなマークが浮かんでいた。


「あなたたちのほうが可愛いじゃないの。ほんと、もうずるいわよ」

 恵の熱が徐々に冷却していき、梓と詩の浴衣姿を見つめる。

 持って生まれたものに優劣などつけられないが、こんなにも人間というのは顔のパーツのバランスによって美しさに差が出るものなのかと、もはや嫉妬することすら憚られる詩と梓の姿に恵はため息をついた。


 梓の浴衣は白を基調とし、大きな赤い色をした菊の花が咲き乱れ、その花色と合わせるように帯も赤であり、遠くからでも一目でわかるほどに色鮮やかであった。

 詩の浴衣は、灰色の縞模様が基調となっていおり、全体には水色の芙蓉の花が描かれていて、藍色の帯が、一段と大人の雰囲気を醸し出している。

 梓とは対照的な落ち着いたモダンな姿と、そこから延びる白いうなじが、彼女自身の色気を放ち、悟は思わず心臓がぎゅっと掴まれるほどに、その愛おしさに魅了された。

 周りを見渡せば、夏祭りではしゃぎながら通り過ぎていく男女の視線をいつもより感じる。


「どう……かな、悟くん」

詩は小さく呟く。


「う、うん……すげえ綺麗」

 悟は詩のその姿に見惚れながらも、あまりにも浴衣姿が綺麗だったせいか、彼女の顔を直視することが出来なかった。

 その綺麗という言葉には、雰囲気だったり、表情だったり、浴衣姿だったり、手先だったり、髪型だったり、いろんなことが入り混じっているが、悟の頭の中は、その全ての綺麗を事細かに処理することが出来ず、彼の口からは「綺麗だね」という言葉しか発することが出来なかった。


 恋愛感情を抱く初心な男の子にとっては、これが今言える最上級の褒め言葉であった。

 詩は、悟から出た素直な一言に、嬉しさを噛みしめる。


 駅が混雑し始め、そろそろ行こうかと慎之介と恵が先頭に立ち、お祭りの中へと歩いていく。

 駅のホームを出ると、いつもは車の止まっているロータリーも通行止めとなっており、半被を着た男たちが酒を飲みながら囲う姿や、縁日がひしめき合い、夏の暑さを蒸発させるほどの活気に満ち溢れている。

 遠くでは太鼓が鳴り、商店街に取り付けられたスピーカーからは盆踊りの音楽が流れ、遠くからは神輿のシャンシャンと鈴の音と、それを担ぐ男たちの威勢の良い声が聞こえた。


「やっぱり、祭りはいいな!」

 慎之介の顔は終始ほころんでいた。

 もともと血気盛んな慎之介にとって、祭りの雰囲気というのはその本能を掻き立てるようで、彼は浮足立っているようにも見えた。


 ロータリーからまっすぐに伸びた大通りには、等間隔に隙間なく縁日が並んでいる。

 焼きそば屋、お好み焼き屋、唐揚げ屋、射的屋、くじ引き屋、金魚すくい屋。

 色とりどりの暖簾を垂らすそれは、まるで小さな祭りの箱庭のようにも見える。

 雑踏がリズムを踏み、それに合わせ赤ちょうちんが揺れる様は、大人たちの童心をくすぐるようで、あちらこちらにいる大人も子供みたいにはしゃいでいる姿が見て取れた。


 ちらほらと縁日に目を奪われた悟であったが、前から流れてくる人の波から、前を歩く慎之介と恵から離れるよう、視線を戻す。

 ふと、悟がじっと恵を見つめた。

 制服姿とは違う、浴衣によって映し出されたしなやかな曲線を描いたその後ろ姿に、悟は思わずドキリと胸が高鳴った。


「なあに見惚れてんの悟」

「いや、これは、ちが」


 悟の左側を歩く梓がにやにやとしながら彼の顔をのぞき込む。

 図星を当てられた悟は、あまりの動揺に舌を噛みながら呂律を回す。

 右側を歩く詩のほうを悟が向くと、ぷいっとそっぽを向いてしまった。


「やってしまった」と悟は内心焦りに焦る。

 その様子を見た梓が、右肘で強く悟を小突き、その反動で右側に寄った悟は、詩との距離を急接近させた。

 ふいに手と手が触れ合う距離にまで近づかれた詩に緊張が走る。


 ここで、ここで繋がなきゃ。


 だが、先ほどの恵への嫉妬心が邪魔をして、なかなか指が動いてくれない。

 勇気を振り絞って繋ごうとするが、前からくる人の肩があたり、その手がまたも離れてしまった。


 ほどなく歩いていると、前を歩いていた慎之介と恵が立ち止まり何やら話をしている。

 悟と詩と恵が近寄り、「どうしたの?」と聞くと、どうやら同時に寄りたい屋台があるとなったらしく、恵は右のりんご飴の屋台、慎之介は左の金魚すくいの屋台を指さした。


「ねぇ、悟と詩と梓はどっちがいい?」

 恵が3人に尋ねた。


 だがその表情からは、「当然私のほうよね」という圧を感じる。

 悟が決めあぐねていると、慎之介が悟の肩に腕を回し、「俺たちはこっちに行こうぜ」と無理やり金魚すくいへと連れて行った。


 悟が後ろを振り向くと、恵と詩と梓がりんご飴の屋台に向かう姿が見えた。

 金魚すくいの屋台では、大きな青い桶の中に、赤い尾ひれをゆらゆらと揺らす小さな金魚が泳いでいる。


 悟と慎之介はお金を払い、赤いポイを受け取る。

 彼らはそれを水面に構え、優雅に泳ぐ金魚へと向けた。


「なぁ、慎之介。なんでいきなり金魚すくいなんか」

「そりゃあな、俺も一歩前に進みたくてよ」

 慎之介はゆっくりと金魚の下にくぐらせたポイを浮上させ、宙に浮かびあがらせたと同時に、すぐさま受けに金魚を放つ。

 小さな受けの中で金魚は一瞬何が起こったのかと錯乱していたが、それが先ほどの水と一緒だとわかると、すぐさま平静を取り戻した。


「俺な、この金魚親父にあげるんだ」

「親父って……あの?」

「うん」

「そっか。頑張れよ慎之介」

「ありがとう。やっぱ悟には言っておいてよかったよ」


 慎之介が優しく微笑んだ。

 悟はその笑顔に、思わず胸を打たれる。

 それは彼が感じたことのない、不思議な感覚であった。


「ほら、悟。悟も金魚取るんだろ?詩ちゃんにプレゼントできるチャンスだぜ?」

 悟はその言葉にハッとし、ポイで慎重に金魚を狙う。


 緊張で手が震えるが、「大丈夫だ、ゆっくりな」と慎之介が顔を近づけ、肩に手を置いてくれたおかげか、その安心感から小刻みに震えていた手が止まる。

 悟は構えたポイをゆっくりと水中へと差し込み、一匹の金魚に的を絞った。

 息を整え、金魚の腹がポイの真ん中へと差し掛かった瞬間、悟は勢いよくそれを持ち上げ、その勢いのままに受けの中へと金魚を放り込んだ。


「もう一匹はきつそうだな」

 悟は金魚が取れたことに喜んだが、慎之介の言葉を聞き、ポイを確認すると、すでにその和紙は大きく穴をあけていた。


 金魚すくいを開いているおじさんに「もう一回やるかい?」と言われたが、悟と慎之介はそれを断り、取った金魚をぶら下げ、恵と詩と梓のもとへと向かった。

 すでにりんご飴を買い終えていた彼女らは、屋台の裏側にある歩道で立ち止まりながらりんご飴を食べているようであった。


「あ、おかえり。金魚取れた?」

 恵がりんご飴を頬張りながら聞く。


「取れたよ、大量にな!」

 慎之介が自信満々に、金魚の入った袋を見せつけるが、そこには一匹の小さな金魚がゆうゆうと泳いでる姿があるだけで、恵は思わず「どこが大量やねん」とツッコミを入れた。


「悟、りんご飴食べる?」

 梓が食べかけたりんご飴のちょうど口をつけた部分を悟へと向ける。

 悟はそれにどうしようかとためらっていると、負けじと詩と恵も同じくりんご飴を差し出した。


「悟、断ったらビンタされそうだぜ」

 慎之介が横でクスリと笑った。

 悟は頭が混乱しながらも、順番に全員のりんご飴に口をつけ、「美味しいね、ありがとう」とそれぞれにお礼を言った。


 そして詩には、一匹の金魚をお礼にと手渡した。

 てっきり恵と梓がそれについて「私たちの分も取ってこい」とでも言ってくるのかと警戒していたが、意外にもそんなことはなく、当然のような雰囲気を出しながら、それについてああだこうだということはなかった。


「ありがとう、悟くん。大切にするね」

 詩の反則級な可愛さを持つ笑った顔に、悟の心に大きく刺さる。


 そのまま、悟はどぎまぎとしながらも、次の場所へと向かった。

 商店街を抜け、右手方向にある久礼町のほうへと向かうと、町境に一本の川が流れており、そこの堤防では多くの人が立ち止まっていた。


「そろそろ19時30分だぜ。花火、打ちあがるな」


 慎之介が夜空を見上げる。

 悟と慎之介と恵は、毎年同じ場所で夏祭りの花火を見ている。

 それは今年も変わらず、去年と同じ場所で夜空を見上げていた。


「ねぇ、悟」

 恵が悟に問いかける。


「どうしたの?」

 悟は顔を恵のほうへと向けた。


「本当、あんた変わったよね。あの頃の泣き虫の悟がもう見れなくて少し残念」

「なんだよそれ」

「ちょっとだけ、寂しいだけだよ」


 悟には恵の眼が少しだけ潤んでいるように見えた。

 だが、その理由を深く聞けるはずもなく、悟はただ押し黙った。


 すると、遠くのほうからヒューという音が聞こえ、天高く立ち上っていったかと思うと、その音が一気にはじめ、空に赤い大きな大輪を咲かせた。

 その様子に、観客がみな空を見上げ、拍手をする。


 悟がふと横を見ると、詩と視線があった。

 少しだけ後ろに下がり、悟と詩は互いに近づきあう。

一発目の花火が夜空へと上がると、次々に赤や青、黄色の花火が爆音を散らしながら打ちあがっていく。


「あのさ、詩」

「ん?」

「手、繋いでいい?」


 詩は悟の言葉に頷き、そしてゆっくりとお互いが手を繋いで指を絡ませた。


「あの時、うまく返事ができなくてごめん」

「いいよ。私も急にキスしちゃったから驚いたかなって思って」

「それもあったけど、すごく嬉しくて、どうすればいいかわかんなくなっちゃったんだ」

「私も。あれからよそよそしくしちゃってごめんね」


 お互いが心を開き、そして感情を吐露する。

 漏れ出た吐息が混ざり合い、熱を帯びていく。


「詩、きちんと言わせてほしいんだけどいい?」

「うん、いいよ」


 悟は深く息を吸った。

 たった、一言がこれほどに重いと感じたのはこれが初めてなのかもしれない。

 悟の心臓が整ってきたところで、彼はゆっくりと口を開けた。


『俺は詩のことが大好きだ。だから、俺と付き合ってほしい』


 悟は、脚色することなく、ストレートに言葉をぶつけた。

 詩は悟の懸命な愛の言葉に、「いいよ」とも「ごめんなさい」ともいわず、悟のゼロ距離にまで近づいた。


 そして、彼女が両手で頬に触れると、つま先で立ち上がり、悟に唇を重ねた。

 それはあの時の一瞬のキスとは違う、お互いの愛を確かめるキス。


「私も悟くんのこと、大好きだよ。愛してる」


 詩はそういうと、また悟にキスをした。


 花火の音が、2人の中から掻き消えていく。

 悟に聞こえたのは、詩がつけた髪飾りが、風鈴のようなちりんという音色だけであった。


おわり。

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窓際席のアリス様 静 霧一 @kiriitishizuka

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